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Way to the BLUE 45話

(45)


現実と現在。

状況を表す言葉も、時を表す言葉も、ここにあるすべてのこと。
いわゆる血であり肉であり、骨である人間の、生きることのすべて。
それを過去と混ぜてはいけない。未来と擦り合わせてはいけない。
震えるような暗く重たい夢想で、リアリティを失わせてはいけない。

のし掛かるような空気。

この場所は過去ではなく、未来ではない。
風のない淀んだ現実であり現在。
空想と理想の狭間にある重苦しい遊園地である。

問題は、それをどうやって受け入れていくかというもの。

華やかな光と音。うっすらと聞こえる祭り囃子が、波のように揺れる
意識や感情の中で、ためらいなく染み込んでゆく。
あれは4年前か。あれは9年前か。いや、13年前か。

自分を中心とした半径1メートルは、もしかしたら、時の刻みから
取り残されているのではないか?
そういう馬鹿馬鹿しい話を思い浮かべることもある。

それはまるで、断崖絶壁で細い糸にぶら下がるようなものだ。
現実を信じること。認めることというのは、その糸の強度をどれほど信じ、
頼れるか。それだけなのだ。
言葉ではない。無言でしがみついて、ただ信じ、離さない。

数多くの人はその糸を夢と呼ぶ。理想と呼ぶ。
ついに現実や現在の魔力に絡め取られないものとなる。

私には、いや、僕には。
俺には。

君には。

現在は、どんな現在として見えているのか。
遠く暗い明日などではない。

今の、ほんの1秒間が、あなたにとって何色の世界なのか。

それが聞きたい。

何一つ考えることができない、からっぽの頭の中で。




<空想や夢想とは違う。過去は過去として存在する。
無意味であろうと、残酷であろうと、過去は過去として……。
なぜそんなに切なくも、悲しくも、過去は有り続けるのか>

そうだ。過去は何も語らず……

時間と記憶の狭間にゆらゆらと揺れている。

自分という存在のためだけに、

そこにあるだけの静かな泉のようなものだということを。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




「どうして?」

本来は結婚すれば、同じ名字になるから。

「ああ、そういうこと。どうしてって、それは、そうじゃないから」

そうできない理由は?

友達に言われる。
そうじゃない。それだけではないけど。

ケーキを食べて、海岸で貝殻を拾った。

……結婚していない。

Railway。

線路は決して交わることなく、平行線のまま。

万里の問いに答えたとき、木桧みずほの胸には、チクリとした
痛みが走った。
これは、例えば一人で部屋でゲームをやっているときにふと、
ふとしたことで思い出すのとは違うのだと気づく。

「わからないな。だってあんなに仲がいいのに」
「でもほとんど帰ってこないし。文字通り飛んでるし」
「なにか理由があるんじゃないの?」

心の中に、言ってしまえば焦燥のようなものが湧いてきたのに
みずほは気づいていた。先ほどからの話。
万里は暖かいカフェオレにさらなる砂糖(4杯目だ)を投入し、
銀色のスプーンを差し込み、くるくるとかき混ぜながら。

どこか彼女も不満そうに。
そう、それはみずほに言いたいのではなく、どこかの誰かに
訴えかけるように。

「仲が良くて一緒に住んでて、みずほちゃんって子供がいて、それでも
結婚してないなんて。うちなんてさ、結婚してたって……」

こんな話を、カウンターの向こうにいるふたえは、どんな表情で聞いて
いるのだろう。笑ってるのか。聞き流しているのか。

あるいは……


「あのさ、万里」
「ん?」

少なくとも私には笑えない。
その理由も知っているし、自分が生まれてきた経緯だって知っているから。

「あんた、母親に泣きながら抱き締められたこと、ある?」

言ってから、バカみたいだなと思った。

だから、なんだって言うんだ。

仮にわかってもらえるとしても、あんな苦しくて悲しいことを
親友に理解させたいなんて思わないのに。

私はバカだな。

いつだって、言ってから後悔して……。

後悔して、こんな自分が嫌になって……。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「私はバカだな……いつだって、言ってから後悔してばかりで」

ふわふわとする足元に気を付けながら歩く。
人混みがまるで向かってくるように流れてくるが、その隙間を
すり抜けて歩く。いや、実際にはぶつかりながら歩いているのだが、
熱のせいかぶつかっていることもあまり感じない。

みずほは、部屋着にパーカーを着込んだだけの格好で祭りの会場へ
来ていた。

「ふぅ。こほっこほっ」

咳払いというか、腫れて詰まった気管が鬱陶しくてついむせてしまう。

熱があって咳が出て、どちらかといえば喘息で。

つまり風邪は治っていない。
数時間で治るわけもないのだが、全く体調は良くないと認める。

もちろん言うまでもなく、外を出歩くような状況ではないのだが。

「腹立つわ」

別に腹を立てているわけでもなさそうな口調で、木桧みずほは呟く。

「だって、出掛けようとかなんとか言われて断ったら、それはそれで
なんか悪いことしたような気がするでしょ。しないわけないじゃないの。
っていうか」

一瞬言い淀んでから、熱く吐く息に言葉を乗せた。

「お祭り好き……だもん」

それにしても、熱病にうなされるような状況とはいえ、
人間、その気になればこんなに歩くことができるものだなぁと
みずほは自分に感心しつつあった。

20分も前に進んでいる。

自分は頑張れる。
あまり頑張ったことがない割には。

20分どころか、20年も歩いたような気分だ。

木桧みずほはお祭りが好きで、地元で開催されるお祭りには
どんな時でも必ず参加していた。別に何か特別やりたいことが
あったわけでもなく、とにかくこの雰囲気が好きで。

それでいつも参加していた。

今年は、長い長い参加歴の中でも一番辛いかもしれない。
一番、辛くて……

それでも、来たくて……

そして、ようやく見知った人の背中を見たときには、苦しさとは別の
込み上げるような熱い感情が浮かんできた。
ようやく見つけることができた。
ここまで苦労して歩いてきて良かった。
早く声をかけて、振り反って、そして……

そして?

そして、何が……どうなるのだろう……?


口を開きかけて、

しかし声は出なかった。


祭りの会場の中心付近に位置する、やぐら太鼓と一緒にある
粗末な木組みのステージの上に。
ステージの上にもう一人、見知った顔の……そう、親友がいて。

その親友は、まるであの日の彼女と同じように、泣き出しそうな
表情で立っていた。

あの日の彼女?

それは……親友の顔?

それともあれは……



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「エントリーナンバー6番、吉田さんでしたー! 皆さん盛大に拍手を!」

あまり盛大とは言えない拍手が起こる。

祭りのステージを中心として客の席と飲み屋の屋台が広がり、おのおの
ビール片手に楽しんでいるわけで、さほどステージのほうへ注目している
わけでもなかった。

こういう状況なら、万里が人見知りでもさほど問題はなさそうだと
高浩は安堵していた。

「では次7番の方、月方万里さんどうぞー」

……安堵していたが。

「はははははっはははい」

そういう問題ではないと気がつくのに、たいして時間はかからなかった。
声しか聞こえてこない。

会場が少しずつざわめき始める。

「あー完全に上がってるね。しょうがないね」

智恋は気楽そうな感じで、メロンフラッペをつつきながら。

「いや、そんな気楽な感じで言ってる場合じゃないし」

まだ出てこない。
やがて、舞台の下から誰かに押されるようにして、無理矢理彼女は
連れてこられた。

フリルつきのチェック柄のミニスカートにニーソックスとリボン。
胸元にも同じようなフリルとリボン。
いつの間に着替えたのか、そんな格好の月方万里が、真っ赤な顔で
チワワのごとく小さく震えている。

高浩は、眉間にシワを寄せて智恋に聞いてみた。一応。

「……あの服は一体何だ」
「あれ? お母さんが買ってきたんだけど、着られなくて」
「誰が」
「え? 私が」

あの服を買ってくるのもどうだろうという気がするが、娘に着させようと
する親もどうだろう。
どう考えても智恋に似合うはずもないし、似合ったらそれはそれで嫌だ。

「しょうがないんでお母さんが着ようとしてたけどそれはそれで
サイズが合わなくて」
「じゃあ何で買ったんだ」
「なんとなくじゃない?」
「てかちょっと待て。あの服を着るとか言ってる母親はいくつだ」
「42歳だけど?」

平然と言うから困る。

高浩がめまいを感じていると、千歳にぽんぽんと肩を叩かれた。

「た、高浩。あの服、私には似合うだろうか?」

めまいを通り越して倒れそうになる。
どうしてこの二人は全く状況を理解していない!!

しかし、そんな高浩の様子は気にせず、吉野千歳は上ずった声で喋る。

「女の子というのはああいう格好をしたほうがいいのかもしれない」
「千歳さんは和服のほうが似合ってますよ」
「そうだろうか。歌謡曲の番組にすごく人数の多いグループが出ているのを
見たが、男性に人気あるのだろう?」
「あるって話ですね」
「私も着てみたい。どこに売っている」
「いや、今はそういうこと言ってる場合でもなくてですね」

矛先は川井智恋の方に向いた。

「智恋。どこに売ってるかお母上に聞いてくれ」
「え、あれ歌い終わったらもらっちゃえば良くない?」
「サイズが合わないだろう。スカートから下着が見えてしまうぞ」
「ばっかだなー千歳。あれは見せてもいいんだってよ」
「そうなのか。世の中奇妙なことばかりだな」

とりあえずそっちは置いておいて、
高浩は壇上の彼女に目を向けた。

可愛そうなぐらい涙目で、カタカタと震えている。

「万里、がんばれ!!」

叫ぶと、万里の視線がこっちを向いた。
しかしそれはむしろ逆効果だったかのように、一層真っ赤になって
両手をぶんぶん振って×印を作った。

「月方さん、歌われないんですか?」

司会の主婦が優しく声を掛けるが、万里は固まったまま動けない。

「歌われないのであれば、次の方を呼んでしまいますが……」

それはまずい。
万里とは対照的な表情で、高浩は大声で叫ぶ。

「万里、歌ってくれ! なんでもいいから! 歌ってくれなきゃ……!」

大惨事が……。

そう言おうとした瞬間だった。

「歌いなさいよ!! 万里!! あんた、やりたくてやってんでしょ!!」

背後から声が上がった。
聞きなれた声。

少し鼻声の叫び声だった。

壇上の月方万里が、ハッとして客席を見た。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「(どうしてこんな恥ずかしいことしなくちゃいけないの?)」

君には才能がある

「(無いよ!! そんなの無いよ!! あるわけない!!)」

君には持って生まれた才能がある

「(才能ってのはみずほちゃんが持ってるのだよ!! 私は何も持ってない!
みずほちゃんのような、努力しなくてもなんでもすぐにできるようになるような
あんな才能なんかない! 私ができることなんて!!)」

君は歌を歌うべきだ

「(どうして? どうして私なの? 私は何の才能もないのに、それなのに
みんなが期待してたら、絶対にガッカリさせてしまう。高浩さんは知らないんだ。
私がどれだけ何もできない子なのか知らないんだ。それとも知っててそんなことを
するような残酷な人だったんだ。いや、違う。人を恨むなんて違う。私のせいだ。
期待に応えられない私のせいで、みんなが悲しんで)」

万里、歌いなさい

「(そんなことができたらこんな悲しい気持ちになんてならない。ひどく打ち
のめされて、情けない思いを抱いて、何もできなかった私の事を罵って、
それで気が済むならそれでもいい。だから、早く終わってくれれば)」

あなたがやりたかったことでしょうが!!

「!」

万里は、閉じていた目を見開いた。

少し離れた客席に、高浩の姿と。その後ろに



……親友の、木桧みずほがいる。
まるで走ってきた後のように、肩で息をしながら。

「みずほちゃん……」



身を乗り出すようにして、彼女は大きく口を開いた。

「万里、あんた歌わないなら、二度と口聞いてやんない!! あんたが、自分の事を
隠し続けるつもりなら、もうトモダチだなんて絶対に言わせない!! 誰かの期待に
応えるためにあんたが存在してるとでも思ってんの? 思い上がりもいい加減に
しなさいよ!! 自分の道を自分で切り開くのが怖いだけのくせに、人のせいに
ばっかりして! そういうとこ、本当にムカつくのよ!! ずっと思ってたんだからね!
ずっとわかってたんだから!!」

ふらつき、よろよろと高浩の肩にもたれ掛かって
それでも叫んでいた。

「歌え!! ちゃんと歌え!! 本気で歌いなさい!! いっつも本気でなにか
するわけでもなく、お母さんがいるからとか、あたしがいるからとか、理由ばっか
つけて、逃げて! できることだって! できないことだって! 全部……!
できることはやりなさいよ!! あたしに対して、どんなふうに思ってるか、
あたしが気がついてないとでも思った!?」

最後の言葉は、吐き捨てるようなものだった。かすれて、うつむく、
その頬に長い髪の毛がはらりと、かかる。

「……みずほ……?」

彼女を抱き抱えようとした高浩だったが、手で払い除けられた。
荒く息をつくみずほが、膝に手を当ててうずくまる。

「あたしじゃない。あたしじゃないでしょ。あたしは、あたしに失望しても、
万里には失望してなかったのよ。それが、なんだってこうなるのよ。友情?
バッカじゃないの。恐れてただけなのに、万里もあたしも……常葉町で……
たった……ふたりで……」

うずくまる木桧みずほの表情はわからない。ただ、抑揚の無い声で
そんな風に話す彼女は、悲しんでいるような、
いや、後悔しているようでもあった。

何に対してかはわからない。

高浩はステージの上に視線を移した。
そこで、彼女と視線が交錯した。




万里には、人混みの中でみずほが倒れたように見えた。

「みずほちゃん……!」


半歩右足を出したが、そこから動けない。

「……!」

涙が出そうになる。
友人が叫んでいたことは、まぎれもなく本心だろう。
万里は今更ながらに、心底、本当にその文字の通り、
心の底から木桧みずほとの出会いを、二人で過ごした時間を、
貴重なものだと感じていた。

すれ違ってなどいない。

わかっていた。

わかりあっていた。


彼女に対する嫉妬や、羨望の想いが劣等感と卑屈な精神に現れていたこと。

私が知っている木桧みずほは、


……私が知っている木桧みずほは、あらゆることに才能溢れる少女で
しかしその才能をもて余して、何もしない。何もできない。
鋭く煌めくような感性も生かす気持ちがない。そういう人だから、

できれば、そう、できればそのままでいて欲しいと。

私のような普通の才能しか持たない人間と、できれば一緒のレベルに
いて欲しいと思っていた。

だらりと下がった右手に握るマイクに、力が入る。

「……よくわかって……たよね。言葉にしたのは……初めてだけど」

恐ろしかった。
木桧みずほが、本当は恐ろしかった。

「……高浩君も……そう思うよね」

有沢高浩と視線が交錯する。
グレイがかった瞳の色まで見えたような気がした。

「本当は」

その一言は、会場内に意外に大きく響き渡った。

「本当は、歌を歌うのは好きでした」

口許に寄せたマイクに、囁くように万里は俯く。
まるで誰かに謝罪するように。いや、そういう気持ちだからこそ、
かもしれない。

「でも、私なんか、と思ってました。同じぐらい、誰かを、尊敬する誰かを、
失いたくないと思ってました。勝負なんてしたくないんです。勝ち負けを決めたく
ないんです。ずっとこのままでいたいんです。変わらない私と、変わらない彼女で
いてほしかったんです。親友が、私の大好きな親友が、私よりずっと上に行って
しまうのが怖かったし、私が、『親友のできないこと』ができる私になりたく
なかったんです。考えてみれば、二人とも、ずっと、ずっと一緒だったのに、
お互いの背中を押したりしなかったんです。だって、そんなことをしたら、
二人は遠ざかってしまうから。
背中を押せなかったんです。歩くことをためらう親友を、本当なら、
そうしてあげるべきだったのに、そうしなかったんです。
私は親友が、本気で何かをしようとするのを怖いと思っていたんです。
同じぐらい、私は、私が本気で何かをしようとするのを恐れていたんです。
私は、今更、よくわかりました。
本当に、今更のことなんですけど、やっと気づいたんです。そんなことに。
親友が……私のことを……私の最低の部分を……知ってくれていた、こと。
いつもそれを許して……気づかないふりをしていてくれたこと、に」

話しながら、自然と涙があふれて、胸がつまった。
言葉が重く、唇を震えさせる。

「すみません。時間を勝手に頂いて、つまらない話をしてしまって。
ただ、私、生まれて初めて、誰かに何かを伝えたいと思ったんです。
伝わるなら、伝えたいと思ったんです。それは……それは、私と」

ひとつ、万里は深呼吸した。

もう声は震えない。

「私と、同じような間違いをしないでほしい。そう思うからです」



淡く澄んだガラスの光が
五月雨の中で 夕日に溶けて
焼けていく雲も 回廊のように
空へと続く 果てしなく

優しい声が聴こえたなら
閉じ込めた世界が騒ぎ出す

夢へ続く線路 過去を運び走る機関車

忘れ物を取りに来た たった一人
面影を抱きしめて 明日まで行こう
言葉に乗せて踏み出した 無幻郷へ
さよならも言えずに 手を振った




「別に歌でもなんでもいいんじゃないの」

しばし唖然としていた高浩が振り替えると、赤い目をした木桧みずほが、
今度は高浩の袖を指で摘まんで、少しだけもたれかかっていた。

彼女は言葉を続けた。万里の歌声を背景にして。

「伝わるなら手段はなんでも良いじゃない。そういう気持ちが
あれば、歌だってなんだって、同じじゃない。そう思わない?
私にはさ、私は、頭悪いからよくわかんないけどさ、
少なくとも私にはそうなの。そういうもんなのよ」

みずほは続けた。

「わかっちゃうの。でも、やっぱり、伝えて欲しいのよ。ほんとうは。
わかってたって、ずっとわかってたよって、言って欲しいもんなのよ。
そしたら、嬉しいじゃない。なんか、熱くなって……胸が熱くて……
全然悪くないよ……本気で、よ」

声が震えている。

高浩は、少しうつむいたみずほの言葉に答えずに、辺りを見回した。

別に、こんな風に言うと悪いが、
万里の歌は飛び抜けて上手いと思わない。

ただ、先程までステージを無視して酒を飲んでいた客が、声を
聞き始めていた。

それに。
高浩は気がついた。

ステージで胸を張って歌う万里の声が、いつもとかなり違うことに。

自信なさげにくぐもっていた声ではなく、朗々と通るガラスの鈴のような
透明感のある声に変わっていた。

「万里は、あんな声が出せたのか」
「あの子は、恥ずかしがり屋だから、驚いたときぐらいしか大声なんか出さない」

苦しそうな木桧みずほだったが、その言葉の瞬間は笑ったようだった。

「でも、私は知っていたよ。万里のこと。だって、十年も声を聴いてきたから」

歌っていた曲は、以前RailWayを訪れた西倉智香が、10年ぐらい前に歌って
かなりヒットした曲だったと高浩は記憶している。
たしか曲名は、『夢へ続く線路』。

鉄道会社のCMで流れていた。遠くへ旅立つ若者と、
それを見送る人を描いたCMだった。

高浩はその風景を思い出し、思った。

誰かに見送られる旅路は、素敵なものだ。

誰にも見送られない旅路に比べれば、ずっと。




万雷の拍手が会場に響いたとき、送れて高浩も拍手した。
歌の通りに、まるで夢でも見てるように穏やかに笑う万里が
小さくお辞儀をして、ますます拍手は大きくなった。

少しの時間の後、月方万里に優勝と、特別賞の二つが贈られることが
発表されると、高浩は興奮した声でみずほに言った。

「優勝と特別賞って、すごいな」

木桧みずほはようやく高浩の袖から手を離して。

「当たり前」

とだけ言った。

高浩は苦笑して、その言葉に、そうか、とだけ返した。

その直後。


崩れ落ちるように倒れた木桧みずほを、高浩は咄嗟に抱き締めた。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




「結局、持ち帰るまでもなくあの爆弾は壊れていたわけだが」


体調が悪いのに無理に出歩き、昏倒した木桧みずほを背中に背負った
高浩含め全員が、祭り会場から離れる方向へと歩いていた。

「爆弾?」

綿あめをちぎりながら、千歳が尋ねる。検討もつかない様に。

「いや電子レンジだったか」

高浩はため息をつきながら訂正した。

「設計コンセプトは間違っていなかったが、信頼性が問題だったな」
「そう言い切れるところが間違ってるけどな」

そう呟く智恋にも同じような声色で返した。

「万里はたこ焼き屋に戻ったのか」
「そうみたいだな。先程は興奮して、特別賞の掃除機の箱を
開けたり閉めたりしていたが、ちょっとおかしくなったんじゃないかと
心配になった」
「千歳さん、案外ズケズケ言いますね。その通りでしたけど」

くだらない事件だった。
ただ、結果として何か、本当に言葉にできないような何かが、
少しだけ良い方向に向いたのかもしれない。

くだらない事件がもたらした、ひとつの想い出。
それは案外、忘れられない一生の想い出になるかもしれない。



そうか、と、高浩は歩きながら、気づいた。
あることを。

背中にかかる重み。彼女の親友は、当たり前だと言った。
彼女が優勝するのは当たり前のことだと。

すぅすぅと寝息を立てる木桧みずほと、恐らくそれ以上に
彼女のことを知る人は、どうだったんだろう、と。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「万里ちゃん、優勝したんだってねぇ~」

たこ焼きを食べながら、万里の母親、月方絵理奈は笑顔だった。
車椅子の回りには、たこ焼きを盛り付ける皿が何個も落ちている。

「お母さん!! だから食べちゃだめだって言ってるでしょ!!」
「はゃ~だって~おいしくてとまらないし~」
「お店の分がなくなっちゃうでしょ!! いいの!? そんなので――」

言い掛けて、万里は言葉をつぐんだ。
そんなので……。

そんなので、これから『先』……

先は……

未来は、どんな未来になるか、わからないのに。
私はそれが、想像することだけで怖いのに。


「いいんだよ~万里ちゃん」

絵理奈は、口の回りをソースでべたべたにしてにこやかに笑った。

「だいじょうぶだよ。だって、知ってたもん。万里ちゃんは優勝できるって
いつもお風呂場で歌ってて、知ってたもん。歌いたかったんだよね。
好きだったんだもんね。ずっとね。小さい頃から知ってたよ。
だいじょーぶだよ。智香ちゃんもそう言ってたもん。あの人が言うなら
間違いないよ。間違ってるかもしれないけど、でも多分だいじょーぶ。
だから、だいじょーぶ。だいじょーぶ」

母親の口癖。

いつもと何も変わらない、病弱な母親の声を聞きながら、万里は
何も言えずにたこ焼きを焼いていた。

「だいじょーぶだから。なんもだよ。万里ちゃん」


唇を噛み締めて、何度も袖で目元を擦りながら、一生懸命焼いていた。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




花火が上がる。

ドン、ドンと、大きな花が空に描かれる度に、空気が震える。
4人は立ち止まって、大輪の花を眺めた。

輝く、青、赤、緑の光。

祭りを彩るきらびやかな花火。

「おーい。みずほ。花火だぞ。花火ぐらい見た方がいいぞ」
「有沢研究員。無理に起こすことはない。花火ならいつも見られる」
「あんたが出すのは火花と言うんだ」

智恋がうむ、その通りだとなぜか自信満々に頷くのに、半眼を送り。

  ドドーン

  パラパラ……

改めて、起きればいいのに、と思った。

木桧みずほは来ないと、そう言っていたのに来てくれて。
何にも関係がないことに巻き込まれて、体力を使い果たして、
せめて、最初にそう望んだように。

花火でも見られたら、と。

高浩はそう思った。率直に、そう思って背中の彼女を背負い直した。

だが、起きない。
苦笑して諦める。

それならせめて、ゆっくり寝かせてやろう。
彼女の家までこのまま送ってやろう。

それにしても。

本当に美しい花火だ。
東京の隅田川花火大会や、江戸川花火大会の方がずっと盛大なのに、
この花火は本当に美しいと思う。

透き通って見える。

しみじみと、思った。ため息をつくように、言葉を紡いだ。

「夏がもう終わるんだな」

そう呟いた。
ドン、ドンと音が響く度に、心の何かが揺さぶられるように感じる。

「そうだな」

吉野千歳も、見上げながら呟いた。
千歳の声は優しくて、まるで彼女そのもののような印象だった。

時間が、空気が、まるでこの世界のためにここにあるかのような。

「高浩」
「ん?」

ドン、と。

一瞬、光が、吉野千歳の表情を照らした。
まっすぐに、高浩を見つめる深い色の瞳が、映った。

高浩。

そう呼ばれて、彼は彼女を見つめる。
背中の吐息も聞こえるほどの静寂が、ほんのつかの間訪れて。


言葉は

放たれる。優しい声が、響く。



「私を、高浩の住む東京へ連れていってくれないか」



大きく開いた花火が、世界ごと揺らしたような、そんな気がした。



(45) 終
(46)へ続く
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