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Way to the BLUE 24話

(24)


Railwayの構造は、かなり単純なものだ。

一階は店の大部分。長方形の構造を縦に断ち切ったような細長い
店内。半分はふたえが一日の大部分を過ごす厨房で、半分は客が
くつろぐ店部分である。

4人掛けのテーブルが三つ。カウンターの席が6つ。
古いウォーターサーバーが微かな唸り音を立てる以外、ごく静かな
店内だ。

二階への階段は、入口正面から回り込んだような影の、あまり目立た
ないところにひっそりと存在する。二階には物置としてもスペースが確保
されている。一階よりも二階の方が仕切りが少ないわけだ。
無論全体的な大きさが変化しているわけではない。

しかし二階の高浩がいる部屋は、全体の中ではやや狭いスペースに
あった。なぜか。物置として使っているスペースの方が広い。

ふたえには心当たりがあった。それはきっと。

部屋を広くすると、手の届かない部分が多くなるからだろう。この
Railwayを設計した人は決して偏屈な人間ではないのだが、過度な
飾りを嫌う人ではあった。

坂井藤次郎という人。長く常葉町の町長をやっていて、
その人は、ふたえにとって……特別な意味のある人でもあった。

もちろん高浩にとってもそうだろう。坂井藤次郎の娘が、高浩の
父親を生んだ。高浩にとって坂井藤次郎という人は、曾祖父に
当たる。

ふたえにとって坂井藤次郎は、かけがえのない『命の恩人』で
ある。老いた坂井藤次郎がふたえや、ひとえ、そして……
有沢浩樹を結びつけてくれた。

誰の手にも等しく『夢』が残されているのだと、坂井藤次郎は
教えてくれたのだった。今でも、C62型蒸気機関車が眠る
あの倉庫で、坂井藤次郎が三人へ語った時のことを思い出す。

あの時は本当に小さな子供だった。
それでも忘れない。忘れなかった。
思えば、それをずっと胸に抱いて生きてきた、そんな気がする。

20年経っても、
30年経っても。蒸気機関車が壊れても。

二人が……死んでも。


いつだって、苦しいときや悲しいときには、
『この手の中に夢がある』と、
信じて、感じて、涙を擦り、歯を食いしばって生きてきた。

世界はもう変わらない。

世界はもう、永遠に。

藤ノ木ふたえの世界にもう、あの頃の二人はいない。
それが絶望の未来でなくてなんだろう。

未来。

夢は、未来ではない。
決して夢は未来ではない。
それは、ここにある。ここに『ありつづける』。

羽ばたくことなく。身動きも取れないまま。
産声も上げぬまま……。
まるで死んでしまったかのように、息もせずに。

永遠にこの手の中にある。


ここにある夢。

それが、ここにある。夢……。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ふたえは階段を踏む足を、再び動かした。
その階段を上がるとき、どうしても思い出すことがある。

そこには思い出が多い。いや、Railway自体に、あまりにも思い
出がありすぎる。辛いことも、楽しいことも、全てがここで。
ここで生まれた。



「ふたえさん」

階段を上がってゆくと、高浩の声。ふたえは気を取り直した
ようだった。
声を掛ける。

「高浩くん。どう? お勉強ははかどってる?」
「はかどっていません」
「あらあら。それは困ったわね」

ふたえの声は、高浩には全く危機感がないように聞こえる物だった。

「気楽に言うけど、当人は深刻ですよ」
「当人って?」
「概ね、俺です」
「先生だけが困っているなんて、変わった授業ね、お菓子を作ったの。
もう御飯時だけど、軽めのクッキーと紅茶を持ってきたの」

片手に持ったトレイを掲げて見せる。丸形や、星形のチョコクッキーが
香ばしい香りを漂わせていた。

「わーい!!」

パカーンとシャープペンシルを放り投げ、遊花は両手を上げる。

「クッキーだクッキーだ!! クッキーだクッキーだクッキーだ!」
「うふふ。良かったわね、遊花ちゃん。頑張ったものね」
「がんばったよ!! それはすごくがんばったよ!」
「頑張ってねーよ……」

ほぼ白紙のドリルを見つめながら、高浩は呻いた。ついでに、
ふたえに反省の弁を告げる。

「仕事の手伝いもしないで、成果も出なくてすみません」
「大丈夫よ。いつだって成果が出るわけでもないし。お仕事は
いつでもできるけれど、勉強は今しかできないものね」

勉強道具を広げているテーブルに、紅茶とクッキーが並べられた。
一時だけ休憩する。大皿のクッキーをつまみ、暖かい紅茶で喉を
湿らせると、ついつい言葉が生まれるもので。

「ふたえさんは、勉強できたんだよね?」

200回間違えたときにはさすがに不機嫌になっていたみずほが
今はずいぶん気を良くしているようだ。笑顔で尋ねる。

「うふふ。ぜんぜんよ」

ふたえも、自分の分の紅茶を入れている。4人がテーブルを囲む
形になっていた。こんな風に話をするのは珍しい。

「お姉ちゃんにぜんぜん敵わなかった。お姉ちゃんはいつも一番で、
私なんて、下の方から数えたほうが早い方だったわ」
「えー! そうなんですかぁー!」

遊花が驚く。聞いたことがなかったのか、みずほも驚いていた。

「ふたえさんのお姉さんって、すごい人だったんだね。大学とか行った
の?」

常葉町にはもちろん、大学はない。留々辺市にもないので、この
近郊から大学に行くとなると、旭川などの大都市へ行かなくては
ならない。もちろん通うのは不可能に近いので、町を離れることに
なるだろう。つまり、よほどのことである。

「ううん。ひとえ姉さんは大学には行かなかったわ。Railwayのマス
ターをずっとしていたから」
「どうして?」
「え?」

尋ねたのは、みずほだった。

「どうして、大学にも行かないでRailwayの店主をしてたの?
ふたえさんに譲るのに」
「それは、ひとえ姉さんが結婚したから。私はその後を継いだの」
「なぁんか、それって勝手すぎる」

みずほは、紅茶をずずっ、とすすった。行儀の悪い子である。

「大学行けるんなら、勉強してお家の人を楽にさせてあげることも
良いんじゃないかと思うけどな。私は勉強とかぜんぜんできないから
言ってもしょうがないけど。私は、ひとえさんって人のことよく知らない
けど、ふたえさんに比べて随分好き勝手してるよね」
「それはね……」
「俺の母さんは……」

同時に話そうとして、二人が言葉を止める。
ふたえと高浩は、躊躇していた。高浩が話す前に、結局ふたえが
取り繕うように。

「みずほちゃん。ひとえ姉さんはとても良い人だったわ。優しくて強くて、
誰からも慕われていた。私は、ひとえ姉さんが幸せになってくれるなら
ほかに何もいらなかった」

カァ、カァとカラスの鳴き声が遠くまで響く。
潮騒に乗せて、返ってくるかのように遠く。

「そう、幸せになってくれれば良かったの。誰よりも。姉さんには……」

それが過去形で語られていることに、高浩も気づいていた。
想い出はいつだって過去でしかない。その時の記憶さえ閉じこめて、
すべて過去に内封されてゆく。

ひとえは、母は、幸せだったのだろうか?
高浩は甘いクッキーをかじって、そんな疑問を思い浮かべた。

死という悲劇をどう思うか。死は幸せかもしれない。
不幸なのは、残された自分達なのかもしれない。

「私は、ふたえさんに幸せになって欲しいわ」
「うんうん。なってほしいよね」

みずほと遊花の言葉に、ふたえはおどける。

「ふふ、そう?」
「そうよ。だってこんなに優しいし、美人だし、お菓子作るの上手だし」
「ぬいぐるみも直してくれるよ!」
「その、ひとえさんって人より幸せになって欲しいに決まってるじゃない」
「ふふ、ありがとう」

紅茶を一口、そして、ふたえは立ち上がる。

「私は今、お父さんやお母さんが元気で、みんながそばにいてくれて、
Railwayがここにあって……。それでとっても幸せよ。これ以上幸せに
なったら、きっとバチがあたるわ」

自分のティーカップだけを持って微笑んだ。

「さ、あとはみんなが頑張って、いろんな夢を掴めばいいの。私は
勉強の邪魔をしちゃうから、下にいるわね。根を詰めすぎない程度に
して。あとで御飯にしましょう。遊花ちゃんも食べていく?」
「食べる!」
「それじゃあ、牧野さんのおうちの方に電話しておくわ。高浩くん、
引き続き教えてあげてね。お願いね」
「え? あ、はい……」

3つのティーカップと、まだ暖かいクッキーだけがテーブルにある。
ふたえは階下に降りていった。

花のような香りと、柔らかい羽毛のような声を耳に残して。

「何ぼーっとしてんのよあんた」
「いや、そんな風に見えるか?」
「見えるわよ。バカヅラ。スケベ」

不機嫌そうに。みずほは感情の起伏がこんな風に激しいが、どうも
怒らせている事の方が多いような気はする。ただ、高浩としては
どうにも対処のしようがない。それが苦手だった。

ふたえとは違う。

ふたえは、優しい。どこまでも優しい。
だが、それがあまりにも悲しく思えることがある。

みずほも、同じように考えているようだった。

「ほんっと、底抜けに優しいのよね。ふたえさんって」
「そうだよね。遊花もあんなお母さん欲しい。絶対怒らないもん。
遊花のおかーさんは、怒ったらすっごく怖いのに」

遊花の母親。高浩はその人を銭湯で見たことがない。
一体何をやっている人なのだろう? 父親は……いないそうだが。

「私、ふたえさんが怒った所なんて一度も見たことないわよ。私の
お母さんも、ふたえさんだったらいいのに。あの鬼ババ、私のゲーム
捨てたりしたことあったし。あーあ。運が悪いなー」
「それは運とかの問題じゃないだろう」
「うるさいわねぇ。勉強をしないかわりにゲームをやってるんだから
差し引き五分五分ってとこじゃない! 怒る意味がわかんない」
「100対0で何も努力してねぇしそれ」

一応ツッコミを入れるが、それはともかくとしても。
ふたえには高浩も思うところは色々あった。

いつも色々なものを、笑顔で受け入れるふたえの姿に。
それは、よくできた彼女の姉の姿に、似ているようで……しかし
全く違うもののようで。

「ふたえさんはきっと、Railwayのマスターになってから、ああいう
風になったんだと、俺は思うよ」

そう言うと、みずほは少なくとも、眉をひそめた。
遊花も「そうなのかな?」と首をひねる。

「そう思う」

不思議と、それが信じられる。
なぜそう思うのか、ということも含めて。

人は、何かを失ったときに初めてその価値を知る。
得ることで知ることは少ない。圧倒的に。

失うことの価値に気づき、そして人は変わってゆく。
彼も、そして彼女もまた、例外ではないと。

時が移り、人は失い、そして変わってゆく。止めどなく。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


Railwayはそろそろ閉店の準備に入る。現在はお客の姿もなく、
ふたえは子供達に食べさせる料理を作っていた。

「おっじゃっまっしっまーす」
「あら? その声は、美砂ちゃん?」

ととん、とサンダルを鳴らして店に入ってきた彼女の姿は、ふたえには
見えない。だが、もちろん声で理解できた。

「あーそう。美砂でーす。おじゃまおじゃま」

木桧美砂。木桧みずほの母親。
藤ノ木ふたえとは仲の良い友人である。最も、ふたえと不仲な人間
など、常葉町には皆無だろうが。

それでも、その中でも、とびきりふたえと仲が良いのが美砂だった。

「どうしたの。酔ってるみたいじゃない」

美砂は赤い顔で、ややふらつきながらカウンターまでやってくる。
そして椅子に、どっかと腰を下ろした。

「ふたえさん、冷酒」
「どうしたの。珍しい」

Railwayに酒のメニューはないが、そこそこいい日本酒を置いている。
これは売り物ではなくて、料理用酒としてもらったものだった。

グラスを用意して、一升瓶から酒を注ぐ。

蔵元、大吟醸。もしかしたら相当高いのかもしれないが、値段を
聞いた事はなかった。Railwayで仕入れをお願いしている、笑顔の
絶えない50歳ぐらいの酒屋のおじさんが、調理用酒をお願い
すると持ってくるのだ。

ふたえは飲めないし、ラベルを読んだこともないため、どうしようも
ない。一升で1000円と言われ、毎回支払っているのだが
酒を飲む人に出してみると、『美味しい』と言われる。

「美味しいお酒あるでしょ? Railwayって」
「(酒屋さんに、美味しくないのでいいって言ってるのに……)」

調理用酒なのだから高い物はいらないのだが、気を利かせて
くれているのか……ふたえに対して気に入られようと思っているのか。

もちろんそんな気遣いは、感謝してはいるが、ふたえにはよく理解
されていない。気のいい笑顔と言うが、ふたえにはそれも雰囲気
でしか伝わらない。それはともかく。

美砂はグラスを受け取り、それを一気に飲み干した。

「んぐ、んぐ、ぷはー! おいっしいー」
「美砂ちゃん。そんなに一気に……。お酒、控えてるんじゃなかった
の? どこで飲んできたの」
「市川さんのとこ。なんか買い物に行ったら奥に上げてもらっちゃって
飲めっていうから飲んじゃった。ふたえさんこれ。これ」
「なぁに?」

カウンター越しに、何か差し出される音がしたのでふたえも手を
伸ばす。触れたのは、紙の箱のようなものだった。少し重い。

「美砂ちゃん、なに? この箱」
「開けて開けて」
「開けてもわからないわ。何なの?」
「福岡直送、辛子明太子」
「どうして。市川さんの所から買ってきたの?」

市川というのは古くから常葉町で魚屋をやっている店だ。古い
店だが魚は安く、鮮度もいいのでRailwayでよく利用している。

「食べようと思って。切ってくれる? ふたえさん」
「すごく高いんじゃないの? おつまみが欲しいなら何でも作って
あげるのに」
「いいのよ。だって明太子が食べたかったんだもん。余った分は
好きにやっちゃっていいの」

今日の美砂は、様子がおかしい。
ふたえは困惑していた。声の調子から表情も気分を読みとることが
できるふたえだが、今日の美砂は、よくわからない。

「じゃあ、少し切るけれど……そんなに酔って、一体どうしたの」
「……別になんでもない。なんか、パーッとやりたくって」
「パーッと、ねぇ」

手探りでまな板に、明太子を並べながら。

「美砂ちゃんらしくないわ。そういうの」
「そう? あたし、いつだってこんなもんよ」
「(あたしって言ってる)」

思わず胸中で、ふたえは呟いた。

彼女の癖だった。普段は自分を『わたし』と呼ぶのだが、感情が
高ぶると『あたし』と言い始める。

別にそれ自体は悪いことでもないのだが、そういうときの彼女は
時にして、とんでもない事を言い出したり、しでかしたりする。
典型的に良くない兆候である。

「ふたえさんが勘違いしてるだけよ。あたし、そんなんじゃない」

聞き取りにくい声で、小さく。囁くように、しかし重苦しく。

「札幌に住んでたとき、あんなに気を揉んでくれたまどかさんも、
智也も、何もかも放り出して、お金もなしに一人で放浪して、
常葉町に流れ着いた無茶苦茶なあたしなのよ。お酒飲んで、
酔っぱらうぐらい、どうってことないわ」
「でも、飲み過ぎるのは良くないわ。あなた、子供が産まれてから
一回お酒止めていたじゃない。子供の手前で、酔っていたりでき
ないからって」

その時には、酔っぱらって海で泳いでいるところを漁師に見つかって
交番に連れて行かれたんだったか。
相当怒られて反省していると思っていたふたえだったが。

「そんな事言ったって、あたしばっかり……いつも、みずほの世話を
してるのは、あたしなのよ。智也は『飛行機と浮気』。帰ってきや
しない。みずほは勉強全然しないで、四六時中ゲームばっかり。
あの子の部屋見たことある? あ、見えないだろうけど、振り回した
コンビニ弁当みたいなのよ。耐えられない」
「そのみずほちゃんが、上で勉強してるのよ」
「……みずほ? そうよ。あの子」

たしなめるように言うと、彼女の声のトーンが変わる。
意味が解ったのか、解らなかったのか。

イスがギシッと鳴った。美砂が姿勢を崩したのだろう。

「あの子、智也に似ちゃったの。悪いとこばっかり。なんで物心
つくまで会っていなかったのに、あんなに似ちゃうのかしら。おかしい
わ。そんなの不公平だわ。智也は智也で耀司おじさんにそっくり
だし。あんなに嫌ってたのに。ううん、嫌ってなんかないのよ。
嫌いになんかなるわけがない。耀司おじさんみたいに良い人を、
誰も嫌いになんかなるわけがない。そうでしょ? ふたえさん」
「はいはい。そうね」

ふたえは生返事で答える。耀司……まどか。二つの名前は、
酔っぱらった美砂がよく出す名前だった。
耀司という人は、実はふたえも知っている。というより、多くの人が
知っている。元お天気キャスターで、とても楽しく、朗らかで人気が
あった男性だった。

フルネームは安倉木耀司だったか。交通事故で亡くなられたと
聞いた。

まどか。木桧まどかという女性。彼女のことを、ふたえは知らない。

「そしてあたし……あたしは……まどかさんに……お母さんに、
そっくりになったの。結局結ばれなかった二人……あたし……
まるで……二人の代わりみたいに……智也を好きになった……」

包丁を止めて、ふたえは聞いていた。
まるで理解できない話を、まるで夢の中で聞く子守歌のように。

「でもあたし、あの時からずっと、ずっと幸せだなんて思えなくなった」
「あの時って?」
「私の大切な友人が、幸せであることをやめてしまったからよ」

手が止まる。
ふたえは、少なからずショックを受けていた。ピリピリとした不快感が
首筋に張り付く。慌てるわけではない。ただ、凍り付いたように重い
不愉快な感覚。

「……」

誰のことであるか。ふたえは、振り返る。

「それが私のことだというなら、気にしなくたっていいわ。私は今の
生活に十分満足してる。幸せよ」
「嘘よ」

一言で、美砂は切り倒した。声に熱がこもっている。

「なんでなのよ。楓も……ふたえさんも。なんで自分の人生をもっと
先に進めないのよ。できるのに。楓なんて、まだまだ若いじゃない。
ふたえさんだって、取り戻せるじゃない。今だって」
「美砂ちゃん。その話はやめて」

遮る
しかし、美砂は止まらなかった。美砂の言葉を止められなかった。

「あたしがそれを願うのはダメなわけ? 餓死しそうだった行き倒れを、
助けてくれた人に恩返ししたいと思うのが、ダメだって?」
「美砂ちゃん。私は恩返しして欲しくて、あなたを助けたわけじゃ
ないわ。だからもういい。やめて」
「ああそうなの。いやよ。もういや。ふたえさんのためになることは
ただ黙っているだけなんて!!」

  タン!

テーブルに、グラスが叩きつけられる。美砂はよろけながら立ち
上がった。気勢を強め、さらに高く声を上げる。

「いいじゃない! なんでふたえさんだけが辛い思いをする必要が!
あたしは未だに納得なんかしてないんだから!」
「子供達が上にいるのよ。お願いだから、本当にやめて」
「聞かせてやればいいじゃない!」

美砂は声を張り上げる。ふたえの耳に、別の音が入ってきた。
階段を下りる複数の足音。

(降りてこないで。誰も!)

心の中で願っても、それが止まるはずがない。

振り返る。そこに何も見えないのに。
声だけで遮ることしかできないのに。悪寒。寒気がした。

「美砂ちゃん。もうお酒はやめて。もう家に帰りましょう」
「いいえ。もう、言いたいことを黙っているのは嫌よ! 今日こそ
聞いて貰うわ!」
「子供達がいないところで、いくらでも聞いてあげるから!」
「もう死んじゃったんだからいいじゃない!!」

 ドクン

心臓が、高鳴る。

「……ふたえさん? お母さん? 何してるの?」

美砂ではない声が聞こえた。みずほの声。そして……。

「あの、ふたえさん。さっきから……何か、その……」

高浩の声。聞いた瞬間に、ふたえの鼓動が早鐘のように膨らみ
響き始めた。

「高浩くん。みずほちゃん。そこにいるの? いるなら、美砂さんを
家に帰して。早く」
「帰らないわよ! あたしは帰らない!」
「美砂っ!!」
「死者への義理立てをする代わりに、大切な物を失い続けるなんて
間違ってるのよ!! それがなんでわからないの! ふたえさん!」

  バッシャーン!!

降りてきた高浩も、みずほも、そして美砂も。その音にすくみ上がった。

「わかってないのはあなたよ! 何も……何も知らないで!」

大きな物音が厨房に響きわたった。まな板ごと床にひっくり返り、
食べ物がばらばらに散乱する。
ふたえは走って、厨房を出てくる。途中、どん、と壁にぶつかって
よろけたり、壁に手をついたり。

「私は……私は幸せなの! 今が、未来が! 浩樹君の教えて
くれた景色が! お姉ちゃんの残してくれたこのお店が! 私のかけ
がえのない幸せなの!! 死んでなんかいない!! 
ここにあるものは、何一つ失われてなんかいない!!」

視線をさまよわせ……普段、一切見せることのないような表情で
美砂がいるほうを睨み付ける。

「出ていって!! 美砂!!」
「言われなくたって出ていくわよ! わからずや!!」

ふたえは、あたりに手を伸ばした。壁か何かを探している仕草で。
叫びながら、ようやく触れた壁にもたれ掛かる。目を閉じて叫んだ。

「出ていって!! みんな!! みんな私のお店から出ていって!
声を聞かせないで!! 独りにして!!」

泣きながら。ふたえは、絶叫した。
そのまま壁を背に崩れ落ちる。手で顔を覆って、嗚咽した。

「独りに……して……! 私と……Railwayを……放っておいて!」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


真夏だというのに、ひどく冷えるような気がする。

海にほど近いRailwayに吹く海風は、湿った青さを携えながら強く、
駆け抜けるような速さで鳴いている。

有沢高浩は、顔を覆って泣き続ける藤ノ木ふたえに、どんな言葉も
かけられそうになかった。

ふと気づく。
時刻はもう20時を回っていた。

階段の途中で、不安そうな表情を見せている遊花の手を握り、
高浩は「大丈夫だよ」と呟く。


大丈夫だ。
どんなに悲しい一日でも、永遠の夜はない。

握り返してくる遊花の手の感触を確認して、高浩は階段を
ゆっくりと降りた。



(24)終

(25)へ続く
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