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2007年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2007年09月

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Way to the BLUE 6話

(6)


吉野という男は、語った。

誰もが生き、誰もが死ぬ。六道の一つを終え、旅立つのだ。

吉野という男は、そう言って骨壺に数珠をかざした。
念仏を唱える声が、爽やかな夏風に流れていく。どこまでも遠く。
どこかへと、還る。



「吉野洸清だ。よろしくぅ!」
「は……初めまして」

住職はすぐに出てきた。紫の法衣を着、黄土色の袈裟をかけて
現れたのだ。短く髪の毛を刈り込んだ40歳ぐらいの僧侶だが
日焼けして黒い肌と、筋肉質の身体は僧侶に見えない。
しかも不良のような剃り込みまで入れている。

指を二本立てて、ピッとロックシンガーのように格好を付けた。

住職は高浩から骨壺を受け取ると、有沢家の
墓石の前へと歩いた。

そして、語った。

「生ある人が成すことは、罪深きことでもあるが仏はそれを
許してくれる。他の動物のように喰われず、殺生をして
生きてゆく罪深き人間をな。だからその代わりに亡くなったときには、
耐え難いような深い悲しみを感じるんだ。憐憫だな。そして死を
畏れるようになった。我々が故人を悼むのは、当然のことなのさ」

じゃりっ

数珠が高らかに音を立てる。有沢家の墓石は清められ、
二つの骨壺が揃えられた。

住職は墓石の前で、語る。

力強く、大きな声で。

「故人を悼み、そして生きてゆく。お前ら残った人間が
死んだ奴のことを忘れなければ、故人は迷わずに転生できるって
ことさ。
なぁ、ふたえ嬢ちゃん」
「はい」

名を呼ばれて、ふたえが返事をする。
吉野住職はどこかの不良のように、首をコキコキ鳴らした。
本当に住職に見えない。

「嬢ちゃんは子供の頃から仲の良かった二人を亡くしてしまった。
高浩。君は両親という存在を亡くしてしまった。
しかし、悲しみの中にもこうして出会いが生まれた。これは
二人がこれから協力して生きてゆけという仏の声に聞こえるね。
オレにはな。そうだろ?」

ふたえは、小さく『はい』と応えた。
高浩はうつむく。そして、問いかけた。

「父や母は、決して幸せな人生ではなかったと思います」
「どうしてそう思う? 言ってみな」

腕を組み、住職はアゴを上げた。それが聞く姿勢らしい。

ふたえが顔を上げる。絵里菜も、月方も。高浩を見た。

「父は家庭に殆ど戻らず、母はその事にとても不満を持って
いるようでした。僕……俺は、いつだってそんな母を見ていた」

床に酒瓶を転がして倒れている母を学校から帰ったときに
見つけたこともあった。

酒を飲む人じゃなかった。不満があったら、直接相手に言うのが
母の美点でもあった。それなのに、それを言うことも出来ずに
倒れるまで酒を飲んでしまった。すぐに救急車で運ばれ、
それから母はひどく落ち込んでしまったように伏せった。

「俺はいい父親の姿を見ていないから。むしろ母が、父に
こだわって生きることをやめてほしいと思っていた」
「それは直接言ったの?」
「直接言った」
「そう……」

ふたえが尋ねてきて、率直にそうだと肯定した。
ふたえはその瞬間、ひどく……とても、傷ついたような
表情を見せた。

何か、言い例えるなら……

「……そう……なの……言ってしまったの……ね」

合格者発表で、自分の番号を見つけられなかった子のような。
絶望に打ちのめされて色を失う。モノクロームの写真のように。

ふたえの表情を見て、その真意を測りかねてしまった。
それでも高浩は、今更言い繕うことはしなかった。

「母さんと父親の喧嘩は絶えなかった。ほとんど四六時中と
言ってもよかったぐらいで、見ていてあまりにも辛かった。
なぜ二人が結婚したのかってことさえ、俺には理解できない。
こうして……」

有沢家の墓石を見つめる。

「同じ墓に葬られることだって、本意ではないかもしれないのに」
「それは違う。違うんだよ。高浩君」
「何が違うんだよ。ふたえさん」
「ひとえ姉さんは浩樹君のことを、ずっと好きでいたから……」
「そんなの、もう何年前の話なんだ。気持ちが冷めたんだ」
「違うの……」

首を振り、呟く。
ふたえは泣き出していた。月方が、ふたえの肩に手を掛けて
慰める。絵里菜も、心配そうに見上げていた。

「いけねぇなぁ。感情的に物事考えちゃあよ。それじゃガキの
わがままだぜ?」

住職が小さく笑みを浮かべながら言った。
その言葉に高浩は、激しく心を乱し吐き捨てる。

「感情的になっているのは誰だよ。ずっと家庭を見てきた俺は
どうでもよくて、こんな田舎に引きこもっていただけの
ふたえさんが、どれだけ正しいって言うんだよ!!
母さんが死んだのは、誰のせいでもない。勝手に生きて
勝手に死んだ父親に失望したせいじゃないか!」
「違う!」

高い声。出会ってから初めて聴いた、ふたえの怒声。
泣きながら否定した、その声に。

高浩は背を向けて走り出した。

「どこへ行くんだ!」

月方が叫ぶが、高浩は墓地の出口へ走ってゆく。
泣きたくなるのをぐっと堪えて、叫びたい感情も押し殺して。

走って、走って、殆ど回りも見ずに。息が上がるまで全力で
走った。
誰かに追いかけられそうな気持ちがあった。それを振り切るように。






墓地には、嗚咽の声だけが残された。

ふたえがすすり泣く声が。月方の慰めの言葉が。

「どうしよう……どうしよう……月方君……絵里ちゃん……」

ふたえはぽろぽろと涙をこぼして、ついにはしゃがみ込んでしまう。
その泣き崩れようは、ただ一つのことが原因ではない。

たくさんのことが、ふたえに折り重なって積もっていた。
姉の死去、友人の死去、高浩の苦悩、そして衝突。

住職は、少し残念そうに呟いた。

「気持ちの行き違いはどこにでもあるさ。小さなガキにも、
立派な大人にもな。まぁ違うのは、大人には自分を律する術があり、
子供にはこれから間違いに気づくだけのながぁ~い時間が
あるっつーことだよ。大人はその時間が子供に比べ少ないから、
子供の間違いを許せないのさ。オレは死者を弔う以外に能がないんで
他人の家庭環境にまで口出ししねぇが、ま、自分で気づくまで
放っておくことをオススメするがね。オレはね。じゃ、
供養はちゃんとするんだぜお前ら。しないと呪われちまうぜ!
じゃーなーよろしくぅ」

指を二本立てて、住職は家の方へと帰っていった。

子供の気持ちは成長によって整理されるものだと。
そんな言葉を残して。

ふたえはそんなに大人だろうか?
月方は思った。子供の頃から、泣いてばかりいたふたえは
大人になってもそんなに強くなれたように見えない。

強くもあり、優しくもあったひとえは、彼の言うとおりならば
気を病んでしまったという。

絵理奈は、昔に比べ病状は悪化した。まだ少し歩けるだけ
マシではある。だが、やはり完治はしそうにない。

自分は……?

……


家を再び訪れ住職に礼を言い、月方達は納骨を終えた。


「高浩君が辛かったのに、私なんでわかってあげられ
なかったんだろう……私……なんでっ……」

ふたえのそんな慟哭に、嘆息する……。
月方は高浩が去っていった方を見て、もう一度。

「しょうがない。放っておくしかできない。彼のことは。
もうお別れは済んだし、帰ろう」

墓地を背に、絵里菜の車椅子をくるっと方向転換させた。
ふたえを促すと、無言で頷く。気が動転しているためか、
方向感覚がおかしくなっているようで、よろけたりしていた。

「高浩君が自分で解決するしかない。彼が誤解していることを
彼自身が理解するしかないんだ」
「高浩くんが誤解してることってなに?」

絵理菜が尋ねても、月方は何も言わなかった。黙って車椅子を
押すだけだ。

「(……いっつもそうだよ。こーちゃんは昔から、大事な
ことは言わないんだ。いつも黙って、なんかしようと
するんだ。そんなのつまんないのに)」

ねぇ、と、胸元にもぐりこんでもぞもぞしているとーらに
絵理菜は同意を求めていた。もちろん返事はなかったが。







「はぁ……はぁ……!」

全力で走り、いつしか高浩は坂道を上っていた。
舗装路ではなく、わずかに土が見えるだけの細い獣道である。

「なんだここ……どこだ。なんか、調子に乗って知らない山道に
入っちゃったな」

周りを見れば、うっそうと茂る森の中である。道に迷ったわけでは
ないが、戻れるかどうか不安にはなる。

強い木の匂いが溜まっているような場所だ。熱よりも湿っぽさが
鼻につく。

「……まずいことになったな。そもそも、この山道はなんだ。
どこに続いてるんだ?」

引き返せばいいのだろうが、何となく今、引き返してふたえ達と
鉢合わせしてしまうのは心地悪い。

高浩はふわふわと軟らかい雑草の道を、歩き出した。

「……すごい森だな……」

虫の声が響き渡り、鳥も鳴いている。寂しい場所ではないが、
全く人の気配を感じない。

……

「……」

一瞬、何かに気づく。何というわけではない。ただ、なんとなく
振り返ったりした。もしかしたら獣でもいるのかもしれない。

そういうものがいても不思議ではない。

「……まさか北海道だからって、熊とか出るんじゃないだろうな?」

小声で呟く。北海道には熊がいるとよく聞くが、そんなものが
身近な場所に出るなんて状況は経験したことがない。当たり前だが。

熊に遭遇したら死んだふりをしろと言われるが、この前TVでそれは
迷信だということをやっていた。

もしも遭遇してしまったら、後ずさりして逃げるのがいいらしい。

「いや、待てよ。そもそもそんなのと遭遇しちゃダメなんだって」

……独り言。

身震いした。独り言を呟くのは、恐怖を紛らわせようとしているから
じゃないのか。恐怖を感じるということは、『そういう状況』だと
いうことじゃないのか?

高浩は考えが堂々巡りしていくような気がした。
そして今、自分が歩いている道も同じように、一向に出口へと
向かっていないのではないか。

事実、来た方向へは戻っていないし……。

「……何かいる」

かすかな物音が聞こえた。絶対に何かがいる。
こんな山奥に何かがいるのだから、それはまともなものではない。

もし熊だったら死ぬのか?
熊と向き合いながら後ずさりして逃げろというが、その相手が
見えないのなら一体どうすればいいのか?

解決するのか? 考えて。

解決ってのは、死か?

「いや、だから、逃げないと」

  ガサ

……草を踏み分ける音。

茂みが揺れる音。

やはり何かがいる。獰猛な獣が、こちらを見据えて飛びかかる隙を
狙っている。

あわただしく、高浩は辺りを見回した。誰もいない。
何も見えない。

森は森だ。木と草と、それ以外の物は何も見えない。
武器もない。空の両手で、一体何をしろというのか……。

「こんなことなら、ふたえさんとケンカしたりするんじゃなかった」

後悔は何の意味もなさない。いや、意味を成すこともある。
それは未来における行動の指標となる。

ただ、死に至る後悔の場合、せいぜい幽霊になって
悔やむ程度の意味しかない。それは、きっと意味がない。

人は死んだら意味がない。人は死んでも、多少の遺産と感傷しか
残さない。場合によってはそのどちらかしか残さない。

残したとしても、死んだ本人には意味がない……。

その当人になってみなければわからないとしても。

  ガサッ

さらに近い、草を分ける音。
もう目の前に何かが迫っているはずだ。しかし相手の姿は全く
見えない。

「……なんだよ! くそっ、俺はこんな目にあうためにここに
来たわけじゃないのに!」

  ガサガサ!

道の上、先の方の茂みが揺れた。一気に冷や汗が吹き出して、
高浩は足をすくませる。

何か赤いものが飛び出してきた。

「ああああああああああああああああああああっ!!」

後ろに尻餅をつくように倒れて、手をつく。どうしようもない
状況なら、せめて足でも喰わせて逃げるしかない。

食いちぎられて、血を流しながら獣から逃げることができるか。

きっとその前に意識を失って、永遠に目覚めないか。
せめて楽な死に方が良い。

……

だが。

「……?」

期待していたような死は訪れなかった。
もちろん期待していない痛みも訪れない。

泣きそうになりながら顔を緊張でこわばらせた高浩に襲いかかって
きたのは、声である。

「こんなところに……。危ないな。立入禁止の看板が見えなかった
のか? ……君……ちょっと、どうかしたのか?」

言葉……。

高浩が目を開くと、見えたのは、自分を覗き込むように見ている
赤い服の女の子だった。

「どうした。驚かせてしまったか? すまない。だが、危険だった」
「……あの、いや……」

女の子。
別に夢でも何でもないらしい。目の前にいる女の子は、存分に
リアルな実態を持っている。

「……誰?」
「そんなものはこっちが聞きたい。うちの山に入って、何が
欲しかったんだ?」
「……うちの山?」

白い手が差し出された。

尻餅をついたままの高浩がその手をしっかりと握りしめると、力強く
引き起こされた。

少し冷静さを取り戻して、彼女のことを見やる。
女の子は何か宗教的な儀礼で使うような、赤い法衣を着ていた。
そして輪袈裟……。僧侶か?

背は高く、とても長い黒髪を背中の方でまとめている。とんでもない
美人だ。落ち着いた雰囲気だが、歳は相当に若いと思う。高浩とも
そんなに離れていないと思った。

ホッとする。
人に出会えたのもそうだが、彼女自身の雰囲気に。

「うちの山って、ここ、私有地?」
「そういうことだな」
「それは……すみません」
「いやいや」

彼女は手に持っている白木の杖で、トントンと地面を叩いた。

「別にそんなことはいいんだ。ただ、ここは危ない。うちの家の者
以外が入ると」
「熊とかがいるから?」
「いや、そういうのではない。熊もいるが」

いるのか! と、高浩は再び悪寒を覚えたが。彼女は杖を再び、
トントンと突いた。自然と高浩も、そちらへと視線を移す。

地面。

よく見ると、その地面は何かおかしい。
他の場所には青々とした草が生え茂っているのだが、そこにだけ草が
生えていない。枯れ草がまるで後から撒かれたように、覆い被さって
いる。

「これは罠だ」

ぶっきらぼうに言い放つ彼女の言葉をそのまま返す。

「……罠?」
「そうだな。言ったままの意味で、罠だ。獣を捕るための罠だ」

彼女は、その整った美貌をかすかに微笑ませた。何か、その態度は
得意げにも映った。すらりとした身体を縮ませて、手で枯れ草を
ぱらぱらと払う。

すると、竹のゴザのようなものが敷かれているのがわかった。

「落とし穴?」
「そうだ。落とし穴だ」

直径は1メートルほどか。彼女がそのゴザをめくると、落とし穴の
全容が見えた。

ただの落とし穴じゃなかった。

「やぐらに組んだ竹を立ててある。この上に鹿などが落ちても
死にはしないが、腹がつかえてはい上がれない」
「危ないな。一体誰がこんなものを」
「私だ」

素っ気なく言われ、高浩はめまいを覚えた。

「なんでこんなものを! 危ないだろ」
「だから危ないと書いてあったし、事後だがこうして忠告もした。
勝手に入ったのは君の方だし、私にはそんなに大きな落ち度が
あったとは思えないんだが……」

より一層めまいが強くなった気がした。

ただ、彼女も少しだけ困ったように、というか、しゅん、と
気落ちしたように小さく言う。

「ただ、私はちょっと危機感がないとか、考え方が人と
ズレていると友人に指摘されることがある。
それを考えると、無自覚のうちに君をここに招き入れる原因を
作った可能性はある。そうであれば申し訳ない」

彼女は大まじめだった。
最初本気でふざけてるのかと思ったが。

「いや……それはこっちに非があるんだけども」
「そうなのか。じゃあ謝らない」

表情を真顔に戻し、きっぱりと言った。
やっぱりふざけているのかもしれない。

「……そもそも、罠を仕掛けるのはなぜかと聞いてるんだけど」
「罠を仕掛ける理由? それは、食料を手に入れるためだ。
普通そういうものじゃないか?」
「いや、その格好を見ているとお寺の人みたいだから、そういう
人は、そういうことはしないのかと思って」
「なるほど。何が問題なのか解らなかったが要するに、殺生は
いけないという話か?」
「ああ、まぁ、そう思うんだが」
「人は殺生をし、罪を重ねながら生きてゆく。そういう人間は
畜生道に落ちる。というのが一般的な見解だろうが、それは
平等性において矛盾する。人は皆、罪人であり、人は皆、
畜生道に落ちる。それが六道だ。ちょっといいか。上にもう一つ
罠がある。ここから50メートルぐらいだ。そちらを見てから
下山するのが毎日のスケジュールなんだ。せっかくだから、
ついてきてくれるか? 立ち話もなんだろう」

杖で、山道の先の方を指し示した。彼女に尋ねる。

「上の方に休むところでもあるのか? こんな山の中に?」
「いや、立ち話も何だから……歩き話はどうかと思って」

なんだそりゃ。

「すまない。私はどうも、少し話し下手なのかもしれない」
「そんなことはないと思うけどな。そういうのとは別の次元のよーな
気がするし」
「友人と話していると、沈黙が辛いときがある。私のせいかもしれない。
父に似てしまったせいだと言われたが、私にはどうしようもない。
父に文句を言ってみたが、真似をするのは自分に自信がないからだと
言われた。腹が立ったので、食事に家にある唐辛子を全部入れて
やったら、泣いて謝っていた。復讐の虚しさを感じずにいられない」

それもどうなんだろう。

疑問に思いながら、高浩は山道を彼女と上がってゆくことにした。
どうせ戻りづらいと思っていた所だ。

「有沢高浩。名前は?」

彼女は歩きながら、今度は確かに微笑んだ。

「高浩と呼ばせて貰う。私は千歳。吉野千歳だ」
「良い名前だな。千歳さんか。吉野……」

吉野?
高浩は、再びめまいを感じた。

「高浩? どうかしたか?」
「いや……君のお父さんって、もしかして坊主だけど筋骨隆々で
真っ黒に日焼けしてて剃り込みとか入ってて『よろしくぅ』とか言う?」
「なんとなく父の特徴に似ているな」

それが、吉野千歳との出会いだった。

陽は高く登り、真昼を告げようとする。




(6)終
(7)へ続く
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Way to the BLUE 5話

(5)

青空。遙か遠く、抜けるような空。
桜の花びらが舞う。
海は青く。雲は白く。
緑は深く。

世界がここに凝縮されたような、美しい景色。

それなのに、泣いている?
なぜ……?

なぜ……


彼女の涙の理由を、誰が理解できるというのか?



ピピピ……


反射的にそれに手を伸ばした。高浩は、手に馴染む二つ折りの
それをパカッと開く。

昨日撮った海の景色を壁紙に、時刻が表示されていた。


(8時00分)

「朝か……」

そば殻の堅い枕に、顔をぼすっと落とした。
全て木で作られたベッドは、マットもへったくれもないような適当な
作りだったが、やけによく眠れた気がする。

飛び上がった影があった。とーらだ。
眠っていたとーらは逆に揺り起こされて、反射的に飛び上がった
らしい。数メートル跳躍して、ちょこまかと階段を下りていった。

それは気にしない。高浩は目を閉じる。

羽布団ではなく、木綿の手触りの掛布団も。
素朴な温もりがあった。草原に眠るように心地よく、湿気がない。

「木の匂いか……落ち着く……」

そして、この静けさだった。蝉の声すらも遠い。

しん、と水を打ったような静寂の中、遠くかすかに海鳴りが聴こえてくる。
本当に微かに。まるで夢想のように。寄せては返る波音が、ざざ……と
聴こえてくる……。

それ以外の音は一切無い。風音すらも。
起き上がり振り返る。

むしろこの静寂の中では、自分の鼓動の方が騒がしかった。
非現実的なほどに穏やかな時間。

ベッドから窓を見ると、神々しいような光の滴が、くすんだ色の
カーテンから溢れ出ている。

空気が違う。その清冽さが。雑音の全くない領域が。
何しろ自分以外の人の気配すら感じないのだ。

しかし、この朝の清々しい陽光を見れば、それでも恐怖はない。

「昨日は暗かったからよくわからんかったけど、ボロボロだな」

独り言を呟いた。室内はまさにその通りである。
木の壁は黒く汚れ、床も今にも腐りそうな古い木。調度品は
窓際の小さなテーブルぐらいしかなく、あとは、後からつけたと
すぐに解る木ねじ式のカラフルなハンガーフックが二つ。

それにはハンガーが二本ずつ引っかかっていた。

掃除の途中でもあったのか、窓枠に雑巾が置いてある。
単に結露するからかもしれない。窓は汚れて白く曇っていた。

「掃除もしなきゃな」

一宿の恩という話もある。掃除ぐらいはするべきだろう。
明日か明後日かはわからないが、出ていく前には必ず掃除を
しようと高浩は心に誓った。




Railwayの一階に降りる。

店内は明るい光を取り込んで、優しく落ち着いた色に輝いていた。
この店を愛して、大切にしている人がいることを物語る。

「……あ、そうだ。風呂入ってないな」

やや肌寒いほどの朝の空気に浸り、それを思い出した。

「……といっても、全然汗もかかないしベタつく感じもないし、
気にしないってこともアリか……いや、何言ってんだ」

自分自身の考えを否定して、寝間着として来ていたTシャツを
脱いだ。手近なイスにそれを掛ける。

そして厨房の、洗い場のあたりに行ってみる。
目的の物は流し台のハンガーにかかっていた。

「頭はちょっと洗えないだろうから、顔洗って、身体ぐらい拭こう」

水道の蛇口をひねる。ダッ……と、首の長い蛇口から清水が
流れ出した。
白い清潔そうなタオルを突き出す。ばしゃっと水がかかり……。

「……っ!!!」

声にならない声を上げ驚く。
水がまるで氷のように冷たい。水道からこんなに冷たい水が
夏に出るという、そんなことが信じられない。

「ひえー……つめてー。うわー……」

思わず半笑いになり、高浩は一気に感覚が無くなった手でタオルを
搾った。そして流れるままの水流に、頭を突き出した。




藤ノ木ふたえは時計を確認する。
もちろん見えるわけではない。
音声で知らせてくれる時計を持っている。それで確認した。

「少し早かったかもしれないわね」

機械音声で8時20分と告げられ、考える。

「別に問題ないかな」

白い杖で地面を叩きながら、歩いてゆく。何度も繰り返した
毎日で、今自分がどこを歩いているかも解る。
杖を使わなくても。

ある意味では、この白い杖は、ふたえの目が見えないことを
知らない人に対して、見えないことをアピールするための
ものでもある。たまに、気づかず避けてくれない人もいる。

そういえば、と、高浩の父親である男のことを思い出して。

「寝坊とかはあんまりしなかったな。すぐいなくなっちゃうけど」

むしろその当時は、ふたえのほうがよほど寝坊がちだった気がする。
よくRailwayで居眠りをしてしまっていた。

Railwayの前に着く。

それはまだ目が見えていた頃の話だ。
一階で居眠りしているときに、彼が毛布を持ってきて肩にかけて
くれた時があった。
目が覚めてからふたえが礼を言うと、照れ隠しをするように、
浩樹は不機嫌だった。

「懐かしい」

小さく笑って、ふたえはRailwayのドアを開けようとし、そこに
慣れた感触がまるでなかったために、空振りした。

「そう。ドアがないんだったっけ」

独り言を呟いて、店内に入った。
Railwayの中からは、水道から水が流れる音が大きく聞こえる。

店の中に入った途端、何か柔らかい物が飛んできて、ふたえの
肩に飛び乗ってきた。
どうやらとーらのようだ。

もぞもぞ動くそれを肩に乗せたまま、呼びかける。

「高浩君? 下にいるの?」
「……うわぁっ!!?」

声を掛けると、彼は激しく動揺した声を出した。

「ど、どうしたの? 何かあったの?」
「あ、い、いや、なんでもない、けど」

厨房のほう。声が聞こえるほうへと足を進める。

「ああっ、あまりこっちに来ないで!」
「……? どうしたの? なぜそんなに慌てているの?」
「い、いや、理由を詳しくは説明できないんだけどちょっと、1分
ぐらい後ろを向いててくれないかな!?」
「ええ。はい。いいわよ。――これでいい?」

くるりと回れ右をした。これで、高浩に背を向ける形になる。
背後では、がさごそと物音がしていた。服を着る音だ。

「(あらあら。これはちょっと、困らせちゃったわね)」

ふたえはくすくすと笑った。

「高浩君。あのね、サンドイッチ作ってきたから。テーブルに
置いておくね」
「あ、ああ。どうもありがとう」
「ゆっくり支度して、食べたら外へ出てきて。私、待ってるから」
「いや、すぐ……」
「ゆっくりでいいから」

再度念を押すと、彼は黙っていた。もしかしたらこちらが
怒っているとでも思ったのかもしれない。

誤解されないうちに、ふたえはRailwayの外に出た。

柔らかな暖かみが頬を撫でる。太陽が昇り、きっと世界は
美しく輝いているのだろう。

それを見ることはできないが、ふたえは心の中でそれを
思い浮かべた。

有沢浩樹が彼女に教えてくれたように。
見えなくても、わかる。





サンドイッチを急いで食べて、高浩はふたえとRailwayを
後にした。

「急がなくても良かったのに」
「いや、そんなに急いでもないから」

こんなに涼しいのに、汗ばんだ手のひらで伝わるだろうが。
それは仕方がない。

ふたえと手を繋いで、高浩は町の中を歩く。

「薬屋さんの交差点を右に曲がって」
「ああ。そこか」

正確に、その交差点から10メートルほど手前で言ってくる。
距離が見えているとしか思えないが、見えないらしい。

高浩は彼女を見た。

「……(喪服……か)」

隣を歩くふたえは、袖のない黒いワンピースを着ていた。
白く細い腕と対比する色合いが、大人の女性の存在感を
漂わせる。
頭には黒いレースの帽子を被っている。お嬢様のように
優雅だが、やはり喪服だった。飾り気はない。
ただふたえの雰囲気でそう見えるだけだ。

彼女の肩には茶色の生き物が乗っている。そこが定位置と
主張するように。

高浩は自分の服装を見下ろすが、こちらは黒い制服の
ズボンに白のワイシャツである。
ふたえと並ぶと、子供っぽく見えるだろう。少し悔しい。

背中に背負ったバッグの中には、小さな壷が二つ入っている。

「……親父は」
「うん?」

何気なく口を開いた。本当になんでもない。ただ、世間話を
したかっただけだった。

「親父のことを、恨んでますか?」
「え?」

歩きながら、問いかける。

「……恨んでなんかいないわよ。私。どうしてそう思うの?」
「約束していたんじゃないかと思ったんです」
「約束?」
「はい」

それがどんな約束かは知らない。根拠もない。
高浩の単なる憶測でしかない。

「約束なんて、しないわよ」

小さな声だった。
熱を持ち始めた道路を歩く足音で、かき消えてしまいそうな
ぐらいに小さい。

「だって、それは果たせない約束かもしれないから」

どき、と胸が高鳴る。ふたえが呟いた言葉は、幾度となく
聞いてきた言葉と同じ物だった。

「それは母さんが」
「ひとえ姉さんの口癖だったわね。出来ない約束はするな。
約束を果たせずに傷ついて、破ったほうも、破られたほうも
同じように悲しむ。果たせない約束は、初めからするなって」

厳格な母親だった。高浩にとってみれば、畏敬の念を感じるほど
厳しかった。

「だから浩樹君も私も約束しなかった。ひとえ姉さんとも」
「……」

声を出そうとして、口を噤んだ。

「……」

ふたえも押し黙る。何らかの感情を抱いているはずなのに、
彼女は言わない。

それは、恨みではない。
それだけでは片づかない何かがある。きっと。

「そろそろ斜めに上がってゆく道と、階段が見えてきたでしょ?」
「……え? あ。ある」

門柱のような二つの石に、高永寺と彫られている。

挟まれるようにして石段はずっと続いている。50段ぐらいは
確実に。
森の丘に、駆け登ってゆくような階段だった。そういえば子供の頃
行った日光東照宮もこんな風になっていた。

「それを上がれば、『高永寺』よ。多分もう、車で来てるはず
なんだけど……」

最後の方の言葉は、独り言のようだった。

「誰がですか?」

ふたえの手を引いて、階段に足をかける。
その答えは、すぐに返ってきた。

「友人よ。私と、ひとえ姉さんと、浩樹君の。かけがえのない
大切な友人。同い年の幼なじみ」

友人というものは、常にかけがえのない物じゃないだろうか。
そういう疑問が浮かぶ。

「かけがえのない……もう、失うわけにはいかない。
野本先生や、智香ちゃんのように遠く離れてしまっても。
月美ちゃんのように……」

息が切れたのか、言葉は続かなかった。

ふたえは荒く呼吸しながら階段を上がる。高浩はできるだけ
彼女を支えながら、ペースを合わせてゆっくりと付き合った。

「……?」

出てきた名前に心当たりはない。
それはきっと、尋ねても仕方のないものだろう。

この世界では。
出会わなければ、人はすれ違い続けるだけだから。






階段を上がりきると、時刻は9時半を指していた。

目の前には、森林の中に突然開けた空間がある。
石畳が敷かれ、隙間には玉砂利が敷かれている地面。

たんぽぽがその隙間から顔をのぞかせ、鮮やかな黄色い
花を咲かせている。

「ついたねー。ハァ、ハァ。息が上がっちゃった。歳なのはもう
しょうがないのよね」

まるで歳を感じさせない若々しさと美しさを持つふたえが
そんなことを言っても説得力には欠けるのだが。

高浩は手を離した。

『高永寺』は目の前にあり、それは思いのほか小さな寺である。
それ自身の周囲に廊下が巻き付いたようなデザインで、
防風フードのようなガラスに囲まれている。地方の寺のわりには
お金がかかっているように見えるが、きっとそれは本州の寺を
見慣れているせいだろう。
北海道では外に剥き出しになった廊下など、積雪で大変なことに
なってしまう。全てを壁や窓ガラスで守らなくてはならなかった。

隣には普通の家がある。二階建ての何の変哲もないモルタルの
家だ。恐らく住職の家族が住んでいるのであろう。

「良かった。登ってから、『お寺まであと2キロ』みたいな状況なら
もう帰ろうかと思った」
「あはは。そんなことだったら、私だって誰かに頼んで車出して
貰うわよ。子供の頃はここをよく駆け上がって遊んだのに、本当に
寄る年波には勝てないのよね」
「いや、こんな階段誰だって……」

言いかけて。

「確かによく遊んだなぁ。銀球鉄砲の、アレ、ベルト火薬が別に
ついたやつでパンパンやってさぁ。浩樹と」

声が聞こえてきた方を見る。左手の方の道を上がってきた男を。

「……」

そちら側には、車で来た人への駐車場があるようだ。案内板が
立っている。

ふと言葉を止めてしまったのは、男と、もう一人。
車椅子に座った女がいたからだった。

「あ、月方君?」
「久しぶり。ふたえちゃん」

ふたえが名を呼んだ。それは男のほうだったようで、返事する。

眼鏡をかけ、痩せた男だ。どことなく口調は軽い。髪型を
オールバックにしているのが少々おっさんっぽい。

「絵理ちゃんもいるの?」
「うん。いるよ」

その名前に応えたのは、車椅子の女だった。大きく眠そうな瞳。
ふんわりとした顔つき。ふわふわと揺れる長い髪。歳はふたえと
同じぐらいなのだろうが、やはり美人だ。むしろ可愛いらしい。
ふたえがマロンケーキだとすれば、彼女をイメージするなら
激甘のイチゴスフレである。

二人とも喪服を着ている。月方という男はしっかりとした黒の
スーツ。『絵理ちゃん』も黒のフォーマル。二人とも、全く似合って
いなかった。

「絵理ちゃん。来てくれてありがとう。まだ良くないのに」
「ううん。大丈夫だよ。いつでも元気ぼりぼりだよ」

月方という男は、わかりやすくため息をついた。

「『絵里菜はあまり動けないんだから無理をするな』って言ったん
だよ。それでも、『二人にお別れを言う』って聞かなくて。ところで、
そこの君は、有沢高浩君か」
「え、はい」

突然名前を呼ばれ、高浩は水でも浴びせられたように驚く。
非現実的なほどの自然の中で、突然現れた二人に面食らって。

しかし彼らが、話にあった『友人』だろうと思い当たり。
小さく頭を下げた。

「有沢高浩です。父と母の見送りに来て下さり、ありがとうございます」
「いやいや、そんなことはいいんだが。ふたえちゃん、なかなか礼儀
正しくて良い子じゃないか」
「そりゃあ浩樹君の子だもの。良い子なのは知ってるわよ」
「いや、浩樹に比べりゃ人間出来すぎてるぐらいだと思うがなー」

再会。
和やかな雰囲気が辺りに満ちる。

「よろしくね。高浩くん。月方絵里菜だからね」
「僕は月方浩一郎。絵里菜の夫だ。ご覧の通り絵里菜は体が悪くて、
いつもこんな感じだ」
「そうなの。身体悪いの」
「さっきは大丈夫って言ってたじゃないか」
「あれはうそだ」
「嘘かよ!」

月方絵里菜と月方浩一郎。二人は息の合ったテンポでふざけ合って
いた。仲睦まじいというか、まるで友達のような二人だ。
ちょっと夫婦には見えない。

「あはは。あ、そうそう絵里ちゃん。これ、とーらちゃんだって」

肩に乗ったモモンガをふたえが指し示すと、絵里菜は大声を上げた。

「うわぁー、とーらちゃんだー! とーらちゃんはおっきくなっても
モモンガのまんまだぁ。ね、絵里菜のこと覚えてる?」
「いや、そのとーらは子供だから」

だから覚えているはずがない、と、言うより早くぴょんと肩から飛び降りて
とーらは絵里菜の胸元に飛びついた。

「わー。とーらちゃんも覚えてたんだねー。えらいこえらいこ」

背中に縞模様のあるエゾモモンガの背を、絵里菜がよしよしと撫でると
安心でもしたように、とーらはそのままじっとして動かなかった。

覚えているはずはないのだけど。何か違うのだろうか?

高浩以外の誰もが笑顔だった。ただ、その笑顔は無理をしているような
緊張も持っていた。
やがてその雰囲気も引き締められることになる。

「吉野さん呼びに行きましょうか」
「……そうだな。住職はいるのかな? またバイクでどっか
行っちゃったんじゃないか?」
「昨日電話しておきましたから大丈夫ですよ」
「相変わらず? あの住職」
「あはは。そうですねー。相変わらずです」
「全然住職に見えないからなぁあのおっさん」

月方が心配そうだったが、ふたえは大丈夫だと頷いた。


それから、誰もが無言になる。自然と。

きぃ、と、とーらが鳴いた声だけが聞こえて。
全員は、建物の右手にある墓地へと向かう。


ふたえと高浩を先頭に墓地へと向かい歩く人々。

彼らはこれが葬列だと、今更気づいたようだった。
今更。何もかも。

一歩進むごとに、夏の日差しは高くなってゆく。
それなのに、今更。

寒気のような感情がこみ上げてきていた。誰の胸にも。


(5)終
(6)へ続く

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Way to the BLUE 4話

(4)



「木桧みずほ。よろしく」

言い方によってはにこやかにも聞こえるが、別に握手を
するわけでもなく、彼女は食事を続けながら面倒くさそうに
自己紹介した。

視線を合わせようともしない。テーブルの皿に視線を
落としたまま、仏頂面でカレーを口に運ぶだけだ。

家に帰ってないので白と茶が基調の制服を着たまま。
その制服にカレーの飛沫が飛ぶのを警戒している
ようにも見える。が、多分そうでもないだろう。


高浩はRailwayで食事を取っていた。

時刻は夜7時を回る。海の見える喫茶店であるこのRailwayの
窓からは、漆黒の闇しか見えなくなる。まるでそこがこの世の
終わりのような、深い闇だ。

海から見たなら、満天の星空の元にこのRailwayの明かりが
蛍のように輝いているだろう。薄く儚く、ちらちらと。

闇に飲み込まれそうなほどにちっぽけに。

窓の外にはそんな景色が広がる。景色と言うべきかは分からないが。

風は寂しさを取り戻しつつあった。浜辺では多少のキャンパーが
小さなキャンプファイアーを囲っている。
夜になれば比較的涼しい、というより湿度の高い冷ややかさがある
この常葉町の夏だ。時折上がる小花火が、辺りを照らすこともある。
それすらも、その世界では儚い。

「今日のカレーは、シャキシャキ夏野菜のカレーね。何も
用意していなかったから、これぐらいのものしか作れなくて
ごめんなさい。高浩君」

見えない瞳を微かに伏せる。そんな仕草もまた、優しげに。
ふたえはどこからかひまわりの種を持ってきていて、それを
とーらにあげている。とーらはすっかりふたえになついていた。

「そんな。これ、美味しいですよ。本当に」
「そう? でも私、本当は料理苦手なのよ。昔から」

ふたえが軽く笑う。高浩もつられて笑顔になるが、みずほだけが
何も言わず黙ったままだった。

そう。

Railwayには高浩のほか、ふたえとみずほが残っていた。
友人の一人は帰った。遅くなると家の母親が心配だから、という。
背が低く幼いように見えて、スタイルの良い可愛い子で、
茶色をベースに、少し変わったデザインのセーラー服が
どことなくこの常葉町の景色には似合っていた。

みずほも帰ることを促されながら、それに刃向かう素振りを見せた。
目的は、藤ノ木ふたえの手料理……というわけでもあるまい。

店の4人掛けのテーブルにはふたえとみずほが隣合う形で座り、
高浩とは向かい合う格好になっている。何も話していない
彼女へ、高浩はあえて尋ねてみる。

「あの子は?」
「どの子よ」

やはり険悪な口調で、みずほが聞き返す。
ふたえの作ったカレーは最高に美味だった。今まで食べたどの
カレーよりも美味しいとさえ言える。高浩はその点には素直に
感動したが、食事の印象としては最悪に重かった。

「どの子って、さっきの小さい女の子のことだけど」
「それがなんなの」

カチャカチャとスプーンが食器を擦る音だけが、Railwayの
店内に響き渡る。険悪な空気は彼女の元から見て取れる。

「それは、だから」
「万里ちゃんはみずほちゃんの同級生で、子供の頃から
一番仲が良かったのよね。いつも病気のお母さんを気に
掛けていて、素直で優しい良い子さんよ。月方万里ちゃん」

助け船を出してくれたのはふたえだった。

「幼そうに見えたけど、同級生だったんだ。俺とも」
「あんたよりよほどしっかりしてるわよ。万里は」

ふたえに話を返したつもりだったが、みずほが高浩の声に
割り込んでくる。やはり不機嫌そうに。

「なんなんだよ。何か俺が気に障るようなことをしたか」

いい加減その、眠気のようにハッキリしない雰囲気を
打破しようと思い、みずほに直接的に尋ねる。

彼女はまるでそれを言うタイミングを待っていたかのように
即座に口を開いた。

「ふたえ姉さんに近づかないで」

それは下らないことだった。案の定というか。

「みずほちゃん。高浩君は何も悪いことはしてないのよ」

彼女の隣に座るふたえが、両手をテーブルの上で組んで
顎を乗せた姿勢で、たしなめるように呟く。
何か考えるような姿勢だが、考えて欲しいのは彼女に対して
だろう。

「ふたえ姉さんに近づいたのが悪いって言ってるの。
お姉さんの子供だかなんだか知らないけど、『ここ』には全然
縁もゆかりもないじゃない。ずっとここで生きてきた
ふたえ姉さんや私とは、まるで違うじゃないの!」
「でも、高浩君は浩樹君の……」
「そんなの関係ないの!!」

ドン、と、テーブルを叩くみずほ。コップの冷えた水が、
ゆらゆらと揺れた。

テーブルの上でふたえの手とじゃれていたとーらも、
驚いてしっぽを立てている。

「どっから来たかもよくわかんない余所者が、ふたえ姉さんに
優しくされて、のぼせ上がって間違いを起こそうとする事件が
過去何度も何度も起こってんのよ」
「そんなこと俺はしない」
「もうしてたでしょ!!」
「あれはぶつかって倒れただけだ!!」
「ぶつかって倒れただけであんなに顔が近づきますかあああ
そうですかそうですか磁力とか内蔵ですか」
「どんなマグ○ロボ ガ・○ーンだよ! あの体勢ならそうなるに
決まってるだろ普通に!」
「あの体勢ならそうなるのが普通!? じゃあちょっと床に
寝てみなさいよ仰向けに!!」
「ああいいよ検証すりゃ納得するんだろ!!」

この分からず屋が! と吐き捨てて高浩は床に寝っころんだ。
どちらがけしかけているとは言えないが、不毛ではある。

「二人とも、落ち着いて。ね」

状況をよく飲み込めないふたえが、それを諫めようとした。
しかし、そもそも優しいふたえの声では血気盛んな二人を
制することなどできない。

「いい!? あんたがふたえ姉さんだとして、こうよ!」

がばっとみずほが高浩に多い被さる。

「この状況でどうして顔があんなに近づくのよ! 頭を
上げてれば絶対にありえないでしょ!?」
「そうじゃなくて、ぶつかって抱き止めた時にふたえさんの
手が、俺の頭に回されてたんだよ!」
「どんな風によ!!」
「こんな風に!」

ふたえの首を迂回するように右腕を回す。
腕の重みがかかり、男の腕の意外な重さに彼女の頭が
急に下がった。

「……あ」
「こんな風に引っ張られたら、誰だって顔を近づけ……る」

ぎゅっ、と、みずほの手が、高浩の白いシャツを掴む。
吐く息が、驚くほど近い。

柔らかな身体が触れる。もともと腕立てでもするように
高浩に覆い被さっていたが、身体を支えきれなくなって
彼の身体の上にほぼ乗っていた。
制服のスカートが一瞬遅れて衣擦れする。

「お、女に引っ張られたぐらいで、そんな風になるの?」
「だ、……だから、俺は、ちょっと不意を突かれて、その、
こんな風にするつもりなんて全然無かったけど、成り行きと
不幸な事故がたまたま……、そう、重なって……」

だんだん状況が理解できて……全く理解できないが……
それでも理解してきたみずほ。
ポニーテールにしている長い髪の毛が、くすぐったく
高浩の頬に触れる。体温どころか、肌の匂いまで感じられる。

互いの瞳は10センチ以内。馬鹿みたいに見合い、どうして
いいか分からずに見返してしまった。

「はっ……ちょっと、腕、離してっ」

かぁっ、と、みずほの頬に血の気が戻ったように見えた。
その言葉で我に返った高浩は、腕を脇に避ける。

よくよく考えてみれば、抱き寄せたとしか見えなかった。

「そ、そうね。まぁ、わかったけど。事故って事にしておく。
そのかわりこんな事、二度目はないから。覚えておきなさいよ」
「ああ、まぁその俺も、なんか悪かった」
「ささ、最初から謝ってればよかったのよ。なんでこんな面倒な
検証しなきゃならなかったのか。ほーんと面倒くさいったら」

起きあがって、スカートをパタパタと叩いた後、みずほは
赤い顔のまま元のイスに着席し、自分のコップの水を一気に
飲み干した。タン! と、グラスを投げるように置くと、制服の
胸元をパタパタさせる。

「あー今日、暑いわー。なんか汗出てきちゃった。このカレー、
ちょっと辛いんじゃないのかな? ふたえ姉さん」
「そんなに辛くしてないつもりだったけど……そうだった?
ごめんなさい。今度は少し分量気をつけるわね。
それはそうと、二人は今何をしてたの?」

う、とみずほが言葉に詰まる。高浩もやっと自分の席へ
戻った。

「なんでもない。その余所者が、すっ転んでただけよ」

先ほどとは違った意味で、みずほは目線を合わせようとは
しなかった。テーブルの上で無意味にごろごろ転がっている
モモンガを指で突っつきながら。

「大体ふたえ姉さんもふたえ姉さんだよ。なんか誰にでも
ほえほえ笑って接するから、みんな誤解しちゃうんでしょ」
「そう? そんなつもりはないんだけど……」
「目が見えないことをいいことに、変なことしでかすかも
しれないのに。Railwayをやってるのだって、本当は誰か
アルバイトでも雇うか、例えば私とかに頼めばいいのに」
「ううん、目玉焼きもちゃんと作れないみずほちゃんにお店を
任せるのは、ちょっと怖いわねー」
「それぐらい作れる!! 作れなかったのは中学校の頃の
話でしょ!! 何年前さ」

16歳なら1年未満だと思うが。

「でも、アルバイトを雇うっていうのは妙案かもしれないわね。
みずほちゃんがそう言うなら、お店を安心して任せられそうな
人に、一人だけ心当たりがあるわね」
「え? 誰?」

ふたえとみずほの会話を聞きながら、カレーを食べることに
専念していた高浩が、ふと顔を上げた。

「高浩君は、どう?」

全く見えず、普通ならどこにいるか分からないであろう高浩の
顔を、じっと見つめる視線。それは確かに向いていた。

(本当にこの人は見えていないんだろうか……?)

そんな事はともかくとして。

「何言ってるんです。今日来たばかりの俺に。俺はすぐ本州に
帰るつもりですよ」
「そーよふたえ姉さん。何を言い出すかと思ったらこんな
余所者にお店を任せるって……冗談でしょ」

ふたえは小さく笑いながら、少し声色を変えた。

「夏休みの予定はあるの? 帰りの飛行機は取ったの?
私別に、全部任せるつもりじゃなくてただ手伝いをお願い
しているだけよ。予定がないなら、ここに泊まればいいし」
「……」
「ふたえ姉さん! 帰るって言ってんだから帰してやれば
いいでしょ! 飛行機がないなら樽にでも詰めて海に
放り込めば!!」
「それだとサハリンに行っちゃうわよね」
「ピロシキでも食べてくればいいでしょ好きなだけ!」

ふたえもそうだが、好き勝手なことを言う二人。

「誰が好き好んで樽で不法入国するか。下手すれば機雷と
間違われて爆破されるかもしれないだろうが」

あいにく……。

せっかく北海道へ来たのだから、しばらく旅行を楽しむつもりで
宿題なども終わらせてきた。東京の夏休みは、こちらよりも
5日早く始まる。終わりもまた、5日長い。

余裕自体はある。だが……。

「ここの二階は、あの時のままに一切何も変えてないの」
「……あの時?」

高浩が疑問符を打った。みずほも分からないようで、眉を
寄せている。
テーブルの上で、頬にひまわりの種を詰め込んでいるとーらも、
きっとわからない。いや、わかってるのかもしれないが喋れない。

ふたえは二人が分からなくとも、特に気にした様子はなく……。


知らなくて当たり前のことか?

(なら、過去か?)

「有沢浩樹くんが最後に来たとき……」
「父さんが?」
「あの時のままなの。このRailwayは。本当に何も変わらず
あの時のままに、ここにある。何も変わらずにここにある事が、
私の夢の一つだった。だからここにあるの……」

……回りくどい。
なぜそんな妙な言い回しになるのか理解できない。

「ここにある……?」
「そう。夢がここにある。そう信じるから」

それと父親の関係が、解らない。
問題は現在のことのはずだ。

「父親の過去がどうであろうと、今の俺には何の関係も
ないんじゃ?」
「それはどうかしら」

テーブルの上を滑る白い指。それは戯れに、黒木のテーブルを
撫でる。

ふたえはクスッと微笑んだ。

「今の高浩君が知りたいことは、過去なんじゃないのかな?」






テーブルの上の皿を、ふたえとみずほが片づける間、
踏まれそうになりながら床を走り回るとーらを、高浩は見ていた。

高浩が考えている様子を見て、ふたえはにっこりと
微笑んで見せる。

「今日はここにゆっくり泊まって、明日また考えればいいわ。
言葉を焦ると、より大切な言葉が逃げちゃうのよ。明日は
朝9時に、お寺の方に行きましょうね。そうだ。夜は
みずほちゃんのお友達も集めて、歓迎会を開きましょう!」

矢継ぎ早に予定を決めてしまうが、まるで誰の了解も
取ってないことは明白だった。

「はぁ!? ちょ、ちょっとふたえ姉さん! なに、歓迎会って。
なんでこんなのにそんな事をするのよ!」

皿を抱えたまま怒りに声を裏返すみずほ。ふたえは
そう言われて、困ったというように頬に手を当てた。

「あら。それは困ったわねー。このRailwayは、お客様を
おもてなしする事を大切にしてるのにねぇ。それが旅の人で
あっても。ここの前のオーナーさんは、見ず知らずの作曲家の
女の子にお部屋まで貸してあげてたことがあるのよ?」
「……うっ……」

礼を欠くなと言っている。みずほの脳裏にも色々なことが
浮かんでいたようだ。無論その先代のオーナーということも。

「それに高浩君を余所者っていうけれど、みずほちゃんの
御両親だって――」
「はいはい! わかりましたわかりました! そうまで言われたら
異論はございません!」
「うふふ。そう? じゃあ、決まりね♪」

みずほは肩を落とし、ため息をついた。
茶の制服のスカートを揺らし、高浩の方を振り返る。

高浩の顔を見て、口を開きかけ……何度か唇を戸惑わせ
ながらも。

「そういうわけで、しょうがないから歓迎してやるわよ。
一生分の感謝をして、できれば感動で気絶してくれる程度の
パフォーマンスは見せてほしいわね。正直」
「……正直で結構なことだな……」

嫌味を言いたくもなる。そんな歓迎会なんて願い下げだが、
それを断ったりすると……。

「あらあら。これは楽しそうね。私もお料理張り切っちゃうわ」

ニコニコ楽しげなふたえが、どれだけ落胆するのか怖い。
どうも女性を落胆させるというのは、男としては避けたくなる
ものなのかもしれない。

両親が死んでから。高浩は特に、人のいろんな事を感じた。
親や大人は、人に接するときにフィルターのようなものを作る。
子供にはそれがない。だから子供には感じ取れることがあるし、
逆に感じ取れないものもある。

両親が死んでから。
40日程度を独りで過ごしてきたが、その間に今まで知らなかった
この世界の流れのようなものを感じた。

それは友達同士とのつきあいで生まれるようなものではなく。
もっと大きくて、もっとシビアで、もっと嫌なもので……。


高浩は頭を掻いた。

彼女は若く見えても、盲目でも、子供をあやすような気楽さで
みずほや高浩を説得する。そういう言葉を持っている。
そういう事を知っている。ふたえは大人だ。
彼女には敵わないし、彼女を泣かせるようなこともしたくない。

そして、なぜかはわからないが。

ふたえのことは信じてもいい。そう高浩は思った。
彼女は絶対に裏切ったりしないと。

「二階のクローゼットに洗ったシーツがあるから、それを
使ってね。歩いて5分くらいのところに『天野湯』っていう
お風呂屋さんがあるから、お風呂はそこね。洗濯物は
お部屋の角のバスケットに入れておいてね」

てきぱき説明してから、ふたえは身につけていた
エプロンを外して胸元で折り畳んだ。

高浩は唖然とした。

「じゃあ、私たちも帰って休みましょう。みずほちゃん、
悪いけど家まで送ってくれる?」
「もちろんです!」
「いやあの、ちょっと待って。それだけ?」
「?」

二人とも、不思議そうな顔をする。

「誰か来たらとか、戸締まりの注意とかそういうのは?」
「あ。うふふ。夜になったら誰も来ないわよ。で、戸締まりも何も」

ふたえは正確に玄関を指さした。方角が分かるとしか思えない。

「ドア、壊れちゃってるでしょ?」
「だから聞いてるんじゃないですか」
「何も心配いらないわよ高浩君。泥棒なんて、50年に一度
来るか来ないかだから」
「彗星かなんかですか。で……俺のプライバシーは?」
「? とりあえず、立てかけておけば大丈夫じゃない?」

みずほがその声に呼応するように、床に転がっていたドアを
持ち上げて、ドアが元々あったところに立てかけた。

腰に手を当て、みずほは満足げに呟く。

「ほら、ふたえ姉さんの言ったとおり、全く違和感がない」
「ありまくりだバカ野郎」

危険な扉を高浩が持ち、とりあえず壁にでも立てかける。

「明日直すからここでいい」
「わぁ、直せるの? やっぱり男の子っていいわねー
助かるわー。何しろRailwayは古いから、ちょっと触っただけで
色々なものが壊れるんだもの」

パチパチ拍手するふたえと、ノーリアクションのみずほ。
どうでもいいが、扉が壊れた理由は誰かさんが蹴り抜いたからで、
決して老朽化ではない。


「じゃあ、明日は扉もお願いするわね。そうだ。何か必要な
物があったら、私の家に来て。うちはコンビニをやっているの。
お父さんとかには言っておくから、買い物は安くできると
思うわ」

それだけ言うと、ふたえは元、ドアがあった空間をくぐって
夏の夜空の下へ出た。

みずほも後をついていき外に出ると、ふたえと手を繋いだ。

彼女たちが帰ってしまう前に。
高浩は何か聞こうと思ったが、質問は言葉にならなかった。

聞きたいことはたくさんある。
ありすぎる。

しかし、この夜にはもう、語られる言葉がない……。

「おやすみ。高浩君。また明日」
「おやすみ」

手を振って見送る。しっかりした足取りでRailwayから離れる二人を
見送り、高浩は溜息をついた。


空を見上げる。

そして、ゆっくりと足下を見やる。


足元を見ると、とーらが同じ方向を見て、鼻を小さく鳴らしている。

彼は小さく笑うと、開いたままのドアはそのままに
二階へと上がっていった。



星空を眺めていると、あまりの美しさに泣き出しそうになるから。


(4)終
(5)へ続く

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Way to the BLUE 2話

(2)


キーンコーンカーンコーン……


「……はい。では事故などに気をつけて、充実した夏休みを
過ごして下さい。以上です」

「起立、礼」

教師の挨拶は、終業のチャイムとほぼ同時だった。
時計に目をやると、3時15分。

「はぁ~……終わったぁ」

窓際の後ろに座る彼女は、へたっ、と机に突っ伏した。
一学期がようやく終わり、高校最初の夏休みが始まる。

乾いた空気。埃っぽい教室の体温。TVで流れる夏の模様より
確かな実感を伴う。『夏休み』という言葉の魔性の魅力。

終わった……。
始まる……。

物事はその繰り返しなわけなのだが、言葉で言うほど簡潔な、
そう、シンプルではない。
そこに至るまでに断崖のような障害が存在する。

それは人によって夏期合宿や塾や朝練昼練夕練テスト、
テストテスト試験テスト赤点居残り追試再試など姿を変え
まさに夢魔のように夢の中まで攻め込んでくるのだが
木桧みずほは概ね成績優秀と呼ぶには程遠い次元の
低レベルな、いや低脳なバトルをくぐり抜けてきた。

そういう猛者だ。出来れば返上したいが、
誰も受け取ってくれない。猛者。

「みずほちゃん。帰りましょ」

声をかけてきた相手を見上げるみずほ。
あまり机の高さと変わらない……、と、そこまで言うと大袈裟だが、
声をかけてきた背の低い子の名を呼ぶ。

「万里。ホントに長かったねー……この半年あまり」
「え? 何が? ……半年って?」

万里は――月方万里は、大きな目をぱちぱち瞬いてその言葉の
意味を探している。机に突っ伏した彼女のポニーテールを
見つめたままで。

思いついたまま尋ねる。

「三葉堂スペシャルセール?」
「違う。夏休みまでが」

はぁ? と疑問符を浮かべる。意味がわからない。

「夏休みの半年前って何かあったっけ?」
「冬休みがあったでしょ」
「……春休みもあったけど」
「そんなのは数の内に入らない」

除外される春休みの気持ちも考えたらどうだろう、と、万里は
ささやかなツッコミを入れた。胸中だけで。

教室は慌ただしくなり、帰路につく人、部活動へ行く人など
バラバラなグループが作られていく。
みずほは身体を起こして、頬杖を付いた。窓の方を眺めながら……
実際何を見ているのかよくわからず、万里も同じ方を見つめるが
三階建ての校舎の窓からは、ひなびた田舎の光景しか見えない。

「ついに夏休みねー。これが終わったら冬休み。そして夏休み」
「……(休みばっかり……)」
「毎日が夏休みだったらいいのに。300日ぐらい」
「そんなに休みで何をするの……?」
「寝るなー。ほとんど」
「(……クマより長いし)」

机に突っ伏しているポニーテールの少女、『木桧みずほ』と
その様子を呆れながら見下ろす『月方万里』は、仲のいい
クラスメートだった。

なりそめは大したことではない。特筆するほどのことでも
ない。
小学生の頃『Railway』で出会い、仲良くなった。
それだけだ。

出会いに数奇なものがあるとすれば、どちらの父親も
どちらの母親も、お互いに仲の良い元クラスメート同士だと
いうことぐらいだが、この常葉町という田舎町の基準で考えると
数奇でもなんでもない。

「夜更かしして朝寝て夕方起きて、それからご飯食べるって
なかなかいいもんなのよねー」

昼夜逆転の典型のようなことを言うのはみずほだ。
万里は実際にそういう生活をするところを見ているので
そこまで驚かないが、呆れはする。

「そんなに夜更かしして何してるの?」

みずほは鞄を肩に掛けて、立ち上がる。

「ゲームとか。私さぁ、楽しいこととか好きなことは一気に
全部やっちゃいたい性格っていうか、やっぱ楽しみは
食べられるときに食べ尽くさないとその気持ちは一瞬だけ
かもしれないわけだし、据え膳喰わぬはってやつ」

「違うと思うけど……」

「違わないの。グラスに注いだ冷たい水を置きっぱなしに
すれば、すぐにぬるくなっちゃうでしょ。おいしいものは
一気に食べる。寝るときはたくさん寝る。遊ぶときは遊ぶ。
それが一番いいの」

それは、と考える。身近な人の顔が浮かぶが、それとはまた
違うような似ているような。

「(……でも、そこに『おもいっきり勉強する』っていう道は
ないんだよね……みずほちゃんには)」

万里から見れば、あまりにも異様な生き方なためにそれを
理解することは出来ないが、もしかしたら万里自身の母親と
似たような感じなのかもしれない。

万里はとことことみずほの背中について廊下に出た。

「うちのお母さんは、すごく寝てるけど……」
「そうそう。それよ」
「でもお母さんの場合、24時間中21時間寝てる感じだし。
なんていうか、あれは病気だし」
「そこまではちょっとなー。中途半端だしいっそ24時間
寝ちゃうかな」
「お母さん干からびて死んじゃう」

ちょっと本気で想像できる。眠るように死ぬとはこのことか。
だがそれは、比喩でもなんでもない。

それはともかく。

廊下を歩きながら、
みずほは今後の予定を話し合うことに気づいたようだ。

「どーする? 帰りに三葉堂に寄ってくよね」
「うん」

予定と言っても、常葉町で最も美味しいケーキを売っている
洋菓子屋の『三葉堂』に立ち寄るか、本屋に立ち寄るか、
小物屋に立ち寄るか、Railwayに立ち寄るか、
それら全てに立ち寄った上でRailwayに立ち寄るかぐらいしか
選択肢がないのはわかってる。

「三葉堂の割引券でチーズケーキ3つ買って、Railwayで
食べるってコースで」
「うん」

やっぱりそういうコースだ。

さすがにみずほが三つ食べることはないだろうと思いつつ、
いや、一応買うときに釘は差しておこうと。

「(それって私とふたえさんの分もだよね?)」

黙っていると嫌な予感がする。万里はそんなことを考えつつ
みずほの背中をついてゆく。

「(あ……家に帰る前に煮干しとたくわん買って帰ろう)」

台所の様子を思い出しつつ、晩ご飯のことを考えていると、
その背中がいきなり近づいてきた。

どん

慌てて避けようとしたが、万里はみずほの背中に顔から
ぶつかった。元々鈍いとは言われるが、それはきっと遺伝だと
力説したい。

「みずほちゃん、急に立ち止まるからぁ」

非難するが、背が小さくて前の人越しに道が見えないのも
理由の一端ではある。それも腹が立つが。

前を見る。
もちろんみずほの背中の脇から追い抜くような形で。
すると正面に人がいた。

「木桧みずほ! 月方万里! これから部室に顔を出す
つもり!? 素晴らしい心がけね!」

万里は顔を出したことを瞬時に後悔した。

「私と共に超科学への道を突き進む、その助手達として
どうやら自覚が出てきたって事ね。フフフアハハハ
さあ一緒に行くのよ超科学の未来へ」

狂気。

万里の指先から首筋までを、ピリピリ痛いような寒気が
走った。会いたくはなかった。こんな時にこの人に。

「万里、逃げるよ!!」
「うわ、あわぁあぁあっ!」

みずほがきびすを返し、万里の左手を掴み一目散に
走り出すが、万里は制服の襟を掴まれた。首が締まる。

「ぐぇっ……」

その相手は上級生だった。だからというわけではないが、
やたらと力が強い。握力が50キロあるらしい。
細身の身体のどこにそんな力があるのか、さっぱり
わからないが。

河井智恋。

この奇人の名前はそれだ。

「逃がしはしないわよ。月方万里。軍団員ナンバー2!
そしてナンバー1副部長、木桧みずほ!」
「ぐぇえぇ……」

制服の襟でぎりぎりと締まる首。

そういえば、と、万里は思い返していた。辺りに乱れ咲く
名も無き花たち。楽園のようなその草原にいた。
ここは暖かい。つまらない争いや、飢えや苦しみはない。
お母さんの病気もない。掃除も洗濯もしなくていいんだ。

「あはは、綺麗な世界……この世のものとは思えないぐらい」
「この世じゃねーよ!!」

どこかから聞こえた声。
訝しく見やると、世界は急変してゆく。あの暖かい花畑は
消え去り、冷たい学校の床へと……。

「……みずほちゃん。私、すごく綺麗な川のほとりで
おじいちゃんとおばあちゃんが優しく笑ってて、それで……」
「万里。しっかりして。そこはなるべく行っちゃダメ」

うっすらと目を開けると、非常な現実が目前にあった。
それだけでもう一度あの安らかな世界へ行きたくなる。

河井智恋。
彼女は執拗に、みずほと万里を部活へ勧誘しようとしていた。

その部活というのも、万里は家事をしなければいけないから
誘いを受けてもなるべくやんわりと断ってきたのだが、
河井智恋の部活動は断る以前の問題だった。

「二人とも、夏休みの合宿プランを立てる重要な会議に欠席
するつもりだったでしょう。一体どういう事なの」

静かな口調で問いかけてくる彼女に対し、かなり強い口調で
みずほが反論した。

「大体そもそも私たち、河井先輩の部活に入ってないじゃ
ないですか! それを無理矢理引っ張って万里の首を絞めて
絞殺するとかひどすぎますよ!」
「みずほちゃん……私死んでないよー」

万里の方には全く見向きもせず、智恋に詰め寄る。

「部活の話だったらきっぱり断ったはずです! えーと、
なんでしたっけよくわからない名前の」
「超科学部よ!! その重要なキーワードを決して忘れ
ないで!!」
「忘れますけども、そのなんちゃらには入部しません! 決して!
未来栄光に!」
「……永劫?」

むくっと起きあがった万里がツッコミを入れても、みずほは
決して訂正しない。

ハッキリ『入部しない』と言われたにもかかわらず、河井智恋は
腕を組んで、ニヤリと笑う。

笑顔を見せる余裕は何なのか。

「それはね、超科学を目の当たりにしていないために心の中に
僅かな猜疑があるからよ」
「そんなものはない」

みずほは真顔で即答した。
万里はそれでもちゃんと尋ねる。

「そもそも超科学って、なに?」
「超科学とは、科学を超越した科学よ。物理法則、理論を
超越した科学なのよ」

智恋の説明を聞いても、万里にはまるで見当も付かない。

「具体的に言うと、目覚まし時計をセットして寝ると、なぜか
目覚まし時計が鳴る瞬間に起きるとか」
「……」

頭痛がしてきた。

万里もみずほも、得意げに話す智恋を無視し歩き出し
ていた。

「超科学だけがそれを解明できるの。私はそれを証明する
ために、ボタンを押しても止まらない目覚まし時計と、
逆にボタンを押すと鳴り出す時計、一切鳴らない時計を
用意して寝るという実験をした」

「その結果、ボタンを押しても止まらない時計は壁に投げて止め、
ボタンを押すと鳴り出す時計は寝てるときに寝返りをうって誤って
押してしまいすごい音量で鳴り出して近所から苦情が来た。
三つ目、一切鳴らない時計を使った場合には、1時間
寝坊して学校に遅刻した。この調査結果を踏まえ、科学的
分析を試みると、やっぱり二度寝はよく眠れるという――」

「万里、帰ろうか」
「そうだね。帰りましょ」

朗々と、どうでもいいことを話す智恋を放って、二人は帰路に
ついた。


(2)終
(3)へ続く

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Way to the BLUE 3話

(3)


三葉堂でケーキを買い、木桧みずほと月方万里は
おそらくふたえがいるであろうRailwayへと向かった。

雑談などしながら。寂れた商店街を海の方へと向かう
ように歩いてゆく。Railwayはそちらの方向へ行くとある。

「それで、昔やった話を覚えてると混乱しちゃって、
海のモンスターとか超強いの。最初死にまくって」
「うんうん」
「ナイトにジョブチェンジしたらなんか弱いから戦士に
戻したりしたけど、風水師のほうが強いんだよね
ハッキリ言って。でも風水師3人とかひどいでしょ」
「うんうんひどいねー」
「やっぱ見栄え的にさ。前衛キャラ居た方が安定するし
バランスは良いんだけどさ。バランスを取るか一発を
取るか難しいところだよね」
「うんうん難しいねー」

主に喋っているのはみずほの方で、万里はうんうんと
相槌を打つのに終始する感じだが。
実際、万里はゲームをやらないのでその辺の話は
まるでわからなかった。

「あ、そうだ。みずほちゃん昨日の『アジサイの涙』見た?」
「え? あーごめん見てないわ」
「ほんとー? 見ればよかったよー。ヘルナンデス先生が
車を運転してるときに熊をひいちゃうんだけど、すぐに
自分の診療所に運んで手当するの。そしたらその熊が
あの箕輪絵里香っていう女の人のペットで、一年半ぶりに
再会したんだよ」
「あ……そうなんだ。へぇー」

夜のドラマのことを饒舌に話しはじめた万里の言葉を、
みずほはあくびをしながら聞いている。

もうすぐRailwayに着く。あの古い木造の店が目の前に
近づいてきた。

「でね、ヘルナンデス先生が尋ねるの。『あなたは、なぜ
ここにいるのですか』絵里香がね、先生の手をこうやって
ぎゅって握りしめて『水のようなものです。あたしの心は、
あなたへずっと傾いたままだから、どんなにさまよっても
そこに流れ着いてしまう……』って! 
二人はお互いの肩をそっと抱いて、涙を流すの。
ちょっとグッときたんだよーそれで私、夢中になってたら
冷凍庫にスイカ入れてたの忘れててカチンコチンに……
……みずほちゃん? どうしたの?」

「……」

みずほは、Railwayの店内に入ろうとせずに、窓の方から
店内を見ていた。

「……?」

教室でそうしたように、みずほの視線を追いかける。
薄汚れた北国特有の小さな窓の向こう。
お店の中では、藤ノ木ふたえと誰かが……。

「だ、だ、抱き合ってる! みずほちゃん、あれ! 何!
あれ誰!? ふたえさんの……あ、ちょっと
みずほちゃん!?」

いきなり早足で歩き出し、持っていたケーキをその辺に
放り投げたみずほを見て、万里は泡を食った。

なんだか――とても、激高している。

「みずほちゃん、ちょっと待って! 今はちょっと様子を」
「ちょわーーーーーーーーーーーーーーーつ!!」

  バーーーーーーン!!

勢い良くドアが開くというか、蝶番ごと吹っ飛ぶ。

右足でドアを蹴り飛ばした勢いのまま、みずほは店内に
なだれ込んでいった。

その後を万里も追ってゆく。

その次に見えた光景は、何となくスローモーションの
ようだった。

「ちょわーーーーーーーっ!!!」

吹っ飛んだドアが何かに当たってガラス破砕音を
響かせ、殆ど同時にみずほの身体が宙に舞い上がり、
その一瞬後には、得体の知れない男のこめかみを
茶の学生靴が蹴り抜いていた。

明快に頭を蹴り抜かれ、捨てられた人形のように床に
叩きつけられる謎の男。

みずほの怒りは相当な物のようだった。
ゴミのように倒れ伏した男の襟首を掴んで、

「なにしてんのよあんた!! あたしの姉に向かって
何してんの何を!! 下品な男がふたえ姉様の肩を
抱くなんて流刑!! 流刑よ!!」

思い切り気を失っている男の首を絞めようとする
みずほを、万里は後ろから羽交い締めにしてなんとか
取り押さえていた。

「みずほちゃん死んじゃうよその人! 既にだいぶ
死んでるけど!」
「死ねばいいのよこのスケベ大使!! あたしの
ふたえ姉様を汚らわしい手で汚すなんてどこの
発情ペテン師浮浪者!? 警察に突き出してやるわ!」
「うああ、みずほちゃんが『あたし』とか言い出してる」

あたしと言い出すのは品がないので、なるべくやめると
言ってたのは本人だったのだが。

本気で怒り狂ってるらしい。顔が真っ赤だ。

しかし当のふたえは、むしろ青ざめた顔をしていた。

「え? みずほちゃんが帰ってきたの? 今のすごい
物音はなに? 高浩くん? 何があったの?」

ふたえは目が悪く何も見えないため、起こった状況が
理解できずおろおろと困り果てていた。
それを何か変な風に解釈したらしい。みずほは。

「高浩? わざわざ名前を名乗るなんてこの暴行魔、
相当狂ってるのね。いいわ。警察の手を煩わせる事もなく
あたしが独自の裁判で有罪か死罪か流刑罪か決めて
あげるから。判決。川流し」
「海でもないんだ……」

万里がぽつりと呟くが、それに意味はない。みずほはやると言ったら
必ずやる子だ。それが例えバカでも。

呆然としたまま、ふたえが手をさまよわせる。

「みずほちゃん、その子は違うの。その子はね……」

みずほは聞いてなかった。最初から何も聞いていなかった。

「ふたえ姉さま、もう安心して下さい。この性欲で脳の
99.7%が構成されたような変態オブ・ザ・イヤーは
あたしの手で始末しましたから。裏の焼却炉で早速
焼いてきます! 絞めて締めるしめしめ始末よラララー♪」

足を持って男を引きずろうとしたみずほを、万里は
くい止めようとした。というか小さい万里も引きずられる。

「待ってってばー! みずほちゃん落ち着いてー!」

ふたえも手を伸ばす。這うようにして、その方向へ。

「待って! みずほちゃん! 話を聞いて。その子は私の……甥
なの!」
「ふたえ姉さまのおい!? 万里、おいって何!? 呼び声!?」

真顔で聞いてくる。万里は苦笑いして答えた。

「みずほちゃん……姉妹の子供ってことだよー」
「子供を作りにきたの!?」
「落ち着いてみずほちゃん! 意味がわかんないよ!」

ふたえは、混乱する二人がどこにいるかわからなかったが
とりあえずそこにしゃがみ込んでいた。すぐ近くにいるであろう
高浩の身体を探しながら言う。

「高浩くんはね、私の幼なじみと、お姉ちゃんの遺骨を
ここまで持ってきてくれたのよ。東京から。失礼なことは
しないでね。お願いだから」

失礼かどうか以前に、みずほが高浩の背中を両足で踏みつつ
バランスを取っている状況は見られなくて本当に良かった
だろう。

見たら多分、ふたえは倒れる。

「この変態が?」

みずほが指を指す。真下で気を失っている青年を。

「彼は私の……姉の子なの。お姉ちゃんを常葉町へ
連れてきてくれたの。私が行けないから。私が……
こんな風だから」

みずほはちょっと考えた後に、ゆっくり足をどけた。

「(高浩?)」

みずほと万里が、同時にその名前を読む。心で。

ふたえはようやく高浩の身体を見つけた。白く細い手で
気絶した高浩の頭を抱き寄せ、そっと髪を撫でた。

みずほもようやく、背中から下りる。

「私にとって、誰よりも大事な人の子なの」

ふたえの長い髪が揺れていた。
みずほは、どこかつまらなさそうにそれを見ている。

万里は気づいた。

Railwayのドアから風が吹き込んでいるんだ。
壊れたドアから夏の夜の風が。

海の薫りを纏った風が。
静かにRailwayを揺らすのだった。

見つめていた。

みずほはうつぶせに眠る彼の背中を、
面白くない表情でじっと見つめていた。

まるでそこに、何かが見えるかのように。ただ、じっと。

(3)終
(4)へ続く

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