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2008年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年04月

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Way to the BLUE 28話

(28)



ぽかぽかと暖かな日差し。
陽気でお気楽で、のどかで。

そよ風の撫でる屋上。燦々と降り注ぐ朝日。優しく響く波音。
茶色のエゾモモンガは、夏の一日を謳歌していた。

「心地よい一日だ。時間がじっくり流れてゆく」

空を見上げ、流れる雲を少しだけ追いかける。視線の端に、彼の
姿が見えた。

有沢高浩。生まれてからずっと、彼と共に暮らしている。
常に傍らにいるというわけでもなく、適当な距離感でもって。

「ご主人。今日も仕事に行くのか。律儀なことだ。だが律儀である
ことは良い」

ついていくこともあるまい。とーらは、すぐに視線を戻した。
暖かなトタン屋根の上に座り込んだまま、遠く空を見上げる。

「正直さと律儀さは必要だ。その方が人間らしい」

青々とした空には、真綿の雲が浮かぶ。刷毛で描いたような
筋雲も伸びる。ひくひく震える鼻腔に夏の匂いを感じた。

時は行く。太陽は傾ぎ、風もまた。

「さて、行くとしよう」

四つの足で身体を起こし、僅かに身を伸ばした。明るい景色に
慣れてしまっているが、本来こんな早起きでもない。ここは、
自分にとって故郷の一つである。だから、唐突に思い出すのだ。

野生という本来持っているリズムを。

とーらはそれを鷹揚に認める。そして、それに流されることもないと
考える。ここは空気が良い。圧迫感もない。常に新しい風が
吹いている。

走り出した。たった二、三歩。それだけで十分だった。風が見える。
ただ身体を投げ出すだけで、自然に飛び上がることが出来る。

滑るようにして、10メートルほどの屋根の上から空中へ飛び出
した。とーらの身体は矢のように、巻き上がる海風を貫いて突き
進む。

地面が近づく。着地。人の歩いた跡の残る土の上に降りる。

そして駆けだした。太陽の散光が散らばる道から、黒々とした
アスファルトの上へと踏み出す。とーらはいつもと同じように、
丸い身体を伸ばした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


小さな銀色の器を片手に、ふたえはRailwayから外に出た。
高浩が修理したドアが軋みながら開く。

鼻腔に感じる焼けた夏の匂い。暖かさと、潮風。

ふたえは声を張り上げた。

「とーらちゃーん。ごはんよー」

呼びかけるが、何の音も返ってこない。
足音。小さな足音も、その気配も感じない。

「とーらちゃん? どこにいるの? 高浩くんについてっちゃったの?」

尋ねるが、意味はない。話せるわけがないのだから、意味がない。
ただ、呼びかければ応じてくれるような気がしていただけだ。

そしてやはり、何も起こらない。

「……どっかいっちゃったのかしら」

木の種を山盛りにした餌皿を、玄関に置く。

「ここに置いておくわよー。早く食べないと、モグラさんに食べられ
ちゃうからねー」

その呼びかけにも、返ってくるアクションは何もない。

「もう。知らないわよー。きっと食べられちゃうんだから」

また、ドアが軋む。
夏の爽やかな外気が名残惜しそうに佇むそこから、ふたえの姿も
無くなった。

そこにただ、銀色の器が残されたままで。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「おかーさーん。ごはんできたよー」

ところかわって、木造平屋の一軒家。黒ずんだ古い木が組合わさり
辛うじて家の形をしているような、そんなところ。

黄色いエプロンを付けた背の低い少女が、カンカンとフライパンを
お玉で叩く。甲高い音が中りに響いた。もちろん家の外まで、それは
聞こえている。

何度もその音は聞こえた。そして、声も。

「おかーさーん! あ、ちょっと、また寝てるの?!」

キッチンにいた少女が歩いて行く先。それは殆ど寝室と変わらない
状況になっているリビングだった。ゆりかごのようなイスに腰掛けたまま。
少女の母親が眠っている。

少女――万里はいきなり不機嫌になったようだ。腰に手を当てて、
子供でも叱るように少し頭を下げる。小さな少女が、精一杯に威厳を
見せようとして。

「もう。おかーさん。さっき起きてたのに、どうしてすぐ寝ちゃうの。
朝ご飯食べるって言ってたから作ったんだよ。食べないと材料費が
もったいないでしょ」

どこか鳥が餌をついばむような姿勢にも見える。
その視線の先にいるのは、少女の母親……月方絵理菜である。
くーくーと寝息を立てて、本当に幸せそうに眠っている母親。
それを前にして、少女の目にためらいが浮かぶ。困っているのだ。
怒りたいが、何となく怒れない。根本的に怒るのが苦手だ。
謝るなら得意なのに。

「おかーさん。起きてよー。御飯食べなきゃお薬も飲めないよ」

大声で言いたいところなのだが、寝ている母親の寝顔を見ると
強く言い出せない。18時間ぐらい寝ているわけだから、いい加減に
起きてくれないと寂しい気も少しする。だが、寝かしておいて
やりたいとも思う。ジレンマだ。

「(優しい子だな。料理も出来て、母親想いだ。もう少し強さが
あったなら、もっといい人間になれそうだ)」

とーらはこっそりそう思った。台所のテーブルの下から、そういう
光景を眺めながら。

もちろん入り込んでいるとーらの姿にまるで気づいていないの
だが、別に見つかったとしてもどうでもいい。
驚いて、ネズミが掘った壁下の穴を埋められてしまうかも
しれないので、バレないにこしたことはない。

「お母さん。起きないなら、朝ご飯冷蔵庫にしまっちゃうよ。あったか
トーストも、ひえひえになっちゃうよ。いいの?」

とーらも万里も知らないが、その呼びかけはふたえがしたものと
同じぐらい意味がない。
結局、万里は怒鳴ることも出来ずに根負けした。

「もういいや。あきらめよ」

独り言を呟き、台所へと戻ってくる。リビングと台所には殆ど仕切りも
ないから、振り返ればもうとーらのいる台所のテーブルである。

しばらく、パジャマ姿の裾。万里の足が見えて、それがオンボロ
冷蔵庫の方へと向いた。万里は小麦色の食パンを一つだけ口に
くわえたまま、冷蔵庫に次々料理を入れてゆく。

それにしても冷蔵庫の中身は一杯だ。人間の使うお金というもので
それを買うのだろうが、お金を持っていなさそうな万里の家の
冷蔵庫がなぜそれほどいっぱいなのか、とーらには理解に苦しむ。
冬眠でもするのだろうか? 十分それも可能な気がする。

とーらはテーブルの下から出て、万里が背を向けているときに
彼女の母親の所まで移動した。

「よっ……と」

絵理菜の膝の上に、ぴょんと飛び乗る。

「……」

絵理菜は気づかず、眠ったままだ。
とーらは膝の上に座り、じっとその寝顔を見つめた。

「……先代がお世話になった人。なぜか懐かしい匂いがする」

絵理菜のことは全く知らない。会ったこともないのだから当然だ。
それでも感じる、懐かしいような郷愁。

「長く生きて欲しいものだ……。精一杯、できるだけ」

眠る彼女の手に、そっと前足を乗せた。
祈るわけではない。ただ、願望として。

「また会いに来ます」

それだけ言うと、とーらは膝から飛び降りた。
素早く身を隠しながら万里の背後を駆け抜けて。
湿った泥にまみれながら、壁の隙間をすり抜けた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


油の匂いが漂ってくる自動車整備場。『河井モータース』
その軒先には、白衣を羽織った女の子が何やら、天体望遠鏡を
設置している。

真っ昼間の店先で、妙なことを始めている彼女を、まばらに通る
町の人が怪訝そうに見ているが、彼女はもちろん何も気にして
いない。

河井智恋は満足そうに頷いた。

「まぁこんなものね」

白い望遠鏡。どこにでも売っているものだ。珍しいものではないが
真っ昼間に使っているのは珍しい。星が見えるわけでもない。

ちょうどそんなところに、有沢高浩が通りがかった。メールや荷物が
詰まったザックを背負って、慣れたように軽快に歩いて。

ぱたり、とその足が止まる。

視線の先には河井智恋がいた。

高浩はしばらく、何か危険な動物に出会ったかのように視線を
重ねていたが、やがて無言で回れ右をした。

「ちょっと待ちなさい! 有沢研究員!!」

びくっと、有沢高浩の背中がわかりやすく硬直する。

「なぜ逃げようとしたの。私を見てから逃げるなんて、常識的に
考えれば、私にいらぬ誤解を与えることになりかねないわよ」
「……すっげぇ常識的で良いことだと思うわそれ」

苦々しくぼやきながら、高浩は渋々振り返った。5メートル程度か。
微妙な距離感を保ちながら、高浩は彼女に声を掛ける。

「またなんか、変なことやってんですか」
「変な事って何。科学というのは変なことでも真面目に追求する
ことが大事なのよ。でもこれは何も変な事じゃないわ。何が変なの
か、言ってみなさい」
「真っ昼間に天体望遠鏡持ち出していることが変じゃないの?」
「なぜそれが変なのか説明しなさい」
「だって、星も月もないだろ」

3メートル。ほんの少しだけ近寄って、高浩は言った。空を少しだけ
眺めて、何もないことを確かめる。

見上げれば、空だけがそこにある。どこまでも続く青い空。白い雲。
暖かな光を放つ太陽。

「星がない? あるじゃないの。星なら」

智恋も空を見上げた。すぐに視線を戻したが。

「どこに?」
「あそこよ」

智恋がまっすぐ、人差し指だけで指し示した方向。
そこには太陽があった。

「太陽は星よ。天体観測して何が悪いの」
「望遠鏡で太陽を見たら、目が潰れるって話じゃなかったっけ」
「太陽の観測方法も知らないと思ってるの? 随分愚鈍に見られた
ものね私って」

智恋は望遠鏡のスコープの部分を指さした。コンコンと、人差し指で
そこを叩く。

「フィルターが入ってるから眩しくないわ」
「……で、太陽を見てどうするの」
「太陽ってのはね、化学反応で輝いてるの。巨大な核融合反応の
固まりなわけ。それを観察すれば、核融合のヒントが得られるかも
しれないってわけよ」
「……核融合って……そんなこと考えてるのか?」
「なによぉ。核融合って格好いいじゃない。無限のエネルギーよ。
それさえあれば多分電気代とかタダよ。素晴らしいことじゃない」
「危険だろ」
「別に危なくないわよ。バケツにお水汲んでやってるから」

花火じゃあるまいし。

「素晴らしいわよ太陽は。燃え盛る巨大な火の玉。スケールの
大きいところとかたまらないわねー。核融合ってね、錬金術なのよ。
核融合で別の金属とか作れるのよ。実現したらなんでも作れて
きっと楽しいわよぉ」

望遠鏡のスコープを覗き込み、智恋はうんうんと頷く。
高浩は疲れたように。

「じゃあ俺のテレビも錬金術で作ってくれればいいのに」
「なによぉ。そんなことまだ根に持ってるの。ちっさい人間ねぇ有沢
研究員は。そんなんじゃモテないぞ」
「余計なお世話だ」

ぱっ、と、望遠鏡から目を離して、智恋は笑顔を見せた。
やや細めの眼差しを、少しだけ丸くして。

「研究員も見てみなさいよ。面白いわよ」
「いいです。まだ配達中だし」
「何言ってるの。研究は何よりも優先されるのよ」
「嫌だっての。ちょ、ちょっと」
「こっち来なさいよ! 遠慮なんかしないで」
「いいってば。ちょ、いててててててて!!」

高浩の頭にヘッドロックをかけるようにして、ずるずる引きずっていく。
すごい力である。高浩は苦しそうにばたばた両手を暴れさせているが
全く歯が立たないほどに。

「痛い痛い痛い!! ぐああああああああっ!!」
「もー、そんなに痛くしてないのに大袈裟だなぁ」
「本気で痛いわ馬鹿たれ!! あっ頭蓋骨が軋んだぞ今!!」


とーらはそんな光景を、河井モータースの真正面の家から眺めて、
そしてまた、走り出した。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


森。

湿っぽい土の匂いが、木々に包まれて充満する。何年もの間に
降り積もった木の葉が腐り、柔らかな寝床のように敷き詰められて。
樹液の匂い。雨の匂い。朽ちた草の匂い。そして若芽の匂い。
死と生がすべて存在する森。

ぱき、と、道の小枝を踏む音がして、とーらはそちらを振り返った。
人間の足音である。警戒するほどのことはなかった。その足音には
聞き覚えもあったし、何より『その匂い』がした。

その人物は立ち止まり、涼やかな声を上げる。
透明感のある声で。

「地面にエゾモモンガか。珍しいと思ったが、とーらと言ったかな。
高浩と一緒に来た」

とーらを見つめて、彼女はほんの少しだけ笑う。
赤の簡易的な法衣を身に纏い、輪袈裟をかけた黒髪の女性。

吉野千歳だった。

「どうしたんだ、こんな所で。歩き回ると、罠にかかるぞ」

裾を汚さないように気を付けながら、しゃがみ込む。とーらに対し、
優しく声を掛けながら。

「お前は、人なつっこいな。私が怖くないのか?」

指を出してくる。白くて綺麗な細い指。
とーらの頭に触れ、ぽんぽんと撫でる。

怖い、怖くないという感覚自体がとーらにはなかった。人を恐れる
意識自体がないから、理解も出来ない。
何しろ……そうだ。

「高浩は何をしてるんだ? お仕事中か? お前はひとりぼっちで
寂しいか」

言葉というのは、自分から相手に発するだけの物ではない。
自分に対し確認するためのものでもあるのだ。

なぜ自分の声が聞こえるのか。考えれば、そう理解できる。
とーらも思った。寂しいかと問う彼女は、寂しいと感じているのかも
しれない。無意識にか。有意識にか。

「私は、どうも最近集中できないことがある。さっきも香を焚いて、
心を静めようとしていたのだが、どうしても胸が騒ぐのだ。これは
何なのだろうな。何かがしたい。何をしたいか、わからないのに。
私は何がしたいのか、私は、何が知りたいのか……」

傍目からも、彼女の悩みの深さは伺い知れた。
とーらは千歳の人差し指を前足で掴み、ぺろぺろと舌で舐める。

思い悩んで、辛くなるのは人間らしいこと。
楽しくもあり、辛くもあること。

「高浩に尋ねたいと思うんだ。不思議だな。彼に聞きたいことが
たくさんある。でも、聞くべきではないような気もするのだ。とーら、
お前はどう思う?」
「……」

とーらは答えなかった。
高浩はきっと、千歳と同じように考えているだろう。高浩はそれを
放っておけない。性格的に、それをそのままにしておけない。

難儀なご主人だ。

だから、きっと何も心配いらない。

「あっ……」

千歳の悩みは、きっとご主人が聞いてくれる。そして答えを出す
だろう。それが正しいか、間違っているかなどはわからないが。

だから、駆けだした。

これ以上彼女と話すこともない。することもない。
とーらは、一気に走って山を駆け降りる。

「……っ……」

千歳の言葉が、森のざわめきにかき消される。

彼女はしばらく、森の風に包まれていた。まだ青い木の葉が
はらはらと舞い散る。

「モモンガに尋ねても、お門違いだな」

苦笑して、千歳はとーらとは反対の方へと向かう。
山の奥へ向かう道を。心地よい澄んだ風に包まれながら、
ゆっくりと歩いていった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


その墓には、いつも新しい花が供えられている。

その墓には、いつも常葉町の風が触れている。

とーらはその墓の前で、一瞬だけ立ち止まった。

微かに思い出す記憶。そして時間。とーらはまるで飛び越えるような
気持ちで、その記憶を振り切った。

その墓に眠るのは先祖。
その墓に眠るのは、ご主人の父親。

ただそれだけだ。感傷に意味はない。感傷に意味なんかないのだ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「あれ、あんたいつの間に帰ってたのよ」

銀の器から、木の実を手に取りつつ食べているところで、上からそう
話しかけられた。Railwayの玄関から、身体を少し出している少女。

横で結んだポニーテールの少女が、とーらを見下ろす。

「ふたえさーん。モモンガ、戻ってきてるよー。木の実食べてるー」

くるりときびすを返し、少女はRailwayの中へと入ってゆく。
掃除でもしようとしていたのか、その辺にほうきを置いたままで。

Railway。
時刻は12時を迎えようとしている。

そろそろ、高浩も配達を終えて帰ってくる頃だろう。それを待ちかまえ
るつもりなどない。ただ、もっと見ておきたいと思う。

どんぐりを頬張りながら、とーらは耳を澄ました。
足音が聞こえてくる。それは弾むような、軽やかな足取りで。

玄関の扉が、再び開く。今度はとーらを気にすることもなく、少女は
誰かを捜す仕草をした。少しだけ期待するような、そんな眼差しで。

やがて、足音が大きくなる。少女は、わざとだろうか。
不機嫌そうな声を出した。どうでもいいような、そんな表情で。

「あ、高浩も帰ってきた。お帰りー。おつかれ。遅かったじゃん」
「大変だったよ。智恋さんに捕まってさ」
「ふーん。ま、私には関係ないけど」
「お前な。少しは労れ」


少し汗をかいて、疲れたような高浩が足元を見やる。その視線の
先に、とーらを見つけて。

「とーら。ただいま。飯喰ってるのか」

そう。彼は言う。

「きぃ(ご主人、お帰り。早かったな)」



空は華やかに晴れ渡っている。今日は、少し暑くなるような気がした。




(28)終

(29)へ続く
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| 連続小説 Way to the BLUE | 22:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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28話掲載の延期

今週末は出張仕事でそもそも家にいないため
休載します。行き先は東京の奥多摩の奥のさらに奥……
(このネタがわかる人はディープなエロゲーマーですね)

| モブログとか | 08:52 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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Way to the BLUE 27話

(27)



風の音に絡まり合うように、遠くから運ばれてくる波の音。
濃紺の空に輝く銀星。合間の虚無に、等しいほどの夜。

影同士が融け合い、黒い雪に覆われたように道を覆い隠す。あたかも
そこにある何かを隠すかのように。
夏草が騒いだ。まるで夕立の始まりの音。
匂い立つ、むせ返るような青さ。

そこに想い描く物を束縛しない。

高浩は歩きながら、そんな夜空を眺めていた。夜空はまごうことなく
完璧な空であり、果てであった。輝く星々は息を潜めている。

星座を思い出そうとする。
記憶の中の線を繋いでいくのだ。満点の星たちの中から、選び取る
ことでそれを作り上げる。

星座は占いであり、科学であり、文学であり、歴史だという。

そこに紡がれる道一つに意味がある。万年の思いがある。古来より、
人は道を記してきたのだ。その道は意味となり、人々はそれに祈り、
それを畏れ、それを考え、そこに果てのない宇宙を想う。
星を見上げながら広大な砂漠を旅し、
星を見上げながら大海原を進んだ。

自分は今、どの星へ向けて歩いているのだろう。

高浩は落ち着いていた。Railwayのドアの前に立っても、それほど
大きな動揺を覚えたりはしなかった。それは、例え何かが過去を
大きく変えたとしても、今現在、ここに高浩自身が居ることを変える
ことはできないような気がしていたからだった。

幾十度の人生があったとしても、そう。どの歴史の中にも、自分が
ここにいるであろうことを予感する。それは奇異だろうか――?
錯覚だろうか――?


高浩はRailwayの扉を開けた。扉は言うまでもなく無施錠で、軽い
音を立てて開いた。カラン、とドアベルの音が鳴る。


ふたえはいた。

すぐそこにいた。


高浩の部屋へ続く二階への階段の前に立ち、見上げていた。

「……」

言うまでもなく、高浩が扉を開けて入ってきたことに気づいただろう。
気づいているはずだ。いや、もしかしたらずっと、もっと遠くを歩く
その足音で気づいていたかもしれない。

藤ノ木ふたえは、まるで祈りを捧げる巫女のように自然に、自然体の
姿勢で立っている。両の手を下腹のあたりに重ねて、お辞儀でも
するかのような雰囲気で。

高浩に背を向けたまま、ふたえは立ち尽くす。彼は、彼女がもしか
したら立ったまま眠っているのかと思った。

それほどに静かに。まるで彼女自身が、Railwayの一部であるかの
ように。一瞬なら、そういうデザインの彫像と言われてもわからないかも
しれない。完璧に美しい姿で……暗闇の中、光を避けるように。

「ふたえさん」

呼びかける。高浩は、振り向いて貰いたかった。
振り向いていつものように、おかえりなさいと言って欲しかった。

それはわがままだと知っている。ふたえに、いつもそういう姿でいて
欲しいなどと願うことはわがままなのだ。

どんなに優しい彼女でも、怒りを覚えたり子供のように振る舞ったり、
そんなことはあり得る。それを、高浩は間抜けなことに、今更認めた。

『人間なら誰だって』見せる姿を、彼女は見せないと。
ふたえは完璧な人間などではない。完璧な人間などどこにもいない。

彼女は微動だにしない。そこに立ち尽くしたまま、二階へ続く階段を
見上げている。

(馬鹿かよ。俺って……)

妖精の世界から来たように、優しく美しいふたえの後ろ姿は、今更
人間らしく映った。今更……。そう理解して、高浩は頭を振る。

唐突に、声が聞こえた。

「……Railwayの二階から、誰かが降りてくるような気がするの。
いつも」

それは問いかけなのか。報告なのか。それとも夢想か。願望か。

「当たり前だけど、誰も降りてなんかこないわ。今は高浩くん。
あなたを除いて。それが当たり前なのに、私の見えない景色の
中には、階段を下りてくる人の姿がある」
「……それは、俺の親父?」
「そう。浩樹くん。降りてきて、こう言うの。『気が向いたから帰って
きたよ』って」

父親は旅好きというか、一カ所に留まることを良しとしない性格
だった。たくさんのものを見たい。この世の綺麗な物も、そうでない
ものも余さず見て、カメラに収めたいと願っていた。

「Railwayの中央のテーブルで、お姉ちゃんも一緒にお話するの。
面白い話をたくさんしてくれるのよ。いろんな場所の、いろんな花の
話や、優しい人に出会ったこととか、大きくて広い空の話とか、岬で
見る朝焼けの話。私は聞いているだけで、その場所に行けたような
気がした」
「……親父が話すことは、いつだって抽象的だったよ」
「それは、優しい人だからなの。それが優しさなの」

そういうものだろうか。
高浩には、そう感じる理由が解らない。何か、ふたえが答えを美化
させて、勝手に作り上げた物にすがっているかのようにさえ思える。

ふたえは、ため息をついた。大きく、ハッキリと解るように肩を落とす。

「私、いつも人を追いつめてしまうわ」
「え?」

背を向けたままそう虚空に呟いた彼女。

「美砂ちゃんが悪いわけじゃない。私が、いつだって悪いの。生まれて
来たときから、ずっと。私には……失って、取り返せないもの……」
「……何のことかわからないよ」
「高浩くんは理解しなくてもいい」

ふっ、と、高浩の中に沸き上がる炎。
小さく焦がすような感情の熱。

「俺は、知る権利もなく、何も知らないまま、そのまま生きればいいと」
「……」
「俺はそんなに必要とされていないのかよ」
「……ちがうわ。ただ、知ることと理解することは違うという事なの」
「意味が解らない。知ることも、理解することも同じだ」
「知っていてもいい。でも、理解なんかしなくたっていい。人は間違える
ものだって、あなたは知っているでしょう? だけど、間違えるものだと
理解してしまうと、それは言い訳になる。高浩くんは否定していいの。
私のように、本当のことを指摘してくれたり、気遣ってくれたりした友達
を、怒鳴って追い出したりしたことを」
「それは違うって。誰だって言われて腹の立つこともあるし、ひとつ
ぐらい言い合いしたところで、それがどうだって言うんだ」

友人だというなら、そんなものは笑って済ませてしまえばいい。
背を向けたままのふたえに、高浩は強く言った。

「どうだって言うんだよ。そんなこと!!」

彼女が、母親と同じぐらい歳の離れた人だという事を忘れながら。

「そんなもので、ふたえさんを嫌いになる人がいるもんか。俺は
……よく状況は解らないし、どんな因縁があるのかも知らないけど、
それでも確信はあるよ。ふたえさんは、優しい、良い人なんだって」
「……」
「俺の父親は、ふたえさんに優しかったかもしれない。俺にだって、
そんなに悪い父親じゃなかったかもしれない。ただ、母親に対しては
違う。父親は、追いつめていた。誰にだってそんな面ぐらいある。
ふたえさんは誰にも、自分にも、完璧であることを求めすぎてる
だけじゃないか! 誰だって怒ることぐらいあるのに、それにクヨクヨ
するなんて!」
「……そうなの……かもしれないわ」
「そうかもじゃない。ふたえさんはそうだよ。人に優しすぎる!」
「……」

くるりと、ふたえは振り返った。
真っ暗なRailwayの中で、彼女の白い姿だけが浮かび上がって
見える。美しい亡霊のように。

「そんな風に思ってくれて、すごく嬉しい」

目を閉じたまま微笑んだ。少し困ったような微苦笑である。
子供を諭すような笑み。それが本当に似合っていた。

「でも、私は昔から、本当にたくさんの間違いをしてきたの。今で
さえ……」
「……(今でさえ……?)」
「今でさえ、間違い続けている。高浩くんはずっと、まっすぐだね。
私なんかより、ずっと……。それは素晴らしいことだわ」

理解できるような出来ないようなことを言う。

ふたえは、ゆっくりと近づいてきた。足音を立てて、闇の中を。
そして高浩の前に立ち止まり、手を伸ばしてくる。

白い手が高浩の手に伸びた。冷えた手で、高浩の両手を包み込む。
本当にぞっとするほど冷たい。
血を失ったように白いふたえの肌の白さに、高浩はこみあがるような
切なさを覚えた。雨に打たれて凍える子犬を見たような切なさを。

「ここに、夢がある。高浩くんの手の中に、大きくて暖かい夢が」
「……」
「間違ってばかりの私には、それは掴みきれなかった。高浩くんには
必ず見つけて欲しい。ここにある夢。ここにある未来」
「わかりませんよ。そんなこと、俺に……」
「大丈夫。いつかきっと、わかるから」

ふたえは手を離した。そしてうつむく。

「励まされるなんて思ってなかった。高浩くんに」

それは非難しているのだろうかと高浩は思ったが、違ったらしい。
ふたえは笑っていた。愉快そうに。

「16歳も年下の子に。私、きっと子供っぽいのね」

高浩から見れば頭一つ分小さいふたえ。
今更気づく。そう、彼女のことを……

高浩は彼女を、心底信用している。
多分、世界中でふたえだけは、いつまでも自分の味方でいてくれるに
違いないだろうという勝手な考えが浮かんでくる。

「ふたえさんは、みずほのお母さんのこと……許してあげるよな?」
「……許すも何も、私が悪かったのよ」
「美砂さんは、帰りに話してくれたよ」
「……」

顔を上げる。
ふたえは、驚いたように。

「なんのことを?」
「美砂さんが、昔、孤児のように人に預けられて、辛く暮らしてきた
こと」
「……その事……」
「家出するように旅をして、行き倒れそうになったときにふたえさんに
助けられたこと」
「ただ、仕事や住むところを紹介してあげただけよ」
「その恩返しを、未だに何もしていない。だから、ふたえさんに幸せに
なってほしかったって」
「そんな事は考えなくていいのに。美砂が幸せに暮らしてくれれば、
それで私、とても幸せなのに。なぜそんな事を」
「俺も同じ意見だよ」
「……」
「ふたえさんが幸せになってくれればいいと思う。昔何があったか、
それは知らないけど。ふたえさんは幸せにならなきゃダメだ」
「……そんな事……ないのよ。本当に」

頑なに、ふたえは首を横に振った。

「私はいいの。今のままでいい。何もいらないの」
「ふたえさん……何が、そこまで……」
「何もないわ。ただ、恩返しとか、そんなものは必要ないし、すべき
じゃないの。深く知りすぎれば、失うこともあるんだから」
「……失うって、何を」
「光を」

顔を上げて、ふたえはじっと高浩を見た。
その目の中に意味はない。なにもない瞳に、闇が沈む。

問い返した。

「光? ……目のこと?」
「関わり合いにならなければ、今ここに私はいなかったかもしれない。
でも、それで何人かが救われたかもしれない……。
結局私は死にもしないで、こうして光だけを失って……」
「ふたえさんがいなかったら、俺は悲しんだよ」
「……あ……」

高浩が不審がって、見上げると。
ふたえは少しだけ驚いたように、目を見開いていた。口元が震えて、
言葉を紡ごうとしているのが解る。だが、うまく出てこないようで……

何かあっただろうか。

「高浩くんが……悲しい?」
「……え?」
高浩はそのふたえの表情に、逆に驚いていた。何か気に障った
だろうか。特別なことは何も言っていないはずなのに。

ふたえは動揺を隠せない様子だった。そのうち……


全く、この場に似つかわしくない音が聞こえる。
唐突に。


  ぐぅ

「……」
「……あ」

呟いたのは高浩だ。高浩の腹から聞こえた音に、ふたえは表情を
突然和らげた。

腹が鳴ってしまった。こんな真剣な話をしていたときに。
悔いてももう遅い。大体、ずっと何も食べていなかったのだから
生理現象としてそれは仕方ないだろう。

「いけない。そうよ、お夕飯を作っている最中だったわ」
「そういや、腹減った……な」
「ごめんなさいね。私と美砂のことに、巻き込んでしまったわ」
「そんなことはいいよ。クッキー食べたから、そんなに腹減って
なかったんだ」

実際には、ひどい空腹を持て余していたわけだったが……。

「すぐに用意するわ。席に座っていて。ああ、ごめんなさい。
Railwayの表の札、まだ裏返してなかったの」
「ああ、いいよ。閉店にしておくから」
「美砂の持ってきた明太子を、パスタにからめてみるわね。
お店の作り置きのパスタを使うからすぐにできるわ」
「美味そうだ。是非お願いするよ」

ええ、と頷いて、ふたえは調理場の方へ戻っていった。

「……」

後ろ姿が厨房に消え、高浩は虚空を見つめることになる。

最期の言葉の意味。
それをじわりと、考えながら。

「(……何のことなんだろうな……俺が悲しくて……って)」

ふたえが見せた驚くような表情は、どういう意味があったのか。
高浩はそれを掴み取れないままでいる。

電気が点く。別にそれで何かが見えるようになるわけでもないが、
ふたえは厨房に入る際には必ず電気をつける。

Railwayの中はようやく明るくなった。

……思案から解き放たれる。首をひねり続けても、どうにもならない。

「開店札ひっくり返すか」

やはり明るいと気持ちも変わる。ふたえもきっとこの明るさを感じ
られたなら、陰鬱な気持ちになったりしないだろうに。

……それは無い物ねだりなのだろうか。

苦笑しながら高浩は、玄関の扉を――

開いた。

「……」

開けたまま、硬直する。じっと見下ろし、そして。
唐突に目が合う。ちょっとずれたようなサイドポニーテール。
その瞳には……戸惑い。

まるでバランスでも取るような、中腰の変な姿勢で、先ほど
別れたはずの木桧みずほがそこにいた。1時間ほど前に別れた
彼女が、なぜそこにいるのか……。

意味が解らない。意味が解らない理由は、もう一つ。

下。

「……何してんだ……? これ……」

地面に、べったりと身体を密着させてまるで潰れているかのように、
木桧美砂がそこにいた。

カエルのようである。まぁ……それは、土下座と言うべきだろうが。
みずほに問いかけ、彼女もためらいながら答える。

「……見れば解るじゃない」
「いや……シチェーションが主に意味不明で……」
「謝ってるのよ」
「……誰に?」
「ふたえさんに」

一言も発さないで、べたーっと地面に突っ伏している姿はどうも
寝ているようにしか見えないのだが。

「ふたえさんは、全く気にしてないようだから。帰って良かったのに」
「だって、お母さん。どうしても……謝るって。突然、今からって……」

まぁ、酔ってるのだろうが。酔っていると突然、プロセスも何もすっ飛ば
して、変なことを始めたり言い出したりするものだ。

「高浩くん。できたわよ。……誰かと話してるの?」

思いのほか早く、料理が出来たようだった。ふたえが厨房から出てきて
高浩の姿を探している。すぐに、気配というか、わずかな高浩の動きを
聞き取って居場所を見つける。玄関にいる高浩を、ふたえは不審がって
いた。

「どうして扉の所にいるの?」

皿に美味しそうなパスタを乗せたまま、ふたえが扉の所までやってくる。

「いや、あの……」
「ふたえさん! えっと、お母さん……」

高浩とみずほが同時に、話そうとする。
声を聞いて、ふたえも驚いた顔を見せた。

「みずほちゃん? どうしてここにいるの?」
「お母さんもここにいるんです」
「美砂? どこに?」
「土下座してるんですよ。寝たまま」

高浩が状況を説明してやると、ふたえは珍しく、眉をひそめた。

「……何をしてるの?」
「いや、酔った人の行動は唐突なもんですし」
「美砂、ほんと……バカなことをして」
「すみません。お母さん、アホで」

みずほが頭を下げた。アホということは無いと思うが、少々、
それは情熱的すぎるかもしれない。

「もういいよな。ふたえさん」
「……そんなの。美砂は……。明日、私の方から謝るわ。今日は
もう遅いから」

目の前に本人がいるときにするような会話でもないが。
それでも、代理として聞いたみずほはホッとしたようだった。

みずほはよほどふたえのことが好きらしい。姉のように言うこともある。
だから母親がふたえと対立してしまったりしたら、辛いのだろう。

「ふたえさんごめんなさい。お母さんのこと」
「いいのよ。美砂がちょっと飲み過ぎただけなんだから。でも、お酒は
やっぱりダメね。美砂は止したほうがいいわ」

それ以上、どうしようもない空気を感じ取ったのか、非常に建設的な
ことを高浩に提案してきた。

「高浩くん。ごめんなさい。美砂をお願いしてもいい?」
「ああ、いいですよ。そもそも完全に寝こけてしまったら、みずほ
一人で運べやしないですから」
「悪いわね」

珍しく、みずほも謝辞を述べた。初めてなんじゃないだろうか。
高浩に感謝を表したのは。

ふたえの手の中の暖かなパスタがとてつもなく魅力的ではあったが、
高浩は後ろ髪引かれる思いのまま、美砂をかつぎ上げる。

「結局、荷物配達ですね。今日さぼった分の」

ふたえは吹き出した。みずほもちょっと笑って、頷く。

「そっか。そうよね。これは仕事なんだからしょうがないよね」

今日やったことの大半は、どうでもいいことばかりだった。
仕事らしいことも何もしていない。

最後には、酔っぱらいを担いで二度運ぶというだけ。
何か、変な事ばかりしてきた気がする。みずほに勉強を教えて、
遊花の母親にも会って……。

「今日が特別な日のような気がしてきたよ」

みずほにそう言った。彼女は、ん? と首を傾げたが、当たり前の
ような表情で応える。

「毎日って、いつでも特別なものよ。だって一生に一日しかないもの」


理屈で解っていても、それをそう感じられるかどうか。
高浩は苦笑した。泣いて笑って怒った後のように、ただ痺れたように
疲労した心を引きずらせて、木桧美砂を彼女の家に配達しに行った。

それが今日、最後にあった出来事だった。


(27)終

(28)へ続く

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