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Way to the BLUE 25話

(25)



「美砂は……」

木桧まどかは、そう言ったまま口を閉ざした。
呼び慣れない名前。しかし、その名前には意味があった。

この悲しみが、決して回帰することのないようにーー。

「いつだって、美砂は私の子よ。どこにいても……何をしていても、
それを忘れる事なんてあるわけがない。私がもっと大人だったなら、
きっと、あの子をきっと、もっとちゃんと愛せたの。それができなかった
ことを、私は……何年も、何年も悔やみ続ける――続ける。
続けて……そして……」

そう、呟く。誰もいない空間に向けて。
話し合う相手はいない。

語り合える相手はいない。

絶望を感じるほどに孤独でも、彼女は呟き続けた。
胸に下げた金属製の十字架をそっと、右手で包み込んで。

胸元で、聖印を切る。

「この悲しみが、回帰することのないように……」


そしてその願いは、叶わなかった。
この時木桧まどかがそれを知ったら、きっと苦笑しただろう。

私が祈った事なんて、うまくいったためしがない。

そう。願ったことなど、何一つ叶えられなかったのだから。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


星空は、きらめく砂粒のように無数に浮遊していた。
淡い燐光の瞬きを、ふと見上げてしまう。--逃れるように。

高浩は訪れた夜の深さを感じていた。その冷える北海道の空気を
肌で直接感じていた。そして、心にも。

Railwayは明かりを付けたまま、ひっそりとそこにある。
藤ノ木ふたえを飲み込んだまま、木造の建物はまるで全てを拒絶
するかのように

20時。全ては夜の帳に覆い尽くされ、影の中に埋め込まれて
しまった。それを漠然と認めるほかにない。

「お母さん、一体何してんの! ふたえさんをあんなに怒らせる
なんて、どういうつもりなのよ!」

Railwayから出てすぐの小道で、まともに歩くことも出来ない母親を
みずほは肩で支えていた。ついでという感じで、そう叱責する。

先ほどのことを言っているのだ。
酔った美砂と、ふたえが口論をしたことを。

「誰が悪いってのよ」
「お母さんよ!」

みずほはそう断定する。悩む事もなく。

「あたしの何が間違ってるって……うぷ」
「うっわ、酒臭っ。人に勉強させておいて、お酒飲んでるなんて
マジありえない」
「みずほー、ちょっと、楓のお店連れてって」
「ばっ、ちょ、何言ってんの!」
「まだ飲み足りないわよぉ。もーちょっとだけでぶぁっ!!」

美砂がいきなり顔から地面に突っ込む。
ぱっ、と、みずほが身を翻し、ひっくり返った母親に顔を向けた。

「もー知らない。呆れた。つきあってらんない! 勝手に好きなだけ
飲めばいいのよ! もう帰ってくるなっばかっ!」
「ちょ、ちょっと、待てって」
「何よ!」

髪を振り乱し、烈火の如く怒るみずほを引き留める。掴んだ右腕を
ふりほどこうとするが、高浩は放さなかった。

「『帰ってくるな』なんて、言うもんじゃない」
「なんで! ふたえさんをあんなに怒らすなんて! どんな理由が
あるにしろ、やっていいことと悪いことがあるのよ! ふたえさんは
あたしたち家族の大恩人なのに!」
「それでもだ。本当に帰ってこなかったときに後悔するから、やめろって
言ってるんだ」

引き合っていた腕から、すっと力が抜ける。

「え?」

みずほの気の抜けたような声。高浩は手を掴んだまま、繰り返す。

「出て行ったまま帰ってこなかった親を、『俺は』知ってる。そうして
残された子供の事もだ。そんなこと有り得ないと思うか? 俺はあったぞ。
そんな、『ありえなさそうな』事が」

別に諭してるわけではない。ただ、本心から告げる事実の一つだった。
絶対にありえないだろうと思うような事、それは、決して起こりえないで
あろう事と、同義ではない。

世の中には常に、何パーセントか。いや、
コンマ以下、天文学的に少ない確率の中で、大切な誰かが死ぬ。
それが1分後に起こったからといって、『理不尽だ』と文句を言っても
仕方がない。


事実はすべて理不尽なのだ。
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

誰にとっての理不尽かなど問題ではない。事実は理不尽であり、過去は
非情であり、未来は残酷である。だから人は、神に祈る。

「だから、大切な人に帰ってくるなって言うもんじゃない」
「なにそれ。呪文とかだとでも言うの?」
「そうだよ。呪文だ」
「ばっかみたい。いくら私がゲーム好きでもね、ゲーム脳ってほどじゃ
ないわよ」
「意外と、言ったことが現実になったりするもんなんだよ。逆に、誰も
口に出さないことが現実に起こることは殆ど無い。言葉は怖いぞ」
「ふん。物はいいよーだね。私もお金持ちになりたいもんだわ。ゲーム
ソフト買いたいし」

軽口を叩いて、みずほは引き返した。といっても数メートルだが。
そして、意識を失いかけている母親に手を伸ばした。

「お母さん。帰るよ」

美砂を担ぎ上げる。肩で支えて、歩き出した。今度は高浩も反対側に
回り込んで、手伝ってやる。

「……うー、みずほ……水……もう飲めない……楓の店……」
「飲めないのか飲みたいのかどっちなのよ」
「吐きそう……」
「吐かないでよ!」

遊花はその後ろから着いてきていた。先ほどまでは高浩と手を繋いで
いたのだが。

「遊花、先帰ってもいいんだぞ?」
「ううん。タカ兄ちゃんと一緒にいる」
「俺たちは美砂さん運ぶから。家まで」
「一緒がいい」

暗い夜の闇の中で、遊花は首を振った。二つのお下げ髪が揺れる。
それだけではなく、整った、しかし幼い遊花の表情はどこか青白い。

「足下に気をつけて歩けよ」
「うん。タカ兄ちゃんは優しいね」
「別に優しくなんかないわよ」

美砂を挟んで反対側の肩を支えているみずほが、代理で答えた。

それにしても、まるで歩く気のない美砂を支えるのはかなり大変で
歩きながら高浩の額には汗が噴き出してきていた。

夜の風はひんやりとしていて心地よいし、道路も歩道も特に人通りは
ない。ただ、もう寝静まってしまったのか真っ暗な一軒家と、小さな畑が
あるだけの景色である。街灯は数十メートルおきで、殆ど無いに等しい。

田舎の夜だ。当たり前のように暗い。

その中で、まるで呻くような声で。

「私はね、望まれないままに生まれた子だったのよ」

振り返る高浩。その顔の向きは、みずほと向かい合うことになる。
うなだれたような美砂の向こうに、やはり訝しげなみずほの顔。

自分も同じような表情をしているのだろうと高浩は思った。

「お母さん? 何言ってるの」
「私は、木桧まどかさんに捨てられて、他の家に養子に出されて、とても
辛い思いをしてきた……なんで、私だけこんな酷い目に遭うんだろうって
ずっと……でも、逃げようもないし、救われることもないし、仕方がない
からそれを受け入れてきた……でも」
「……お母さん?」

高浩は聴いていた。
みずほはただの、酔人のホラか何かだと思っているのかもしれない。
顔は半ば笑っている。だが。

高浩は聴いていた。足を止めずに、そのうわごとを。



「あの雨の日に、天使が現れた……」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


美砂は幻想を見ているような気がしていた。

かつてないほど――いや、どうしようもなく不安な気持ちで、
たった一人。還らない人を待っていた――

「……もう、しないって言ってるのに……」

舞い降りる雨が、本来なら美しい赤銅色に彩られるはずの空が、
この時間において――

「……何時……なんだろう……いま」

この時間において――重たく鈍色に汚れ、『雲が白い』などという、
幼児でも答えられるような連想ゲームを破綻させかねない空。

幼い美砂は……自分のスカートが――
スカート……そうか、これはスカートだ。

美砂は幼いながら、そんな風に自分を言い聞かせる。
そういうことは出来る。出来るんだ。

「なんじなんだろう……何じかん……たったんだろう」

経ってしまった時間に意味など無かった――

あるはずもない。だって過去は、何もしてくれない。
微笑みかけてもくれないし、飴を買ってくれもしない。

勿論駄々をこねても……叱りつけてもくれない。
美砂はすることがなく、空を見上げた。陰鬱な空。

スカート……ただのボロ切れ同然な、余り布で拵えたものをスカートと
呼ぶのかどうかはわからないが、そういうもの――

そういうものが、道路を弾く雨粒も、浮いた埃も泥も、雑菌も、犬の
小便の匂いだってあるような水を吸っていた。

冷たい。
そんな感覚はもう無い。

とうの昔に忘れてしまった。
彼女には冷たさなんて解らない。雨の温度なんて、冷たさの範疇に入る
物か。

今、彼女が……こうしていることが……贖罪なのだから。
この程度が。

この程度で贖罪になるのなら――許されるなら……あの硬いベッド……
だって、もう文句を言わない。

「もう言わないからぁ……わがまま……」
「あまもり……しても……自分で……直すから……」
「どこから雨漏りをしていたの?」
「てんじょう……」

美砂はふと、視線を上げた。何故か声が聞こえた……。
そんなわけがない。そこには人が立っている。

「天井か。天井の雨漏りを君が直すなんて、相当高いイスが必要になる
けど……」

「そんなに高いイスには誰も座れないから、そんなイスはない。だから
君は天井を直せないよ。気に病む事なんて無い」

美砂の目の前には長身の男が。彼女に赤い傘を差し出しながら、微笑みを
浮かべていた。
優しい微笑み……美砂が今まで、一度も見た事のない物だった。

「おじさん……だれ?」

見上げた後……美砂は視線を落とした。
別に何か気になったわけではなかったのだが――

要するに、疲れて、寒くて、頭を上げている事さえおっくうになっていた
のだ。
自分のその、薄汚れたボロボロのつぎはぎスカート……
それを見る、視線に気付いたのだ。

「やだぁ……なに? やだよぉ……」
「こら。智也。彼女が嫌がってるじゃないか」

智也――?
聞き覚えのない名前。自分とちょうど同じぐらいの背丈で、同じぐらいの
歳……

同じ……かどうかはわからないが、今は怖々とした表情をしている。
きっと同じだ。

美砂は小さな恐怖を感じていた。また、殴られる――
理不尽な恐怖に怯えるなんて、馬鹿な事かもしれないが。
ただ長身の男は、そんな美砂に限りなく優しかった。

「すみませんね。僕は安倉木耀司と言うんだが……こちらは息子の智也。
この辺に……白石……」

話し声は、突然止まった。

しゃがみ込む。耀司と名乗ったその男が、美砂の顔を覗き込んだ。
美砂は激しく拒絶する。顔を覗き込まれるという事は、次の瞬間……唾を
吐きかけられる。
いつもはそうだったから。

「よく似ている……」

だが、その時はそんな事はなかった。

「誰に似ているの?」

子供が……智也という少年が、初めて声を発した。
誰に対する問いかけか、美砂にはわからない。

そもそも、目の前にいる人物が何なのかさえわからないのだから。

解っている事は長身であること。全然似合っていない赤い傘を持っている事。

優しげな微笑み……しかしこれは、信用できるものではない。

よく笑う人間が、よく怒る。美砂はそう思っていた。だから美砂も、笑った
事がない。

「誰に似ているの? 父さん」

もう一度――
智也の声が聞こえた。声は嬉しい。怒鳴り声でもまだいい。罵声でもいい。
こんな風に置いて行かれるのだけは嫌だ。

孤独は怖い。独りでは生きていけない。

「美砂……君か?」
「……え?」

耀司の声に、美砂は驚いた。今度こそしっかりと顔を上げる。

「君は白石美砂かい? 僕は君の事を知らない。でも、
君のお母さんをよく知っているんだ」

「……あたしには、おかあさんはいません」

「あたしは、おかあさんにすてられました。しろいしみさです。
しようにんです」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


出会いは……そうだ。突然に。

「二人の背中に翼が見えた……」

うなだれたままの美砂が、かすれた声で続ける。
高浩はその言葉の意味を理解しかねていた。みずほは、どこか
落ち着かないように足を進めているが。

「私を救ってくれたのは……救ってくれたのは……みんな……。
私はいつだって……誰かに……助けられてばかり……そして幸せを
抱いて……みずほ……」

とぎれとぎれの言葉の中で、理解できる部分がある。
高浩はふと、今更気がついた。

高浩の開いている右手。それを、しっかりと握りしめる小さな手の
ことに、今更気づいていた。

美砂は記憶が混濁しているのか、年月関係なく、記憶を語っている
ようだった。

だが、その話の中身は子供の頃のことが多い。
その話……使用人であった事の話より、もっと後のこと。

安倉木耀司。そして安倉木智也という人のことを。
安倉木智也というのは――

「お父さんよ」

みずほが、高浩の視線に答える。安倉木智也……?

「安倉木智也って、いや……あの……」
「?」
「……いや、ごめん。なんでもない」

高浩は頭を横に二度振って、笑顔を作った。
なんだろう。その名前には引っかかる物がある。

安倉木智也。その名前の響きに、記憶がある。だがそれがなぜか、
全く思い出せない。

みずほに尋ねようかとも思ったが、父親の話をすると少し神経質に
なる傾向にあるみずほに、余計なことを言いたくはなかった。



「私だけが幸せになってしまった……おじさんも……まどかさん
も……美緒さんも……風花さんも……ふたえさんも……楓も……
誰も救われないままに……私だけが……幸せに……
私は何を返せるの……? 教えてよ……私は……誰に……償えば
いいの……?」



みずほと美砂の家が見えてくる頃には、美砂の呟きは慟哭に
変わっていた。

質問には答えられない。

いつだって誰かが、誰かの納得する答えを持っているわけではない。
だから人は、神に祈る。


何一つ叶わないまま、神に祈り続ける。



(25)終

(26)へ続く


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