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Way to the BLUE 16話

(16)



昨日と同じように歩く道も、光がなければほの暗く、違う道の
ように見えてしまうものだ。

降り続いた雨はアスファルトを濡らし、景色を夜の闇に包み
込んでいる。その光景は昨日とはまるで違うものだった。
そもそも田舎の暗さに慣れない高浩にとっては、この曇り空で
月明かりも通らない道が気味悪くて仕方ない。

(ふたえはいつもこんな感じなんだ)

やはり浮かんでくる、そんな無意味な言葉。ある意味では、
最大の励ましになる言葉である。何しろ、出来る人がいるという
ことが人間にとっては頼りになるもので。

誰も出来ない。出来たことがないというものにはなかなか手を
出しにくいもので。

要するに。

ようやく前方に、特徴的な風呂屋の煙突が見えてきた時には
今までの恐怖は抜けていた。精神的な支柱というのは、そういう
ものらしい。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

時刻は20時を半分ほど回っている。

20時頃に、ふたえとみずほが手を取り合って帰っていった後に
少ししてからこうして風呂に入りに出てきた。

少し、というのは、溜まっていたメールの返信などである。

『天野湯』という銭湯は、住宅街の中にひっそりと佇んでいた。
繁盛しているとは言い難く、大きくはあるが古めかしい作りの建物は
熟年の渋さを醸し出す。

  ガラガラ

中に入るのれんは、擦り切れて白くなりつつあった。風雪のせいかも
しれないが。そういえばこの銭湯には、玄関フードがない。

「いらっしゃぁい。あ、タカピー」

中学二年生。牧野遊花が番台に座っている。
少女はニカッと、パンジーのような混じり気のない笑顔で出迎えて
くれる。

「こんばんわ。タカピーはやめてくれないか」
「うん。タカピー」

呼び名などまぁどうでもよかった。

高浩は、小脇に抱えた風呂桶の中から何かを取り出す。ぱっと見、
手のひら大のたわしのように見えるそれを遊花に見せて。

「一人と一匹。いくらだ?」
「うーん。400円」

昨日に比べちょっとだけ値段が上がった。北海道の銭湯は390円
だから、とーらの入浴料金は10円らしい。

「とーら、よかったな。値段が付いたぞ」

毛玉は鷲掴みにされながら寝ていた。本来夜行性のはずだが
このエゾモモンガは完全都会生まれの都会育ちなので、
生活習慣が違う。人間で言うなら昼夜逆転か。みずほのようだ。

「じゃあ」

遊花はその場にあったメモ用紙に、マジックで何かを書いて
満足げに頷いた。

「うん。で……」

セロテープを手に取り、その紙を番台の横にある入浴料金表の
『幼児』のさらに下に貼り付ける。

『とーらちゃん 10円』

「できたっ」
「モモンガ10円ではないのか」
「とーらちゃんだけ特別。他のモモンガさんは保護者同伴なら」
「公共料金って概念がぶっ壊れる銭湯だな」

遊花の心優しいはからいによって、堂々と入れるのだから
文句も言ってられない。

「それにしてもとーらちゃん、くっさいね」
「ん? ああ、そう」

そう。なんだかよくわからないが、とーらがやたらと臭い。
昨日もそうだったが、今日は生臭い感じがする。姿を見せない
ときに一体何をしているのか。

「昼間、放っておくこともあるから、何かしてるんだろ」
「とーらちゃんはなんでそんなにくちゃいのだ! えいえい。
お風呂入りなさい!」

人差し指で、とーらの頭をつつく。それでようやく、とーらは目を
覚ました。遊花を、寝ぼけたような目で見つめている。

「起きたね。くちゃい子。お風呂入ってきなよ」

子供でもあやすように、微笑む。
女の子というのは、何歳でも子供を扱うのが上手いようだ。

遊花に400円を支払って、高浩は銭湯の中に入った。

相変わらず、服を脱いでいる間は延々と見つめられるのだが。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



パカッ

牛乳瓶の、プラスチックの蓋を開ける。今はもう、牛乳瓶の蓋は
プラスチックになっていた。メンコのように遊ぶことは出来ない。

その蓋を裏返して置き、牛乳をたらした。
すっかり綺麗になったが、濡れたままのとーらが寄ってくる。

風呂上がりの一杯。高浩はパンツ一丁で、牛乳を飲み込んだ。

「美味いよな……真面目に美味い。普通の牛乳なのに。市販品の
牛乳が、マジで美味いんだな。とーら」
「きぃ」

風呂上がりの一杯は確かに美味しい。しかしそれ以上に、北海道の
牛乳は美味だった。甘く、新鮮で、カドのない味……。

「美味いなやっぱ北海道の牛乳は。なぁ遊……げ」

番台を見ると、今日も人が入れ替わっている。
こちらをギロギロと睨みつける視線。

逆立った髪。砲艦の船首のようなリーゼント。
牧野琢男といったか。遊花の兄だ。

無邪気な少女とは全く似ていないが。むしろ邪気に溢れている。

「“動物”を“風呂”に入れてんじゃねぇよ……ブツブツ」

兄は非情に不満なようだ。というより、高浩の成すこと全てが
気に食わないといった具合に。

その鈍重とした雰囲気をどうすればいいのか。

高浩は牛乳瓶片手に声を掛けてみた。

「あのさ、なんか敵意を持ってるようだけど」
「ああ? なんだコラ」
「言いたいことがあるんならこっち来て話せよ」
「なめんなよテメー。お前が“来い”」
「いやそっちが来いよ」
「テメーが来いや」
「……番台から出られないのか?」
「……」

どうも、出ると怒られるのかもしれない。
これ以上いじめるとちょっと可哀想かも。

「あのさ、そこ」
「ンだコラ」
「料金表。とーらってこいつのことだから。10円払ったし」
「勝手に“料金表”書き換えてんじゃねーよ“血の星”見さすぞ!」
「いやそれ、妹さんの字だから。よく見ろ」

リーゼントの彼が、じーっと料金表に見入った。
紛れもなく遊花が書いた字だ。かなり丸い癖字である。

「な。で、とーらは入浴料を払ったんだが」
「そうか」

琢男はあっさり受け止めた。

「……そうかって」
「しゃーねーだろうが!! 遊花が“決メ”たんだからヨォ!」
「(反抗的なんだか素直なんだかわからん奴だ)」
「妹に近づく奴は“ヨーシャ”しねぇ! “命拾い”だなテメー」

番台から出られないのに命拾いもクソもあるか。

「俺ァ“空手十段”だからヨォ。一瞬で“ミンチ”だろォがヨォ」

だから番台からじゃ届かないだろ手足が。
どうしようもなく苦笑しつつ、高浩は服を着て、番台の横を
通り過ぎた。

『琢男』が殴りかかってくるのかと思ったが、別に動きはない。
無言で帰るのも何か気になったので、一応挨拶することにした。

「どうも。良い湯だった」
「おとといきやがれコラ」

確かに一昨日は来なかったな。と、高浩は反省しつつ銭湯を出た。


さぁっ、と、身体を通り抜けるような済んだ浜風。
景色の中で、知らない民家の明かりが消えた。闇の中に溶ける
ように。

夜は深まる。月のない夜が、どこまでも薄く広がる。

今日という日の終わりを、どこか寂しげに彩って。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



吉野洸清は、清酒の一升瓶を片手で傾けた。

「うめぇなぁ」

自宅の寺。『高永寺』の隣にある民家。吉野親子はそこに住んで
いる。夜も深まり、時刻は21時を迎えている。

住職として働いた後は、自宅のリビングで最高の一瞬を過ごす。
一杯の日本酒(一杯では済まないことの方が多いが)と、美味い料理。

そして、

「父上。釣ってきたアメマスは、塩焼きにするが良いか?」

無愛想な娘の手料理。
吉野千歳が、鮮やかな赤のエプロンをつけてキッチンから現れた。

「おぉ。いいねぇ」

即座に声を上げる。20センチクラスのアメマスの引きを思い出し、
渓流竿に見立てて箸を立てる。

「いいファイトだったぜ。アメマスちゃんは」
「そうか。ヘボの父上に釣られるようでは多分に修行が足りないと
思ったのだが」
「おいおい千歳。そりゃ、魚に失礼じゃねぇか。ヘボなのは認める
がな。ハッハッハ」
「当たり前だ。魚釣りが上手い坊主など、罰当たりもいいところだ」
「ハハハ、全くその通りだ!」

パンパンと膝を叩いて、洸清は笑った。そんな父親に尋ねる。

「ヤマメは天ぷらにするが」
「二、三匹焼いてくれ」

千歳は頷いた。

「ヤマメ酒にするのだな。小さいものにする」

ヤマメ酒というのは、渓流魚の宝石とも言われるヤマメを軽く塩焼き
にして、熱燗の中に入れてしまうものだ。

ヤマメは渓流魚の中でも際立って人気がある、美味な魚だ。

上機嫌で、洸清は頷く。

「わかってるじゃねぇか。酒をやめろと言わないなんて、なんて良く
出来た娘だ」
「好きなだけ飲んで、さっさと地獄へ行くがいい」

しれっとした顔で、千歳は即答する。洸清はますます愉快そうに
大笑いした。

「ハハハ。『死ぬときは死ぬのがよい』という話だな」
「誰がそんなことを言ったんだ」
「白隠禅師だ。有名人だぞ。覚えておけよ」
「良いことを言うな。まさにその通りだ。これは私の思いやりと気づ
いてくれないのではないかと思って、気が気じゃなかった。
好きな酒を飲んで、さっさと苦しまずに死に、間違っても仏になって
崇められたりしないように悪いことばかりする。こんなに世の中に
貢献する生き方も他に見つけられまい」

千歳は真顔で、冗談みたいな事を言う。
そしてくるりと背中を向けて、キッチンへと戻っていった。

くいっ、と、杯を傾ける。吟じるように、天井の蛍光灯を見つめて
洸清は呟いた。目を閉じて。

「わきめもふらで急ぎ行く、君の行衛(ゆくえ)はいずこぞや。
琴花酒のあるものを、とどまりたまえ旅人よ」

人生は旅である。退廃であれ、死の快楽であれ、早足で通り過ぎよう
とも景色は変わらないのである。誰が旅の終わりを知るのだろう。
誰がそこへ急げるのだろう。

急ぎ行くな。足を止め、景色を見ろ。そこがどんなに素晴らしいか--

キッチンでがしゃがしゃと食器を洗う、娘の背中を眺めながら、
洸清は小さく笑った。

「千歳、おりゃぁーなぁ、早死にはしないぞ」

水を止める音。そして、千歳は手を拭いた後、片手に皿を持って
キッチンからリビングへ戻ってくる。
皿の上にはヤマメの天ぷらと、アメマスの塩焼き。4センチ程度の
小さいヤマメを焦げない程度に焼いたものが4匹。

それらをテーブルに並べて、千歳も座った。飾り気のない寝間着の
スゥエット姿である。

「そうか。なら私も、住職になる勉強を後にできそうだ」

先ほどの声が聞こえていたようで、そう答えてきた。

「お前、尼になるつもりか」
「そのつもりだが」
「俺は別に、そうなれと言った訳じゃないぞ」
「なるなと言うのか?」
「言わん。だが、他にも道はあるだろが」
「『なるな』と言ってるように聞こえるが」

洸清は不機嫌になったようだ。

「注げ」

千歳は杯にヤマメを一匹入れて、熱燗を注ぐ。
洸清はそれを一気に飲み干した。

「女の幸せってのはだなぁ、家庭を持つことだってある」
「ほう。私の母もそう思ってたのだろうか」
「……」

黙ってしまった父親に、千歳は小さく笑いかけた。

「酒をやめろと母は言っていたのか」
「ああ。全く口うるさい女だった」
「私が小さい頃に、もう母は別居していた。だから母の姿は私は
少ししか知らない。仕事をする父の姿しか」
「それについちゃ、お前には悪かったと思ってるよ」
「そうかな。私は責めているわけじゃない。父上が選んだことに
私はどうこう言う気がない」

それはつまり、千歳自身の生き方も自由にさせろということでもある。
洸清は、そんなことはわかっていると頷いた。

「あいつは不幸だったかもしれんが、お前は幸せになれる」
「そんなことはわからない」
「簡単だ。俺のような男を好かなければ、楽勝だ」
「そんな『普通の男』に好かれるのも、大変なことだ」
「お前は良い女になる! 今よりもうちょっと可愛気があって、もう
ちょっと愛想があれば……」
「実の娘を口説いてるのか?」
「そういうところが可愛気がないというんだ。注げ」

杯を差し出す洸清に、千歳は訊ねた。

「父上は、母をどう口説いたのだ」
「なんじゃ一体。そんなことを聞いてどうする」
「私は母をよく知らん。可愛気がないのは、母のことをまるで話した
がらない父上のせいかもしれない」
「いいから酒を注げ」
「成りそめを話したら、注ごう」
「……」

杯を突き出したまま、洸清は固まっていたが。
やがて諦めたように、テーブルにそれを置いた。

ぽりぽりと頭を掻く。そういえばもう、何年前の話なんだろう。

20……もう、そんなに経つのか。ただ、思い出す努力はしなくても
いい。

忘れるわけなどないから。



「お前の母親は、料理屋の娘だった」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ひなびた常葉町の漁港の傍らに、ひっそりとその店があった。
浜屋食堂という料理屋。

漁師が一仕事を終えて、訪れる。そういう定番の店の一つ。
その店のポークチャップは家庭的で、人気の料理だった。

洸清はそこによく通っていた。20年以上も前の話だ。




新米の坊主として前住職と共に高永寺に入りながら、洸清は
寺の食事を嫌ってよくその店に訪れていた。

今日も、いつものように。

「ちわーっす」

のれんをくぐって、木造の古い店に入る。昼を少し過ぎた時刻
だからか、店内はがらんとしていた。

「あれ? おっちゃーん。おばさーん」

誰もいない。狭い店の中は隠れるような所もない。民家併設だから、
皆引っ込んでしまっているのかと思い、さらに呼びかけた。

「おっちゃーん。いないんかー。飯作ってくれよー。俺、昨日から
なーんにも食ってねーんだよぉ」

手近な椅子に腰掛け、洸清はテーブルに突っ伏した。

「あのクソ住職、俺がちょっとつまみ食いしてたぐらいで飯抜きに
しやがってよぉ……成仏したらどーすんだっつーの。おっちゃーん
飯作ってくれってー」

何度呼びかけても、店の中は静まり返ったままだった。

「なんだよもう、留守かよ。商売する気あんのかよぉ。やべーな……
雑草でも煮て食うしか……ないのか……」

ぐうぐう鳴る腹を抱えたまま、洸清は目を閉じた。
急に面倒くさくなってきたのだ。

「坊主なんかになるんじゃなかった……ダメだ……動けない……」

目を開けているとカロリーを消費する。目を閉じて、じっとしていた。

……

…………

……ほの暖かい、感触。春の日差しのような。

いや、その暖かさは何か違う、もっと幻想的なもの。

「……?」

薄く目を開ける。額の辺りに残る重たい虚脱感から、自分が寝て
いたことを思い出した。

そして、顔の下にある枕にも。

「なんだこりゃ」

枕。確かテーブルに頬をくっつけて寝ていたはずなのに、起きたら
そこには枕があった。

背中が暖かい。見れば、毛布があった。いつのまにか。

そして、その次に気づく。
目の前には、女が座っていた。頬杖をついて、不機嫌そうな
女が。じっと洸清を見ていた。

「……あれ?」
「あれ? じゃないわよ」

女は眉根を寄せて言う。

「なんで坊主が寝てんのよ。坊主は昼寝するほど暇なわけ?」
「……誰だあんたは」
「ここの家の娘よ」
「ここの家の娘? そんなのいたっけ?」
「目の前にいるでしょーが」

浜屋食堂に娘がいるなんて、聞いたこともない。
少なくとも店主も店主の奥さんも、一度たりとも話したことはない。

常葉町ほど小さな町で、住んでいたら気づかないはずもない。

「で、なんでうちの店で坊主が寝てんの」
「いや、飯食わせてもらいに来たんだけど」
「あんた、目悪いの? 店の戸の張り紙も見えないほど」
「張り紙?」
「今日は臨時休業よ。両親は伊勢神宮参りに行ってるわ」
「な、なんだってぇ!? じゃあ、俺の飯はどうなる!!」
「どっかいって食えばいいでしょ。うちにいられちゃ邪魔」
「金がないんだよ!」

女は、半眼になった。

「……あんた、金も持たずに何しにきたわけ?」
「いや……ツケで、飯食わせてって……その、時々……」
「時々って、どのぐらいよ」
「週に4~5回……」
「殆ど毎日じゃないの。あんた舐めてるの?」

腹が減って胃が痛い洸清は、胃を抑えた。飯が食えないと
解って、ますます辛くなってきた。

「いたたた、ちっくしょう……やっぱ雑草鍋か……」

そうは問屋が下ろさない、ということか。
仏罰が当たったかもしれない。

諦めて、洸清はため息をついた。帰ろう。帰って雑草を抜いて
食おう。そう決めて。

「……はぁ。邪魔したな。帰るわ。おっと」

肩から落ちそうになった毛布を、手で掴んで手早く折り畳む。
枕を取り上げて一緒に、テーブルの上に置いた。

「毛布と枕、ありがとよ。あんた、極楽に行けるぜ」

洸清は立ち上がり、思い足を引きずって戸口へ向かう。

「ちょっと。フラフラじゃない」

女も立ち上がり、洸清のほうへ歩み寄る。
法衣の袖を掴んで、洸清を振り返らせた。そして彼の肩を掴んで
椅子に無理矢理座らせる。

「しょうがないわねぇ。あたしで良かったら、なんか作ってあげるわよ」
「本当か!?」
「坊さんを追い返してどっかで行き倒れられて、呪われたりしたら
シャレになんないから」

かなり真面目にそう思っているのか、その女はニコリともせずに
言い放ってキッチンへと入っていった。

洸清はちょっと唖然としながら、その女の後ろ姿を見送る。

髪は肩口までのショートカットで、ちょっと茶色い。はすっぱな
感じもするが、顔立ちはやや幼い気がした。美人というほどでは
ないと思うが、化粧をまるでしてない上に服装もラフなジーンズ
だけに、そう思えるだけかもしれない。
顔の輪郭は綺麗だし、太ってもいない。多分、きちんと着飾って
化粧してみたら、相当イイ女になるだろうが。

「しっかし、なんであたしがあんたみたいなハゲ坊主にゴハン作らな
きゃなんないのよ……。面倒くさいから、生卵二個ぐらいそのまま
飲んで終わりって事にしない?」

いや、この性格が相当に問題だろう。どんなに着飾っても無理だ。

「生卵丸飲みは料理じゃねーだろ」
「そう? 茹でる?」
「そういう問題じゃねーよ」
「タダ飯喰らいのくせに生意気ねー」

険悪な雰囲気になる。まずい。食事が出てくるまではとりあえず
世間話でもして、気を逸らしておかなければ。

「名前を名乗ってなかったな。俺は、吉野清彦。洸清って呼べよ」
「なんで清彦なのに洸清なのよ」

キッチンから声が戻ってくる。洸清は返事した。

「僧侶ってのは法名とか法号ってのがあるの。俺は洸清だ」
「ふーん。変なの」
「……いや、変って……」

軽く落ち込む。高野山の偉い坊さんが聞いたら激怒するだろう。

「あたしは森谷渚」
「渚か。浜屋食堂の渚なんて、良い名前じゃねぇか」
「そう。ありがと」

誉める言葉には素直に礼を言う。きっと普段は『一言多い』と
言われているに違いない。

「常葉町にいたら、俺も知ってるはずだ。渚、あんたいつ来た?」

じゅう、と、肉が焼ける音がする。渚はその音の後に答えてきた。

「昨日よ。両親に伊勢旅行プレゼントしにね」
「孝行娘じゃねぇか」
「……そんなことないわよ」

少し、返答が遅れる。何か、その言葉は気になった。

「あたし、札幌行ってたの。小学校から大学まで。だから常葉町の
こと、全然知らない」
「なんでだよ。両親とも、常葉町にいただろ」
「あたしは……違うもん。お父さんの子だから。お母さん、あんたが
知ってる今のお母さんのことだけど、あの人とは再婚だから」
「……本当かよ。全然知らなかった」

「あたしはお母さんと一緒に札幌に行ってたの。でも、お母さんも
再婚するって……なんか、その人をパパって呼べなくって……
だから大学休学して、ちょっと旅行でもしよっかなって思って」
「それで常葉町の父親に会いに来たのか」
「まぁだからって、子供の頃だしお父さんのことも全然覚えてなくて、
昨日会ってもなんか、知らない人と話してるみたいだったし。
良い人だって解るんだけど、なんか……なんかさぁ……思い出とか、
なんもないし……」

不満を言ってるわけではないだろう。
父親が娘のことを覚えていないはずがない。不満なことは……

渚が、父親のことを『思い出してあげられない』ことではないか?

「…………あ、べ、別にいいのよ。そんなこと。ちょっと待っててよ。
もうすぐ出来るからさ」

洸清が真剣に聞いていることに気づいて渚は誤魔化した。

湿ったような雰囲気に、洸清は思う。誰にだって人生の限りがあり、
誰にだって人生の岐路がある。限りがあるのだから、選択は自由に
するべきだ。だが、結果として翻弄される人生もまた、ある。

それが間違っているのか、仕方がないことなのか。

それはわからない。

「お待たせ。こんなもんでいい?」

出てきた料理を見て、洸清は面食らった。
別に特別豪華な料理ではない。

そう、別にそれはなんてことはない料理だ。誰が見ても、平凡な
料理だろう。

まるで誘われるように、洸清は箸を取った。料理を、食べる。

やっぱりそうだ。もう一度洸清は驚きを感じ、そして一つ。
間違いのない一つの確信を覚えた。

「この料理、誰に教わったんだ?」
「え? えーと、何でそんなこと。べ、別に、誰って言われても……
わかんないし……」

恥ずかしそうに、渚は顔を赤らめている。

「あたしさぁ、実はこれしか料理作れないんだ。お母さんは全然
作ってくれなかったし、出前ばっかで。でも、なぜかこれだけは
作れるんだ。いつ覚えたかぜんぜんわかんないんだけど、
なんか昔、いっぱい食べたような気もするし……どっかの
ファミレスとかかも。また食べてみたいんだよね。同じ料理。
いつか」


味噌汁と、白い飯。漬け物。
豚肉のソテーに、真っ赤なソース。

ポークチャップ……。

「本当に誰に教えてもらったんだろ? どこでポークチャップ
食べたんだったかなぁ……あ、それでさぁ、美味い?」
「ああ。でも、まだまだ本家の味にはかなわないな」
「なによ本家の味って。ポークチャップの起源なんてあんの?」
「あるんだよ。それを俺は、知ってる」
「本当に? じゃあ、食べさせてよ。思い出すかもしれないし」

洸清の前に腰掛けて、先ほどと同じように頬杖をついた。
渚に、洸清は笑いかける。約束する。

「ああ。まぁ、すぐに食えるさ」
「ホント? 絶対ね」
「しかも、俺がおごってやるよ」
「えー、金ないんじゃないの?」
「顔見知りの店だから、ツケで食えるんだ」
「……あんた、そんなことしょっちゅうやってるわけ?」

互いに笑った。そういえば、最近こんなに笑ったことはなかった。

渚はきっと幸せになれる。

彼女はまだ気づいていない。その記憶に。渚は、きっと……。
それに気づいたときには、きっと……。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「ふふ、父上は昔から何も変わらないな」

思い出の話を終えた洸清に、一言目にかけた言葉はそれだった。
千歳は組んだ手に顎を乗せて、訊ねる。

「母のポークチャップか。私が作れるあれか?」
「ああ。教えていたからな。渚は」
「最近作ったことはなかったな。父上、明日、作ってやろうか?」
「おお、いいねぇ」

千歳は背伸びをして、立ち上がった。

「もうこんな時間か。父上、私は寝る」
「おう。よく寝れ」
「楽しい話をしていると時間を忘れてしまうな。おやすみ」

リビングを出ていく、すらっとした背中。
飾り気のない姿。ほっそりした身体。しなやかで強い心。

「(あいつにそっくりだよ。しゃべり方は俺に似たが)」

ドアを開ける。キィッと開かれたドアが、閉まらずに止まる。
開いたままで。

リビングから出ていく寸前。その背中は、一度振り返った。
上半身だけを回して。

「父上」
「……おう。どうした」
「深酒はするな。ただでさえ少ない私の花嫁姿が見られる確率を、
さらに下げることになるぞ」
「ハハハ。わかった。わかったよ。わかったから、脅迫するな」
「わかればいい」

今度こそ。

閉まったドアの向こうから、足音すらも消えてゆく。
リビングに一人。洸清は杯を置いた。

ふぅ、と、思わずため息が出る。
頭に浮かんできた言葉を、ただ、呟いてみた。

「若き命も過ぎぬ間に……楽しき春は老いやすし……」


誰が身にもてる宝ぞや
君 くれないの貌(かおばせ)は

君が眼に涙あり
君が眉には憂いあり

堅く結べるその口に
それ声もなき嘆きあり……



洸清は、杯を空に向けて差し出した。窓の向こうに広がる
月のない漆黒の空へ。

静かな夜だった。
雨あがりの重たい、密度の濃い空気の中で、言葉は軽く宙に舞う。



――名もなき道を説くなかれ
      名もなき旅を行くなかれ――




(16)終

(17)へ続く
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