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Way to the BLUE 23話

(23)



『15時32分11秒ガーガー!』

アヒルのような声で時刻を知らせてくれる。それだけの機能しかない
おもちゃのような時計だった。

白い、卵のようにも見えるそれを、ふたえはエプロンの中に仕舞う。
時計。思い出の時計。
大切なものだった。

「ふふっ」

小さく、笑う。
客の居ないRailwayの店内は、夕暮れの光景を映しながら鮮やかな
陰影を深めているのだろうか。

使い込まれた木のテーブルが黒く滲み、幾人もの靴に踏まれた床は
擦り取られたような変色部分を、斜陽に晒しているのか。

年代物の薪ストーブは、夏のしばしの休息を謳歌しているのか。

冷たい真鍮のドアノブは、輝くこともなく寂れているのか。

ふたえには何も解らない。
何も見えない。

ただ、聞こえてくる声がある。埃が空気を舞う、雑音の中で。

耳を澄ませば、二階から。
彼の声と、そして彼女の声。

ふたえは微笑みを絶やさない。
見えなくても『わかる』。昔愛したあの人が言った言葉を、
この時間の中で信じていられる。

ぎゅっと、ポケットの中で卵の時計を握りしめた。

見えなくてもわかる。

ここにあることを、信じられる。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「……」
「う、あぁ、ぁ、ぅ、うー」
「……」
「あぅあぅうーうーうー」
「……」
「うみーうみー」

高浩は、そういう雑音の中にいた。

ふと天井を見上げれば、斜めに差し込む夕日。それが斜陽。
染み着いた年月に茶色く染まった天井を、鮮やかに映し出す斜陽。

日は傾きつつあった。
残酷なほど容赦なく。絶望するほど静かに。憔悴するほど赤く。


「うーうーうーうーうにーうにー」


Railwayの二階。高浩の部屋である。ここは元々、高浩の父親も
使ったことがある部屋らしい。殺風景で、ベッドと棚ぐらいしかない
部屋である。
毎日が静寂……静寂の中で、雑音もなく、引き締めたような静寂が
虚空を叩く。叩いていた。叩いていたかもしれない。叩きたい。


「みょみょみょみょ~ん」


この部屋にある物は木ばかりだ。手作りの木製ベッド。手作りの棚。
というより全てが手作りだ。このRailwayでさえ、手作りだったそうだ。

高浩の曾祖父が作ったという。本当かどうかは知らないが。
作るのには相当苦労しただろう。建て付けがよいのか、雨漏りぐらいは
あるだろうが、壊れたりするところは全くない。床の軋みもあまりない。

木の家というのは、かくに頑丈なものなのか。


「う~うっうっ~ううんうんう~ぬもーぬもー」


Railwayはもう40……50年以上前から存在していることになる。
雪で痛みやすい北海道の木造建築としては長い歴史を持つ。
曾祖父は大工ではなく、国鉄の鉄道員だったそうだが、木工の
腕も良かったらしい。何かと色々ある曾祖父だ。町長だったことも
あるらしい。それが高浩にとっての名誉というわけではないが、
なんとなく気分が良いというのも確かだ。


「ぽんぽぽんぽんぽんぽんぽ」
「静かに」
「……」


一言低い声でそう言うと、遊花は特にこちらを見たりもせず、ぴたっと
口を止めた。ずっとドリルを攻略しているわけである。

変な声を発しながら。

高浩、遊花、そしてみずほは、高浩の部屋にそれぞれの夏休みの
宿題を持ち寄った。高浩の右手にはみずほ。彼女は今、ワニがマンガ
チックに描かれた子供っぽいシャープペンシルを持ったまま、少なくとも
5分間は微動だにしていない。死んだのかと思うほどに。

遊花は遊花で、数学のドリルを解こうとしていた。
解けてはいないようだが。解こうとはしている。

「今の……いや、ずっと呟いていた変な擬音は何なんだ?」
「脳がなんか、なんかと戦ってるかんじのなんかそれ」

わからん。代詞が多い。

「なんかって何だ」
「しゅわしゅわしゅわしゅわって感じの」
「わからん……」

遊花の言っていることはまるで理解できないが、ともかく一問も問題を
解けない、その理由が知りたかった。高浩がそのテキストを用意した
わけではない。それは夏休みの宿題なのだから……。

「わからないのか?」
「わかんない」
「学校で習った事じゃないのか?」
「習ったかどうか覚えてない」

存在を覚えていなさそうだ。

「一人で解けそうか?」
「溶けそう」
「いや、そういう溶けるではなくて」

わざわざドリルに『溶ける』と書いて見せてくる遊花に手を振った。

「数学は、公式を当てはめればとりあえず解けるはずだから」
「遊花は公式を当てはめれば解けるはずだ」
「そうだ。やればできるはずだ」
「遊花は出来る子だ」
「出来る子だ」
「できるこだーおーおーぅほー」

両手を突き上げて、遊花は叫んだ。

とても出来るようには見えない。
しかし虚仮(こけ)というものもある。虚仮威し、という。
気迫はいろんな物をどうにかしてくれるのだ。遊花的に言えば。

「ま、まぁ、遊花は教科書で公式を見ながらやってくれ」
「うん」
「さっきから、石像にでもなったかのように微動だにしない人のことが
多少気になるんでな」

シャープペンシルの先を紙に触れさせたまま、みずほは無駄な
動きを一切していない。
静かに。まるで琥珀に閉じこめられた羽虫のように、存在そのものを
閉ざした世界に佇む。絵の中にあるような姿。

一切の邪念を捨て去る。

一切の思考もついでに捨て去る。

「おい」
「……」
「みずほ」
「zzz」
「寝てんじゃねーよ!!」

首に思い切りチョップを打ち込んだ。

ごく軽くだが。それでもがくんっと、みずほの首が横に倒れる。
で、がばっ! と頭の位置を元に戻した。

「きゃあっ!! あ、あんた、いきなりなにすんの!」
「今寝てたろ! 今!」
「寝てないわよ!!」
「『zzz』っていびきが聞こえたぞ!! 怖いから目開けたまま寝る
なよ!」
「寝てないってば! いびきなんてかかないし! 今はちょっと、精神を
集中させてただけなの!」
「ちょっとか!? 長いだろどう考えても!」
「30秒ぐらいでしょうが!」
「5分だよ!!」
「うそっ!?」

高浩は片手で頭を掻いた。

「やる気あんのかよ……」
「ないわよ」

みずほの表情に、解りやすくそう書いてある。
特段そう言われて慌てることでもない。

無いのは知ってる。知りたくもないが。

「ともかくじゃあ、対話形式で問題を埋めていくしかない。そのまま
任せていたところで、宿題が片づくはずがない」
「ごもっともです。終わらせないと家にも帰れないし」

危機感を持っていることは良いことだ。それなのに寝ていたのは
どういう訳なのか聞いてみたいものだが。

とりあえず、英文訳の問題を出してみる。

「The doctor whom he visited is famous.」
「その医者はヤブ医者です」
「全然違う」

みずほは真顔で答える。
高浩は一瞬怖じ気づいたが、辛抱強く立ち直った。

「『彼が尋ねた医者は有名です』だ。」
「でもヤブ医者なんでしょ?」
「そんな設定はどこにもない」
「当たらずとも遠からずといったところ?」
「そんな生やさしいもんじゃないぐらい遠い。次の問題」

一応、みずほは解答を書き込んだ。高浩が答えたのだが。
再び別な問題を尋ねる。

「Do you mind Taro coming too?」
「『あなたの精神は太郎さんですか?』」
「意味が全くわからない」
「『あなたの心の中にはいつも太郎さんがいるのですか?』」
「言い直しても間違ってる」
「『あなたは太郎さんが来たら精神的ショックを受けるのですか?』」
「太郎さんはそんなに嫌われてない。でも結構近いぞ」
「『太郎さんとジョンはあなたにとって強敵です』」
「登場人物を増やすな」

何度か言い直しているうちに、みずほは正解に近づいていた。
しかしどんどん遠くなってゆく。

「『太郎さんとジョンは帰国子女です』」
「明らかに女じゃないと思うが。いや、本当に真面目にやってくれ」
「真面目に考えてるでしょうが!」
「どこがだ!! ジョンとか最初から例文に出てきてないし!」
「太郎の友人のジョンよ!? 知らないの!?」
「知るか!! 答えは『太郎が来てもいいですか?』だ! こんな簡単な
例文、中学生でも解けるぞ!!」

と言って、高浩は遊花の方を見た。
鉛筆を転がしている。

「百歩譲って普通の中学生なら解ける」

こっそりと高浩は言い直す。遊花の方は放っておいて。

高浩が言った解答を、みずほは問題集に書き込んだ。どうやら本気で
自分の考えを放棄し続けるつもりのようだ。そうはさせない。

「今度は答えを言わないぞ。何回でも、正解するまで絶対に答えを
言わないから覚悟しておけよ」
「何でそんな意地悪をするんだよぅ。あんたは鬼か」
「こんな親切な鬼がいるか」

宿題の答えを教えてくれる人がいい人でなくて何なんだ。


「Great was my surprise when I heard the news. さぁ訳せ」

「彼はすごく滑舌の良いニュースキャスターで驚きます」


自信満々でみずほは言う。しかしやはり、間違えていた……。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「もうすぐ4時? そろそろ帰らなくちゃ」
「なぁによ。ゆっくりしてきゃいいのに」

赤い顔で、ショートカットの女は起き上がった。
頬に跡が付いている。ずっとテーブルに突っ伏したままの姿勢で寝て
いたからだ。

「楓。お店開ける前にそんな酔っぱらって良いの?」
「だぁーじょーぶよぉ。ここはお酒飲む店でしょお」
「お酒を飲ませる店だと思うんだけど……。私、娘にご飯作ってやんな
きゃいけないから、そろそろ帰るわね」

木桧美砂はそう言って、テーブルに二千円を置いた。
ぬるくなったグラスのビールを一杯飲み、牧野楓はその二千円を
突き返そうとする。

「いいわよそんなの。美砂さんから貰うわけにいかないわぁ」
「いやあの、あんた、さっき私が頼んだ出前の代金、勝手にツケに
しといたでしょ」
「そーだっけ? ラーメン源さんはなんも言わないと勝手にツケに
しちゃうから。じゃもらっとく」
「払ってよ」
「わかったわかった。でもさぁ、大変よね。主婦も」
「アンタも主婦でしょ」

美砂は店を出ようとする。その時、背中に声が掛けられた。

「出て行くとき、店の開店札開けといてー」
「はいはい」

開店したばかりで完全に酔っぱらっている経営主って……。



外に出る。
真夏の常葉町の、夕暮れ近づく頃。
涼やかな風が通り抜ける路地。寂しげな町外れの中にぽつんとある
楓の店。

その開店札を、美砂は裏返した。

「楓も、もうちょっと自覚を持ってくれればいいんだけど」

それがやや、お節介であろう事はわかっている。
美砂が本来考えるべきは、自分の娘の学力を向上させ、来学期は
『学校への呼び出し』がないようにするという、あまりにも低い
目標を守らせなくては。

「そういえば、あの子、家に戻ってるのかな」

自分の家への帰路を歩きながら美砂は独り言を呟いた。

「朝、宿題終わらせるまで帰ってくるなって言ったけど……」

存外、根性のない娘である。学力もないが。人一倍だらしない。
多分家にさっさと戻ってゲームでもしているんだろう。

「あーあ……休み明けも、また学校に呼び出しかぁ……。たまには
智哉が行けばいいのに。全然帰ってこないんだから……
あーストレスたまるなあ!!」

サンダルで、地面の石をこつんと蹴り飛ばした。

「そうだ。みずほが戻ってきてるとしても、私が帰らなければ結局
同じ事じゃない。そうよ。私が帰らなければいいのよ」

名案だ、と頷く。

「私が帰らなければ、みずほも少しは反省するでしょ。それじゃ、
久々にパーッと気晴らしでもしてくるかな」

美砂は家とは別な方へと歩き出す。
その方向には、Railwayがあった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「『私は彼にハードに責められて今朝の朝刊に載ってしまった』」
「ふざけてんだろお前」

5時。
未だに、まるで正解に近づかないみずほの回答。
高浩は頬杖をつきながら、面倒臭そうに言った。

「もー、わかんないわよ!! 答え教えてよ!!」
「197回も間違えたら、いい加減正解すると思ってたのに……」
「『今朝の朝刊の一面に載っていたのはサバ密漁事件だった』!」
「198回目……」


夕暮れの景色を窓から眺める。
何度こんな事が繰り返されるのだろう。

何時までこんな事が続くのだろう。

「『そのニュースを聞いて、私は驚いた』」
「199……ん?」

みずほの解答。それを聞いて、反射的に不正解と言ったが。

「……みずほ、今の近い。かなり良い線行ってた。殆ど正解だ」
「ホント!? すごいじゃん私!!」
「いやすごくはないが、もう一息だ。その『I』は形容詞として
扱われる物だから、自分だけじゃなくて……」
「自分だけじゃなくて……複数?」
「そうそう! だから、複数にすると!」
「私にそっくりな人たち!?」
「なんでだあああああああっ!!!」

それが、200回目の不正解。

何も生み出さず、何も学ぶことのない200回の無駄。
絶望しか生み出さない勉強があるのだと、高浩は初めて知る。



その時、階下から誰かが上がってくる足音が聞こえた。


(23)終

(24)へ続く
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