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17話休載のお詫び
2007-11-26 Mon 22:13
多忙+体調不良につき17話公開は今週末に延期します
楽しみにしている方、本当にすみません。
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2007年度OFF会のお知らせ
2007-11-18 Sun 21:21
今年も一年、私のブログにお越し頂き
本当にありがとうございました。

きたる2007年12月29日(土)、夜18時を予定に
『4日遅れ年越しクリスマス アクアノートの年末OFF』
を行います。

今年も老いも若きもふるってご参加ください。
内容は例年通り、おいしい物を食べながらのトーク座談会となります。

会費 3000円程度 
(二次会もあり)

場所 池袋


参加に差し当たって、去年同様、楽しいクリスマスプレゼント交換会が
あります。
(昨年度テーマ・ゲームにまつわる微妙な品)

本年度のプレゼントテーマは

思わず目を覆いたくなるような悲惨なもの

です。
条件に見合ったクリスマスプレゼントをご用意下さい。
(例・NOVAの会員証 BROKEN THUNDER その他クソゲー等)

参加希望の方は11月末日までに
等ブログのコメント等で『参加希望』とお書き下さい。
たくさんのご参加お待ちしています。
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Way to the BLUE 16話
2007-11-18 Sun 20:47
(16)



昨日と同じように歩く道も、光がなければほの暗く、違う道の
ように見えてしまうものだ。

降り続いた雨はアスファルトを濡らし、景色を夜の闇に包み
込んでいる。その光景は昨日とはまるで違うものだった。
そもそも田舎の暗さに慣れない高浩にとっては、この曇り空で
月明かりも通らない道が気味悪くて仕方ない。

(ふたえはいつもこんな感じなんだ)

やはり浮かんでくる、そんな無意味な言葉。ある意味では、
最大の励ましになる言葉である。何しろ、出来る人がいるという
ことが人間にとっては頼りになるもので。

誰も出来ない。出来たことがないというものにはなかなか手を
出しにくいもので。

要するに。

ようやく前方に、特徴的な風呂屋の煙突が見えてきた時には
今までの恐怖は抜けていた。精神的な支柱というのは、そういう
ものらしい。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

時刻は20時を半分ほど回っている。

20時頃に、ふたえとみずほが手を取り合って帰っていった後に
少ししてからこうして風呂に入りに出てきた。

少し、というのは、溜まっていたメールの返信などである。

『天野湯』という銭湯は、住宅街の中にひっそりと佇んでいた。
繁盛しているとは言い難く、大きくはあるが古めかしい作りの建物は
熟年の渋さを醸し出す。

  ガラガラ

中に入るのれんは、擦り切れて白くなりつつあった。風雪のせいかも
しれないが。そういえばこの銭湯には、玄関フードがない。

「いらっしゃぁい。あ、タカピー」

中学二年生。牧野遊花が番台に座っている。
少女はニカッと、パンジーのような混じり気のない笑顔で出迎えて
くれる。

「こんばんわ。タカピーはやめてくれないか」
「うん。タカピー」

呼び名などまぁどうでもよかった。

高浩は、小脇に抱えた風呂桶の中から何かを取り出す。ぱっと見、
手のひら大のたわしのように見えるそれを遊花に見せて。

「一人と一匹。いくらだ?」
「うーん。400円」

昨日に比べちょっとだけ値段が上がった。北海道の銭湯は390円
だから、とーらの入浴料金は10円らしい。

「とーら、よかったな。値段が付いたぞ」

毛玉は鷲掴みにされながら寝ていた。本来夜行性のはずだが
このエゾモモンガは完全都会生まれの都会育ちなので、
生活習慣が違う。人間で言うなら昼夜逆転か。みずほのようだ。

「じゃあ」

遊花はその場にあったメモ用紙に、マジックで何かを書いて
満足げに頷いた。

「うん。で……」

セロテープを手に取り、その紙を番台の横にある入浴料金表の
『幼児』のさらに下に貼り付ける。

『とーらちゃん 10円』

「できたっ」
「モモンガ10円ではないのか」
「とーらちゃんだけ特別。他のモモンガさんは保護者同伴なら」
「公共料金って概念がぶっ壊れる銭湯だな」

遊花の心優しいはからいによって、堂々と入れるのだから
文句も言ってられない。

「それにしてもとーらちゃん、くっさいね」
「ん? ああ、そう」

そう。なんだかよくわからないが、とーらがやたらと臭い。
昨日もそうだったが、今日は生臭い感じがする。姿を見せない
ときに一体何をしているのか。

「昼間、放っておくこともあるから、何かしてるんだろ」
「とーらちゃんはなんでそんなにくちゃいのだ! えいえい。
お風呂入りなさい!」

人差し指で、とーらの頭をつつく。それでようやく、とーらは目を
覚ました。遊花を、寝ぼけたような目で見つめている。

「起きたね。くちゃい子。お風呂入ってきなよ」

子供でもあやすように、微笑む。
女の子というのは、何歳でも子供を扱うのが上手いようだ。

遊花に400円を支払って、高浩は銭湯の中に入った。

相変わらず、服を脱いでいる間は延々と見つめられるのだが。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



パカッ

牛乳瓶の、プラスチックの蓋を開ける。今はもう、牛乳瓶の蓋は
プラスチックになっていた。メンコのように遊ぶことは出来ない。

その蓋を裏返して置き、牛乳をたらした。
すっかり綺麗になったが、濡れたままのとーらが寄ってくる。

風呂上がりの一杯。高浩はパンツ一丁で、牛乳を飲み込んだ。

「美味いよな……真面目に美味い。普通の牛乳なのに。市販品の
牛乳が、マジで美味いんだな。とーら」
「きぃ」

風呂上がりの一杯は確かに美味しい。しかしそれ以上に、北海道の
牛乳は美味だった。甘く、新鮮で、カドのない味……。

「美味いなやっぱ北海道の牛乳は。なぁ遊……げ」

番台を見ると、今日も人が入れ替わっている。
こちらをギロギロと睨みつける視線。

逆立った髪。砲艦の船首のようなリーゼント。
牧野琢男といったか。遊花の兄だ。

無邪気な少女とは全く似ていないが。むしろ邪気に溢れている。

「“動物”を“風呂”に入れてんじゃねぇよ……ブツブツ」

兄は非情に不満なようだ。というより、高浩の成すこと全てが
気に食わないといった具合に。

その鈍重とした雰囲気をどうすればいいのか。

高浩は牛乳瓶片手に声を掛けてみた。

「あのさ、なんか敵意を持ってるようだけど」
「ああ? なんだコラ」
「言いたいことがあるんならこっち来て話せよ」
「なめんなよテメー。お前が“来い”」
「いやそっちが来いよ」
「テメーが来いや」
「……番台から出られないのか?」
「……」

どうも、出ると怒られるのかもしれない。
これ以上いじめるとちょっと可哀想かも。

「あのさ、そこ」
「ンだコラ」
「料金表。とーらってこいつのことだから。10円払ったし」
「勝手に“料金表”書き換えてんじゃねーよ“血の星”見さすぞ!」
「いやそれ、妹さんの字だから。よく見ろ」

リーゼントの彼が、じーっと料金表に見入った。
紛れもなく遊花が書いた字だ。かなり丸い癖字である。

「な。で、とーらは入浴料を払ったんだが」
「そうか」

琢男はあっさり受け止めた。

「……そうかって」
「しゃーねーだろうが!! 遊花が“決メ”たんだからヨォ!」
「(反抗的なんだか素直なんだかわからん奴だ)」
「妹に近づく奴は“ヨーシャ”しねぇ! “命拾い”だなテメー」

番台から出られないのに命拾いもクソもあるか。

「俺ァ“空手十段”だからヨォ。一瞬で“ミンチ”だろォがヨォ」

だから番台からじゃ届かないだろ手足が。
どうしようもなく苦笑しつつ、高浩は服を着て、番台の横を
通り過ぎた。

『琢男』が殴りかかってくるのかと思ったが、別に動きはない。
無言で帰るのも何か気になったので、一応挨拶することにした。

「どうも。良い湯だった」
「おとといきやがれコラ」

確かに一昨日は来なかったな。と、高浩は反省しつつ銭湯を出た。


さぁっ、と、身体を通り抜けるような済んだ浜風。
景色の中で、知らない民家の明かりが消えた。闇の中に溶ける
ように。

夜は深まる。月のない夜が、どこまでも薄く広がる。

今日という日の終わりを、どこか寂しげに彩って。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



吉野洸清は、清酒の一升瓶を片手で傾けた。

「うめぇなぁ」

自宅の寺。『高永寺』の隣にある民家。吉野親子はそこに住んで
いる。夜も深まり、時刻は21時を迎えている。

住職として働いた後は、自宅のリビングで最高の一瞬を過ごす。
一杯の日本酒(一杯では済まないことの方が多いが)と、美味い料理。

そして、

「父上。釣ってきたアメマスは、塩焼きにするが良いか?」

無愛想な娘の手料理。
吉野千歳が、鮮やかな赤のエプロンをつけてキッチンから現れた。

「おぉ。いいねぇ」

即座に声を上げる。20センチクラスのアメマスの引きを思い出し、
渓流竿に見立てて箸を立てる。

「いいファイトだったぜ。アメマスちゃんは」
「そうか。ヘボの父上に釣られるようでは多分に修行が足りないと
思ったのだが」
「おいおい千歳。そりゃ、魚に失礼じゃねぇか。ヘボなのは認める
がな。ハッハッハ」
「当たり前だ。魚釣りが上手い坊主など、罰当たりもいいところだ」
「ハハハ、全くその通りだ!」

パンパンと膝を叩いて、洸清は笑った。そんな父親に尋ねる。

「ヤマメは天ぷらにするが」
「二、三匹焼いてくれ」

千歳は頷いた。

「ヤマメ酒にするのだな。小さいものにする」

ヤマメ酒というのは、渓流魚の宝石とも言われるヤマメを軽く塩焼き
にして、熱燗の中に入れてしまうものだ。

ヤマメは渓流魚の中でも際立って人気がある、美味な魚だ。

上機嫌で、洸清は頷く。

「わかってるじゃねぇか。酒をやめろと言わないなんて、なんて良く
出来た娘だ」
「好きなだけ飲んで、さっさと地獄へ行くがいい」

しれっとした顔で、千歳は即答する。洸清はますます愉快そうに
大笑いした。

「ハハハ。『死ぬときは死ぬのがよい』という話だな」
「誰がそんなことを言ったんだ」
「白隠禅師だ。有名人だぞ。覚えておけよ」
「良いことを言うな。まさにその通りだ。これは私の思いやりと気づ
いてくれないのではないかと思って、気が気じゃなかった。
好きな酒を飲んで、さっさと苦しまずに死に、間違っても仏になって
崇められたりしないように悪いことばかりする。こんなに世の中に
貢献する生き方も他に見つけられまい」

千歳は真顔で、冗談みたいな事を言う。
そしてくるりと背中を向けて、キッチンへと戻っていった。

くいっ、と、杯を傾ける。吟じるように、天井の蛍光灯を見つめて
洸清は呟いた。目を閉じて。

「わきめもふらで急ぎ行く、君の行衛(ゆくえ)はいずこぞや。
琴花酒のあるものを、とどまりたまえ旅人よ」

人生は旅である。退廃であれ、死の快楽であれ、早足で通り過ぎよう
とも景色は変わらないのである。誰が旅の終わりを知るのだろう。
誰がそこへ急げるのだろう。

急ぎ行くな。足を止め、景色を見ろ。そこがどんなに素晴らしいか−−

キッチンでがしゃがしゃと食器を洗う、娘の背中を眺めながら、
洸清は小さく笑った。

「千歳、おりゃぁーなぁ、早死にはしないぞ」

水を止める音。そして、千歳は手を拭いた後、片手に皿を持って
キッチンからリビングへ戻ってくる。
皿の上にはヤマメの天ぷらと、アメマスの塩焼き。4センチ程度の
小さいヤマメを焦げない程度に焼いたものが4匹。

それらをテーブルに並べて、千歳も座った。飾り気のない寝間着の
スゥエット姿である。

「そうか。なら私も、住職になる勉強を後にできそうだ」

先ほどの声が聞こえていたようで、そう答えてきた。

「お前、尼になるつもりか」
「そのつもりだが」
「俺は別に、そうなれと言った訳じゃないぞ」
「なるなと言うのか?」
「言わん。だが、他にも道はあるだろが」
「『なるな』と言ってるように聞こえるが」

洸清は不機嫌になったようだ。

「注げ」

千歳は杯にヤマメを一匹入れて、熱燗を注ぐ。
洸清はそれを一気に飲み干した。

「女の幸せってのはだなぁ、家庭を持つことだってある」
「ほう。私の母もそう思ってたのだろうか」
「……」

黙ってしまった父親に、千歳は小さく笑いかけた。

「酒をやめろと母は言っていたのか」
「ああ。全く口うるさい女だった」
「私が小さい頃に、もう母は別居していた。だから母の姿は私は
少ししか知らない。仕事をする父の姿しか」
「それについちゃ、お前には悪かったと思ってるよ」
「そうかな。私は責めているわけじゃない。父上が選んだことに
私はどうこう言う気がない」

それはつまり、千歳自身の生き方も自由にさせろということでもある。
洸清は、そんなことはわかっていると頷いた。

「あいつは不幸だったかもしれんが、お前は幸せになれる」
「そんなことはわからない」
「簡単だ。俺のような男を好かなければ、楽勝だ」
「そんな『普通の男』に好かれるのも、大変なことだ」
「お前は良い女になる! 今よりもうちょっと可愛気があって、もう
ちょっと愛想があれば……」
「実の娘を口説いてるのか?」
「そういうところが可愛気がないというんだ。注げ」

杯を差し出す洸清に、千歳は訊ねた。

「父上は、母をどう口説いたのだ」
「なんじゃ一体。そんなことを聞いてどうする」
「私は母をよく知らん。可愛気がないのは、母のことをまるで話した
がらない父上のせいかもしれない」
「いいから酒を注げ」
「成りそめを話したら、注ごう」
「……」

杯を突き出したまま、洸清は固まっていたが。
やがて諦めたように、テーブルにそれを置いた。

ぽりぽりと頭を掻く。そういえばもう、何年前の話なんだろう。

20……もう、そんなに経つのか。ただ、思い出す努力はしなくても
いい。

忘れるわけなどないから。



「お前の母親は、料理屋の娘だった」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ひなびた常葉町の漁港の傍らに、ひっそりとその店があった。
浜屋食堂という料理屋。

漁師が一仕事を終えて、訪れる。そういう定番の店の一つ。
その店のポークチャップは家庭的で、人気の料理だった。

洸清はそこによく通っていた。20年以上も前の話だ。




新米の坊主として前住職と共に高永寺に入りながら、洸清は
寺の食事を嫌ってよくその店に訪れていた。

今日も、いつものように。

「ちわーっす」

のれんをくぐって、木造の古い店に入る。昼を少し過ぎた時刻
だからか、店内はがらんとしていた。

「あれ? おっちゃーん。おばさーん」

誰もいない。狭い店の中は隠れるような所もない。民家併設だから、
皆引っ込んでしまっているのかと思い、さらに呼びかけた。

「おっちゃーん。いないんかー。飯作ってくれよー。俺、昨日から
なーんにも食ってねーんだよぉ」

手近な椅子に腰掛け、洸清はテーブルに突っ伏した。

「あのクソ住職、俺がちょっとつまみ食いしてたぐらいで飯抜きに
しやがってよぉ……成仏したらどーすんだっつーの。おっちゃーん
飯作ってくれってー」

何度呼びかけても、店の中は静まり返ったままだった。

「なんだよもう、留守かよ。商売する気あんのかよぉ。やべーな……
雑草でも煮て食うしか……ないのか……」

ぐうぐう鳴る腹を抱えたまま、洸清は目を閉じた。
急に面倒くさくなってきたのだ。

「坊主なんかになるんじゃなかった……ダメだ……動けない……」

目を開けているとカロリーを消費する。目を閉じて、じっとしていた。

……

…………

……ほの暖かい、感触。春の日差しのような。

いや、その暖かさは何か違う、もっと幻想的なもの。

「……?」

薄く目を開ける。額の辺りに残る重たい虚脱感から、自分が寝て
いたことを思い出した。

そして、顔の下にある枕にも。

「なんだこりゃ」

枕。確かテーブルに頬をくっつけて寝ていたはずなのに、起きたら
そこには枕があった。

背中が暖かい。見れば、毛布があった。いつのまにか。

そして、その次に気づく。
目の前には、女が座っていた。頬杖をついて、不機嫌そうな
女が。じっと洸清を見ていた。

「……あれ?」
「あれ? じゃないわよ」

女は眉根を寄せて言う。

「なんで坊主が寝てんのよ。坊主は昼寝するほど暇なわけ?」
「……誰だあんたは」
「ここの家の娘よ」
「ここの家の娘? そんなのいたっけ?」
「目の前にいるでしょーが」

浜屋食堂に娘がいるなんて、聞いたこともない。
少なくとも店主も店主の奥さんも、一度たりとも話したことはない。

常葉町ほど小さな町で、住んでいたら気づかないはずもない。

「で、なんでうちの店で坊主が寝てんの」
「いや、飯食わせてもらいに来たんだけど」
「あんた、目悪いの? 店の戸の張り紙も見えないほど」
「張り紙?」
「今日は臨時休業よ。両親は伊勢神宮参りに行ってるわ」
「な、なんだってぇ!? じゃあ、俺の飯はどうなる!!」
「どっかいって食えばいいでしょ。うちにいられちゃ邪魔」
「金がないんだよ!」

女は、半眼になった。

「……あんた、金も持たずに何しにきたわけ?」
「いや……ツケで、飯食わせてって……その、時々……」
「時々って、どのぐらいよ」
「週に4〜5回……」
「殆ど毎日じゃないの。あんた舐めてるの?」

腹が減って胃が痛い洸清は、胃を抑えた。飯が食えないと
解って、ますます辛くなってきた。

「いたたた、ちっくしょう……やっぱ雑草鍋か……」

そうは問屋が下ろさない、ということか。
仏罰が当たったかもしれない。

諦めて、洸清はため息をついた。帰ろう。帰って雑草を抜いて
食おう。そう決めて。

「……はぁ。邪魔したな。帰るわ。おっと」

肩から落ちそうになった毛布を、手で掴んで手早く折り畳む。
枕を取り上げて一緒に、テーブルの上に置いた。

「毛布と枕、ありがとよ。あんた、極楽に行けるぜ」

洸清は立ち上がり、思い足を引きずって戸口へ向かう。

「ちょっと。フラフラじゃない」

女も立ち上がり、洸清のほうへ歩み寄る。
法衣の袖を掴んで、洸清を振り返らせた。そして彼の肩を掴んで
椅子に無理矢理座らせる。

「しょうがないわねぇ。あたしで良かったら、なんか作ってあげるわよ」
「本当か!?」
「坊さんを追い返してどっかで行き倒れられて、呪われたりしたら
シャレになんないから」

かなり真面目にそう思っているのか、その女はニコリともせずに
言い放ってキッチンへと入っていった。

洸清はちょっと唖然としながら、その女の後ろ姿を見送る。

髪は肩口までのショートカットで、ちょっと茶色い。はすっぱな
感じもするが、顔立ちはやや幼い気がした。美人というほどでは
ないと思うが、化粧をまるでしてない上に服装もラフなジーンズ
だけに、そう思えるだけかもしれない。
顔の輪郭は綺麗だし、太ってもいない。多分、きちんと着飾って
化粧してみたら、相当イイ女になるだろうが。

「しっかし、なんであたしがあんたみたいなハゲ坊主にゴハン作らな
きゃなんないのよ……。面倒くさいから、生卵二個ぐらいそのまま
飲んで終わりって事にしない?」

いや、この性格が相当に問題だろう。どんなに着飾っても無理だ。

「生卵丸飲みは料理じゃねーだろ」
「そう? 茹でる?」
「そういう問題じゃねーよ」
「タダ飯喰らいのくせに生意気ねー」

険悪な雰囲気になる。まずい。食事が出てくるまではとりあえず
世間話でもして、気を逸らしておかなければ。

「名前を名乗ってなかったな。俺は、吉野清彦。洸清って呼べよ」
「なんで清彦なのに洸清なのよ」

キッチンから声が戻ってくる。洸清は返事した。

「僧侶ってのは法名とか法号ってのがあるの。俺は洸清だ」
「ふーん。変なの」
「……いや、変って……」

軽く落ち込む。高野山の偉い坊さんが聞いたら激怒するだろう。

「あたしは森谷渚」
「渚か。浜屋食堂の渚なんて、良い名前じゃねぇか」
「そう。ありがと」

誉める言葉には素直に礼を言う。きっと普段は『一言多い』と
言われているに違いない。

「常葉町にいたら、俺も知ってるはずだ。渚、あんたいつ来た?」

じゅう、と、肉が焼ける音がする。渚はその音の後に答えてきた。

「昨日よ。両親に伊勢旅行プレゼントしにね」
「孝行娘じゃねぇか」
「……そんなことないわよ」

少し、返答が遅れる。何か、その言葉は気になった。

「あたし、札幌行ってたの。小学校から大学まで。だから常葉町の
こと、全然知らない」
「なんでだよ。両親とも、常葉町にいただろ」
「あたしは……違うもん。お父さんの子だから。お母さん、あんたが
知ってる今のお母さんのことだけど、あの人とは再婚だから」
「……本当かよ。全然知らなかった」

「あたしはお母さんと一緒に札幌に行ってたの。でも、お母さんも
再婚するって……なんか、その人をパパって呼べなくって……
だから大学休学して、ちょっと旅行でもしよっかなって思って」
「それで常葉町の父親に会いに来たのか」
「まぁだからって、子供の頃だしお父さんのことも全然覚えてなくて、
昨日会ってもなんか、知らない人と話してるみたいだったし。
良い人だって解るんだけど、なんか……なんかさぁ……思い出とか、
なんもないし……」

不満を言ってるわけではないだろう。
父親が娘のことを覚えていないはずがない。不満なことは……

渚が、父親のことを『思い出してあげられない』ことではないか?

「…………あ、べ、別にいいのよ。そんなこと。ちょっと待っててよ。
もうすぐ出来るからさ」

洸清が真剣に聞いていることに気づいて渚は誤魔化した。

湿ったような雰囲気に、洸清は思う。誰にだって人生の限りがあり、
誰にだって人生の岐路がある。限りがあるのだから、選択は自由に
するべきだ。だが、結果として翻弄される人生もまた、ある。

それが間違っているのか、仕方がないことなのか。

それはわからない。

「お待たせ。こんなもんでいい?」

出てきた料理を見て、洸清は面食らった。
別に特別豪華な料理ではない。

そう、別にそれはなんてことはない料理だ。誰が見ても、平凡な
料理だろう。

まるで誘われるように、洸清は箸を取った。料理を、食べる。

やっぱりそうだ。もう一度洸清は驚きを感じ、そして一つ。
間違いのない一つの確信を覚えた。

「この料理、誰に教わったんだ?」
「え? えーと、何でそんなこと。べ、別に、誰って言われても……
わかんないし……」

恥ずかしそうに、渚は顔を赤らめている。

「あたしさぁ、実はこれしか料理作れないんだ。お母さんは全然
作ってくれなかったし、出前ばっかで。でも、なぜかこれだけは
作れるんだ。いつ覚えたかぜんぜんわかんないんだけど、
なんか昔、いっぱい食べたような気もするし……どっかの
ファミレスとかかも。また食べてみたいんだよね。同じ料理。
いつか」


味噌汁と、白い飯。漬け物。
豚肉のソテーに、真っ赤なソース。

ポークチャップ……。

「本当に誰に教えてもらったんだろ? どこでポークチャップ
食べたんだったかなぁ……あ、それでさぁ、美味い?」
「ああ。でも、まだまだ本家の味にはかなわないな」
「なによ本家の味って。ポークチャップの起源なんてあんの?」
「あるんだよ。それを俺は、知ってる」
「本当に? じゃあ、食べさせてよ。思い出すかもしれないし」

洸清の前に腰掛けて、先ほどと同じように頬杖をついた。
渚に、洸清は笑いかける。約束する。

「ああ。まぁ、すぐに食えるさ」
「ホント? 絶対ね」
「しかも、俺がおごってやるよ」
「えー、金ないんじゃないの?」
「顔見知りの店だから、ツケで食えるんだ」
「……あんた、そんなことしょっちゅうやってるわけ?」

互いに笑った。そういえば、最近こんなに笑ったことはなかった。

渚はきっと幸せになれる。

彼女はまだ気づいていない。その記憶に。渚は、きっと……。
それに気づいたときには、きっと……。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



「ふふ、父上は昔から何も変わらないな」

思い出の話を終えた洸清に、一言目にかけた言葉はそれだった。
千歳は組んだ手に顎を乗せて、訊ねる。

「母のポークチャップか。私が作れるあれか?」
「ああ。教えていたからな。渚は」
「最近作ったことはなかったな。父上、明日、作ってやろうか?」
「おお、いいねぇ」

千歳は背伸びをして、立ち上がった。

「もうこんな時間か。父上、私は寝る」
「おう。よく寝れ」
「楽しい話をしていると時間を忘れてしまうな。おやすみ」

リビングを出ていく、すらっとした背中。
飾り気のない姿。ほっそりした身体。しなやかで強い心。

「(あいつにそっくりだよ。しゃべり方は俺に似たが)」

ドアを開ける。キィッと開かれたドアが、閉まらずに止まる。
開いたままで。

リビングから出ていく寸前。その背中は、一度振り返った。
上半身だけを回して。

「父上」
「……おう。どうした」
「深酒はするな。ただでさえ少ない私の花嫁姿が見られる確率を、
さらに下げることになるぞ」
「ハハハ。わかった。わかったよ。わかったから、脅迫するな」
「わかればいい」

今度こそ。

閉まったドアの向こうから、足音すらも消えてゆく。
リビングに一人。洸清は杯を置いた。

ふぅ、と、思わずため息が出る。
頭に浮かんできた言葉を、ただ、呟いてみた。

「若き命も過ぎぬ間に……楽しき春は老いやすし……」


誰が身にもてる宝ぞや
君 くれないの貌(かおばせ)は

君が眼に涙あり
君が眉には憂いあり

堅く結べるその口に
それ声もなき嘆きあり……



洸清は、杯を空に向けて差し出した。窓の向こうに広がる
月のない漆黒の空へ。

静かな夜だった。
雨あがりの重たい、密度の濃い空気の中で、言葉は軽く宙に舞う。



――名もなき道を説くなかれ
      名もなき旅を行くなかれ――




(16)終

(17)へ続く
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Way to the BLUE 15話
2007-11-12 Mon 01:11
(15)


「あ。そろそろ16時じゃない。それじゃ私、帰るね」

 がっし

腰を上げた姿勢の美砂の腕は、真正面の人にがっしりと
掴まれた。

半眼で睨むが、彼女は半泣きでぷるぷると首を横に振る。

「放してってば」
「やだやだやだ。美砂ちゃん、万里ちゃんが帰るまでここにいて」
「なんでよ。私、関係ないでしょ」
「やだやだ。だって絵理菜、万里ちゃんがそんなに怒ってたなんて
知らなかったんだもん。どうすればいいの」
「どうもこうも、謝ればいいでしょう」

腕を振り払おうとするが、とても病人とは思えない腕力で放さない。
絵理菜はハッと、顔を上げた。

「最近流行の、親をバットで殴打事件とかー!」
「あるわけないでしょ。んなもん」
「普段大人しい子ほどキレやすいって〜」
「あのねぇ」

  ガラガラ……

立て付けの悪いドアが、スライドする音が聞こえた。

この家は表の玄関フード(雪害対策用の『二重玄関』)から入れば、
廊下もなく、すぐ目の前がリビングである。

立っていたのは万里だった。

「おかえり。万里」

美砂が声をかける。万里はうつむくようなお辞儀をした。

「ただいま……」

声の調子は、この雨のように湿っぽい。
それは大体理解できるものだった。

その空気を切り払うように、美砂が明るく言う。

「おでん作ったから持ってきてあげたわ。晩ご飯にしてよ」
「ありがとうございます……」

謝辞を述べながらも、少女は美砂の肩越しに何かを確認している。
何を見ようとしているかはわかっている。

美砂は少し笑って、万里に近づいた。いつもそうしているように、
万里の頭をぽんぽんと叩く。

「お母さんに心配かけちゃダメよ。お母さんは万里に謝りたいと
思って……」

見上げる小さな少女から、絵理菜の方を振り返る。

「ほら、ああして……って、何テーブルの下にもぐりこんでるわけ?」
「あああ万里ちゃん怒ってるよね怒ってる? はわぁわ」
「……まぁその、あんな人なんだから。悪気があって言った訳じゃ
ないの」
「知ってます……それはもう、いいんです」

ガタガタ震えている絵理菜へ、万里は笑いかけた。片手に持って
いる箱を差し出して。

「お母さん。ごめんね。三葉堂のレアチーズケーキ買ってきたよ。
ご飯の後に食べようね」
「万里ちゃん……」

テーブルの下から顔だけを出して、愛娘を凝視する。その顔が
ぱあぁぁっと明るくなった。

「万里ちゃんんん〜ありがとう〜」

どちらかというとケーキの方に向かって礼を言ったような気がする。
絵理菜は無言でケーキをテーブルに置いた。それに視線が釘付け
になったままの母親の方を、美砂は睨む。

美砂の気配に気づいて絵理菜は動きを止めた。普通に食べようと
していたのだろう。

とにかく、面倒なケンカはこれで終わったのだが。

と、思った矢先にである。万里はまるで浮かない表情のまま、
自分の自室へと入っていった。

「万里……? 私帰るけど、これ、ケーキ……」

声をかけた美砂を無視して、である。
絵理菜はまるで気づいていないが、それは絵理菜に対して怒って
いるのとは全く違うように見えた。

そうだ。まるで違う。
足早に自室へ入ってしまった万里は、どこか慌てているように
見えた。

まるで悪いことをして、それを見つかるまいとするような。

「ケーキ見張ってないと、知らないわよ……」

ため息を一つついて、美砂は頭を掻いた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


自室に入り、万里はすぐに自分の携帯電話を探す。
それは畳んだ布団の上に置いてあった。

ピカピカと、ランプが青く光っている。何かメールか、電話が
あったことを示すものだ。

母親が電話したのかもしれない。

「……」

いや、違うと……思う。
白い二つ折りのそれを開いてみればわかる。そういえばこの携帯
電話は、高校に入ったときに買った安いものだが、買った時には
本当に嬉しかった。

あの時も、万里とみずほは一緒にいた。

一番最初にアドレスを登録したのも、メールを受け取ったのも、
送ったのもみずほだった。

静かな雨音が、天井裏から聞こえる。
畳んだままの布団の上に座り、携帯電話を開いた。

そこに表示されているのは、みずほから真昼に送られたメール
だった。何通も。

「……」

そうだ。
いつだって、みずほと一緒に、楽しいことも辛い時も過ごしてきた。
子供の頃からずっと……。

みずほと一緒に……。

なら、どうして私はRailwayに行ったのだろう。
Railwayにみずほはいなかった。
どうしてそこにいないみずほを捜さなかったんだろう。

今さら、散々泣いたのに。涙が溢れてきた。
なぜ? 何か……おかしい。強い違和感を感じる。

ぼろぼろとこぼれる涙を、手の甲で拭った。

「っ……ひ……ぅ……」

わからない。わからない。感情がずっと落ち着かない。
ざわざわと、喉元を探り回されるような息苦しさを感じる。

「(心がバラバラになりそう……っ)」

涙が出るのは、多分防衛本能だと思う。
泣かないと本当に壊れてしまいそうだ。

「なんで、私……Railway……に!」

震える指で、携帯電話を操作する。
メールを打とうとするのだが、言葉が出てこない。みずほから
送られてきたメールに対する返事を打てばいいのか、それとも
別なことを書けばいいのか。別な事というのは、何か。

それが何なのかわからない。わからないから、みずほと会うのが
嫌だったのかもしれない。

あの時。Railwayで出会ったとき。なぜ逃げた?
逃げた。逃げただろう。どう見たって。

「苦しい……きもちわるい……なんでこんなに苦しいの……」

なぜか。

「会いたかったから……?」

誰に。

「あの人に……?」

『ごめんなさい』

打ち込んだ文字。メールの返事。それはメールの返事ではなかった。
ただ、そう言うしかなかった。

木桧みずほはどう受け取るだろう。彼女はきっと、気づいていない。
有沢高浩という人に、こんな違和感を持っているわけがない。

だからただ、謝ることしかできなかった。
意味はきっと伝わらないだろう。しかしいつか、みずほも感じるかも
しれない。高浩と一緒にいるときに、そんな感覚を。いや、それは
予感なんかではなく……もっと確かな。

例えば彼女が見えるという『翼』のような。
そういうものがあるのかもしれない。

  ♪〜

はっとして、電話を見た。音声通話の呼び出し音。

画面に表示されている番号は、登録されているみずほの携帯
電話だった。

「もしもし」

できるだけ涙声を気取られないよう、声を出した。思ったより
大きな声になってしまったが。

《あ、みずほだけど。電話大丈夫?》

こちらの声の大きさに驚いたのか、少し控えめなみずほの声。
万里はうん、と、短く答える。

「うん。大丈夫。ごめんね」
《いや、何がごめんか知らないけど、私の方が謝らなきゃならない
から、ごめん。さっき》
「ううん。いいの」

みずほの声を聞いて、むしろ落ち着いてきた。Railwayでは声を
掛けてくれなかったから、こんなに動転してしまったのだろうか?

《その、ぶつかったときにクッキー落としたでしょ? ふたえさんに
聞いたら、今焼いてあげたもんだって言うから。ホントごめん。
なんか考え事しちゃってて。雨だからこんな事になるのよね》
「……うん」

あの時の『間』は、ただ単に考え事をしていただけで続くような
ものではなかっただろう。でもみずほがそう言うなら、そういう
ことだ。みずほが万里に嘘をつく『はずがない』。

《今、高浩から話聞いたんだけど、何か大変だったらしいじゃん。
電話掛けても出ないから心配したよ》

高浩。その名前が出ると、何か心臓がほんの少し、うずくような
感じがする。万里は、少し無理をして笑った。

「お母さんとケンカしちゃって、なんとなくRailwayに行っちゃった。
高浩さんには迷惑だったと思う」
《別にいいってば。それよりちゃんと仲直りしなよ。一人だけの
母親なんだからさ》
「……うん……」

うん。月方絵理菜はこの世に一人だけの母親。
そして木桧みずほは、この世に一人だけの友達。

「みずほちゃんはいつも私の心配してくれるね。でも私、そんな
みずほちゃんにお礼を言うことぐらいしかできない」
《そんなのいいわよ。だって幼なじみじゃない》

万里は、もう涙を浮かべていなかった。

「そうだね。今までと同じように、ずっと仲良しでいたい」
《当たり前でしょ》

万里は眉根を寄せ、目を閉じた。

それは当たり前のことだった。ずっと。今までは。
だがこれからも、それが続くのだろうか。

……わからない。

わからない、が。
もしもそれが壊れる日が来るとしたら、その時はきっと……
Railwayがそこにあるだろう。


誰もが出会い、誰もが別れる。
あの店で人は大切なものを見つける。

「ふたえさんと、高浩さんは」

《ふたえさんは今、台所にいて、高浩は晩ご飯の配達に行ってる
けど》
「そうなんだ。二人に迷惑かけてしまったから」
《別にいいんじゃない? ふたえさんはそんなこと気にしてないし、
あの男はどうでもいいし》
「……どうでもよくないよ」

小さく、それは自然と口から出た言葉だったが。

《……あっそう。まぁ、あんま持ち上げない方がいいよ。あいつ
どうも信用できないとこあるから》

みずほは人を見る目がある。昔からそうだった。

「……うん。そうだね」

でも、それは多分間違ってる。
みずほは言っていた。

『高浩には翼がある』と。

それが見えるから、みずほには許せないのかもしれない。
彼が父親と同じようなものだと認められないから。

(みずほちゃんの彼に対する見立てが厳しいだけなんだけど、
それは放っておいたほうがいい……。言ってもわからないし、
私にも見えないんだから)

まだ見えない。彼が何に行き着くのか。
Railwayは、何との出会いと別れを紡ぐのか。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



18時。

長い一日の終わりには、短い夕暮れが待っている。
雨は小降りになり、遠い空の彼方が赤茶に焼けているのだ。

配達から帰ってきた高浩が椅子に座る。肩に乗っていた
エゾモモンガがテーブルの上に着地するのと同時に、みずほは
口を開いた。

「遅かったわね」

テーブルの上で鼻をひくひくさせているモモンガを人差し指で
つつきながら、みずほは冷たく言った。雨で濡れたシャツを気にして
いた高浩には、それはもう頭に来るような言い方で。

「誰かの書いた地図が間違っててな。二軒ぐらい」
「あら、うっかりしちゃった。ごめんなさい」

モモンガの小さい額を、指で撫でるのはやめないまま、あくまでも
素っ気ない。というより、謝る気がカケラもない。

「この雨の中、岡持持ってうろうろさまようのは辛かった」
「嵐の日に出前とか頼むの、もうやめようと思ったでしょ」
「そんな事してねーから」
「人生何事も経験よねー」
「同い年に経験語られたくないし」

モモンガをいじくるのが楽しいのか、前足と後ろ足の間のぷよぷよ
した部分をずっとつついているみずほに、彼が逆に詰め寄った。

「で、ダラダラとRailwayにこもってミルクティーばっかり飲んで、
とーら突ついて、あんたは一体何なんだ。親も心配するだろ。
早く帰ってテレビのリモコンでも突つけよ」

むぎゅ、と、とーらを鷲掴みにして高浩はそれをぽいっと投げた。
あ、と言ってみずほは視線で追うが、投げられた毛玉のような
それは空中で3回転ぐらいしてから、バッ!! と手足を広げて
滑空していった。

で、入り口付近の旧式のレジスターにしがみつく。ピ、と、何かの
キーが押された音がした。

それはどうでもいい。

「親は心配しないの。私はふたえさんの盲導犬役なんだから」
「盲導犬役?」
「目が見えないふたえさんが、一人で歩いて帰ったら危ないでしょ。
だから私が一緒についていってあげてるのよ。殆ど毎日」
「……それはご立派なことで」

ここまでずっとふたえを見ていたが。とても付き添いが必要とは
思えない。この配達、これも普段は一人でやっているらしい。
それを考えても、みずほが必要だとは全く思えない。

「……いらないんじゃないのか? ふたえさんには」
「な、な、なんてこというの!! 必要に決まってるでしょ!!」

あまり感情を見せず、無関心なように見えるみずほだが、今日
初めて、動揺したような仕草を見せた。

「ふたえさんは目が見えないんだから、車とか来たら危ないし!」
「いや、ふたえさんは100メートルぐらい離れた車でも多分
気づいちゃってると思うんだが」
「そんなわけないでしょ。私は気づかないもん」

ふたえは気づいてるんだってば。

「他には?」
「ほ、他には……ほか……あ、こんな雨の日には傘を持って
あげるわ」

両手は使えるのだが。というか今朝は、ふたえは普通に傘を持って
一人で来ていた。

「……やっぱ、必要ないんじゃないか?」
「そ、そんなことないもん!! ねー! ふたえさん!」

ちょうどそこに、何か皿を両手に持って厨房から出てきたふたえが
近づいてきた。
皿を、高浩とみずほの目の前に置きながら。

「えーと、何の話?」
「ふたえ姉さんは、私が必要なんだよね?」
「ええ?」

ニコニコと笑っているが、実に困ったような雰囲気を見せている。
……みずほは気づいていないのかもしれないが。

「そ、そうねぇ。まぁ、助かることもあるわねぇ」
「でしょ!? どんな風に助かるか、この脳天スケベに説明して
あげてよ!」
「え? ……えぇ……その」

皿を見る。焼いた肉と茹でた野菜。皿にはそれが載っていた。
ステーキのようだが。

「あ、これはね、鹿肉のステーキなの。また吉野さんから頂いて」

思いっきり話を逸らしているのが見え見えだが。
高浩にそれを説明しようとしていたふたえを、みずほは声で引き
戻そうとした。

「料理より、まず私の存在意義!」
「えーと、そうねぇ……えーと……」

本気で困っているようなのだが……。

「み、みずほちゃんがいると、花が咲いたみたいにお店がとても
明るくなるわよね?」
「そう。そういうことなのよ」

今のは疑問型なのだが。

「つまりこのぼろっちいRailwayが華やかで若々しいのは、私が、
私がこうして毎日来てるからなのよ」

念を押すように。

「私が来てるからなの。オッケー?」
「そうなの?」

高浩がふたえに訊ねてみるが、ふたえは困ったように笑い。

「うふふ、そ、そうね。あ、ご飯も持ってこなきゃ」

……そのやりとりで、なんというか理解できる。
みずほはかなり、いや、全然この店に必要ない。
多分親御さんも帰りが遅いことを心配している上に、ふたえは
それが良くないと思ってもいる。ということだろう。

どこまで……空気が読めてないのかと。

「そういうことなのよ」

得意げに言うが、みずほは本当にそう思っているのだろう。いや、
薄々は気づいているのかもしれないが、それを認めると、言うなれば
アイデンティティの崩壊を招くのだろう。

当人以外には大迷惑なのだが。

「(いるんだよなぁ……こういう人)」

高浩は何かひどく疲れて、うつむいた。みずほは相変わらず、自分の
レゾンデートルについてなおも力説している。

親友の万里がみずほに対し、父親がいるということをちょっと自慢
したくなって……という話を昼間聞いていたが。
親友なのにそういうつまらない意地を張るのはどうかとも思ったが、
まぁ、日常からこんな調子では何か言いたくもなるだろう。

少しだけ、万里に同情した。
いや、こんな幼なじみと親しく過ごしてきたのに、万里は何と
まっすぐ素直な良い子に育っただろう。
奇跡に近い。

「あと、私が料理をつまみ食いするたびにふたえさんの料理が
上手くなっていったのも事実なのよね。これは」

鹿肉のステーキには、甘いグレービーソースがよく合った。
そんなことはみずほの行為には何ら関係がないと思うのだが。

一日、Railwayの仕事を手伝い続けて、疲れた身体には果実の
味わいが残るその甘酸っぱさがたまらなく良かった。

「私は料理とか全然ダメだけど、舌は確かなのよ」
「黙って食え」

あからさまに気分を害したように、みずほは手を止めて高浩を
睨みつけてきた。


こうして、雰囲気は最悪のままで、北海道の三日目の夜が
ゆっくりと更けてゆく。



(15)終

(16)へ続く
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Way to the BLUE 14話
2007-11-04 Sun 12:43
(14)



「みずほちゃんは本当はすごいんだよ。どんなことをやっても
誰よりも上達が早いし、臆病でもないし。それに……」

いつか、どこかで。

万里はそんなことを言った記憶がある。

いつか、どこかで。
ただ、それは嘘ではない。決して嘘ではない。間違いなく真実の
ことだった。万里は、彼女が特殊な才能を持っているということも
知っていた。

いつからか、覚えていないほどの過去に。二人は出会い、姉妹の
ように育てられてきた。早く生まれていたみずほが姉だった。

万里は思い返す。一番古い記憶。

みずほとゾウのぬいぐるみを取り合って、ぬいぐるみを破いて
しまった時。Railwayのふたえにぬいぐるみの修繕を頼みに行った。

「覚えているわ。ゾウのももちゃんね。おめめが取れていたわ」

厨房から、ふたえが話に割り込むように答えてくる。
何か野菜を切るような、サクサク、トントンという包丁の音と一緒に。

万里は頷いて、しかし首を振った。その時に思ったことを考えて。

ただ泣く万里と、すぐにふたえの元に走ったみずほ。
万里はどうしても、そのことを思い出してしまう。

「私、みずほちゃんに一つぐらい勝ちたかったんです」

唯一、勝っていたことがあった。

「それは、私にはお父さんがいたから」

万里は、自分自身の言葉に寒気を感じた。相手が高浩だから、
こんな話が出来る。

醜い話だ……。

ふと、厨房を見た。高浩も。不思議と、何の音もしない。

先ほどまで聞こえていた、野菜を切る音も。
万里は意に介さず続けた。

「お父さんは病気のお母さんの幼なじみで、ずっとお母さんの
病気を治そうとして、仕事のお金もみんな治療費にしているん
です」
「成果はどうなの?」
「私を生んだ頃が一番良かったみたいでした。その前は一時、
昏睡していたそうです。その時の治療費も莫大にかかったみたい
で、お父さんがいなかったら私は、この世にいません」

そりゃあそうだろうけど。

……と、高浩は言いたかったが。口を挟むのは無粋だ。冗談話
ではない。今も苦しんでいる。

万里はそんな彼の胸中を読みとって話しているわけではない。
同情されたいわけでもない。

「お父さんは偉いな。線の細い、気の優しい人に見えたけど」
「私のお父さんに会ったことがあるんですか?」

意外だった。高浩と月方浩一郎との接点。

「お墓に納骨するときに、会ったよ」

それでやっと思い出す。彼が何故来たのか。
実の両親を常葉町の土に帰すためだと。

「すみません」
「いや、いい。亡くなった人のことは、もういいんだ」

多分言われ馴れたのだろう。その様子に戸惑いはない。
万里は、少し安心した。

「……私にとって、お父さんは自慢です。お母さんは、頼りに
ならないとか、いつも必要なときにいてくれないとか、そんな
ひどいことばかり言いますけど、お父さんは私にとって、
何よりも自慢できる大きな宝物です。みずほちゃんも、持って
なかった宝物です」
「みずほも持ってなかった?」

「あの当時、みずほちゃんのお父さんとお母さんは別れていた
らしくて、常葉町にお母さんが来たのも一人だったんです。
おなかのなかにみずほちゃんがいたそうですけど。だからあの時、
みずほちゃんはお父さんの顔も知らなかった。私にはそれが、
出来のいいみずほちゃんへの唯一の自慢だった……」

ひどい話だ。結局、それが……。

「私自身も、父親をそんな風に見ていた。いつもそばにいないけど、
立派なお父さんっていうだけで嬉しかった。
結局は、私達二人とも父親の姿をロクに知らなかった。
でも、今でもイメージは残ってるんです」

「お母さんとのケンカの原因は、お父さんへの悪口、か」
「……そうです。くだらないことですけど」

重苦しさを感じた。

下らないことであるとは知っている。
ただ、それは理解されなくとも良い。

自分の弱さが生み出した幻影に過ぎない。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



木桧みずほは、食器を一人片づけていた。

時々携帯を気にしながら。そして、一時からやってる芸能人の
お昼のサイコロトーク番組を耳に入れながら。

「この雨だっつーのに、絵理菜さんのとこまでわざわざ遊びに
行ってるんじゃん。皿洗いさせておいて、よくもまぁ平気な顔で
遊びに行けるよホント」

皿洗いをさせられているのが、昼間で寝ていたペナルティだとは
考えないみずほである。

「でもまぁ、雨だし。静かな一日を、長く満喫できるわ。ゲーム
三昧で」

雨の日は、余計な来客も少ない。

例えば一番余計な来客というのは、機械の病気に取り憑かれた
悪質なマーフィーズゴーストの一つである先輩だが、それ自体が
正体不明の存在であるように、雨の日は外に出ない。

学校も休んでしまうのである。

「変人の考えることはよくわかんないね」

河井智恋がこれを聞いていれば、変人ではなく天才だと猛反発
するか、もしくは奇人変人の天才であるアインシュタインと同列に
並べたことを誇示するか、二つに一つだ。

正直、どっちでもいいしどうでもいい。グレーターデーモンでも
召還してくれるんだったら少しは役に立つのだが。

と、ゲームのことをリアルに当てはめて考えてしまうのは、かなり
危険思想であるようだが。

「……」

ふと、食器を洗う手が止まった。
泡だらけのスポンジを、見下ろしたままで。

思い出したのは、父親のことだった。

今もこんな鈍色の空の上。雲海を渡る船の船長を勤めている
のだろうか。それとも地球の裏側で、日本の夢を見ているのだろう
か。

ゲームの話に付き合ってくれる相手は、父親か、河井のおばさん
ぐらいだ。先輩とは会いたくないが。

「たまには帰ってこいよなぁ……」

陽気で気さくな父親。別れた母親を捜して旅をしまくったという
変な父親だが、あの日。Railwayに突然その父親が現れたときに、
みずほにとって欠けていたものがやっと埋まった。

あの日。

父親は突然現れた。ぬいぐるみの修理をしてもらいに
Railwayを訪れたみずほの前に。
みずほという子供がいることさえ知らない父親が。

その時の喜びは鮮明に覚えている。

Railwayのドアを開けて、ゆっくりと入ってきた父親の声を。

「Railway、行こうかな。これ終わったら」

皿洗いを適当に切り上げる算段をつけて、みずほはそう呟いた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「なるほど。それで出ていったのね」

外を眺めれば、暗い海に降り続く雨。
悲しげな色をした大洋を、絵理菜はぼーっと見つめている。

あまり話を聞いていない様子の彼女に聞こえるように、美砂は
ため息をついた。

月方家のダイニングである。

「はぁ……。謝りなさいよ。万里はしっかりしてるようで、繊細なん
だから」
「……なにを?」
「だから、万里は父親を馬鹿にされるのが嫌なの。万里にとって
お父さんの存在はものすごく大きなものなの」
「こーちゃんがそんなすごい人だなんて、言えない」
「言ってあげなさいよ。嘘も方便じゃない」
「美砂ちゃんも嘘だってわかってるんじゃん」
「いやだからそうじゃなくて……ああもう。つまり、万里を怒らせて
絵理菜は大丈夫なわけ? ご飯はどうするの」

そう言われて、絵理菜は黙り込む。

立て付けの悪い木造家屋のダイニング。ちょっとした風でも家が
軋むような気がする。今は、どこか乾いて聞こえる雨音しか
響かない。曇った窓の向こうに広がる海を眺めていた絵理菜は、
美砂の方を振り返った。

万里がいない人生など考えられやしないだろう。
ある意味で万里は、酸素と同じぐらい重要な人なのだから。

絵理菜にしては少し長く考えて、やがて。

「有沢浩樹くんが、高浩くんになって帰ってきたの」
「……意味が分からないんだけど」
「だから、万里と結婚してくれないかなぁ」
「……は?」

絵理菜は、そして笑顔になった。

「万里がいっちばん怒ったのはね、高浩くんをお婿さんに
しようって言った事なの。万里と高浩くんは、きっとお似合いの
かっぷるになると思うよ。すごく大丈夫だよ」
「いや何が大丈夫って。何でそうあんたは……」
「だめかなぁ。すっごくお似合いだと思うけど。でも絵理菜と浩樹君
ほどじゃないけど。あと絵理菜ととーらちゃんほどじゃないけど。
間違ってもこーちゃんみたいなのと結婚しちゃだめだ」

好き放題なことを言う。
こんだけ無茶苦茶言われれば万里も嫌になって家を飛び出すに
違いない。

妻が旦那の悪口を言うなんて、正直言っていつも当たり前にある
ことだ。こんなのも、絵理菜にとっては挨拶みたいなものだろう。
万里がそういう話を間に受けてしまうのは困ったものだが。

美砂は、持ってきた文化鍋をちらっと一瞥する。

「万里は今どこに行ってるのかな。せっかく、おでん作ってきて
あげたのに」
「あ、食べる」
「食べるな」

遅すぎる朝食を食べ終えたばかりの絵理菜の手を、ぴしっと
叩き伏せた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


15時。

順調に飛行していた太陽が浮力を失い、落下軌道を取る。
厚く伸びた暗雲の先にはそんな光景があるのだろう。だが、それは
見ることが出来ない。

人には翼がある。

目には見えないが、人には翼がある。

その翼をはためかせれば、見えない世界すら見渡すことが出来る
だろう。空想ではなく、夢想ではなく、現実の中で。

人には翼がある。それは見えない。しかし、そこにある。

木桧みずほは空色の傘を、少しだけ揺らした。小さな空から
薄い光を感じる。そこに太陽はあるのだ。

なぜ見えなくなるのだろう。

子供の頃は誰の背中にも見えた翼。

大人になると、それは見えなくなってしまう。
それこそが『大人になる』ということなのか?

翼の意味するところを、父親に尋ねたことがある。

人は夢を実現することが出来る。
その手の中に夢がある。
それを信じ続けている人の背中には、翼が見えるという。

「お父さんはもう夢を掴んだのにね」

Railwayに向かう道筋。目をつぶっても歩ける。

夢はいつでも掴むことが出来る。
だが、みんなそれを忘れてしまう。

いつしか、そのことに臆病になってしまう。どれだけ口の中で
呪文のように唱えても、心の底から信じることができなくなる。

美砂には『見える』。
今日の雲の上にある太陽のように、曖昧なものではなく。

冗談や幻覚ではなく、本当に『見える』のだ。

父親にそれを告げたのは中学の頃だった。父親の背中には
光輝く翼が片方だけ見える、と。

それを告げられた父親は、ひどく悲しい顔をした。
子供が錯乱したと思った、というわけではない。

父親には心当たりがあるようだった。それが見えた人がほかに
二人いたと言った。一人はこの世にいない。

もう一人は、『この世界にいない』……。

だから、みずほには見えなくても良かったのだと言った。
何しろ自分の翼は、自分には見えないのだから。

「自分の幸せだけ見つめて生きなさい。決して、誰かに託す人生で
ないように」

遠くを見ているような父親の瞳。
幼いみずほの頭を撫でる、大きな手。

「いつか、パパ以外の人に巡り会うかもしれない。翼を持つ人に」

そう言った父親が、なんとなく泣いているように見えた。


あれから数年が経った。

「有沢……高浩……」

雨音に紛れるような小さな声で、囁く。その名前がどんな意味を
持つのか、みずほにはまるでわからない。

そう。この雨にかき消えるほど、それは小さい……。


木桧みずほがRailwayの入口に来ると、そこから店内の様子が
ちらりと見えた。

雨に濡れ、より重たい色になったRailway。店内から、景色を見るため
大きくとられたそのガラス越しに、有沢高浩の背中が見える。

「……?」

そして、彼と話す万里の姿。

「……笑ってる」

万里は楽しそうに高浩と談笑していた。万里がRailwayに来ていた
ことなど、全く知らない。

第一、万里はメールを送ったのに返事を返してこなかった。

「……(笑ってる……)」

あの人見知りをする万里が。
つい何日か前に出会った男と、楽しそうに話してる。

同学年の男子の話をするだけでうつむいてしまうような万里が。

高浩と、あんなに楽しそうに話している……。

「……」

急に雨足が強くなってきたのは、それからのことだった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「あはははっ、おかしい〜」

屈託のない笑顔が弾けた。万里は楽しそうに、けらけらと笑って
いる。

「その公園ですごい広いんだよ。一周何キロもあるんだけど、
みんなめちゃくちゃ元気だから自転車必死で漕いでたんだけど、
ゴール地点が池の上で、そこが橋になっててな、差し掛かったら
もうヘロヘロでふらついてて」
「うんうん」
「友人の神保って馬鹿が、橋の柵に突っ込んで、柵ごと池に
落っこちたんだよ」
「ええー!」

口元に手を当てる仕草をした。万里は目を丸くして真剣に
話を聞いている。

「で、みんな慌てて池を見たら、神保は馬鹿だから池の中なのに
自転車から手放さなくて、バタ足で自転車漕いでるし」
「あははははっ」
「『溺れるー助けてくれー!』って叫んでるけど、それ以前に自転車
から手放さなきゃ沈むに決まってるって」
「おもしろいですねぇその人。あはははっ」

素直に笑ってくれる。綺麗なまるい目を細めて、涙まで浮かべ
ながら。
ずっと泣いていたのが嘘のように。

「なんか面白くって、今度はそれで涙が出て来ちゃいました」
「泣いた後はよく笑えるんだよ」

元々は明るい女の子なのだろう。笑顔がまっすぐで気持ち良い。
いつもそうしていればいいのに。

「万里ちゃんは笑ってる方がいいよ」
「……そう、ですか?」

不思議そうに。笑顔でいることが、何よりだと思うが。

「なんか、怖いです……」
「怖い?」
「ほら、今、泣いた後はたくさん笑えるって言ってたから。今度は
また、悲しい気持ちになるかと思って」
「それでもいい」

間髪入れずに、すぐ答える。

「それが普通なんだよ。俺もそうだった。逆に悲しい気持ちを押し
殺したり、ずっと根に持ってはダメだよ。そうやってると、いつか
溜め込んだもので誰かが傷つくかもしれない」

高浩は、ちらりとふたえの様子を気にした。ふたえは厨房で、何か
お菓子でも作っているようだ。バニラの匂いが漂ってきた。

その甘い匂いに安らぎを感じながら。

「言いたいことはその時に言った方がいい。泣きたいときは泣いた
方がいい。自分をコントロールできなくなってからじゃ遅すぎるから」
「そうですね。その通りだと思います」

もしかしたら、同じようなことを両親も経験したのかもしれない。
もしかしたら、ふたえも……。

しかし理解するにはまだ、人生が短すぎる。
何度こんな事を繰り返すのだろう。

俺達は何度、人を傷つけてしまうのだろう。
何度間違えてしまうのだろう。何度やり直せるのだろう……。

何度心から笑えるのだろう。

「万里ちゃんは帰って、お母さんと話をした方がいいかもしれない」
「あの……はい」
「……?」

万里は頷きながら、少し首を傾げた。恥ずかしそうに。

「すみません。同い年ですから、ちゃん付けはちょっと、恥ずかしい
かなぁ……とか……」
「あ、ああ。そういえばそうだ」

そういえばも何も、とても同い年に見えなくて……とは言えない。

「月方さん」
「有沢さん」
「……高浩でいい。なんか父親の名を呼ばれてるように聞こえる」
「じゃあ、私も……好きなように呼んでもらっていいです……」
「……万里ちゃん」
「……はい……高浩さん」

真っ赤になって、耳の辺りを掻きながら照れる万里を見てると、
どうにも高浩の方までこそばゆくなってくるが。

「あ……じゃあ、あの、話聞いてもらってしまって。ご迷惑おかけ
して、本当にすみませんでした」

立ち上がり、厨房のふたえと高浩に順に頭を下げる。万里は
深々と頭を下げたまま、何度も謝っていた。

ふたえがカウンターの方へ顔を出してくる。

「あら、帰ってしまうの? せっかくクッキーを焼いたのに。そうだ。
ラップで良ければ今包んであげるから、絵理ちゃんと食べて」
「え、いえ、そんな」
「遠慮しないで。絵理ちゃんなら遠慮しないわ」

比較する対象がちょっと失礼な気がするのだが。

ともかく、ふたえが包んだクッキーは万里の手の中に押し込ま
れた。それを片手に、傘を手に取る。(それもRailwayの置き傘だ)

「何から何まで、本当にすみません。今度何かお礼を作ります」
「いいからいいから」

あまりにもしつこく謝るので、さすがにふたえも困った表情で
手を振った。あまり優しいのも大変だろう。

しかし、これで一つ問題は解決した。

万里とみずほがそんなに親しく、そして父親のことで少し劣等感を
持っていたというのは意外だった。

万里は純朴だが、すこし気持ちが幼すぎるのかもしれない。
成績でも家事でも勝っているのに、みずほの才能を怖がって
いるのだろうか。

才能……という、目に見えないものに。
どちらかといえば、気まぐれで口が悪く、がさつでいい加減なだけ
だと思うのだが。どこをどう見ても、やはり万里の方が……。

まぁ、いい。全ては終わったし、もう考えても意味がない。

「それでは、失礼します」

戸口でもう一度こちらを向き礼をした。万里の丁寧さを見ても、
やはりみずほが姉の立場だとは考えられないが。

  ドン!

「きゃっ」



唐突に激しさを増した雨が、水煙のようなしぶきを上げる。
ざあああっと、複雑で大きな水音が押し寄せてくるように。

夕立に似た雨足。
万里は戸口に立っていた。驚いて、固まっている。

その目の前には、みずほが立っていた。
こちらも少し、こわばった表情で。静かに、足下を見下ろす。

焼けたばかりのクッキーが、雨の中、ぬかるんだ土の上に
散らばっている。急速に、雨の中でだらしなく崩れてゆく。

落ちたそれらを、万里は震えながら見ていた。

そして、真正面からぶつかったみずほも。

正面にいる万里に、何の言葉もかけようとしなかった。
何も。何故だろうか。

そして、ゆっくりと。
高浩に視線が移された。高浩と視線が交錯する。まるで定まら
ない瞳。雨に濡れた彼女のポニーテールが、どこか虚ろに見える。

そうだ。

彼女は言葉をかけないんじゃない。

ただ、言うべき言葉を探している。だから何も言えないんだと
気づいたときには。

「ごめんなさい!」

万里は、走り出していた。
声を上げるより早く。ばしゃばしゃと水を叩くような足音に、
みずほは唖然としたままだった。

どうしたのかはわからない。高浩にはわからないのだが。

ただ、Railwayの玄関には、水に濡れてふやけたクッキーの包みが
落ちているだけ。



泣きたくなるような空。

泣きたいのは俺だろうが!
高浩は声に出さず、心で叫ぶ。



――だから、言いたいことはその時に言う方がいいと言ったんだ。



(14)終

(15)へ続く
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