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Way to the BLUE 17話

(17)


7月24日。晴天。

太陽の強さに青ざめた空は、わずかに漂うむら雲に寄り添うように
溶け合っている。上がりたての太陽から降り注ぐ若々しい日差しが、
まるで緑葉を崩しながら突き進むかのように、華々しい。

昨日の雨は、道路に残る小さな水たまりとなった。
そのせいか、世界はどこか色鮮やかに映る。


午前9時を回ろうとしていた。
高浩はRailwayの『配達』を行うため、大きな荷物を持って町中を
徘徊する。

後ろを、茶色い毛玉。エゾモモンガの『とーら』が駆け寄ってきた。
そのまま一定の距離でついてくる。放っておいても、問題ない。

とーらは水たまりに差し掛かっては立ち止まり、鮮やかな光の反射で
映り込む空の青さを見つめていた。間違えて飛び込んでしまいそうな
ほどに。

ただ、雨上がりの世界は美しいというだけだ。小さな感動を覚える
という、それだけのことだ。
この町には、そんな感動がありふれている。
混じり気のない風も。
自然そのままの大地も。
木々も。海も。そして空さえも、鮮やかな世界の中にある。

眩しい青葉を見つめ、虫の声に耳を傾けて、雲の形を覚える。
ナチュラリズムとかいうものは、気の持ちようなのかもしれないが
少なくともこの常葉町には、それがいやというほど溢れている。

見たくないと思っても無駄なほどに。

そして、そうして配達をしているとまた、あまり関心がないものでも
見入ってしまうことがあった。


一件の店の前で、高浩は立ち止まる。
声を掛けるわけでもなく、ただ、じっと。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「今日はお父さんのお手伝いをする日ね。智恋」

科学的に、ブドウ糖を補給しなくては脳細胞が働かない。

智恋は、焼いたトーストにバターをたっぷりとのせ、そしてさらに
アップルジャムを大量に載せたものに思い切りかぶりついた。

甘い。

「甘い……甘いよ……母さん」
「え? どうしたの智恋」
「甘いんじゃあーーーーーーー!!」

天気のいい穏やかな朝に、噛み潰されたパンなどが蒔き散る。
母親は愕然と、娘の様子を見ていた。

「あわわ、智恋が人様に言えない病気に……」

テーブルナプキンをかじりながら涙をはらはらと流す母親・
河井美里に、智恋は言う。言いつける。

「ママ! 何度も言ってるけど、リンゴジャムに入れる砂糖は
リンゴの酸味を殺さない程度の甘さなのよ!計算上はリンゴ
一玉に対して砂糖295.913621グラム!蒸発によって失われた
水分21.5182788%で完璧なの!何度言ったらわかって
くれるの!!」
「ごめんなさい。気をつけたんだけど、うち、バネ計りがお父さんの
工場から持ってきた計りしかなくって」
「あれキログラム単位しか計れないでしょ!」
「ごめんね。智恋。お母さんが悪かったの」

しゅん、としてしまった母親に、智恋はため息をついた。
怒っても仕方がない。第一、この母親はそんなに深く物事を
考えていない。

「ごめんね。お母さん本当に料理下手で」
「いや……もー、料理が下手とかそういう次元の話でもなくてね」

サラダ油と機械油を間違えて使ったことがあった。

「まぁアップルジャムのことはもう過ぎ去った過去なんだから、
どうでもいいんだけど……今日は、トリチウムを作る実験しようと
思ってたのに……」
「そうそう。前から言ってたでしょ。ほら、お母さんじゃお手伝い
できないもの」

ラジエターにバッテリー液を間違えて入れたこともあった。

「お父さんもああ見えて、智恋が手伝いしてくれる日に印をつけ
て……、ほら、あそこのカレンダーに」

そこまでプレッシャーをかけられたら、さすがに頷くほかにない。

見れば確かにカレンダーに赤丸がついている。
あの父親がどういう表情でこれに丸をつけたのか、想像できないが。

「しゃーないなー。わかりました。手伝ってあげるわ」
「ありがとう! きっとお父さんも喜ぶわ」
「で、パパはどこにいるの」
「朝から下の工場にいるわ」

自宅の一階は工場になっている。小さいがエンジンクレーンが
二機もある立派なものだ。

「パパも相変わらず、車にしかキョーミないのよねぇ」

トマトジュースを飲みつつ、ぼやく。興味が無いのだから仕方が
ないと思うのだが。それにしても車の整備ばかりで、一日も休まない。

河井智恋の父親は、あまりにも偏屈な職人だった。

「そうよねぇ。お父さん、海外旅行とかもしたことないし」

自分のカップに紅茶を注ぎながら母親もそう言う。ただ、それで
大きなストレスを感じているという表情ではない。
海外旅行などは、若い頃によく行っていたからだろう。

朝食の手を止めて、智恋は考えた。

「パパとママの出会いって、一目惚れなのよね」
「え? そうねぇ。バッて出会ってピピッと来た感じ」

父親の河井俊郎。母親の河井美里。二人はこうして、まるでかみ
合わない性格ながら夫婦となった。美里は看護婦だったらしいが、
ドライブ中にエンストして立ち往生していたときに、俊郎がたま
たま通りがかり、車を修理したという。その時に一目惚れした
とかなんとか。

「お父さん、凛々しかったわよぉ。お代はおいくらでしょうかって
言ったら、『ファンベルト一本、1000円です』って。きゅーん☆と
しちゃったぁ」

車のことにしか興味が無く、基本的に殆ど話さない俊郎が何を
考えているか、智恋にもよくわからない時がある。だがその時は
話したらしい。しかもしっかり請求している。

ファンベルト(車の部品)をたまたま持ち歩いていたというところが
実に不可解である。気味が悪いぐらいに。

また、母親は母親でどっかの良家のご息女だったらしく、まるで
お姫様のように世俗に疎かった。昔の写真を見たこともあったが、
エプロンドレスを着ていて思わずひっくり返りそうになった。

その割には意固地なところがあって、無理矢理社会勉強と言って
病院で働き始めたが、何度も人を殺しそうになって辞めたという。

そのまま結婚した。智恋が生まれた。キャブレターにある物質を
入れると子供が産まれるプロセス、とか、父親がそう誤解していたら
智恋は生まれなかったわけだ。父親に人並みの常識があったことに
感謝している。

「そうだ。智恋ちゃん」
「なに。ママ」
「みずほちゃんは最近どうしてるの。おうちに来てほしいな」

母親と彼女は、ある意味では仲のいい友人だった。
一つの接点が元で、そうなっている。

「木桧研究員か……なんか避けられてる気がするのよね」
「前借りた、サムライウォーリアーっていうの。難しくて先に
なかなか進めないの」

TVゲームの話だろう。

智恋は全く興味ないが、しかしそんなものを借りているというのは
初耳だ。

「なにそれ。いつ借りたの」
「ええっと、一週間くらい前だったかなぁ?」

一週間前。
その時も木桧研究員は、もちろん研究(部活)には顔を出して
いない。
影では、うちの母親に会ってゲームまで貸していたとは。

おのれ木桧研究員。科学よりゲームを取るというのか。

「前に電話して聞いたとき、サツマエリアのボスの島津義久は
レベル46もあれば倒せるって聞いたんだけど、どうしてもうまく
いかないの。すぐ負けちゃうの。『釣り野伏せ』って攻撃すごい
痛くて。わかる? 智恋ちゃん」
「あーごめんなさい。全くわかんないわ」
「そう……。やっぱりみずほちゃんに聞かなきゃダメねぇ」

母親をゲームで篭絡して、科学から目を背けようとする木桧みずほの
姿勢は問題である。

のんびりした母親のもっぱらの楽しみはコンピューター・ゲームで
あるが、そのために木桧みずほは真面目に科学を追究しない。

つまり、母親がコンピューター・ゲームをやめれば、木桧みずほの
研究心は復活し、見事な一致挙党体制を以てノーベル賞を目指す
部活動となるのだ。

「ママ。ゲームやめない?」
「え? それはちょっと、困るわぁ。だってお母さん、ゲームしか
楽しみがないもの」
「ゴルフとか、しにいけばいいんじゃないの」
「できないわよぉ。昔お誘いがあったけど、お母さん、ゴルフ
クラブを持って行くの忘れてしまったんだもの」

何をしに行ったのか。周囲の人たちも大変だっただろうに。

「どうも実家に出入する人たちのすることは馴染めないわぁ。
お母さんは、ゲームぐらいしか能がないのよね」

そのゲームも詰まってるようだから、あらゆることに能はないのかも
しれない。つくづく、車のことにしか興味が無い父親と結婚して
よかったと言える。

ほんわかと笑って、寿司屋の湯呑み茶碗で紅茶を飲む母親を
見ていると本当にそう思う。

普通の旦那なら、芳香剤と勘違いしてトイレの貯水槽に塩素系洗剤を
一本入れてしまった時点で、付き合いを考えていることだろう。
その後、酸素系洗剤でトイレ掃除をしようとした時は大変だった。
バイオテロでも起こす気か。

「木桧研究員に会ったら伝えておくわ。ゲームのこと」

ナプキンで口元をぬぐい、空の食器を持って智恋は立ち上がる。

「お願いねぇ。なるべく早くね」

そうだ。

ニコニコと笑う母親を見ていると、よくわかる。
夫婦というのはまるで噛み合ってないように見えるほうが、
よく馴染むのかもしれない。

どちらも鏡面のように滑らかな物体同士では、強力な紫外線速乾
パテでも容易に接着できない。
サンドペーパーで表面を乱すと、接合力は増す。

夫婦仲がよい河合家の団欒も、科学によって成り立っているのである。

つまり智恋自身も科学によって成り立っているほかならない。

科学とは私。私は科学。ラララ科学の子。

なんと美しい証明だろう。

智恋は感動しながら、食器を洗い始めた。皿が二枚割れた。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



<成功ロール 目標値7 出目6 失敗……>


その工場。
『河井モータース』という。

話によれば、常葉町における自動車修理工場は一軒しかないらしい。
そしてその一つというのが、この河合モータース、らしい。

らしいらしいばかりで、本当のことはわからない。
高浩にしてみれば、実際に調べたことよりも、見たことよりも、
聞いたことのほうが圧倒的に多いからだ。

実際見てみたいと思った。
そしてその一軒には、知り合いがいる。

といっても、知り合いとはいえあまり知り合いたくもない相手だ。
その出会いは数奇にして、奇妙で、奇怪で、痛手を伴い、なおかつ
十分すぎるほど不愉快だったからだ。

それでも『知り合い』である。日本語の柔軟性はすごい。

「……」

河合モータースの工場は、表からよく見えるものだった。もとより、
何の作業をしているかわからないほど奥に引っ込んだ自動車工場を
あまり見たことは無いが。

そこに、髪をサイドに縛った智恋がいた。
作業服を着て、油に汚れた軍手をつけて。

高浩は携帯電話を構えて、数枚の写真を撮る。

とーらが邪魔するように、肩に飛び乗ってきた。それに構わず、
電話の撮影モードでシャッターボタンを押す。

見慣れてきた景色。その日常。人。一つの記録……。

ただ、ひたすら車のボンネットの中身をいじくっている。時折車の
下にもぐりこんでみたり、紙と鉛筆を持ち出して何かを計算したり
忙しそうにしている。

そんな彼女に声をかけた。

一応、理由があってそうしてみた。

「あのさ。ちょっといいかな。河井さん」

ボンネットの中に頭を突っ込んでいた彼女が、くるりと振り返る。
一度、手に持ったレンチをくるんと回して。

振り返り、そして。

「時間は有限でも、可能性は無限なのよ」

いきなり、何かよくわからない格言で答えてくる。
要するにどういうことか。時間が無いということか。

あるいは会話が継続する可能性が無限であるといっているのか。

「つまり、今はご覧の通り仕事中だから、仕事しながらでよければ
話を聞けるわ。どうせ科学のことでしょ。いくらでも聞いて」

彼女はレンチの先で、高浩の肩にいるとーらを威嚇しながら
言った。高浩は言われて、戸惑う。

「……いや、その、科学っちゃあ科学なんだけど……」

無限であるのは微笑ましい事でもない。

「……家の手伝い?」

訊ねてみるが、実際の所解りきったことだった。

「そう。まぁ、他にも見えないと思うけど」

当たり前の答えが返ってくる。ただ、この人から当たり前の言葉が
返ってくると、とても安心する。

「あそこにいるのがお父さん?」
「そう。あそこにいるのがパパ」

パパ、と呼べばなんとなく洋風で気のいい感じだが、高浩から
数メートル離れたところで車のボディを塗装している中年は、どう
贔屓目に見ても『おやっさん』だった。

厳めしい顔。浅黒くオイルが染み着いたような肌。汚れて地合いを
失ったような作業服。火に炙られたように縮んだ髪の毛。
それを隠すように目深に被った空色のキャップ。

どこからどこを見ても『おやっさん』である。

高浩は姿勢を正した。

「こんにちわ」

ちらりと高浩の方を見たので、挨拶をしたのだが。『おやっさん』は
小さく帽子のつばに触れた。無言のままで。

……乾いた北海道の、夏の風。やや熱せられ穏やかに舞い上がる
優しい風。そこに漂う静寂……。

肩にいる小動物は、微かにおびえていた。

何かしら言葉が返ってくるのを待っていたのだが、それは来ない。

「……あの……」
「パパは科学的に無口だから」

無口であることに科学が関与しているかどうかはよくわからないが、
とにかくお父さんの挨拶はそれっきりだった。

……これだけ物言わぬ親だから、これほどフリーダムな娘が育ったと
言えなくないだろうか。いや、言える。

「で、パパのことが聞きたくて声を掛けてきたの? 有沢研究員」
「いや違う」
「なら用件を言ってもらえる? 今、この車に電気コンプレッサータービン
を取り付けて、300馬力行けるように改造していて忙しいの」

見たところ10年落ちのボロい自家用車なのだが……。
何か彼女が嫌な事をしている気がする。それを止める権利もないし
それよりも重要なことがあった。

意を決して、彼女に願いを立てる。

「……実は、テレビを作ってくれないかと思って」
「テレビ? テレビって、電気屋さんに売ってるテレビ?」

声を裏返して、聞き返した智恋。
そしてそれに頷き返す高浩。

「そう。そのテレビ」

しばし、見つめ合う。

「あの、やり方によっては爆弾にもなるテレビ?」
「……そ、そう?」
「あのテレビかぁ……」

智恋は腕組みをして、ううん……と考え込んだ。
レンチでトントンと自分の肩を叩き。

その様子に、高浩は追い打ちをかける。

「ほ、ほら。河井智恋は、て、て、天才だそうだから」
「そりゃ、私は天才だからテレビぐらいどうとでもなるけど」
「じゃあ引き受けてもらえるか。Railwayにはテレビもなくて」

実際の問題として、ニュースもよくわからないので何があってもよく
わからない。好きなバラエティもドラマも見られない。スポーツも
気になる。ナチュラリズムの極みとも言えるが、さすがに家電が
無いのは寂しいと思っていた。

「200万円ぐらいでどう?」
「……何が?」

手のひらを上向きに見せて、智恋は当然のような顔で。

「研究開発費よ。研究開発費」
「……200万円?」
「そう。安いでしょ」

冗談かと思った。

「なによ。これでも高いって言うの? もしかして」
「いや……すこぶる高いと思うけど」
「現存しない全く新しい観点から見た電波式映像受信装置を
開発するのよ? 200万なんて安すぎると思うんだけど」
「ちょ、ちょっと待て。待てよ」

真顔の彼女を制し、もう一度訊ね直す。しっかりと。

「テレビを作るって、もしかしてこれまでにないものを新規に、新しく
作る気?」
「当たり前でしょ。ある物を作って何が楽しいの! この世にないものを
この世に生み出すことが天才の役目でしょ!」
「頭痛がしてきた……」
「全く新しい理論と、新しい設計、そして新しい入力システム、新しい
出力システム……腕が鳴るわ。久々に燃えてきた。じゃあ、いつ
研究費用立ててくれんの? 明日から? 今晩からでもいいわよ
なにしろ天才の頭脳は24時間決して休むことはないんだから」

やはりどうやっても、彼女に関わるとまともなことにはなりそうもない。
いまさらそれを再認識した。

「で、どうする? やっぱ脳波インプットは基本よね。立体空間投影で
スクリーンは必要なし。音響はスーパーチャンネルで完全3D化。
高速な回路で100画面同時表示とかもいいわ。これ全部やっても
5500ワットぐらいで実現する目標で」
「……ブレーカーが落ちる」
「発電機が必要ね。100万円で作ってあげるわよ。タービンが少し
うるさいけど5万ワット発電できるの。燃料は劇物で取り扱いが
難しいけど、空気に触れさせなければ絶対爆発しないから」
「いや、小型発電所構えてまでテレビ見たいわけじゃないから……」
「そう。残念ね」

常識的に考えて、彼女に頼むことは大いに間違っていたと
言わざるをえない。

「また今度、何かあれば頼むことにする」

高浩は、軽く彼女に手を振った。
しかし智恋は振り返さない。

「じーっ……」

じーっと、高浩を見つめている。
背を向け、またRailwayから送り届ける配達物を運ぶため歩き出そうと
しているのに。智恋は何か言いたげに、高浩の背中を凝視している。

たまらなかった。その熱視線が。

「何?」

振り返り、作業服の智恋を見返す。肩からとーらが降りた。とーらは
彼女に構わずさっさと次の配達場所に行きたいらしい。

とーらは彼女のことを好いていないようだが。

「有沢研究員。私は目が悪いので睨むように見えるかもしれないけど
気にしないで。コンタクトしてるけど、いまいち合ってないわけよ」
「はぁ……そうなんだ」

ご愁傷様ですとしか言えない。

「人の出会いは必然かしら。それとも偶然かしら」
「……え?」

何事か。そんなことを訊ねられても回答できない。高浩には。

「人が誰かに出会う確率は100%。しかし特定の誰かに出会うことは
確率としては限りなく小さい。これは必然ではなく偶然である。しかし
この常葉町で私と、有沢研究員が出会う確率は0%ではない。
むしろずっと多い。同一な時間でこれは矛盾するのだから、概念から
違う。つまり時間的概念に置いては必然と偶然が相互に矛盾しない」
「……それがどうかしたの?」
「……」

高浩に問われ、智恋は。

それがどうかしたのか。
智恋は、少しだけ悩む。それがどうかしたというのか。

天才は意味のない行動をしない。だから智恋も、無意味なことを
人に訊ねたりはしない。

「つまり、つまりよ。えっと」

ひどく悩み始める。何か、すっきりしない。
高浩も何かすっきりしない物を感じている。

何かが足りないから?

あれ、そうだろうか。足りないものがあるのか。
凄く基本的で、凄く単純で、そして凄く大事なことを……。

……

慌てているわけではないが、智恋は少しイライラしているようだった。

「人は出会い、そして別れる。いつか。偶然だろうと必然だろうと、
必ず別れを迎える。その時に交わす言葉を人は常々用意しなければ
ならないんだと思うの。これは科学的なことなの。ゲーム理論って
いうものなの。だからよ」
「……だから?」

そう。だから。

「だから……また、暇があれば来なさい」

……

「……それだけ?」
「ええ。なんだか思い浮かばなかったけど、そうよ。また会いましょうって
言いたかったの」
「……プッ……」

あまりに滑稽で、高浩は笑い出してしまった。

「こんなに長い時間悩んで、また会いましょうって!」
「天才にも度忘れって物があるのよ。そんなに笑わない!」


高浩は笑顔のまま、手を振る。


「じゃあ、また」

智恋もレンチを左右に振った。

「またね。有沢研究員」


去ってゆく高浩を、智恋は少しだけ眺める。むしろその背中と
対比するように青い空と、雲と。

焼き付くようなまばゆい世界と、人の姿を。

おでこに手を当てる。軍手の綿の感触が額にある。リアルだ。
とてもいい気分になれる。

「友達、大事にしろよ」

急に、重く太い声が聞こえてきた。

「パパ……」

普段、一言も喋らないまま一日を終えることもある父親が喋った。
そうか。そうだ。

「友達か。そうね。友達っていうものよね。それ」

うきうきするような、弾む心が新鮮だった。

友達。



そういえば、友達と呼べる相手なんて誰もいなかったんだ――。


高浩の背中を見送り、天才はほんの少しだけ、口の端を緩めた。



(17)終

(18)へ続く

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