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Way to the Blue 47話

(47)



「シロクニにさわらないで!! これは遊花のものなの!!」

高浩がたどり着いたときに、小さな牧野遊花は、泣きながらそう叫んでいた。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



時計の針を少し戻して、彼女らが倉庫へと辿り着いたときの状況を
振り返るなら、『あの瞬間』までは、牧野遊花はいつもと同じか、それ以上に
楽しい時間を過ごしていた。

「あなたのような子を私は知っています」

野良猫を見つけては歓声を上げながら時々駆け足になって、
猫に逃げられてはしょんぼりして戻ってくる遊花を見て、悠は言った。

「遊花に似てる?」
「そうですね」
「悠ちゃんの妹かなんか?」
「違います。どちらかといえば邪魔な居候です」
「ふーん」

それだけ言って、遊花の興味は、今度はよく吠える犬を飼っている民家の
ほうへと移ったようだった。

犬のほうに近寄り、案の定と言うか吠えられて、涙目になっている。
またとてとてと戻ってきた。
その度に、違うことを質問する。

「悠ちゃんは何歳?」

倉石悠という、奇妙な格好をした同性に興味津々のようだった。

「プライバシーでお答えできません」
「じゃあ当ててみる! 22歳ぐらい?」
「私の歳を知ってどうするのですか?」
「なんもないよ。聞いてみたかったの。知りたかったの」

列になって歩いていても、喋ったと思えば、すぐに列から離れていってしまう
遊花を見て、倉石悠はほんの小さくだが、笑った。

それは誰にも気づかれない程度のことだったが。

「悠ちゃんの服、すごいかわいいね!」
「そうですか。ありがとうございます」
「そっちのおじさんは、真っ黒い格好でなんかへんだね!」
「そうですか。徳永、変だそうです。今度は白いタキシードにしなさい」
「申し訳ありません」

遊花は少し先に駆け足で向かっていって、道端をで立ち止まった。

「アジサイきれいだよね!!」
「そうですね」

道端に大輪の花を咲かせるアジサイを指差して、遊花は笑顔を作る。

「綺麗ですね」

倉石悠は、そう呟いたときには笑っていなかった。
青紫に輝く紫陽花の花をちらりと見て、彼女は、その花がもっとも美しく
咲き誇るのは、雨の日だと感じていたからだ。

そして雨は、きっと太陽のような牧野遊花の笑顔を曇らせるのだろう。

紫陽花が本来の美しさを見せるとき、それが誰かの笑顔とは重ならない。

例え待ち望んだ雨だとしても、誰かにとってはそうではない。

そういうのは、ずっと繰り返し、世の中に溢れていたことだ。
人生というのは皮肉に彩られている。
愛や幸福というエッセンスを、皮肉という衣で包んだパイのようなものだ。

現実。

陽光を受け止めるアジサイは、どこか居心地が悪そうではないか。
何かを投影しているようではないか。そう、何か。寂しげな美しさを。

「あの倉庫だよ。シロクニがあるのは」

10分程度の遊花の案内で、倉庫が見えてきた。

蒸気機関車が鎮座するという倉庫はかなりの大きさで、今にも倒壊しそうな
感じではあるが、外観で見る限り少なくとも穴などは空いていない。

「そうですか。ありがとうございます」
「……あれ?」

遊花は立ち止まり、怪訝そうな声を上げた。

「誰?」

遊花の呟きには答えない。誰も。

倉庫の前には、4台の大型トラック。クレーン車。ワゴン車などが多数停車
していた。
灰色の作業服とヘルメットを被った男が、30名ほど集まっている。

倉石悠と秘書が近づいていくと、
白いヘルメットを被った壮年の男性が、それを脱いでひとつお辞儀をした。

「社長、ご足労頂きありがとうございます。こんなところまで」

悠は、頷いた。

「予定より少し遅れていますが、問題ありませんか」
「先程見た限りでは、現地踏査の報告で聞いたよりも状況は良いと思います。
足場もいいですし作業性は良さそうですね」
「工程表に従ってすぐに取りかかってください。慎重に」
「わかりました。おい、全員やるぞ!」

倉庫の中に、男たちが入っていく。
遊花はそれを遠巻きに見ていて、はっきりと混乱していた。

「な、なんなのこれ? 悠ちゃん? どうして、シロクニをどうするの?」
「この蒸気機関車は解体されて、運ばれます」

倉石悠は倉庫に鎮座するC62型蒸気機関車を見つめている。
無言のままで。

代わりに、今までほとんど話さなかった、初老の秘書が遊花に話し出した。

「我々、倉石ホールディングス株式会社は、この蒸気機関車を
小樽まで輸送する業務を請け負ったのでございます。牧野遊花様」

人間というのは、本当に驚くと声も出ないらしい。

その言葉には、彼女は、遊花は、全くの無言だった。
ただ、衝撃を受けて気絶でもしてしまったように、立ち尽くす。そんな格好で
言葉を受け止めていた。

受け止めているというより、叩きつけられたようなものかもしれない。

「……?」

シロクニを見つめていた倉石悠が、そんな雰囲気を感じ取って振り返ると、
牧野遊花は、はっきりとした恐慌状態にあるようだった。
頬が上気して、きょろきょろとあたりを落ち着かない様子で見て、
唇がわななき、真っ青になっている。

「……どうしました?」
「……シロクニ……持ってっちゃうの……?」
「ええ……そうですが。それが、どうかしましたか?」
「あ、あ、あれ、あれは、遊花のなの」
「……あなたの? あの蒸気機関車が?」

倉石悠は、小さく目配せをした。その途端に、秘書の男はものすごい早さで
アタッシュケースから大きなタッチパネルの端末を取り出し、操作をして。

「東日本コンサルタントの所有で、現在一時、町の仮置きとなっております。
権利書をご確認になりますか?」

と言った。

「……そう。聞いたように、あれは、貴方のものでは無いようですが」

倉石悠は、彼女に言ったのだが。
それはたぶん、彼女を知っている者からすれば、相当に『彼女らしくない』一言
だったと、その時、徳永は感じていた、らしい。

言葉はその通りだ。

まさに倉石悠の人となりを表すように、端的であっさりとした、
有無を言わさない事実を繰り返しただけの言葉だった。

だが、実際。現実はどうだろう。
言葉は言葉だけではなく、音である。その声は、突き放すようなものではなく、
まるで、
『同情するかのような』言い方だった。

「あれは、遊花のだよ」

遊花はそんな言葉のイントネーションの変化に気づかない。

「あれは遊花のなの。坂井のおばあちゃんにもらったの。だから遊花のなの」
「……」

また目配せをすると、徳永が頷いて、答えた。

「正式には坂井キヌという者が所有し、その後藤ノ木という者に渡り、
町へ預けられました。東日本コンサルタントの有沢様が町に働きかけられ」
「有沢……って?」
「先程の少年の祖父にあたります」
「……なんで? なんでそんなこと? タカ兄ちゃんの?」

遊花は顔面蒼白になり、震えていた。
なぜそんなことになるのか、倉石悠たちが不思議に思えるほどに。

だが、当の遊花にしかわからないことだ。

本当に大切なものは。

「あれは、遊花のなの。ここになくちゃいけないものなの。さわらないで」

震える声で哀願する遊花。
倉石悠は、表情を変えずに首を横に振った。

「私たちは、あの蒸気機関車を小樽へ運ぶ業務を請け負いました。金額に関係なく、
この業務は一昨年に統合された倉石ホールディングス海運事業の名を残す業務と
なります。失敗や中止などあり得ません。私が来たのも、絶対の成功を約束する
ためであり、作業の中止を命令するためではありません」
「そういうことだったんだ……」

悠が毅然として説明した言葉に、遊花は首を振った。

「みんな、遊花に嘘をついてたんだ。こうなること、知ってたんだ!」

遊花は一言、叫んだ。
そして走り出して、重機などをすり抜けて古びた倉庫の中に入っていく。

「おい!!」
「危ない!!」

作業員から声が上がり、ホイッスルの音が倉庫に響く。
遊花はシロクニの側面から、慣れた様子でポンポンと蹴り上がり、破損した
ボイラ胴の上に立った。

高さは4m近くある。

作業員の囲いが分かれて、間から徳永と、そして早足で倉石悠が現れた。
遊花から見れば見下ろす場所に。

倉石悠からは見上げる場所に。

遊花は、何人もの視線を受け止めながら叫んだ。




高浩がたどり着いたとき、それは、数分前に考え付いたことが現実になったと
知ったのと同時だった。

「遊花!! 降りろ!!」

高浩が大声で呼び掛けるが、牧野遊花は首を横に振る。
泣きながら。涙で溢れる目を擦りながら。

「嫌だ……!! 嫌だよ……!! タカ兄ちゃん……!! これは、ここになきゃだめなの!
おばあちゃんが言ってたの!! ここになきゃダメだって言ってたのに!!」
「どうしてだよ!!」

高浩も、作業員をかき分けて、倉石悠の隣にいた。
一瞬、悠と目が合う。

はっとした。

そのとき、有沢高浩は確かに、気がついたのだった。
倉石悠という女の目には憐憫があった。はっきりとした憐憫が。
だが、それは厳しく引き締められた口元によって巧妙に隠されていた。

「遊花。多分、多分だけど、シロクニは前から、そうなることが決まっていたんだ」
「タカ兄ちゃんはやっぱり知っていて黙ってたんだ」

かぶりを振る。
そうじゃない。

「違う。Railwayとの取引があったんだ。あの喫茶店と、シロクニと、
どっちを残すか、そういう決断を迫られたんだ」

高浩がそう話しているのを、横から、倉石悠がじっと見ていた。

その視線には気づかずに続ける。

「ずっと放置されたままの機関車を、この町はもてあましていた。
元々、正しい手続きを踏んだ話じゃなかったんだ。
C62-32型蒸気機関車と言ったな。それは、そもそも」

「ここにある、はずじゃなかった。すでに廃車になったはずだったものを、
個人がそのまま隠匿して保管していた、それがこの蒸気機関車です」

最後の言葉は、倉石悠が言った。
そしてさらに、彼女は高浩の言葉を引き継ぐように続けた。

「この町の活性化を考えたとき、蒸気機関車は有望な資産だったんです。
イギリスで半世紀ぶりに新造された蒸気機関車A1型『トルネード号』
人気を博した蒸気機関車の復活は、祝福の元に受け入れられました。
その例に倣う形で
この蒸気機関車をレストアし、現代に甦らせようというのです」

その話は、高浩にとっても初耳だった。
もし本当にそんなことを考えているとしたら……

「莫大な費用がかかる」
「限界集落と呼ばれる過疎の町には、何を差し置いてもやらなければ
ならないものかもしれません。費用は寄付によっても賄われるそうですが」
「それだけの魅力が?」
「私のセクションでは関与していませんが、この町にはそれだけの観光資源が
あると聞いていますが。蒸気機関車はそのピースの一つでしょう」

高浩は、頷くことも否定することもできない。

そんなことがあるのだろうか。
本当にそうなのか?

疑惑。疑念が吹き上がる。祖父が言っていた。ふたえも言っていた。
この町が、常葉町としての名前を市町村合併で失ったその後に、あらたな
地方自治の姿によって生まれ変わるとすれば。

その旗手としての役割を、シロクニに託するという気持ちを持つかもしれない。
……そんなことが?

高浩は蒸気機関車を見上げた。少女が仁王立ちして、周囲を睨み付けている。

蒸気機関車は、死んでしまったように何も語らない。
いや、それは一見して死んでいるように見える。

この場所にずっと放置されているうちに、錆も浮いて、壊れた蒸気機関車。

「絶対にやだ!!」

遊花は、高浩ができなかったことをしていた。そう、明確に、否定という形で。

「絶対にシロクニは持っていかせないもん!! 」

遊花の叫び。高い声が響き渡るのは何度目だろう。
それは、ややあって、虚しい残響となっていった。

それほど頑なな想いはなんだろう。
高浩も、いや、そこにいる全員が感じていたことだ。

何を守ろうとしているのか。

彼女が……頑ななのは、なぜか……?

少女は、泣きながら首を振っていた。

「みんなおかしい。おかしいんだよ! 回りの人が勝手になんでも決めて、
昔の人が決めたことも、残したものだって、みんななくしていっちゃうんだ!
おばあちゃんが言ってたんだもん! シロクニはここにあるほうがいいって!
おじいちゃんが置いておいたものなんだって! この機関車は、みんなの夢と
希望をのせて走ったんだって! だからこのシロクニは、ここにある夢だって!
それなのに、勝手なことばかり言ってみんな持っていくの!
大人はみんな、みんな勝手に決めちゃうの!!
そんなの遊花はヤなんだよ!! 智也おじさんだって嫌だって言うもん!
ふたえさんだって嫌だって言うもん!! みんな言うもん!!」

途切れ途切れの言葉を繋いで、そして、
遊花は、涙を一杯に浮かべて、高浩を見つめた。

「タカ兄ちゃんも……そう、思うよね……?」


雷撃を受けたような気分で、高浩はその言葉を受け止めた。

脳の中で、書き溜めた言葉が、消ゴムで次々と消されてゆく。
それが、どういう意味を成しているのかはわかる。
わかりすぎるぐらいにわかる。

ふたえと話し合ったことがあった。いや、正しくは、
ふたえから一方的に告げられた。

Railwayとシロクニ、これらは、市町村合併によって、
そのどちらかを失わなければいけないかもしれないということ。

改めてその事を思い出していた。

高浩は、この古ぼけた蒸気機関車を見に来たい客がいると考えた時に、
Railwayを守るために、シロクニを手放すことがあるのではないかと思った。

そして……それは……それは……

それは……


藤ノ木ふたえから、Railwayを、失わせないためには、必要であれば……

高浩にとって、今、大切な人と言っていい彼女が愛するお店のために、

この古ぼけた、壊れた蒸気機関車を差し出さなければならないとしたなら……


自分にとっては、大した価値の見出だせないものだ……と。


遊花の望むことであったとしても……。
それは……出来ないと、言わなければならないということを。

高浩は、高揚する遊花とは全く逆の。
底冷えのするような陰鬱さで。

「遊花」

彼女の名前を呼んだ。

そして、奥歯を噛み締めて、かすれる声で呟いたのだった。

「そこから降りるんだ」


水を打ったように静まり返る倉庫の埃っぽい空気は、そのとき唐突に陰った
太陽の中に沈んでいったように見えた。

高浩の言ったことは、確かに伝わった。
もしかしたら、牧野遊花は、彼を信じていたのかもしれない。
悲しい言い方をするならば、その瞬間までは。

呆然とその言葉を聞いていた遊花の表情は、悲しみを通り越して絶望を感じたように
歪み、かぶりを振って、少しだけ、ほんの少しだけ後じさった。

そしてその小さな身体は、よろめいた。


「あっ」

誰がその声を発したのかは、高浩にはわからなかった。
高浩自身だったかもしれない。

円筒状のボイラーの上で、遊花の運動靴が上を向いた。

何もしていないんだ。
何もしていない。

高浩は、そんなことを繰り返していた。意味がないのに、繰り返していた。

牧野遊花の姿が、シロクニの向こう側に消えて
すぐに、倉庫内にハッキリと鈍い音が響いた。

「落ちたぞ!!」

今度は……

高浩は、ハッキリと、自分が言ったのではないと確信していた。
言葉など出せる気分ではなかったから。

「落ちたぞ! おい! 救急車呼べ!」

作業員の誰かが叫んでいる。

「頭を打ってる!! 血が出てる!」

やめてくれ!

そう高浩は心の中で繰り返していた。だれが聞いているわけでもないのに。

やめてくれ。
脳裏に、少女の最後の瞬間の、絶望を帯びた表情が蘇ってくる。

膝の力が抜けて、頭を抱えて、しゃがみこもうとした。

が、できなかった。


「立ちなさい」

やけに強い力で、左の二の腕をがっしりと捕まれる。
そのせいで、倒れたりはしなかった。座り込むこともできなかった。

許されなかった。

倉石悠が、自由な左手で帽子を一度、直したのが見えた。

「うろたえるんじゃありません!! あなたたちは馬鹿ですか!!
馬鹿の集団ですか!!」

ぴーんとした、透き通るような声が喧騒を叩き伏せる。

「計画書の非常事態対応チェックリストを確認し、担当者は冷静に
救護を行いなさい!! あらゆる事態に対応するのが我々の仕事です!
いちいち言われなければわかりませんか!!」

今度は水を打ったように静になり、
作業員たちは、余計な物音を立てないような慎重さで、言葉もなく動き始めた。

なんという統率力だろう。
その女性は、それこそ何も起こらなかったとでも言わんばかりの表情で。
そして、小さな声で。

「立ちなさい。あなたは間違っていません。そして、今は悔いるべき時でも
ありません」

高浩は二の腕を離されたが、今度はしっかりと立っていた。
不思議なことに――少なくと表面上は――落ち着いて

「徳永、すぐにヘリコプターをこの正面に着けなさい。論理的に考えて、
我々が最も近い救急病院へ搬送するのがこの場合は妥当です」
「はい。すぐに」

まるで神業のように。
一瞬で騒動を片付けて、倉石悠は全く動じた様子もなかった。

人が目の前で転落して、怪我をして……
怪我をして?

「……遊花!!」

今更、高浩は踏み出して、
彼女が落ちた方。つまり、シロクニの反対側に回り込んだ。

作業員が取り囲み、工事用の青いシートが敷かれている。おそらく今
それを準備したのだろう。
遊花の小さな体が横たわっている。あたりには、

「……」

高浩は絶句して、口を手で押さえた。
鮮血が辺りに飛び散り、作業員が拭ったのであろう白いタオルが、真っ赤に
染まってあたりに散らばっていた。遊花の小さな頭を抱えるように押さえている
リーダー格の男が言う。

「血管切れてんだよこれ……血が全然止まらねぇよ」

遊花は全く動かず、こめかみのあたりをタオルで押さえられていた。されるがままに。
着ていた浅黄色のパーカーは元の色がわからないぐらい赤黒く汚れている。

それが、さっきまで話していた彼女の姿なのか。
それが、そうだとは信じられない。

「血が出てもタオルを取り替えてはいけません。そのまま押さえなさい。頭蓋骨の
周辺は出血があった場合は多くなるものです」

倉石悠はどこまでも冷静だった。慌てるという言葉を知らないような
存在に見えた。

そんな彼女が、今度ばかりは小さく、高浩にしか聞こえない声で言ったのだ。

「彼女の親をご存じなら、すぐに呼んでください」

その声でハッとする。
楓。牧野楓。脳裏にその名前が出てきた。

高浩は彼女の家へと走り出した。

そのぐらいの事しか出来ない。そんな自分に、苛立ちながら。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



7人乗りのヘリコプター、ベル407の後部座席に遊花は寝かせられ、
残りの座席に、牧野楓と弟の拓男が乗った。
操縦席と前席に倉石悠と徳永と言う秘書が座った。それで満席。

ヘリコプターは慌ただしく飛び立っていった。

風が収まっても、高浩は飛び立ったヘリコプターが見えなくなるまで
見つめていた。



……

…………


夜。

時刻は21時を迎えたところだ。

高浩は携帯で時刻を確認した。ポケットにそれを仕舞って、ビニールの
ソファーに身体を落とす。
深く深く、ため息をついた。すべてを吐き出してしまいたいと思うほどに。



暗くなった受付け。誰もいない、非常灯の緑色だけが輝くロビー。
そこに高浩はたった一人でいる。

病院だった。
半日もかかって札幌の病院に着いた。

そして、着いたときには……


牧野遊花の手当てはすべて終わっていて、命には別状がないと言うこと
だった。
頭を少し大きく切っていて出血し、脳震盪と貧血で気を失っていたが、
明日には意識も戻るだろうと医者は言っていた。


バタン


物音がして、そちらのほうを振り返ると、朝とは少し格好が違う、
白いワンピース姿の倉石悠が、非常玄関から入ってきたのが見えた。
執事のような秘書も引き連れて。

格好が変わっても、赤い帽子はやはり変わらないらしい。

「まだいたんですか」

倉石悠は、少し驚いたように。

「2時間ほど前に大丈夫だと言ったはずですが、まさか脳みそが豆腐なのですか?
豆腐ならゆでてしまうべきだと思いますが」
「茹でんな」

執事は一礼して、外に止めてある車の方へと戻っていった。
倉石悠は会釈して、高浩の隣に座った。

「何か飲みますか」

自動販売機を指差した。

「ああ。それじゃあ……コーラを」
「私はミルクココアで」

……

そう言ったっきり、彼女は動かない。
5秒ほど沈黙があった後に、高浩は、一応聞いた。

「……買ってくれるわけじゃないのか?」
「馬鹿なんですかあなたは」

ため息をひとつ。高浩は立ち上がり、自動販売機へと行って
ミルクココアとコーラを買って戻ってきた。

礼のひとつも言わずにココアを受け取り、

「開いていませんが」

ニコリともせずに言うので、腹立たしさをぶつけるぐらい大きな音で
缶を開けて、彼女の手元に押し付けた。

ぼん、と椅子に座って、高浩もコーラの缶を開ける。プシッという音が
ホールに響き渡った。いっそコーラを振って彼女にぶちまけてやろうとか
思ったが、刃物を持っていることを思い出して自重する。

飲みながら、隣の倉石悠を見つめる。

「……」
「どうしました。私が美少女過ぎて目がえぐれましたか?」
「いや、抉れるとか言わねぇし美少女は。そうじゃなくて」

気後れしたように、高浩は少し下を向いた。

「酒の匂いがするからさ」
「ああ。そうですね。付き合いのある会社の会長が80歳の御誕生日でして、
パーティに誘われまして。『恥ずかしげもなく80年も無駄な人生を重ねられる根性は
是非見習いたいと存じます』とお祝いの言葉を述べさせていただきました」
「祝ってねー……」
「会場内は大爆笑でしたが」
「どういうパーティだよ。しかし、あんなことあってもよく、そういうのに
出られるな。いや、ごめん。誤解させたら悪いと思うが、別に悪い意味じゃない」
「ん?」

小首をかしげて、倉石悠は少し笑った。

暗がりの中。非常灯の弱々しい光の中で、白い肌の美女の微笑はとてつもなく
美しかった。本当に、高校生時分の高浩には参ってしまうほどに。

「そうですか? そうですか。そうですね。ふふっ」

同じことを繰り返しているのに、微妙にその中で、口調が変化してゆく。
彼女は自分の中で、自分の言葉を消化しているのかもしれない。

「あなた、まるで私のともだ……ゴホン、婚約者のようですね」

それこそ、今度は逆に聞き返したかった高浩だったが。
どちらかといえば、彼女のような人に恋人がいるということが、少し
残念でもあり意外でもあった。

彼女は暖かいココアを口許へ持っていき、ひとつ息を吐いた。

「一つのことにこだわることは大事ですが、一つのものだけ見続けることは
できません。我々は、二つの目を持っていますし二つの耳があります。
手も二つありますし足も二つあります」
「舌も二枚ありますって?」
「あなたはなかなか面白い事を言いますね。しかし人の言葉を茶化すのは
感心しません。そのうち罰を与えます」
「それはどうも」
「大人になるということは、こだわりを捨てることもあるのかもしれません」

雲が晴れる。

病院のロビーには大きな天窓があり、そこから月光が飛び込んできた。
満月。銀色の月が輝く。

「遊花がこだわったものは、きっと、シロクニのことだけじゃない」

ポケットの中の携帯電話の、つるつるする表面をいじりながら
高浩は呟いた。

「もっと大きくて、もっと観念的なものなんだよ。例えば……本当の事を
知っていても伝えない人間、とか」

『私を東京に連れて行ってくれないか?』

そうだよな、と、高浩は苦笑しながら続ける。

「都合良く、本音と建前を使い分ける人間とかな」

胸が痛くなった。
どうしてわざわざ、自分で自分の皮膚を針で突くような事を考えてしまうのか。
どうしようもないことなのに。

コーラを一口飲む。炭酸が、喉に痛みのような感触を残す。

高浩は、全然違うことを話し始めた。昼間の事を。

「さっきはありがとう」
「何のことでしょうか」
「あの時、俺の腕を支えてくれて」
「ああ。なんか子供が自己陶酔して膝から落ちそうになってたのを、みっともないから
支えてあげただけですが、何を勘違いされているのでしょうか」
「うぐ」
「別にあなたが気に病むことなど何もありません。今日だって、別にはるばる病院まで
やってくる必要だって無いと、私は思っていました。それなのに突然現れたので、
『この方は精神に異常をきたしているのではないか』と心配になったほどです」
「うぐぐ」
「子供が子供らしく子供っぽい理屈で勝手に思い悩む様は滑稽を通り越して呆れ返って
しまいますが、私としてはそういうものを出来る限り否定はしないように考えています。
後で知り合い全員にこの恥ずかしい子供の事をうっかりEメールで同報送信してしまい
そうになるかもしれませんが」
「もうわかった。やめてくれ」
「そうですか。ではこの辺でやめてあげましょう」

よくそこまで人の悪口が続くものである。

「決めたことを悔やんだら、決めた過去の自分を否定することになるじゃないですか。
そんなことは必要ありません」
「必要な気がするけど」
「気がするだけです。必要ないんです。必要だと思ったら、それは負けなんです」

倉石悠は、ゆっくりとこちらに顔を向けてから、真剣な表情で繰り返した。


「負けなんですよ」


……

そういうものなんだろうか。


高浩には半信半疑のことだ。そんな風に考えたら、過去を許すことも出来ない
ような気がする。それは随分と窮屈な考え方で、今の自分には出来そうもない。

それが出来ることが、大人になることなのだろうか?

そしてまた、彼女は視線を戻す。高浩の躊躇いに気づいたようでもあるが、
気にしないようにしてくれているのかもしれない。

今度は声の調子を大分変えて。

「私が病院に来たのは、二つの用事があってです。もしもあなたがまだ
馬鹿みたいに残っていたとしたら、
無意味なので早く帰るように言おうとも思っていました。お節介にも」
「バカで悪かったな。帰りたくとも帰れないよ。こんな夜更けにバスはない。
もうひとつは?」

「もうひとつは、あなたが言っていたことの間違いを訂正するためです」

倉石悠は、持っていたミルクココアの缶をテーブルに置いた。

「Raiwayという喫茶店と、蒸気機関車のどちらかがこの計画に含まれると
あなたは仰いましたが、それは誤りだと言っておかねばならないと思い
まして」

どういうことかわからず、眉間にシワを寄せて、
高浩は問い返した。

「誤り?」
「そうです」

月の光が、生き物のようにゆらめいた。薄い雲が、空を流れている。
そして、

彼を見つめる悠の瞳も、同じように。


「どちらも、入っています」


たまらずに席を立ち、高浩は今度こそ、彼女にコーラをぶちまけようと
した。


信じられないことに、驚異的な反応と身のこなしでそれは
避けられたのだが。

大きく身をよじって避けた姿勢のままで、倉石悠は睨む。

「食べ物を粗末にするのは感心しませんね」
「そういう問題かよ! 避けるなよ!!」
「もしかかっていたら、あなたを殺していましたよ」
「知ったことかよ!!!」

空同然になったコーラの缶を握り潰す。

「そんなことを誰が! どうしてRailwayが勝手に取り上げられるんだ!
シロクニを持って行ったじゃないか! おかしいだろうが!
あんたらは一体何なんだよ!! どうしてこんな……!!」
「そもそも取引になる用件など、どこにもありません。あなたが勘違いを
していただけでしょう。それに、誰がと申すのであれば、あなたの
祖父方が勤める東日本コンサルタントが主導しておりますが」
「そんな! それは、だって」
「病院ですので静粛にお願いします。口を閉じられないのであれば、
歯が折れますよ。本気で殴られれば」

言われて、力が抜けたように再びソファーに座る。

「どういうことだよ……!」

高浩は思わず頭を抱えた。

わけがわからない。
蒸気機関車と、Railwayはどちらも……

『……どちらも、無くなるって話か!? そんな話になってなかったじゃないか!
そんなこと、あってたまるかよ!! ふたえさんの店だぞ、あそこは!!』

「蒸気機関車を修理して改装し、走らせる。それには当たり前ですが、
駅と基地が必要になります。蒸気機関車には水と燃料の補給施設も必要に
なります。駅の場所にすでに建っている建物は、使えなくなるのは
当然のことだと思います。それでは取引にもなりません。私は、
誤解を残したまま自分の仕事を遂行するのを良しとはしません。
あなたが、もし、正しい情報を与えられていないのであれば、私の仕事の
邪魔になり得ると考えました。よろしいですか」

動揺を隠しきれない様子の高浩に、まるでお説教をするような口調で
そう話す悠。

何がよろしいというんだ、と。
高浩は口を開きかけた。

その時、倉石悠の右手のひらが、彼の左頬に触れた。

こみ上げてきた言葉が一瞬で立ち止まる。
冷えた彼女の手のひらの感触に。

なぜ彼女がそうしたのかを理解する前に、彼女の口が開いた。


まるでキスでもするように、高浩に唇を寄せて、彼女は。


「オフレコの話です。私はこの計画。あの辺鄙な町をリゾートに変貌させる
という、壮大なお話ですが、この計画の中の、蒸気機関車輸送についての
担当でしかありません。それについては既にご説明いたしました。
そしてもう一つ付け加えて、私の立場で申すとすれば、この計画は馬鹿げています。
馬鹿げているというのがもしも、仮に、肯定的に受け取られた場合の事を考えて
あなたにも解りやすく言い直すとしたなら、
『笑止千万、ヘソで茶でも沸かしてやがれ』とでも言いましょうか。
要するに、万に一つも成功するとは思えません。この計画はおそらくですが、市町村合併に
伴い、ある町の財政を極端に悪化させるような強引なリゾート計画を推し進め、
そこに発生する、本来なら即座に破綻するほどの巨額の財政赤字を、市町村合併に
よって吸収させようという謀略があったものだと考えます。現に、同じことが
千葉県の鴨川市で起こりました。このシステムでは、企業は自治体の支援で
有利な開発を行い、失敗すれば全てを自治体のせいにして売却できるのです」
「……それなら……やめる、べきじゃないか」

彼女の真剣な表情に、飲まれる。
悠の瞳は、どこか哀れみを纏いながら。

「今後、こういったことはどこにでも出てくるでしょう。近日成立する予定の
カジノ法案や、再開発支援法は自治体の吸収合併を加速させるタイミングを
見計らって、経済音痴な各自治体の酋長の心を掴むのでしょう。愚かしい事です。
しかし、決めるカードは、そこに住む人間の手の中にある。
今日のような事件は、私はどこかで、いつか、起こり得ることのような気がしていました」

高浩は、そこまで聞いてようやく納得した。
この、優秀な女社長は一体何がしたいのか。何を考えているのか。
なぜそうしたのか。

そして、何を伝えようとしたのか。

「あの、牧野遊花という少女のやったことで、安全点検のため、私たちの作業は
2日間中止されることが決まりました」
「たったの、か」

ふっ、と笑みを浮かべて。

「たったの、ですか。一人で二日なら、千人なら二千日でしたね。いえ、これは
私らしくもない事です。つまらない冗談でした」

彼女は手を引いた。そして、今度は席を立ち上がる。

「私は、少なくとも嘘偽りのない仕事をさせていただきたいと思っています。
二日後に、私たちは、非の打ち所がないぐらい完全に仕事を完了させてみせます。
その後で、仮に奇跡が起きるとしたならば、その誠実さというものによって、
何かが救われたなら良いと思っているのです。それはかつて、私が、
私の大切に想う人が与えてくれた誠実さによって、救われた経験からです。
私があなたに、こんなことを話すのは」

彼女は微笑んだ。

「あなたが、他人のために本気で怒れるような、誠実さを持っているからです」



そして、頭上の帽子を取って、一つお辞儀をした。

「では、またいずれお会いしましょう」

高浩も立ち上がる。が、
何も言えず。

高浩は、挨拶を返すことも出来ないままで彼女の背中を見ていた。

倉石悠。
彼女もまた、こちらの返事などに期待していないようであった。
もしかしたら、彼女は忙しかったのかもしれない。

忙しい中で、わざわざこんな事を伝えに来てくれたのかもしれない。
それなら、呼び止めなくてもいいだろう。
彼女の仕事は済んだに違いない。

高浩はそう考えて、肺の中に詰まっていた空気を入れ換えた。

乾いたブーツの音がホールに響く。
何か悔しいような、そんな思いを高浩は感じていた。彼女の背中を見ながら、
いつか、何かの機会に反論してみたいと思った。

だが。

『……無駄、だな』

諦めて、ついつい笑ってしまった。
結局のところ、彼女には全て見抜かれてしまっているような気がしたからだ。

彼女は夜間のみ出入りできる通用口の方へと歩いていき……歩きかけて。

「あ」

唐突に、一言。何かに気づいたように声をあげた。

「そういえば、あなた、ええと、有沢高浩といいましたか?」
「……? ああ」
「忘れていました」

つかつかと高浩のところへと戻ってきて、高浩の前に立つ。
後ろ手にうつむき加減で、何か、落ち着かないような様子で。

月の光と、そして緑の光が混じり合い、重なる二人の淡い影を床に写した。

「な、何?」

あきらかに動揺した声を上げる高浩。

声をかけると、彼女は視線を上げて。
ふっと笑みを浮かべた。柔らかそうなきれいな頬が、すこし朱に染まっている。

彼女が身じろぎすると、長くて美しい黒髪も揺れて、花の匂いが伝わってくる。
しなやかな腰つき。ほっそりとした腕。白い蝋細工のような指先。

背は、高浩の方が15センチは高い。帽子を被った彼女は、高浩の事を、
じっと見つめていた。

暗がりに見る彼女は、とてつもなく美しく、本当に美女だった。

どこかためらうような。
揺れるような。

そんな表情を見せた彼女は、そっと呟いた。

「目を、閉じていただけますか」
「……は?」

彼女は、今度はたしなめるように。

「あなた、女性にこんなことを二度も言わせるのですか?」
「……はぁ」

いやいや。
別に、何もあるわけがない。

高浩が目を閉じることを了承し、実際にそうする瞬間に、

倉石悠は、高浩の肩に手をかけて、背伸びをした。

「そのまま、ですよ」

そんなことが、

あるわけがない。だろう?

彼女の体重がかかるのがはっきりとわかり、吐息が近づいてくるのも
容易に感じられた。



生暖かい感触。

ミルクのような甘い香り。



滴り落ちる滴。


それは、ココアだった。


……

…………いや、おい。


「今度相手に飲み物をぶちまける時には、
逃げられないように準備してからの方がいいですよ。こんな風に」

そして、ココアの空き缶を手の中に押し付けられる。

前髪から滴り落ちるココアを拭って、『お前』と言いかけて、やめる。

言っていれば刃物が出てきていただろうが。
それ以前にもう彼女は、通用口を出ていくところだった。

素早かった。
文句を言うことも出来ない。

そもそも、仕返しってのは同じ程度にやるべきだろうが。


押し付けられたココアの缶には、高級そうなベージュのハンカチが載っていて
高浩はそれで頭を拭きながら、今度こそ声を圧し殺して、大笑いした。



大笑いしながら、とても、とても、
出来るだけ早く、


Railwayに帰りたいと、そう思っていた。



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