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Way to the BLUE 11話

(11)

夜は闇。

当たり前のようで、当たり前に思えない。
夜が闇だと知ったのは、常葉町に来てからだった。

小さな月と、満天の星空。
その光も地表まで届かない。生活光もない。
それが闇だった。

高浩は、湿っぽい空気を吸い込み、そして吐き出す。
北海道の夏は冷湿なものだ。寒いほどではないが、しっとりと
濡れているような空気。草の匂いが濃く、波立つような。

夜露だろうか。

木々や草の表面は濡れていた。雨が降った後のように。

それを感じながら、高浩は夜道を歩いていた。


パーティが終わったのはつい先ほどのことである。


その後片付けは、むしろパーティをやっていた時間より
遙かに長かった。

眠りこけた月方絵理奈とその娘の万里を、高浩が家まで送って
行くというのが一つ。

なぜか智恋まで送っていくというのが一つ。
(カラオケの機械を積んだ大八車を引く係)

それからRailwayのテーブルの上に散乱する肉と生クリームの
しぶきを片づけるのである。容易なことではない。

全てが片づいたときには夜9時。
高浩も汗だくになっていた。

「お疲れさま。高浩くん」

少しも疲れたような様子のないふたえが、にっこりと笑う。

「疲れたでしょう。お風呂が10時までだから、急いで行ってくると
いいわ」
「私も疲れたから早く帰ってお風呂入ろ」

そう言うみずほは働いていない。座ってべたっと寝そべっていた
だけだった。驚異的にやる気がない女である。後片付けをしよう
とは、全く、一つも思わないらしい。

「だって、片づけたってまた汚れるし……」

おおよそ最悪な回答だ。廃墟のような部屋を作り出す人間の
典型的傾向かもしれない。

「じゃあ、高浩くん。また明日」
「くせーからちゃんと風呂入れよ」

みずほの完全に喧嘩を売っている一言を完全に聞き流し、
高浩は手を振った。

みずほとふたえが帰って、高浩の手にはふたえから受け取った
お風呂4点セットがある。

お風呂4点セットとは
・シャンプー
・リンス
・石鹸
・手ぬぐい

この4点である。

本来はバスタオルとアカスリを含め6点セットと呼ぶのが
正しいが、それらは必要ないという猛者も多い。
よって最低限必要なものとして、4点セットがまとまる。

さらに言えば4点セットを入れる風呂桶もセットに含むと
言えなくはないが、バナナはおやつに入らない論理で
それは含めないのがお風呂研究家の定説である。

『お風呂4点セットは4点だからこそ価値がある』

そう嘯(うそぶ)くお風呂研究家ほど、偏屈な生き物はいない。
完全なものを愛する気持ちとは違う。
むしろ欠点を愛する。そういう精神を持つ人を、周囲はマニアと
呼ぶ。

それはともかくお風呂4点セットは、ある意味では常葉町に来て
初めて調達した生活用品かもしれない。

歩くと石鹸箱がカタカタ揺れる。侘びしい。

ちなみに右の小脇に4点セットとバスタオルを抱えているが、
左肩にはとーらが乗っている。

「……風呂屋に入れるのだろうか」
「きぃ」

とーらも首を傾げるが、肩に乗ってて改めて思う。

臭い。

昼間などどこかうろつき回ってきたのだろうが、全くどうしようも
ないほど臭い。

何の臭いか解らないが、真夏の野球部の部室に放置された
タオルのような臭いだ。

これは風呂に入れるしかないが、Railwayのお湯の出し方が
特殊で、高浩にはよくわからないのだった。

仕方がないので、とーらも一緒に持ち込む。もし見つかっても
しらばっくれれば、エゾモモンガをペットにしているとは思われまい。

「天野湯って、あれか?」

街角の薄明かりの中。真の闇ではない部分に、微かに浮かび
上がる煙突。

『天野湯』だった。

予想に反して四角い建物である。二階建てで、上には人が住んで
いるのかもしれない。北海道の一般家屋は総じて大きいが、
その大きいよりさらに一回り、立派だ。

儲かっているのだろうか。

高浩は入り口の引き戸を滑らせた。男の方ののれんをくぐる。

「いらっしゃーい」
「どうも……って」

髪の毛を二つに結った、とても小さく可愛い少女がいた。
それも番台に。

彼女には見覚えがある。あの倉庫で出会った女の子。

少女と高浩は同時に相手を指さした。

「……確か、牧野遊花?」
「タカぴー!?」
「タカぴーってお前……」

中学生ぐらいの女の子が番台に座っていた。
昼間、祖父の倉庫で遊んでいた子である。

牧野遊花。
素性はよくわからない。

「この銭湯が家か?」
「そーだよ。なぁんだ。簡単にバレちゃってつまんない」

ぷぃっ、と、顔を背けてむくれる。子供じみた仕草が逆に似合って
見える。

「390円」
「はいはい。なぁ。君、なんで俺のひぃじいさんの倉庫に
いたんだ?」
「……ひいじいちゃんの倉庫?」
「紙飛行機で遊んでた」
「あそこは坂井のおばあちゃんの倉庫だよ」
「いや、それは俺のひいばあさんで」
「嘘だー。だってタカぴーは有沢だって自分で言ったじゃん」
「ばあさんが嫁いだからな。といっても、顔も見たことはないんだが」
「……えっと、なんだかよくわかんないけど、とにかくあの倉庫は
遊花が貰ったものだからだめ」
「……『貰った』???」

オウム返しに高浩は尋ねた。貰ったというのは、一体……。

「坂井のおばあちゃんが死んじゃうとき、遊花がちょうだいって
言ったらあげるって言ってたから」
「……ンなアホな……」
「だからあれは遊花のものー♪」

遺産の権利書とかを奪い合っているどこかの誰かに聞かせて
やりたい言葉である。

父親の浩樹には、あの建物とその『中身』は、大層重要なもの
だったのかもしれないが、高浩にとってそれは、大した意味を
持つものではない。

「まぁ、別にいいけどな。ひいばあちゃんがあげると言ったん
だったら」
「わーい」

履き物をげた箱に入れて、高浩は脱衣所の方へ入った。
といっても、入り口で男女に分かれた後、番台を抜ければもう
そこが脱衣所である。

かなり古風なレイアウトだ。番台からは何でも一望できる。
こういうところは最近あまり見なくなったものだが。

「……」

遊花は、ニコニコ笑って高浩を注視している。
シャツを一枚脱ぎ、そして……

「あのさ」

遊花に声をかけた。

指でつまんだものを、突き出すように。

「これ、入れてもいいか?」
「なにそれ? 可愛いね。いいよ」

首元を掴んでぶらぶらさせていたとーらを、ぽとりと畳の上に
落とした。トコトコその辺を走り回る。

他に50歳ぐらいの客が身体を拭いていたのだが、とーらが
足下を走り回ったのを見て、目で追っていた。

「名前はなんていうの? その子」
「とーらだ」
「変な名前だね。とーらって。変なの。なんでとーらなの?」
「虎のように強くたくましくって意味みたいだ。俺がつけた
名前じゃないけど」
「ふーん」
「どうでもいいけど、あんまこっち、見るな」
「え?」

不思議そうに尋ねる遊花と、視線が交錯する。高浩はもう
上半身裸で、あとはズボンとパンツを脱げば万全だが。

「いや、脱ぐから」
「え? 脱げば?」
「……」

小首を傾げて、『何を言ってるんだろうこの人』的なニュアンスの
仕草を見せる遊花。

「……」

高浩は、バスタオルを腰に巻き始めた……。





温かい湯に浸かり、一日を思い出す。

溶けてしまうようなけだるさの中、今までのことを。

昨日、7月25日に常葉町へやってきた。
終点の喫茶店。Railwayに着いて、藤ノ木ふたえと出会う。
藤ノ木ふたえは、高浩の母親・藤ノ木ひとえの妹だ。
ふたえも、有沢浩樹……高浩の父親を古くから知っている。

不幸なタイミングで木桧みずほという同い年の少女が現れた。
月方万里という友人と共に。
ふたえはRailwayの手伝いしながらしばらく常葉町で暮らして
いけばいいと高浩に薦めたが、高浩は明言を避けた。

今日は7月26日。常葉町へやってきて二日目。
朝、ふたえと二人で両親の骨を埋めに、寺へ向かった。

月方浩一郎。そして月方絵理菜。
そこで、『両親の姿』を知る高浩と、『幼なじみ達』を知る者が
一堂に会した。高浩とふたえの気持ちはすれ違い、ケンカに
なってしまった。

心苦しさを感じた高浩は、あてどなくぶらつくうちに寺の住職の
娘である吉野千歳と出会う。
その後、変わった女である河井智恋。いたずら好きな風呂屋の娘、
牧野遊花とも出会った。

そしてついさっき、なんやかんや言いながらもふたえに謝ることが
でき、とりあえず夏休み中はRailwayで働く決心を固めた。

そして……

みずほは……。

「……」

思い出すのを止めて、高浩はお湯で顔を洗った。
みずほは……。

「特に、反対しなかったな」

それが何の意味を持つのか。
よくわからない。

木桧みずほという人物が、よく理解できないから。

「そのうち……な」

聞けることは聞いてみるべきかもしれない。

ついさっき、客が一人出ていった。先ほど脱衣所で一緒に
なった男だ。彼が出ていって、もう浴室には高浩しかいなく
なった。営業時間ももうすぐ終わる。

高浩は浴槽につかりながら、天上を見上げる。
タイル張りの浴室内。天上には、天窓があった。
その向こうには月が。

闇の中にぽつんと、孤独に浮かぶ半月があった。

「……月のお姫様か」

何となく、思い出した単語を呟く。

  ばしゃばしゃ

とーらが、浴槽の外に置いた風呂桶の中で水をかき乱して
遊んでいる。
そんな彼のペットに話しかけた。

「6年ぐらい前のことだったか。お前の知らない昔だ。
まだ今の家を買う前、光が丘のアパートに住んでいたときだ」

月を眺めながら、高浩は遠い記憶を呼び出した。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「ただいまー」

16時。
真昼の終わりに、高浩は家へと帰った。運動靴を玄関に
放り出し、リビングを駆け抜ける。

「高浩! 洗濯物はちゃんとカゴに入れなさいって言ったでしょ!
どうして脱ぎ散らかすのよ!」

ダイニングで料理をしている母親の怒声が追いかけてくる。
高浩は自分の部屋に入った。ランドセルを放り出し、TVをつける。

すぐにゲーム機のスイッチを入れた。最近ずっとやっている
ロールプレイング・ゲームのタイトル画面がTVに映る。


「もう。高浩は」

母親が、お玉片手に部屋の入り口に立っていた。

ウエーブがかかった長い髪の毛を頭の後ろで縛って、
黒いエプロンをつけて。

そういえばそのエプロンは、昔からずっと変わらなかった。

「ゲームばっかりやって。たまにはお外で遊んできなさい。ほら、
靴下ぐらい脱いで」
「だって外って暑いし、友達もあんまり外で遊んだりしないよ」

母親--有沢ひとえは嘆息したようだった。

「暑くない! 心頭滅却すれば火もまた涼し! 暑さ寒さも
彼岸まで!」
「……最後のは違う気がするけどなぁ」
「口ばっかり達者になって、体育の成績も下がったじゃないの。
そんなんじゃひ弱で情けない男になっちゃうのよ」
「母さんはうるさいなぁもう」

ゲームに集中できず、高浩は文句を言う。その文句が言い
終わるより早かったかもしれない。

「いだだだだっ!!」
「お母さんになんてことゆーの! あら、高浩あんた耳の中
汚いわね」
「痛いって!! 耳取れる!!」
「後でもっと痛い耳掃除してあげようか?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

耳を引っ張られ、高浩は無理矢理引っ張られていく。

「そうね。暑いってぐらいで一緒に遊んでくれる友達が居ないのも
問題だわね。じゃあ、私とサッカーでもしましょうか」

リビングまで引っ張ってこられた高浩は、耳の所在を確認しながら
意外そうに声を上げた。

「お母さんがサッカー!?」
「何よ。お母さんじゃ相手として不満なわけ?」

母親はエプロンを取りながら、不適な笑みを浮かべる。
腰に左手を当てて、胸を張って。

「言っておくけど私、故郷じゃサッカーもバスケも男子より上手
かったんだから」
「いやそーじゃなくて! 晩ご飯晩ご飯!」
「晩ご飯? もう作ったわ」
「早っ!! まだ4時なのに!?」
「そうよ。むしろ遅すぎるかもね」

それは嬉しかったからのようだ。母親は、にっこり微笑んだ。
いつでも、怒り顔と笑い顔の比率が変わらない。

有沢ひとえ。その母親は、若々しく明るく、頭が良く、綺麗で、
高浩は子供ながらに、友達への自慢にしていたほどだった。

「さ、外に行って元気に走り回るわよ。ボール持って!」

玄関を指さし、母は高らかに叫んだ。





「そ、そろそろ休まない? もう十分走り回ったし……」

サッカーを初めて15分後。
母親はあっさりと、バテた。

「……母さん。まだボールに触ってないよね……」

半眼で高浩が指摘すると、彼女は、うっ、と呻いた。

「運動する格好で来てなかったしね」
「僕も母さんと同じくGパンだけど」
「……」

ゴールがないのでシュートも何もせず、線を引いた場所に
ボールを持ち込めば勝ちという遊びだ。

さっきから母親はボールを追いかけまわるが、触れもしな
かった。

「はぁ、はぁ、ちょっと、私ブランコで休むわね」
「母さん……大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。息が切れただけだから」

肩で呼吸して、母親は胸元を押さえながら離れてゆく。
10メートルほど離れたブランコに、腰掛け、母親は
高浩の方を見ていた。

高浩はボールをポンポンとリフティングし、手で受け止めた。
母親の隣のブランコへ座る。

「まだ遊んでていいのに」
「母さんが誘ったんでしょ」
「ああ、そりゃ、そうだわねぇ」

暑いのかパタパタと手で扇ぎながら、母親は笑う。

「やんなっちゃうわ。私、かぐや姫みたい」
「かぐや姫?」
「月のお姫様ね。竹取物語の」
「……どんな話?」
「……」

ふと、考えるような仕草を見せる。高浩が尋ねたことを
考えるというより、何か別なことに気づいたような、そんな
思案顔で。

「遠いところから来たけど、この東京の空気は悪すぎるのよ。
私には。動くのが辛いぐらいに」
「僕は……そんな風に思わないけど」
「そうねぇ。私だけなのかもね。お母さん、ダメねぇ。どうしても
馴染めないの。この空気。暑さも」

自嘲する苦笑。
なんだか今日の母親は、雰囲気がおかしかった。

「竹取物語の話はね。高浩は知らないの?」
「竹取物語って、月のお姫様が地球に来た話でしょ」
「そうそう。竹を切ったらお姫様が出てきたっていうの」
「……母さんは、竹から出てきたの?」

くすくすと、母親は笑った。

「北海道には竹が生えないから、私はかぐや姫じゃないわね」
「そうなんだ」

高浩はボールを、手の中でまわした。
ついでのように尋ねる。

「……お母さん。なんかあったの?」
「……」

  キコ……

金属のきしみが、夕暮れ空に響きわたる。
木に囲まれた公園で、その音だけが大きく。

ややあって、母親は。

「お父さん、今日帰ってくるんだって」
「え! 本当?」

高浩は、満面の笑顔で母親を見つめる。

「本当に!? お父さん帰ってくるの!? 何ヶ月ぶりかな!」
「……」

ブランコから飛び降りて、全身で喜びを表現する高浩と。
それとは全く逆に、静かに、悲しげな笑みを浮かべる母親。

「お父さんが帰ってきたら! 母さんもっ……か……」

はしゃぐ高浩も、母親の様子にようやく気づいた。

「母さん……? 本当に、どうしたの……?」

夕日に照らされた母親の横顔は、本当に綺麗だった。
お姫様のように綺麗だった。

「どうしてお姫様は地球に来たのかな……高浩。知ってる?」
「……え?」



「どうしてお姫様は地球に来たのかな……高浩……」




その日の夜。
父親が帰ってきた。

高浩は大好きな父親と、ずっと話し、遊んだ。一緒に風呂にも
入った。

だが、母親はどこかぎこちない笑みを浮かべて。
時折瞳を伏せた。


夜になり。
高浩が布団の中で、物音に目を覚ますと。

声。小さく、しかし激しい言い争いの声が聞こえる。

高浩は起き上がり、ふすまを少しだけ開けた。
まぶしい明かりが差し込んでくる。

「……ヒ……だから……う……葉町……」
「俺だって……が……っているのは知ってる……」
「知ってるですって? ……わけが……忘れた訳じゃないわよね」
「秘密裏にそんな話をして……俺に……高浩は……」
「ふたえは……あなたを信じていたのよ」

言い争いは、静かすぎて所々しか聞こえない。
ただ、その内容がよくないことであることは解っていた。

「こんなことなら……選ぶべきじゃなかった……」

父親が言った一言に、母は激昂したようだった。
バン! っと、リビングのテーブルを平手で叩く。

「あなたは選んだ訳じゃないでしょ!! 私は、出来ない約束を
あなたがした、それが許せないのよ!! そんなこともわから
なくなったの!? 守れないなら約束なんかしないでよ!!」
「ひとえ。高浩が寝てる」
「……」

また、声が小さくなる。
高浩は顔を引っ込めた。これ以上は、聞いてはいけないような
気がしていた。

高浩はまた布団に入る。

怖かった。

両親が遠くなっていくような気がして、本当に怖かった。
ついには泣き出していた。

ケンカなんて、してほしくない。
ずっと仲良くしていて欲しいのに。

「……もう、帰れないな……」

その言葉だけが、鮮明に聞こえてきた。

  ズズ……

物音がして、扉がすこし開く。明かりが入ってきたのを感じた。

「……ふぅ」

ため息。
父親がついたようだ。扉に近づいていたから、さっきの言葉だけ
鮮明に聞こえたのだろう。

「……高浩のために……か……」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

俺のために?

「……」

高浩は顔を浴槽に沈めた。
頭まで浸かり、一気に上がる。

「3年前ぐらいか。父親が帰ってくると、いつもこうだったな」

とーらの入る風呂桶を持ち上げ、高浩は浴室を出た。

「長湯だったねぇ」
「そうだな。少しのぼせた……って」

浴室から出ると、目の前に小さな女の子が立っていた。

「遊花!?」

慌ててタオルを腰に巻き直す。脱衣所のカゴを抱えて、遊花は
ニコニコ笑っていた。

「もう終わりだから。早く着替えてねー」
「お……おう……」

それだけだった。入れ替わるように浴室へ入ってゆく。
清掃を始めるのだろうが。

「……ある意味、これは子供の情操教育に悪いな」

男の身体を見ても平然としている様子の遊花の視線を、
常に考慮しないといけないのが大変である。

あまり落ち着かない。

「……」

とーらを肩に乗せたまま、高浩は脱衣カゴから下着を
取り出した。
手早く着替える。

そしてシャツを頭から着て、ふと。

その視線に気づいた。

「……」

遊花は浴室でデッキブラシをかけている。
番台には、別の人間がすわっていた。

それが高浩を見ている。じっと。じっとというか、
……ギロリと。

「……」

男だった。16歳ぐらいか。胸元を開けた白いワイシャツに
耳のピアス。

剃り込んで殆ど無い眉毛。

突き出たリーゼント。

細い目から放たれる視線は、完全に高浩に向いている。

「……」

思わず高浩は絶句した。
どこをどう見ても、完璧なヤンキーだ。

一体どういう関係なんだろうか。

服を急いで着ながら、ちたちらと確認する。

というか、絶望的なほどにそのインパクトが凄い。ツッパリだ。
見事なまでに前時代のツッパリだ。

10センチはあろうかというリーゼントがコッペパンのようで
ある。子供が見たら泣くと思うが。

「……お前よぉ、”ヨソモン”だろ。あ? 妹にチョッカイ出したら
”囲むぞ”コラ」

番台から呟きが聞こえた。
怖いというか、不気味である。

「……妹って、遊花のこと?」
「”遊花”だァ?」

着替えを続ける高浩に対し、身を乗り出して。

「妹を呼び捨てにしやがって……上等だよ息の根止めてンぞコラ
ヤベー”キレ”ちまってんぜオレぁ!」
「……」

どうやら、その変な……いや、特殊な容姿の人は牧野遊花の
兄のようだ。
ついでにいえば、何か勘違いをしているためか、遊花と自分が
仲がいいとも思っているようだ。

番台から出て、飛びかかってきたりするかと思っていたが
別にそこまではしないようだ。主に叫ぶ専門なのかもしれない。

と、そんな様子の兄に。

「おにーちゃん!! 私の友達に向かってだめでしょ!! そんな事
言ったら!! 怒るよ!!」
「うっ……ゆ、遊花……すまねェ……」

浴室から出てきた遊花が、兄に食いついた。

兄、やけに弱い。

「タカぴーは遊花のお友達なの! おにーちゃんも仲良くしてよ!」

妹に思い切り怒られ、兄は番台で小さくなっていた。

「はい。じゃあ仲良しのごあいさつ」
「ケッ。オレは牧野琢男。”夜露死苦”」
「……有沢高浩」
「おにーちゃんたちは今日から友達だよ。ケンカとかしちゃダメだよ」

いちいち言葉をクドく言い回すのはなんとかして欲しい。
あと付け加えると、こんな友達は一切いらない。

「おにーちゃんはちょっと怖そうだけど、すっごく優しいお兄ちゃん
なんだよ!」

高浩にそう説明する遊花の言葉を、あまり信用できない思いだ。

そもそも、遊花と似た遺伝子を持って生まれてきたというだけで
衝撃的な事実ですらある。超科学とやらで解明できないものか
機会があったら川井智恋に聞いてみよう。

着替えを終えた高浩は、刺すような視線に晒され落ち着かないまま
銭湯を後にした。

「タカぴー、また来てね。お風呂入りに。とーらちゃんもまたおいで」

遊花が出がけに手を振る。
番台の兄は終始悪態をついて、睨んでいたが。

……

外に出る。

しん、と静まる夏の夜。小さな虫の声。身体の熱がゆっくりと
逃げてゆく。

曇りのない夜空に、瞬く星々。

「(風呂屋にも波乱があるのか……何て面倒くさいんだ……)」

涼しい夜の空気の中、疲労感と眠気を覚えながらRailwayへと
帰る道程。

バタバタと服がはためくような、海岸の風。

「月……」

浴室の中で天窓から見えた、白銀色の月が浮かぶ夜空。
それを見上げた。

「月のお姫様……か」

肩に乗ったとーらも、同じように空を見上げた。
立ち止まったまま、高浩は夜空に尋ねる。

「竹取物語の結末は、離別だった。なら……?」

遠い昔のことを思い出した時、浮かび上がった言葉。
母親は……藤ノ木ひとえは。

竹取物語の話しをしたとき、その中身を詳しく説明しなかった。
今なら知っている。

高浩は携帯電話を取り出した。
家路に向かい歩きながら、携帯電話のメモリーを呼び出す。

  trrrrrrrr……

呼び出し音の後に、電話が繋がった。

≪……もしもし。有沢君?≫
「戸田さんか? 俺だけど。ごめん。こんな夜に」

電話をかけたのは、仲のいい女友達の一人だった。
名前は戸田茜という。クラスメートで、今学期に入って特に
仲が良くなった。

≪あっ、いいよ。どうしたの?≫
「つまらないことなんだ。確か戸田さん、国語とか古典とか
成績良かったよな。ちょっと訊きたいことがあって」
≪どんなこと? 勉強のこと?≫

歩きながら、高浩は言葉を考える。
尋ねたかったことは一つだけだ。

「かぐや姫の話、詳しくないか?」

≪……え? かぐや姫って。竹取物語の?≫

尋ねられ、困惑している声が聞こえる。
戸田茜は控えめな学級副委員長で、大人しい感じの子だった。
こんなことを尋ねられれば驚くだろう。

「ああ。本当に御免な。夜中にこんなつまらないことで」
≪ううん。えっと、竹取物語は……≫

少し無言が続いた後、電話の向こうから言葉が返ってきた。

≪竹の中から出てきた子供が、竹取の翁の夫婦に育てられて
美しく育ったんけど、公家や帝の求愛に応じずに、十五夜の日に
月から来た人に連れられて月へと帰っていった、っていう≫
「ああ。そうだけど……気になってるのは」
≪うん≫
「それが、なぜ地球へ来たのかって事なんだ」
≪あははは、そうだね。確かにそれ、お話の中じゃあんまり
書かれてないよね≫
「あんまりってことは、ちょっとは書かれていたか? あいにく、
ぜんぜん覚えてないんだけど」
≪うん。月で、かぐや姫は罪を犯したからだったと思うよ≫

戸田の言葉に、高浩は足を止めた。

「罪を犯したから……? どんな?」
≪さぁ。それはわかんないかなぁ。書いてなかったと思うよ≫

母親は。

藤ノ木……有沢ひとえは聡明な人だった。大学には行かな
かったが、とても勉強が出来る人だった。
頭の回転も速く、何でもそつなく出来る人だった。

多分、それは意味があったに違いない。
自分のあの時の気持ちは、まるでかぐや姫のようだと。

だったら……

だったら、何の罪を犯したというのか。
どんな罪の意識に苛まれていたというのか。

それが、母親や父親が死んだ理由の一つかもしれないんじゃ
ないのか?

どうなんだ……。

≪……有沢君≫
「……え? ああ、うん」
≪あのね……、今度の週末だけど、楽しみにしてるね≫
「……はぁ?」

立ち止まったまま、呆けた声を電話に返してしまう。

≪ラクーアか富士急ハイランドか、どっちが良いと思う?
私、一応なんか、みんなからまとめてって言われてて≫
「……あ」

そう言われて、ようやく思い出した。
高浩は今日、帰ると彼らに告げていたのだ。

そもそも戸田茜がそんな積極的に遊びに行くプランを
作るとは思えなかったが、やっぱりそういうことか。

いや、そういう問題ではなくて……。

「あ、あのさ……俺、実はちょっと、こっちでやることが
増えちゃって。しばらく帰れないかもしれないんだ」
≪え? ……あ、そ、そうなんだ……≫

「ごめん」

≪え、ううん! ぜんぜん! こっちこそごめんね! 忙しいのに
無理矢理そんな話しちゃって。みんなには言っておくから!≫
「あ、うん。いや、その、神保となっつは行きたいだろうから、
俺抜きで行ってくれよ」
≪あ……うん……そ、そうだね……≫

高浩は元気づけようと明るい声を出したが、戸田の声は反比例
するように元気を無くしていった。

これ以上話していると良くないかもしれない。
高浩は電話を切ることにした。

「ありがとう。戸田さん。それじゃあおやすみ」
≪あ、お、おやすみなさい……≫

電話は切れた。

「……Railwayに帰ろう。とーら」

電話をしているうちに、もうすぐRailwayというところまで帰ってきて
いたが。

あと少しの道のりを、月を見ながら歩くことにした。

月のお姫様は罪を犯した。

その結果、地球で暮らすことになった。

やがて彼女は月へと帰っていった。

その罪が……何だったのか。


「母親は、月へと帰ってしまったから。もう訳を聞けないな」

高浩は月を見上げながら冗談を一つ呟いた。
Railwayの三角屋根が月光の元にある。

明日からは、また違う一日が始まる。

それはいつでもそうだ。
ずっとも昔から、連綿と続いてきた歴史だ。

そう考えれば、歴史家が研究をする心情が理解できるような
気がした。

すっかり乾いた髪を撫でつけてから、高浩はもう一つ。
夜空へと呟く。

「訳が聞けないんだから、自分で考えるしかないだろ」

死者は何も語らない。

歴史は掘り返さなければ解らない。

人は、考えなければ前に進めない……。


両親と別れた日。7月26日が、こうして終わった。



(11)終

(12)へ続く

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