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Way to the BLUE 5話

(5)

青空。遙か遠く、抜けるような空。
桜の花びらが舞う。
海は青く。雲は白く。
緑は深く。

世界がここに凝縮されたような、美しい景色。

それなのに、泣いている?
なぜ……?

なぜ……


彼女の涙の理由を、誰が理解できるというのか?



ピピピ……


反射的にそれに手を伸ばした。高浩は、手に馴染む二つ折りの
それをパカッと開く。

昨日撮った海の景色を壁紙に、時刻が表示されていた。


(8時00分)

「朝か……」

そば殻の堅い枕に、顔をぼすっと落とした。
全て木で作られたベッドは、マットもへったくれもないような適当な
作りだったが、やけによく眠れた気がする。

飛び上がった影があった。とーらだ。
眠っていたとーらは逆に揺り起こされて、反射的に飛び上がった
らしい。数メートル跳躍して、ちょこまかと階段を下りていった。

それは気にしない。高浩は目を閉じる。

羽布団ではなく、木綿の手触りの掛布団も。
素朴な温もりがあった。草原に眠るように心地よく、湿気がない。

「木の匂いか……落ち着く……」

そして、この静けさだった。蝉の声すらも遠い。

しん、と水を打ったような静寂の中、遠くかすかに海鳴りが聴こえてくる。
本当に微かに。まるで夢想のように。寄せては返る波音が、ざざ……と
聴こえてくる……。

それ以外の音は一切無い。風音すらも。
起き上がり振り返る。

むしろこの静寂の中では、自分の鼓動の方が騒がしかった。
非現実的なほどに穏やかな時間。

ベッドから窓を見ると、神々しいような光の滴が、くすんだ色の
カーテンから溢れ出ている。

空気が違う。その清冽さが。雑音の全くない領域が。
何しろ自分以外の人の気配すら感じないのだ。

しかし、この朝の清々しい陽光を見れば、それでも恐怖はない。

「昨日は暗かったからよくわからんかったけど、ボロボロだな」

独り言を呟いた。室内はまさにその通りである。
木の壁は黒く汚れ、床も今にも腐りそうな古い木。調度品は
窓際の小さなテーブルぐらいしかなく、あとは、後からつけたと
すぐに解る木ねじ式のカラフルなハンガーフックが二つ。

それにはハンガーが二本ずつ引っかかっていた。

掃除の途中でもあったのか、窓枠に雑巾が置いてある。
単に結露するからかもしれない。窓は汚れて白く曇っていた。

「掃除もしなきゃな」

一宿の恩という話もある。掃除ぐらいはするべきだろう。
明日か明後日かはわからないが、出ていく前には必ず掃除を
しようと高浩は心に誓った。




Railwayの一階に降りる。

店内は明るい光を取り込んで、優しく落ち着いた色に輝いていた。
この店を愛して、大切にしている人がいることを物語る。

「……あ、そうだ。風呂入ってないな」

やや肌寒いほどの朝の空気に浸り、それを思い出した。

「……といっても、全然汗もかかないしベタつく感じもないし、
気にしないってこともアリか……いや、何言ってんだ」

自分自身の考えを否定して、寝間着として来ていたTシャツを
脱いだ。手近なイスにそれを掛ける。

そして厨房の、洗い場のあたりに行ってみる。
目的の物は流し台のハンガーにかかっていた。

「頭はちょっと洗えないだろうから、顔洗って、身体ぐらい拭こう」

水道の蛇口をひねる。ダッ……と、首の長い蛇口から清水が
流れ出した。
白い清潔そうなタオルを突き出す。ばしゃっと水がかかり……。

「……っ!!!」

声にならない声を上げ驚く。
水がまるで氷のように冷たい。水道からこんなに冷たい水が
夏に出るという、そんなことが信じられない。

「ひえー……つめてー。うわー……」

思わず半笑いになり、高浩は一気に感覚が無くなった手でタオルを
搾った。そして流れるままの水流に、頭を突き出した。




藤ノ木ふたえは時計を確認する。
もちろん見えるわけではない。
音声で知らせてくれる時計を持っている。それで確認した。

「少し早かったかもしれないわね」

機械音声で8時20分と告げられ、考える。

「別に問題ないかな」

白い杖で地面を叩きながら、歩いてゆく。何度も繰り返した
毎日で、今自分がどこを歩いているかも解る。
杖を使わなくても。

ある意味では、この白い杖は、ふたえの目が見えないことを
知らない人に対して、見えないことをアピールするための
ものでもある。たまに、気づかず避けてくれない人もいる。

そういえば、と、高浩の父親である男のことを思い出して。

「寝坊とかはあんまりしなかったな。すぐいなくなっちゃうけど」

むしろその当時は、ふたえのほうがよほど寝坊がちだった気がする。
よくRailwayで居眠りをしてしまっていた。

Railwayの前に着く。

それはまだ目が見えていた頃の話だ。
一階で居眠りしているときに、彼が毛布を持ってきて肩にかけて
くれた時があった。
目が覚めてからふたえが礼を言うと、照れ隠しをするように、
浩樹は不機嫌だった。

「懐かしい」

小さく笑って、ふたえはRailwayのドアを開けようとし、そこに
慣れた感触がまるでなかったために、空振りした。

「そう。ドアがないんだったっけ」

独り言を呟いて、店内に入った。
Railwayの中からは、水道から水が流れる音が大きく聞こえる。

店の中に入った途端、何か柔らかい物が飛んできて、ふたえの
肩に飛び乗ってきた。
どうやらとーらのようだ。

もぞもぞ動くそれを肩に乗せたまま、呼びかける。

「高浩君? 下にいるの?」
「……うわぁっ!!?」

声を掛けると、彼は激しく動揺した声を出した。

「ど、どうしたの? 何かあったの?」
「あ、い、いや、なんでもない、けど」

厨房のほう。声が聞こえるほうへと足を進める。

「ああっ、あまりこっちに来ないで!」
「……? どうしたの? なぜそんなに慌てているの?」
「い、いや、理由を詳しくは説明できないんだけどちょっと、1分
ぐらい後ろを向いててくれないかな!?」
「ええ。はい。いいわよ。――これでいい?」

くるりと回れ右をした。これで、高浩に背を向ける形になる。
背後では、がさごそと物音がしていた。服を着る音だ。

「(あらあら。これはちょっと、困らせちゃったわね)」

ふたえはくすくすと笑った。

「高浩君。あのね、サンドイッチ作ってきたから。テーブルに
置いておくね」
「あ、ああ。どうもありがとう」
「ゆっくり支度して、食べたら外へ出てきて。私、待ってるから」
「いや、すぐ……」
「ゆっくりでいいから」

再度念を押すと、彼は黙っていた。もしかしたらこちらが
怒っているとでも思ったのかもしれない。

誤解されないうちに、ふたえはRailwayの外に出た。

柔らかな暖かみが頬を撫でる。太陽が昇り、きっと世界は
美しく輝いているのだろう。

それを見ることはできないが、ふたえは心の中でそれを
思い浮かべた。

有沢浩樹が彼女に教えてくれたように。
見えなくても、わかる。





サンドイッチを急いで食べて、高浩はふたえとRailwayを
後にした。

「急がなくても良かったのに」
「いや、そんなに急いでもないから」

こんなに涼しいのに、汗ばんだ手のひらで伝わるだろうが。
それは仕方がない。

ふたえと手を繋いで、高浩は町の中を歩く。

「薬屋さんの交差点を右に曲がって」
「ああ。そこか」

正確に、その交差点から10メートルほど手前で言ってくる。
距離が見えているとしか思えないが、見えないらしい。

高浩は彼女を見た。

「……(喪服……か)」

隣を歩くふたえは、袖のない黒いワンピースを着ていた。
白く細い腕と対比する色合いが、大人の女性の存在感を
漂わせる。
頭には黒いレースの帽子を被っている。お嬢様のように
優雅だが、やはり喪服だった。飾り気はない。
ただふたえの雰囲気でそう見えるだけだ。

彼女の肩には茶色の生き物が乗っている。そこが定位置と
主張するように。

高浩は自分の服装を見下ろすが、こちらは黒い制服の
ズボンに白のワイシャツである。
ふたえと並ぶと、子供っぽく見えるだろう。少し悔しい。

背中に背負ったバッグの中には、小さな壷が二つ入っている。

「……親父は」
「うん?」

何気なく口を開いた。本当になんでもない。ただ、世間話を
したかっただけだった。

「親父のことを、恨んでますか?」
「え?」

歩きながら、問いかける。

「……恨んでなんかいないわよ。私。どうしてそう思うの?」
「約束していたんじゃないかと思ったんです」
「約束?」
「はい」

それがどんな約束かは知らない。根拠もない。
高浩の単なる憶測でしかない。

「約束なんて、しないわよ」

小さな声だった。
熱を持ち始めた道路を歩く足音で、かき消えてしまいそうな
ぐらいに小さい。

「だって、それは果たせない約束かもしれないから」

どき、と胸が高鳴る。ふたえが呟いた言葉は、幾度となく
聞いてきた言葉と同じ物だった。

「それは母さんが」
「ひとえ姉さんの口癖だったわね。出来ない約束はするな。
約束を果たせずに傷ついて、破ったほうも、破られたほうも
同じように悲しむ。果たせない約束は、初めからするなって」

厳格な母親だった。高浩にとってみれば、畏敬の念を感じるほど
厳しかった。

「だから浩樹君も私も約束しなかった。ひとえ姉さんとも」
「……」

声を出そうとして、口を噤んだ。

「……」

ふたえも押し黙る。何らかの感情を抱いているはずなのに、
彼女は言わない。

それは、恨みではない。
それだけでは片づかない何かがある。きっと。

「そろそろ斜めに上がってゆく道と、階段が見えてきたでしょ?」
「……え? あ。ある」

門柱のような二つの石に、高永寺と彫られている。

挟まれるようにして石段はずっと続いている。50段ぐらいは
確実に。
森の丘に、駆け登ってゆくような階段だった。そういえば子供の頃
行った日光東照宮もこんな風になっていた。

「それを上がれば、『高永寺』よ。多分もう、車で来てるはず
なんだけど……」

最後の方の言葉は、独り言のようだった。

「誰がですか?」

ふたえの手を引いて、階段に足をかける。
その答えは、すぐに返ってきた。

「友人よ。私と、ひとえ姉さんと、浩樹君の。かけがえのない
大切な友人。同い年の幼なじみ」

友人というものは、常にかけがえのない物じゃないだろうか。
そういう疑問が浮かぶ。

「かけがえのない……もう、失うわけにはいかない。
野本先生や、智香ちゃんのように遠く離れてしまっても。
月美ちゃんのように……」

息が切れたのか、言葉は続かなかった。

ふたえは荒く呼吸しながら階段を上がる。高浩はできるだけ
彼女を支えながら、ペースを合わせてゆっくりと付き合った。

「……?」

出てきた名前に心当たりはない。
それはきっと、尋ねても仕方のないものだろう。

この世界では。
出会わなければ、人はすれ違い続けるだけだから。






階段を上がりきると、時刻は9時半を指していた。

目の前には、森林の中に突然開けた空間がある。
石畳が敷かれ、隙間には玉砂利が敷かれている地面。

たんぽぽがその隙間から顔をのぞかせ、鮮やかな黄色い
花を咲かせている。

「ついたねー。ハァ、ハァ。息が上がっちゃった。歳なのはもう
しょうがないのよね」

まるで歳を感じさせない若々しさと美しさを持つふたえが
そんなことを言っても説得力には欠けるのだが。

高浩は手を離した。

『高永寺』は目の前にあり、それは思いのほか小さな寺である。
それ自身の周囲に廊下が巻き付いたようなデザインで、
防風フードのようなガラスに囲まれている。地方の寺のわりには
お金がかかっているように見えるが、きっとそれは本州の寺を
見慣れているせいだろう。
北海道では外に剥き出しになった廊下など、積雪で大変なことに
なってしまう。全てを壁や窓ガラスで守らなくてはならなかった。

隣には普通の家がある。二階建ての何の変哲もないモルタルの
家だ。恐らく住職の家族が住んでいるのであろう。

「良かった。登ってから、『お寺まであと2キロ』みたいな状況なら
もう帰ろうかと思った」
「あはは。そんなことだったら、私だって誰かに頼んで車出して
貰うわよ。子供の頃はここをよく駆け上がって遊んだのに、本当に
寄る年波には勝てないのよね」
「いや、こんな階段誰だって……」

言いかけて。

「確かによく遊んだなぁ。銀球鉄砲の、アレ、ベルト火薬が別に
ついたやつでパンパンやってさぁ。浩樹と」

声が聞こえてきた方を見る。左手の方の道を上がってきた男を。

「……」

そちら側には、車で来た人への駐車場があるようだ。案内板が
立っている。

ふと言葉を止めてしまったのは、男と、もう一人。
車椅子に座った女がいたからだった。

「あ、月方君?」
「久しぶり。ふたえちゃん」

ふたえが名を呼んだ。それは男のほうだったようで、返事する。

眼鏡をかけ、痩せた男だ。どことなく口調は軽い。髪型を
オールバックにしているのが少々おっさんっぽい。

「絵理ちゃんもいるの?」
「うん。いるよ」

その名前に応えたのは、車椅子の女だった。大きく眠そうな瞳。
ふんわりとした顔つき。ふわふわと揺れる長い髪。歳はふたえと
同じぐらいなのだろうが、やはり美人だ。むしろ可愛いらしい。
ふたえがマロンケーキだとすれば、彼女をイメージするなら
激甘のイチゴスフレである。

二人とも喪服を着ている。月方という男はしっかりとした黒の
スーツ。『絵理ちゃん』も黒のフォーマル。二人とも、全く似合って
いなかった。

「絵理ちゃん。来てくれてありがとう。まだ良くないのに」
「ううん。大丈夫だよ。いつでも元気ぼりぼりだよ」

月方という男は、わかりやすくため息をついた。

「『絵里菜はあまり動けないんだから無理をするな』って言ったん
だよ。それでも、『二人にお別れを言う』って聞かなくて。ところで、
そこの君は、有沢高浩君か」
「え、はい」

突然名前を呼ばれ、高浩は水でも浴びせられたように驚く。
非現実的なほどの自然の中で、突然現れた二人に面食らって。

しかし彼らが、話にあった『友人』だろうと思い当たり。
小さく頭を下げた。

「有沢高浩です。父と母の見送りに来て下さり、ありがとうございます」
「いやいや、そんなことはいいんだが。ふたえちゃん、なかなか礼儀
正しくて良い子じゃないか」
「そりゃあ浩樹君の子だもの。良い子なのは知ってるわよ」
「いや、浩樹に比べりゃ人間出来すぎてるぐらいだと思うがなー」

再会。
和やかな雰囲気が辺りに満ちる。

「よろしくね。高浩くん。月方絵里菜だからね」
「僕は月方浩一郎。絵里菜の夫だ。ご覧の通り絵里菜は体が悪くて、
いつもこんな感じだ」
「そうなの。身体悪いの」
「さっきは大丈夫って言ってたじゃないか」
「あれはうそだ」
「嘘かよ!」

月方絵里菜と月方浩一郎。二人は息の合ったテンポでふざけ合って
いた。仲睦まじいというか、まるで友達のような二人だ。
ちょっと夫婦には見えない。

「あはは。あ、そうそう絵里ちゃん。これ、とーらちゃんだって」

肩に乗ったモモンガをふたえが指し示すと、絵里菜は大声を上げた。

「うわぁー、とーらちゃんだー! とーらちゃんはおっきくなっても
モモンガのまんまだぁ。ね、絵里菜のこと覚えてる?」
「いや、そのとーらは子供だから」

だから覚えているはずがない、と、言うより早くぴょんと肩から飛び降りて
とーらは絵里菜の胸元に飛びついた。

「わー。とーらちゃんも覚えてたんだねー。えらいこえらいこ」

背中に縞模様のあるエゾモモンガの背を、絵里菜がよしよしと撫でると
安心でもしたように、とーらはそのままじっとして動かなかった。

覚えているはずはないのだけど。何か違うのだろうか?

高浩以外の誰もが笑顔だった。ただ、その笑顔は無理をしているような
緊張も持っていた。
やがてその雰囲気も引き締められることになる。

「吉野さん呼びに行きましょうか」
「……そうだな。住職はいるのかな? またバイクでどっか
行っちゃったんじゃないか?」
「昨日電話しておきましたから大丈夫ですよ」
「相変わらず? あの住職」
「あはは。そうですねー。相変わらずです」
「全然住職に見えないからなぁあのおっさん」

月方が心配そうだったが、ふたえは大丈夫だと頷いた。


それから、誰もが無言になる。自然と。

きぃ、と、とーらが鳴いた声だけが聞こえて。
全員は、建物の右手にある墓地へと向かう。


ふたえと高浩を先頭に墓地へと向かい歩く人々。

彼らはこれが葬列だと、今更気づいたようだった。
今更。何もかも。

一歩進むごとに、夏の日差しは高くなってゆく。
それなのに、今更。

寒気のような感情がこみ上げてきていた。誰の胸にも。


(5)終
(6)へ続く
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COMMENT

おもしゃい

続きが待ち遠しい

| ときふさ | 2007/08/26 20:53 | URL | ≫ EDIT

はじめまして

デザインが変わってなんだか新鮮な気持ちで読んでいます。
僕にはそこらのライトノベルよりずっと面白いです。これは売れる・・・。

| miyazy | 2007/08/30 06:10 | URL |

ありがとうございます

>ときふささん
>miyazyさん
ありがとうございます。まぁ、週一の
気休め的な感じになればと思います。
どうぞよろしく。

| もりあき | 2007/08/31 22:08 | URL |















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