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Way to the BLUE 18話

(18)

涼しげな小川のせせらぎが聞こえる。転がるように軽快で速く。
ピアノの音色のように透明で。

ふと、その最中に庭を見たのだ。

庭と言うより『庭園』の方がふさわしい。造形美を強調する刈り整えられた
草木。庭石の積み方にも気を使っている。庭というのは人に見せるために
作るのだということを、確かに理解する。

「全く……どうしたものか……」

吉野洸清はため息と共に、独り言を呟いた。
目に鮮やかな真夏の広葉樹。分厚い葉が太陽光を喰い散らす様を
眺めながら、ああ、と声を上げる。

「どうしたとは、どうした」

  ぱちん

人工庭園に流れる小川のせせらぎとは違う。乾いた音。そして、老人
特有のしゃがれた声が、返ってきた。独り言に、である。

「……どうしたら、この悩みが晴れるのか。考えているんです。無い知恵を
搾ってね」

吉野洸清は庭園から、視線を移す。
12畳ほどの広い日本間。茶室としても使うという、何もない和室である。

その部屋の真ん中に、吉野洸清はあぐらをかいて座っていた。
将棋盤の前に。

改めて見るまでもなく、ひどいことになっている。思わず現実逃避をしたく
なるのも理解できよう。自陣の左翼は乱れ、敵の角将が奥深く進入
していた。将棋とはなんと現実的なのだろうか。戦うことも、守ることも、
逃げることすら同時には出来ない。--人生と同様に。

老人は、少しは驚いたようだった。

「確かにお前は馬鹿だが、悩んでいる所など初めて見た。悩みなどとうに
吹き飛んでいると思ったが」
「……『住職』。人は悩みながら生きるというものですよ」

吉野洸清は相手の老人を住職と呼びながら、駒を打った。

パチン

「もう住職ではない。後は死ぬだけの男だ」

『高永寺』の前住職。常然和尚(じょうぜんおしょう)である。
80歳後半であるが、若い。洸清はその老人が、今でも毎日節制と
厳しい戒律的な生き方を止めていないことは知っていた。

むしろ40過ぎの洸清の方がよほど疲れて見える。

「和尚は死にませんよ」
「死なない人間など居るものか。それ、王手」

パチン

棋上の駒を見つめて、洸清の陰鬱な気持ちは加速する。

「何を悩んでいる」
「……娘のことを考えていました」

洸清は呟いた。それに応じ、常然和尚も訊ねる。

「洸清の娘は今年いくつになった」
「もう17です」
「娘の何を考えているのだ?」
「将来です。千歳は、尼僧になろうと思っているようなのです」

パチン

攻め手に洸清が応じる。守りを固めるように。

「ほう。尼僧にな。それがどうかしたのか」
「千歳は、ただ私の後を辿ろうとしている。女には女なりの生き方も
あるでしょう。別に僧になることがこの世の全てではない。和尚、
説得してはくれませんか」
「説得? 何をだ」

常然は笑いだした。愉快そうに。

「何をどう説得すればいい。僧になどなるな、と? お前には仏の
道は解らぬと説け、と? お前の娘は、私もよくよく目を掛けてきたこと、
わからぬはずはあるまい」
「知っています。だからこそ、僧侶なんぞ目指さずに適当に、楽に
生きろと千歳におっしゃってください」

常然は腕を組む。棋上を見つめたまま、うむ、と唸った。

「お前にできぬことが、儂ならできるというのか。洸清」
「年頃の娘なんて、親に対する反骨心だけで出来上がっているような
ものです。私がいくら言っても、千歳は納得しないでしょう。常然和尚は
千歳の祖父のようなものです。子供の頃、千歳は私より和尚に
よく懐いておりましたから」

棋上に手が伸びた。老人の手が。
そして洸清の駒を一つ、取り上げる。

そして笑った。

「お前の親代わりとは。賽銭泥棒の小僧を息子に持つなど御免だ」
「……いえ、あれは善行に用いました」
「どんな善行だ」
「マンガを買いました。とてもためになる内容で、現在もその精神は
多くの人の幸せのために」
「ああ、もうよい。全く、そういう姑息な弁説ばかり上達しおって。経も将棋も
まるで下手くそなままではないか」
「お言葉ですが和尚。私のほうが多く勝っております」
「馬鹿なことを言うな。116戦59勝、わしが勝ち越してるではないか」
「負けそうになって和尚が逃げたのを除けば」
「ふん」

老人は荒く、鼻から息を吐いた。じろりと、洸清を睨みつける。
洸清はというと、その視線から逃げるように庭へと顔を向けていた。

無視して、老人は言う。

「お前は、娘に何をしてやるべきかわからんのではないか。父親の姿を
知らんからな」
「……そうですね。私にとっての父とは、坂井さんです」

坂井。坂井藤次郎。常葉町には、彼の名前が多く残っている。

国鉄の職員だった彼は、この町を愛し、この町に生きる人を愛した。
この町の名士であり、町長にもなった。

「そうだ。お前は常葉町の町長だった坂井さんが連れてきた孤児だ。
それ故に親のことを知らんのだろう。だが、子は親の考えとは違う答えを
出すものだ。父親はそんな事にいちいちこだわらなくともよい」
「しかし、娘は私のような男の背中を追おうとしている。そんなことは
千歳にとって良いはずがないでしょう」
「なぜそう思う?」
「私は、妻を幸せに出来なかった。千歳の母親を」
「尼僧になるのが気にくわんのか、自分に似るのが怖いのか。それは
はっきりさせるほうがよかろう」
「……おっしゃる通り、です」

パシン

洸清は駒台から『銀』を取り上げて、棋盤の上に叩きつけた。
王手金取り。

「怖いんですよ。千歳がまるで、あいつのように見える。賢しく、
あいつはまぁ、親が言うのもなんだが美人だろう。和尚、それだけに
悩むんです。千歳に滅法色気が無いのは、私のせいだろうとね」

妙手。棋上の一手に、常然は考え込んだ。

洸清は続ける。考えている常然に、まるで独り言でも言うかのように。

「好いた男の一人でもできりゃあ、気持ちも変わるかもしれませんがね、
子供ってのは、もっと浮ついてて、馬鹿で、ワガママで、純粋であれば
いい。あいつは、私のように振る舞おうとする。それがどうにも
気に喰わんのです。好いた男の一人でもできれば……」
「おらんのか。17にもなって。あの美貌で」
「おりませんな。不思議なことに」

洸清はポケットから、タバコを取り出した。白い修練服を直して、
タバコに火をつける。

「ふぅ……」

坂井藤次郎。
ふと、父親代わりの人の姿を思い出した。そして……。

妙案が浮かぶ。

これは一挙両得の妙案。上手く行けば、今までの悩みも払拭できる
素晴らしい考え。

「……坂井さんの孫を覚えていますか。住職」
「住職ではない。坂井……ああ。確か有沢とかいう家に行った。
あれがどうかしたか。どこか変わった、線の細い男だった」
「その息子です。十数年ほど前に、あの坂井さんの忘れ形見である
機関車を走らせた」
「おお。あれは……そうかそうか。車庫に仕舞ってあった、蒸気機関車を
一人で走らせて……」
「で、ぶっ壊した奴ですよ」
「確か有沢浩樹と言ったな。祖父の坂井さんによく似た男だった」

頷く。こうして考えてみると、この町は何か数奇な出会いや、別れを
いくつも内封している気がする。常葉町を『奇跡の起こる町』と誰かが
呼んでいた。それは、ある意味正しいと思った。

「その有沢浩樹の息子が、常葉町にやってきたんですよ」

それは老練な師をかなり驚かせたようだった。
将棋盤ではなく、じっと洸清の顔を見つめて。

「……なんと、それは。それは……あの」
「そうです。彼ですよ」
「……なんという……。その子が、例の子か」
「はい」

沈痛な表情で、常然は両手を合わせた。小さく念仏を唱える。

「……両親を失ったか。彼も、藤ノ木さんのところも気の毒にな」
「気の毒なのは残された者達かもしれません」
「さもありなん。せめて、その子が『希望』になればよいのだが……」

タバコを持ち直した洸清は深く頷き、そして声のトーンを一変させる。
明るい方へと思い切り。

「それでですよ。このモヤモヤを一気に解決する妙案を思いつきました」
「何をだね」
「常然和尚。この将棋は私の勝ちでよろしいでしょう」
「待て待て。3四桂だ」
「7五金で終わりですよ。私はちょっと、電話をする用を思い出し
ましたので、これで」
「待てというに。その妙案とやらを聞いておらんぞ」

常然和尚は、将棋の勝敗よりもそれを聞きたそうにしている。
タバコを貝殻の形をした灰皿に押しつけ、洸清は笑った。

「ショック療法でいってみようかと」
「どういうことだね」
「なぁに。鮎の友釣りみたいなもんですよ。さぁ、鬼が出るか蛇が
出るか」

それではどちらも良いことなしのような気はするが、それもまた
良い薬かもしれない。洸清はそう考え、玄関へと足を向けた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ほのぼのとした夏の昼下がり。

暖かな光線とソフト・タッチの浜風が、浜辺に立つ喫茶店、
『Railway』を撫でる。

屋上では、毛むくじゃらのエゾモモンガがになたぼっこに精を
出していた。夢の中で、大好きな草花に包まれる夢でも見ているのか。


さて、店の中である。

「……」

ふたえが作ったナポリタンをがつがつ食いながら、その男はなんともなしに
そこにいた。

高浩ではない。高浩は反比例するように、その向かいで食欲を
失いつつある。だから、テーブルの反対側にいるのは吉野洸清である。

吉野洸清は食っていた。一応金は払っている。ナポリタンは600円。
配達を終えた高浩は無料で食べているから、立場は同じではない。
相手はお客だ。
だが、いや、そういう意味で気まずのではない。

「……住職。あの……俺、カウンターの方で食べますんで」
「いやいや。有沢君。まーそう気を使うな。俺とおまえの仲で遠慮するこた
ない」

そんなに仲良くなった覚えはない。

「有沢君。ここの生活には慣れたか」
「はぁ……まぁ、変な人が多いですが」

目の前で、物をこぼしながら飯をかっ喰らう坊主とか。

「そうか。まぁ聞け。重大な話がある」

そうはいうが、洸清は食っている。食いながら話している。むしろいつでも
聞ける体勢なのは高浩だ。言いたいことがあるなら、早くしてもらいたい。

「食わんのか?」

聞く体勢だ。

「残すと罰当たりだな。俺が食ってやろうか」
「……どうぞ」

ふたえに助けを求めようとしたのだが、彼女は厨房の方にひっこんで
出てこない。

『男同士のお話に、割り込んじゃまずいわね』
とか、余計な事でも考えていやいしないか。

こんな時に限って、どうでもいいタイミングで現れるみずほや智恋も
いない。万里は……いないほうがいい。プレッシャーに弱そうだし。

「つまりだ。恩を仇で返すのは良くない」

ナポリタンを口からこぼしつつ、洸清は言った。

何のことだか意味が分からない。
分からないので高浩は訊ねた。

「何のことですか」
「お前、うちの娘に借りがあるだろう?」

うちの娘と言われ、すぐ千歳のことが脳裏に浮かんだ。

表情が乏しく、話し方はぶっきらぼうだが、どこか優しげで愛嬌のある
良い意味でユニークな女の子。
ある意味では、この常葉町で最も高浩と親しい女の子である。

「借りって?」
「ひどいやつだなぁ。お前、そんなんじゃモテねーぞ」
「大きなお世話です」
「お前、彼女いるのか」
「……いや、何言ってんですか住職」
「聞かれたことには正直に答えろよ。その余計な間が、人生に置いて
もんのすっごーく重要な事もあるんだぜ? 兄ちゃん」

とても重要には思えないが。
仕方なく、高浩は首を横に振った。もう、酔っぱらいの相手をしている
気分になりつつも。

「そうか。まぁそんなことはどうでもいいことだ」

なら聞くなよ。

「貸し借りってのは公平性が大切だ。お前は千歳に借りを作っている。
まず、その借りを返す宛はあるのか訊ねる。さぁ答えてみろ」
「そもそも貸しって、俺が千歳さんにいつどんだけ貸しを作ったんですか」
「自分の胸に手を当ててよく考えろ。思い出せ」

そう言われても……。

何のことだか。何だろう。
千歳……。

言われてみれば助けられているかもしれない。精神的に。
ほんの一瞬見せる、ささやかな微笑みに。
しかしそれは、指摘されていることなのか?

そんなものまでも?

「俺は知ってるぞ。俺には何でも全部お見通しなんだ。イェース、
有沢君。感謝の気持ちは胸に押し込めているだけじゃ良くない。
形にしてこそ大きな意味を持つ」
「……」

まぁ、それは分かる。感謝を示すなら言葉に乗せるべきだ。
無言で死んでいった父親・有沢浩樹のようになってはいけない。

だが個人的な印象というもので、生臭坊主に言われるのは癪だが。

「千歳さんには深く感謝しています。これでいいかな」
「いかんなぁ。そんな薄っぺらい言葉では」

薄っぺらいか? そんなに?

「感謝の形は形、感謝の言葉とはまた違う。そうだなぁ……」

ちらっ、と、視線が交錯する。
口からパスタをこぼしつつ、吉野洸清は言い放った。

「お前、千歳とデートしろ」

飲み掛けのお茶を盛大に吹いた。

「汚ぇなぁ」

ごほっごほっと咳込んで、気管に入った気味の悪い水分を出そうと
するが、なかなか収まらない。

「そんなに驚くこたないだろう。それとも大喜びか」
「だ、れ、が、そんな、勝手に!」

右手でテーブルを叩き、声を荒らげる。

「冗談もいい加減にしないと俺も怒りますよ! お茶吹き出したじゃ
ないですか! 」
「冗談? おい、俺はいつだって本気(マジ)だぜ?」

ピッ

振り上げたフォークはまっすぐ、高浩の眉間へ向けられる。
眼光鋭く一睨みし、腹から響くような野太い声で、喝。

「お前は俺の千歳のことが気に食わんのか!!」

「い、いえ!」

「そうか。なら好きなんだな。よし、それじゃあ明日にでも行ってこい。
いや、まずは娘を誘わないとな。家にいるから、今から会いに行け」
「何勝手な事言ってるんですか。仕事中なのにそんな事」
「高浩君。午後の配達は、吉野さんの所もあるから心配いらないわ」

聞こえてきた声に、高浩は目配せした。

--いや、ダメ。そんな事言わなくていいしーー

ふたえ。藤ノ木ふたえが厨房から、高浩に声を掛ける。

「明日は、お休みをあげるわね」

--いやいやいや、そんな無茶苦茶な事決めなくていいから--

「明日のデート費用も、高浩君にバイト代を渡すから大丈夫」

不自然だ。不自然すぎる。

「ちょっと待って。待て。なんで話を無理矢理進めるんですか。
吉野住職もふたえさんも!」
「ふたえちゃんは、若い二人の前途を祝おうとしているのさ」
「まとめないでください。ふたえさんは台詞棒読みだし、なんか
声のトーンもおかしいし! 千歳さんの気持ちとか無視して、なんて
ひどい事言ってんですか」
「じゃあお前、千歳の気持ちが分かるってのか?」

それは、そりゃあ……。

その質問は意地が悪い。高浩には分かるはずがない。
もちろん勢いで言っている高浩にも問題があるにしても。

「気持ちは本人に聞けばいい。行きたくないって言うならそれまでよ。
ただな有沢高浩。『貸し』はちゃんと返せよ。本人にな」

その貸しが、何なのかわからない。わからないのに、
それでも返さなきゃならないの!?

「ふたえさん、ちょっと、なんとかして下さいよ!」

救いを求めてふたえの名を呼んでみる。

彼女から返ってきたのは、極上の微笑みだった。

「高浩君は都会っ子だから大丈夫。慣れてるもんね」
「馴れてないって!!!」

『あの千歳をどうデートに誘うのか』
『そもそも受ける確率は5パーセントぐらい?』
『千歳は一言も喋らないかもしれないが、成立するだろうか』

ふたえと洸清は思い思いに勝手なことを喋っており、
高浩の叫びを、誰も聞いていない。

だから一人、どうしようもなく頭を抱えるしかなかった。

「どうすりゃいいんだ……」

まるで、5メートルの壁に正対するような絶望感を感じ。
気がつけば、料理もお茶も冷めきっているのである。

それではもう、席を立つよりほかになかった。


(18)終

(19)へ続く
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