携帯ホームページ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

Way to the BLUE 10話

(10)


夕焼けの入口。

一つの時刻が終わる頃。万里は思い出したように立ち上がった。

「あ、そうだ。お母さんにご飯作ってあげないと」

Railwayの店内では、『有沢高浩に生涯消えない精神的な打撃を
与える会』の会議が煮詰まりを見せていた。
可愛い猫を目の前であやしつつ一切触らせないなどは革新的な
妙案であるとみずほは主張するが、万里は猫の調達に問題があると
指摘する。生魚を道にばらまくのは環境汚染になりうる。

ふたえもつい先ほど、料理の材料を買うためにスーパーへ買い出しに
向かったばかり。

今Railwayの店内には、みずほと万里の二人しかいない。

「あ、じゃあ送ってく。一緒に行こ」

みずほも立ち上がった。店内を見回して、万里が困った声を出す。

「みずほちゃんも出ちゃったら、お店に誰もいなくなっちゃうよ」
「別に大丈夫でしょ。ドロボーとかいても、わざわざこんなボロの
お店を狙うわけないもん」

確かにそれはその通りだ。第一今日は、客が一人も来なかった。
売上ゼロだ。

それを知ってて押し入る窃盗犯がいたら、ぜひ先日粗大ゴミに
出し損ねた、座面が破れているイスでも持っていって貰いたい。

みずほと万里の二人は、Railwayの店外に出た。
海岸沿いの道を歩いて、万里の家まで5分ほどである。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

有沢高浩は、海岸を歩いていた。

白い砂浜は運動靴の隙間から簡単に入り込んでくる。ただ、そこを
歩いてゆくだけだ。散歩といえば、確かにそういうものかもしれない。

高浩の後ろを、小さな動物がついて歩いていた。
モモンガの小さな足跡も続く。

青空は、次第に白んでくる。
心の中にかかる霞を思わせるような、ずっと高い所にある雲。
見上げながら、ぼんやりと足を運ぶだけ。

ざざ……

海を見よう。
波はいつまでも続いている。小さな振動が、鼓膜を伝って理解できる。

潮騒。その中で、はっとした。


ピピピ

波音。風音に混じって、電子音が聞こえてきたからだ。
それは高浩にとって聞き覚えあるものだった。左のポケットから
携帯電話を取り出して、二つ折りのそれを開く。

「もしもし」

≪もしもしー?有沢?≫

「神保か」

電話の主は、高浩のクラスメートの神保篤典(じんぼあつのり)だった。

≪元気かー? お前確かさー、今北海道だろ?≫

「ああ。両親の納骨が今朝終わったところだ」

≪それで沈んでんのかよ。元気出せよ≫

高浩は苦笑いを隠せなかった。砂浜に腰を下ろす。海を見ながら。
後ろをついてきていたとーらは、飛び上がって高浩の肩に乗った。

「……沈んでる? か? 俺」

≪ブルーじゃん声が! 今さぁ、なっつと戸田ちゃんでファミレス来てる
んだけど、お前の写メ見たよ! 俺にも送れよ!≫

「お前田舎の風景なんかキョーミねーだろと思って」

≪俺だけハブんのひどくね? あ、なっつが電話代わりたいんだって。
ちょっと待って……≫

「……」

程なく、女の声が電話から聞こえてきた。

≪さわっち? 菜月だけど≫
「なっつか。楽しそうだな」

わいわいと騒がしい東京のファミレスの音が、声の後ろから聞こえて
くる。

≪神保がウザいから早く帰ってきてよ。写メ見て海行きたいとか
しつこいんだって≫

≪しつこくねーよウザいとか言うな≫

≪さわっちすっごい素敵なトコいるんだね。あたし行ってみたいよ。
常葉町だっけ? じょうよう?≫
「とこは」

≪常葉町、静かそうでいいね。海とかめっちゃ綺麗だし、喫茶店とか
すっごいなんかそれっぽくてイイ感じじゃない? でさ、いつまでそっち
いるの? 戸田ちゃんが来週ラクーアか富士急ハイランド行こうって
言ってんだけど、どうする? さわっち来てよ≫

「……いつまで……か」

空はやや霞がかった青さ。
17時になり、だんだんと世界が沈んでゆく。

波は青さを増し、やがて深くなる……。

そんな刹那の美しさを、高浩は眺めながら。

ぽつりと、呟いた。

「明日、帰ろうかなと思う」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




みずほは万里を送った後、歓迎会の趣向の一つ。
高浩の食事によくわかんない貝とかを混ぜて食べさせる作戦の
ために、海岸へと出た。

海岸を歩いて、Railwayへと戻ることも出来る。Railwayの裏手は
この砂浜と繋がっているから。

「意外に見つからないなー。よくわかんない貝」

よくわからない海草ならいくつか手に入ったが、目的の貝はない。
おどろおどろしいまだら模様の巻き貝なんてあれば最高なのだが。

「もうちょっと岩場の方に戻って探してみようかな。あー疲れた。
何で私がこんな苦労しなくちゃいけないのよ」

砂を蹴りながら、ぼやく。

「少しぐらいなんかしておかないと、常葉町の人は冷たいとか
思われるかもなぁ。べ、別に思われたって良いんだけど、ふたえさんが
恥をかくようなことはやっちゃいけないわけだし」

足先で砂を探りながら。みずほはうんうんと何度も頷いた。
自分の独り言に。

「私が何を言っても、あいつはふたえさんにとっては大切な家族の
一人だってことなんだから。私もそういうとこは配慮しないと。
むかつくけど。うんしょうがない。うん」

こん、と、つま先に何かが当たる感触があった。
そこにしゃがみ込んで、取り上げてみる。

「貝発見。あは。綺麗な貝。こんなのあいつにあげたらもったいない
けど、まぁ都会者は生きてる貝なんか見たこと無いだろうし、喜んで
くれるだろうな。感謝しなかったら無理矢理食わせ――」


「明日、帰ろうかなと思う」


近くから……。

声が聞こえた。


「明日、何時になるか解らないけど……飛行機取って、帰る。
だから行けるから。ラクーア。みんなで」

みずほが視線を上げれば、すぐ10メートル先に彼はいた。
砂浜にしゃがみ込み、電話で話している様子の高浩が。

みずほは立ち止まる。

呼びかけもせず、ただその聞こえてきた言葉を、ぼんやりと
反芻して。

「(……帰る?)」

胸中でその言葉を、繰り返して。
意味を理解しようとして。

言葉は出なかった。こちらに気づかないまま、電話の向こうの誰かに
話し続けている高浩。

「そっちだって。あんま気にしないでおいてくれよ。俺は大丈夫だから
心配するなって。ガッコのみんなも。フツーだから俺。変に気とか
使わなくたっていいよ。用事済ませたから、もうこっちにいる理由
なんて……」

茜空の、より明るい方へと視線を移して。
高浩の表情が、硬直した。

その視線の先にいたのは、みずほだった。
ただそこに立ち尽くすだけの彼女がいた。

夕焼け空の中に沈み込むような、白いワンピースを着て。

「……木桧……みずほ……」

高浩は、彼女の名前を呼ぶ。その声はみずほにも届いていた。
うっかりすれば返事をしてしまうぐらい、気を抜いていたが。

なぜ?

そう。みずほはずっとその一言を繰り返していた。

高浩は、適当に言葉を濁して電話を切る。電話を切る時も、
みずほから視線を外せなかった。

彼女もそうだ。視線の先には彼がいる。

「いたのか。声ぐらい掛ければ良かったのに。今、向こうの友達が
電話してきてさ。なんか俺が落ち込んでるとか言って、気を使って
色々さ。困るよな。そんなに俺落ち込んでるように」

「……なんで?」

高浩は、言葉を止めた。みずほが呟いた一言で、もうそれ以上を
続けることが出来なくなってしまった。

なぜ。

それは彼への問いだ。

「なんで、明日帰るって決めたの……?」

それで高浩は、みずほが全て聞いていたのだと悟った。
言い繕うのは無駄だと解った。

少しの沈黙。ややあって、口を開いた。

「やることはやったし……もうこれ以上居ても、どうしようもないと
思ったから……」
「どうしようもない町で悪かったわね」

吐き捨てる。高浩は首を横に振った。

「誰もそんなつもりで言った訳じゃない」
「じゃあどんなつもりよ。どうしようもないのは、私達?」
「だから違うって」
「何が。何が違うのよ」
「どうしようもないってのは、俺がここにいても、誰も浮かばれは
しないって事だよ」
「ふたえさんはあんなに喜んでいたのに」
「それだって……!」

言いかけて止める。

「それだって……俺は……」

高浩は、墓地での一件を思い出していた。脳裏にふたえの悲しげな
表情が浮かんでくる。幻影を振り払うように、首を振った。

「知らなくてもいいことは、いいんだ。知らないままで。ふたえさんは
俺の両親のことなんか、知らなくてよかったんだ。この町で……
この常葉町で、幸せに暮らしているふたえさんには」
「幸せ? 何が。どんな幸せなの。ふざけないでよ」

険悪な声で、みずほは高浩を遮る。

「ふたえさんはいつだって穏やかに笑ってる。私も何度あの人に
慰められてきたか。テストの点が悪くてお母さんに叱られたときでも
ひどく失敗しちゃったときでも、ふたえさんは優しくしてくれた。
でも、私のお母さんが言ってた。人はどうしようもないほどの
悲しみを背負っているから、人を慰めるような笑顔を見せられるん
だって。私は幸せに生きてるかもしれない。でもふたえさんは、
ふたえさんは……違う。私はふたえさんから幸せをもらってるだけ」
「……」

ざざ……。

すぐ近くを、波がさらっていった。満潮近くなり、波が大きく広がって
いる。二人は、そのままだった。高浩も動けずに、みずほを見ていた。

鮮やかな陰影。
染み着くような夕日。
潮騒。
後に残るのは、深く重い静寂。

言葉もない静寂。


「生きることが誰の幸せか、よく考えてよ」


高浩はそうみずほに言われ、小さく奥歯を鳴らした。
生きることが。

誰の幸せ、か。

「みずほは俺に帰って欲しいんじゃないのか」
「……当たり前じゃない。帰りたければ明日と言わず今日荷物を
まとめてこの町から出てって欲しいわ。そして二度とあたし達に
近寄らないで欲しい」
「なら、それでいいだろ」
「あたし、あんたみたいなの大っ嫌い」

静かな声だった。みずほは、むしろ感情を込めないまま言葉を
発している。

ただそれが、彼女の本気だと高浩は感じていた。

「自分の気持ちを見せないで、顔色を見て回るようなそんな
卑怯な生き方よね。あんたのやってるのって」

みずほの視線に。
刺すような敵意が隠っているのに。

「遊園地もデパートもある都会に帰って、満ち足りた毎日を送って
そのうちに何もかも忘れて。そんなもんよね。あたし、あんたみたいな
奴がいるなら都会なんて行くの絶対イヤ」
「別にそんなこと頼んでないし。嫌いになるのは結構だ。でもな、
一応俺が生まれた場所だ。場所には罪はない。あまり酷く言うなよ」
「そうね。あんた個人がイヤな奴だからって、あんたの靴の下にある
砂までイヤな性格にはならないかもね」
「俺が何をした。なんでそんなに突っかかる。俺にどうしろと!」

腕を振り、そして髪をかき上げた。前髪を掴むようにして、高浩は
いらつきを露わにする。

「ふたえさんも気づいてるはずだ! 俺がすぐに帰るだろうって!
俺はふたえさんを家族のようになんて思えない!!
あの人だって内心はそう思ってるはずだ! 俺に気を使って何かと
優しく接してくるけど、正直言ってそんなもの、何の慰めにもなるか!
俺が落ち込んでる? ああ、そりゃ落ち込むさ!! 父親も母親も
一気に失って、この先どうすればいいか見通しもない状況で、
朝から言い合いにはなるし、エグイものは見るし、変な女には
つきまとわれるし、挙げ句の果てには真正面から嫌いだと言われるし
これで落ち込まない奴が居たらそいつは――」
「ふたえさんなら、それでも優しく笑ってる」

高浩がわめく大きな声に、冷や水でも浴びせかけるかのように。

みずほは、優しく言った。

「初めておなかから声が出たね。ずっと何か隠してるみたいで、少しも
言葉が響かなかった。けど、今のは本音だよね。なら、同じように
接してあげてよ。ふたえさんに」

姉のように慕う盲目の彼女そっくりな口調で。

「ふたえさんは、あんたが来てからすっごく嬉しそうで、今が一番
幸せなように見える。私には気に食わないけど、不本意だけどそれは
認める。私がふたえさんの子供みたいに、ずっといるからそれでいいと
思ってたのに。お姉さんのことが大好きで、その大好きなお姉さんの
子供であるあんたが大好きで……ここに長くいて欲しいって、
絶対思ってる。でも、あんたには言わないだけ」
「……なんで……」
「ふたえさんは昔、好きだったあなたのお父さんを何度も見送ったん
だって。ずっとここにいて欲しいって何度も願ったけど。何度も。何度も
別れて。何度も何度も、再会して」
「父さんはどうして、そんな気持ちに応えてやれなかったんだ」
「夢を追うことが、夢を見つめる人にはできるから。ふたえさんは
そう言ってた。だから再会しても、引き留めなかった。誰よりもここに
居て欲しかったんだと思うけどね」

自分の言ったことに、高浩は気づかされた。

「どうしてそんなことにも……気づかなかったんだ」

つい、肩に乗るとーらを見つめてしまう。
そこには以前の記憶があるわけではないのに。

もちろんそこに、父親が居るわけでもないのに。

気づかなかった。いや、気づいていたのかもしれない。
高浩と同じように。そのことを、解っていても振り切ったのかもしれない。

理想ばかりではない。
時には想いに自ら背を向けることもある。

嘘ではなく、偽りでもなく。それは……

「信頼してるんじゃないの。きっと帰ってくるって」

みずほは近づいて、高浩に右手を差し出した。

「帰るなら、そうすれば。でも、それなら約束して。ふたえさんに、
きっとまた会いに来るって。必ず来るって、そう約束してよ」
「……」

右手の中には、小さな、浅紫の美しい貝があった。。
みずほはそれを差し出したまま、高浩を見ている。

「パーティの準備はしてるんだから、それぐらい出なさいよ。
仕方ないからこれ、おみやげにあげる。今そこで拾った
もんだけど。帰ったら友達に見せびらかしなさい。珍しいん
でしょ? 都会者には」

その手の中にあるものを、高浩に押しつけて。

「あーあ。歓迎会じゃなくてもうお別れ会か。垂れ幕外して
おこうっと。ったく面倒臭いことばっかさせてくれるんだから」

言いながら、みずほはRailwayのほうへと歩いていった。
すぐ先に階段があり、そこから店の方へ上がってゆける。
姿はもう見えなくなっていた。

残されたのは高浩だけだ。

無理矢理手の中に押し込まれた小さな貝。
それを見下ろしたまま、小さく、胸中で呟く。


できない約束は、しちゃいけないって母さんが言ってたんだ。






~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「それでは~、有沢高行君のぉ~、歓迎会を~初めまーす」


18時。
都会ではまだ夜も始まらない時間だが、常葉町では既に
夜である。外は茜色の夕焼け。

窓の外を見れば、白波にもきらめく朱。
斜めに差し込んでゆくようなオレンジの光が、青を押し退けて
水平へ伸びてゆく。

青空は浸食されてゆく。一時。その一時だけ……。

「挨拶とか別になんもないんで乾杯ー」
「乾杯ー」

当たり前といえば当たり前だが、木桧みずほはわざとらしく名前を
間違えつつ、会を盛り上げる気の全く無い適当な乾杯を取った。

18時。

有沢高浩を歓迎する会という名目の、そういうパーティはこうして
始まった。名目というのは、知っての通りだが書き記す人間の好きな
記号を用いて、好きなようにできるものだ。

この場合は歓迎会という名目が表現としてあまり適切ではなかった
ようである。とても難しい部分だが、ありていにいえば、好意を持たれ
自然発生的な流れの中で生まれるものではなく、
ごく一部の純粋な想いと、ごく一部の不純で歪んだ想いが交錯する
言ってしまえばまとまりのない合コンのようなものだ。

参加者は以下の通り。

藤ノ木ふたえ。
これは発案者だし当然だろう。参加していなかったらギャグだ。

木桧みずほ。
発案者に近い人物として断る明確な理由がなかったのだろう。
自発的に参加していたとしたらギャグだ。

月方万里。
多分みずほに無理矢理付き合わされたのだろう。頭数合わせ的に。
将来も合コンとかでこんな目に遭っていたらギャグだ。

月方絵里菜。
万里が今日、Railwayで食事をして帰るとその理由を説明したところ、
なぜかついてきたらしい。
そして誰よりも早く食べ始めているというギャグだ。

河井智恋。
ここに存在していること自体がギャグだ。

とーら。
参加者ではなく参加モモンガである。ひまわりの種担当。


そして有沢高浩。
この状況下で最も笑えない境遇にある男。
ギャグを通りこしてシュールだ。



以上。
6名は、ファミリーテーブルを二つ連結した
特設宴会場(Railwayの店内)を取り囲んでいる。見た目は
普通のパーティのように見えるから不思議だ。
テーブルの上に料理や飲み物が並んでいるためだろう。

「遠慮なく食べてね。高浩くん」

サラダとミートボールのような物を皿に取り分けながら、ふたえが
微笑む。しかしサラダがボトボト落ちているが。

「ふたえさんこぼれてるこぼれてる」
「あら、ごめんなさい。布巾どこかしら」

布巾を手に、それをスープの器に浸そうとしている。
ふたえの手を高浩が抑えた。

「いや、もういいですから。気を使わないで下さい」
「ごめんなさい。私、余計なことしちゃって」

料理がどんどん食べられなくなっていくのをこれ以上見るのは
忍びない。
そうじゃなくとも、さっきから月方絵里菜という、万里の母親が
まさに狂気のごとき食欲でいろいろな料理を食いつぶしている
状況である。

「万里ちゃん。これすっごくおいしいよ。お花みたいなの」
「お母さんそれ食べられないよ!!」

何を食べているのかはよくわからないが、車椅子姿も痛々しい
女性が、手当たり次第に箸をつけ、口に放り込んでいく姿は
奇妙というか手品のようだった。

「今日は有沢君の歓迎会なんだから、少し控えて、ね?」

万里が小声でそう呼びかけているが、応じる気配はまるでない。
というか高浩にも聞こえている。

「だいじょうぶだよ万里ちゃん。お母さんはね、とってもおなかが
すいてるの。だからだいじょうぶ」
「意味が全く分からないよ……お母さん」

それはともかくとして、

視線を移すと智恋とみずほが何やら言い合っていた。

「木桧みずほ研究員。君はもう先輩として、有沢研究員を指導する
立場にあるんだからその辺をわきまえた上で」
「わきまえませんってば。大体なんで先輩がここにいるんですか。
先輩とあの変態が知り合いなのは驚きですけど」
「科学者はその魂を引力で引き合うものだよ木桧研究員。つまり
有沢研究員から熱烈な科学者魂を感じた。木桧みずほ研究員と
同じようなソウルを」
「一緒にしないでください。っていうか、ご飯食べたら早く帰って
下さいね。面倒臭いんで」

みずほの様子は、今までとあまり変わらない。
高浩はその様子に少し気を使っていたが、何がどうという変化は
なかった。

【すみません】


わいわいと騒がしい店内だったが、高浩は不意にそんな声を聞いた。
立ち上がり、店の入口の方を見てみる。

そこに立っていたのは、色鮮やかな服の女の子だった。

「千歳さん」
「お晩です。何か、賑やかなところにすまない」

昼間と同じ、赤系の僧服を着た黒髪の美人。吉野千歳が立っていた。

「高浩。昼間は世話になった。今日は……」
「あっ!? 吉野先輩!」

店内からも声が上がる。嬉しそうな表情を見せているのは
みずほと万里だ。

ふたえも気づいて、立ち上がった。

「吉野千歳さん? お久しぶりね。今日、お寺の方に行ったのだけど」
「藤ノ木さんが来られることは存じてましたが、私は山の方に入って
おりましたので。ご挨拶できず申し訳なく思います」
「いえいえ」

慇懃な応対のできる千歳。ふたえは丁寧にお辞儀をした。

「それで今日なのですが、高浩。これは先ほど、少し早いんだがあの鹿を
料理にしてみたんだ。まだ少し硬いかもしれないがみんなで食べてくれ」

話の中で、ふたえと高浩とに視線を配りながら吉野千歳は、持っていた
重箱らしき風呂敷包みを差し出す。

高浩が立ち上がり、それを受け取る。

「パーティをやっていたとは。知らなかった。間が悪かったかな」
「いや。言ってなかったし。どうもすみません。わざわざ」

受け取って、ふと。
千歳が高浩の顔を、じっと見ていると気づく。高浩は少し動揺しながら
その視線を見返した。

千歳は、ふっと微笑んだ。
その微笑みの意味を掴み損ねて、高浩が尋ねる。

「? どうかした?」

「高浩。表情から『険』が取れたような気がする。いつもその気持ちを
忘れないようにすればいいと、私は思う」

けん、が取れる。という言葉の意味を高浩は知らなかったが、意味は
なんとなく読み取れた。

二人がそんな様子の中、全く空気を読もうとしない女もいる。

「千歳。さすがね。魔術でこのパーティを嗅ぎ付けてくるなんて」
「智恋も招待されていたのか」

肩越しに智恋の姿を見て、千歳は微笑んだ。
高浩に向かって、千歳は説明するように。

「智恋とは幼馴染みで、色々と縁がある」
「そうなんですか」

意外な人間関係に少し驚いた高浩だった。
あまり性格が噛み合いそうには見えないのだが。




結局、千歳にも料理を食べていくように促したが
家に食事を用意してあると言って、千歳はすぐに帰っていった。

もう少し話がしたいと思っていた高浩は残念に思った。

しかし千歳の雰囲気として、あまりこういう場に似合わないような
そんな気はする。本人には不本意かもしれないのだが。




「世界中の誰よりきっと 優しい気持ちになるー♪」

いつのまにか、状況は智恋の持ってきた『科学カラオケマシーン』
のせいでよくわからない状況になりつつあった。

「目覚めてはじめて気づく はかない愛ーおっおー♪」

やたら大声で歌いまくっているのはみずほで、肩を組んで
無理矢理デュエットさせられているのは万里である。

「私達が若い頃の曲だよね。好きだったなぁ」

ふたえと絵理菜には懐かしい曲だった。学生時代を思い出し、
思い出話に花を咲かせる。

「こーちゃんも好きだったよ」

夫の月方のことを昔の呼び方で呼ぶ絵理菜も、病気が最も
ひどかった時期を思い出していた。


その全ての記憶には、有沢浩樹の姿もあった。

ふたえも、それを思い出す。まだ目が見えた頃の、幸せな
記憶を。

「そうだ。高浩くんは……高浩くん? 高浩くん?」

振り返り声をかけるが、返答はない。
高浩はそこにいなかった。

気配がないことにようやく気づいたふたえが立ち上がる。

「高浩くんは?」
「え? 研究員なら、さっき出てったけど?」

科学カラオケマシーン用のカラオケテープを用意していた
智恋が答えた。

「……」

ふたえの胸中に不安がよぎる。
みずほ達の歌声を背にして、ふたえは店から出た。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「高浩くん!?」

店から出て、最近出したこともないような大声で彼の名を呼ぶ。

「(浩樹くん……)」

思わず、その名を呼びそうになるのだが。

「いつだって……唐突なんだよ。帰るのも、行くのも……」

その父親は、もう還らない。
高浩だけがこの世に残された。

虫音。ジジ、と鳴き立てる夏虫と、遠く聞こえる懐かしい歌。
ふたえは辛い気持ちになった。

戻りたくとも、もう戻れない。

鳴いても誰も帰ってこない……。
有沢浩樹は逝ってしまった。
大好きな姉と一緒に。

高浩だけが残されている。それはふたえにとっても、かけがえの
ないものだった。

「高浩くん……」

涙を堪えて、その名前を小さく呟くと。

「……ふたえさん」

声が聞こえた。はっとして、ふたえは顔を上げる。

「ふたえさん。今日は、本当にごめん」

ふたえは、今日ほど自分の目がもどかしいと思ったことは
なかった。
本当だったら、高浩を抱きしめたい思いでいっぱいなのに。

「……ううん。いいの……」

不安でしょうがなかった。
いつが別れの日か、それを思うのが辛くて仕方がなかった。

有沢浩樹と過ごした日々の記憶。

「……好き……だった……から……」
「え?」

ふたえがかすれた声で呟くのを、高浩は聞いたが。ハッキリと
理解することは出来なかった。

かわりに、高浩がハッキリと言い直す。

「本当に、あの墓地のこと。悪かったと思う」
「いいの。そんなのはもういいの」
「寂しい思いをさせて、ごめん」


その瞬間に、脳裏に蘇る鮮烈な記憶。
幾度もの別れを。

「(もう泣かないようにしようって決めたのに……!)」

どんなに悲しくても。
『有沢浩樹』を見送るときは、笑顔で。そう心に決めたのに。


  [寂しい思いをさせて、ごめんな。ふたえ]



十数年の時が過ぎて、
彼の子供が、同じ言葉を紡ぐ。

それは奇跡なのか。

常葉町では奇跡が起こる。人の夢が作り出す奇跡が。
ふたえは、自分の手を見た。

見えない目で、手を見た。

「あなたのお父さんは、昔、ここに夢があると言った」
「……ふたえさん?」

手のひらを上に向け、差し出す。高浩は見ているだろう。

「高浩くんはまだ生まれてもいなかった。そんな昔のこと。
でも私は、今でもその言葉を信じてる。この手の中に、夢が
あるということ」
「手の中に、夢?」

差し出して広げた手を、握りしめる。何かを掴み取るように。
その仕草を見つめる高浩。ふたえは、その手を自らの胸に
触れさせた。

「そんな身近にあるものだっていう意味。手を握るだけで、
掴み取れるほどに近い。でもそれは見えないから。ここにあると
信じなきゃダメなんだって」
「……」

それを信じられなくなったら、もう何もない。
ふたえにとって、それは全てだった。

「昔話。ごめんね。高浩くんには関係ない事だったね。ただ、
浩樹くんが昔言っていたことも、お姉ちゃんが言ってたことも、
知らないことがあるなら教えてあげようと思って。私は……」

私は。
二人のことが、好きだから。

「……」
「……ふたえさん」

高浩の呟きは、もう手の届くほど近くにあった。
その声に、首を振る。

もう、いい。
少しでも理解してくれたことが嬉しかったから。
これで別れてしまうとしても、もう。


「高浩くん。明日、見送りにいくね。みんなで」
「……あの……」
「実はみずほちゃんから聞いてたの。高浩くんは、明日東京に
帰るって。だから、本当は……歓迎会じゃないのに」
「いやあの……その事なんだけど」

声が曇っている。何か困ったように。
高浩は遠慮がちに、言った。

「……暇だし、その、せっかくだからRailwayの手伝い……
してみようかと思って。夏休みの間……。
ふたえさんが許してくれれば、なんだけど」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


窓の外を眺めて、ひとつだけため息をつく。
星空の下で、絵の中のようなふたり。

ふたえがひとつ、頷いたのが見えた。
高浩の言葉に、嬉しそうに。

みずほはその光景を見ていた。

「最初っからそうでしょ。ただのわがままよ」

またため息。
そして苦笑い。

Railwayの店内では、智恋と絵理菜がなぜか歌っていた。

「みずほちゃんは、高浩君が帰らない方に賭けたんだっけ」

万里が尋ねる。彼女もみずほの隣で、同じように窓の外を
注視している。高浩と、ふたえの話し声を聞こうとするように。

やかましいカラオケで、何も聞こえないが。

「……私、賭事すっごい強いよ。負けたことないもん」
「みずほちゃんは、勉強以外はほんと強いね……」

しみじみ、万里も痛感したように。なんだかよくわからないが、
みずほは確かに勉強以外は何でも強い。

「別に根拠があるわけじゃないけどー……さぁ」

頬杖をついて、万里に笑いかける。
みずほは、自分でもバカなことを言っていると思いながらも。

「あいつ、あるのよ。私、それが見えるの」
「……は?」
「そうよ。もう何年も見なかったけど。久々に見たわー。あの
カッパスケベの背中に見えるってのが、どーしても納得
できなかったけど」

意味が分からない。

万里は目をぱちくりとして、首を傾げた。

「みずほちゃん……言ってることがわかんない」
「わかんなくっていいよ。どうせわかんないから。見えない人に
説明するのは難しいもん」
「……なにそれ。ちょうのうりょくとか?」
「そういうもんなのかなー。まぁいいじゃん。とにかく、賭けは私の
勝ちね。100円もらい」

テーブルの上の百円玉を右手で放り投げ、落ちてくるのを左手で
パシッと掴む。みずほはニヤニヤ笑うと、その百円玉を指で
つまんだ。

透かしてみるように、窓越しに見える高浩の姿に重ねる。

みずほには見える。
高浩の背中の部分に、白いもやのような形が。

「(『翼を持つ人は風にもなる。その翼は託されたものの幻像』か。
面白い面白い。お父さん、早く帰ってくればいいのに。私、また
翼を見ちゃったよ。あいつ、きっとなんかあるよ?)」

夜天のどこかを飛び回っているはずの父親に、そう呼びかけた。

翼を持つ人は、風になりうる。
気まぐれな風を吹かせ、何かを生かす。何かを壊す。

「ま、帰るわけないよ。どっちもさ」

みずほにじっと見られているとも知らず、高浩は窓の外で
照れくさそうに笑っていた。


(10)終

(11)へ続く

スポンサーサイト

| 連続小説 Way to the BLUE | 17:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT