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Way to the BLUE 27話

(27)



風の音に絡まり合うように、遠くから運ばれてくる波の音。
濃紺の空に輝く銀星。合間の虚無に、等しいほどの夜。

影同士が融け合い、黒い雪に覆われたように道を覆い隠す。あたかも
そこにある何かを隠すかのように。
夏草が騒いだ。まるで夕立の始まりの音。
匂い立つ、むせ返るような青さ。

そこに想い描く物を束縛しない。

高浩は歩きながら、そんな夜空を眺めていた。夜空はまごうことなく
完璧な空であり、果てであった。輝く星々は息を潜めている。

星座を思い出そうとする。
記憶の中の線を繋いでいくのだ。満点の星たちの中から、選び取る
ことでそれを作り上げる。

星座は占いであり、科学であり、文学であり、歴史だという。

そこに紡がれる道一つに意味がある。万年の思いがある。古来より、
人は道を記してきたのだ。その道は意味となり、人々はそれに祈り、
それを畏れ、それを考え、そこに果てのない宇宙を想う。
星を見上げながら広大な砂漠を旅し、
星を見上げながら大海原を進んだ。

自分は今、どの星へ向けて歩いているのだろう。

高浩は落ち着いていた。Railwayのドアの前に立っても、それほど
大きな動揺を覚えたりはしなかった。それは、例え何かが過去を
大きく変えたとしても、今現在、ここに高浩自身が居ることを変える
ことはできないような気がしていたからだった。

幾十度の人生があったとしても、そう。どの歴史の中にも、自分が
ここにいるであろうことを予感する。それは奇異だろうか――?
錯覚だろうか――?


高浩はRailwayの扉を開けた。扉は言うまでもなく無施錠で、軽い
音を立てて開いた。カラン、とドアベルの音が鳴る。


ふたえはいた。

すぐそこにいた。


高浩の部屋へ続く二階への階段の前に立ち、見上げていた。

「……」

言うまでもなく、高浩が扉を開けて入ってきたことに気づいただろう。
気づいているはずだ。いや、もしかしたらずっと、もっと遠くを歩く
その足音で気づいていたかもしれない。

藤ノ木ふたえは、まるで祈りを捧げる巫女のように自然に、自然体の
姿勢で立っている。両の手を下腹のあたりに重ねて、お辞儀でも
するかのような雰囲気で。

高浩に背を向けたまま、ふたえは立ち尽くす。彼は、彼女がもしか
したら立ったまま眠っているのかと思った。

それほどに静かに。まるで彼女自身が、Railwayの一部であるかの
ように。一瞬なら、そういうデザインの彫像と言われてもわからないかも
しれない。完璧に美しい姿で……暗闇の中、光を避けるように。

「ふたえさん」

呼びかける。高浩は、振り向いて貰いたかった。
振り向いていつものように、おかえりなさいと言って欲しかった。

それはわがままだと知っている。ふたえに、いつもそういう姿でいて
欲しいなどと願うことはわがままなのだ。

どんなに優しい彼女でも、怒りを覚えたり子供のように振る舞ったり、
そんなことはあり得る。それを、高浩は間抜けなことに、今更認めた。

『人間なら誰だって』見せる姿を、彼女は見せないと。
ふたえは完璧な人間などではない。完璧な人間などどこにもいない。

彼女は微動だにしない。そこに立ち尽くしたまま、二階へ続く階段を
見上げている。

(馬鹿かよ。俺って……)

妖精の世界から来たように、優しく美しいふたえの後ろ姿は、今更
人間らしく映った。今更……。そう理解して、高浩は頭を振る。

唐突に、声が聞こえた。

「……Railwayの二階から、誰かが降りてくるような気がするの。
いつも」

それは問いかけなのか。報告なのか。それとも夢想か。願望か。

「当たり前だけど、誰も降りてなんかこないわ。今は高浩くん。
あなたを除いて。それが当たり前なのに、私の見えない景色の
中には、階段を下りてくる人の姿がある」
「……それは、俺の親父?」
「そう。浩樹くん。降りてきて、こう言うの。『気が向いたから帰って
きたよ』って」

父親は旅好きというか、一カ所に留まることを良しとしない性格
だった。たくさんのものを見たい。この世の綺麗な物も、そうでない
ものも余さず見て、カメラに収めたいと願っていた。

「Railwayの中央のテーブルで、お姉ちゃんも一緒にお話するの。
面白い話をたくさんしてくれるのよ。いろんな場所の、いろんな花の
話や、優しい人に出会ったこととか、大きくて広い空の話とか、岬で
見る朝焼けの話。私は聞いているだけで、その場所に行けたような
気がした」
「……親父が話すことは、いつだって抽象的だったよ」
「それは、優しい人だからなの。それが優しさなの」

そういうものだろうか。
高浩には、そう感じる理由が解らない。何か、ふたえが答えを美化
させて、勝手に作り上げた物にすがっているかのようにさえ思える。

ふたえは、ため息をついた。大きく、ハッキリと解るように肩を落とす。

「私、いつも人を追いつめてしまうわ」
「え?」

背を向けたままそう虚空に呟いた彼女。

「美砂ちゃんが悪いわけじゃない。私が、いつだって悪いの。生まれて
来たときから、ずっと。私には……失って、取り返せないもの……」
「……何のことかわからないよ」
「高浩くんは理解しなくてもいい」

ふっ、と、高浩の中に沸き上がる炎。
小さく焦がすような感情の熱。

「俺は、知る権利もなく、何も知らないまま、そのまま生きればいいと」
「……」
「俺はそんなに必要とされていないのかよ」
「……ちがうわ。ただ、知ることと理解することは違うという事なの」
「意味が解らない。知ることも、理解することも同じだ」
「知っていてもいい。でも、理解なんかしなくたっていい。人は間違える
ものだって、あなたは知っているでしょう? だけど、間違えるものだと
理解してしまうと、それは言い訳になる。高浩くんは否定していいの。
私のように、本当のことを指摘してくれたり、気遣ってくれたりした友達
を、怒鳴って追い出したりしたことを」
「それは違うって。誰だって言われて腹の立つこともあるし、ひとつ
ぐらい言い合いしたところで、それがどうだって言うんだ」

友人だというなら、そんなものは笑って済ませてしまえばいい。
背を向けたままのふたえに、高浩は強く言った。

「どうだって言うんだよ。そんなこと!!」

彼女が、母親と同じぐらい歳の離れた人だという事を忘れながら。

「そんなもので、ふたえさんを嫌いになる人がいるもんか。俺は
……よく状況は解らないし、どんな因縁があるのかも知らないけど、
それでも確信はあるよ。ふたえさんは、優しい、良い人なんだって」
「……」
「俺の父親は、ふたえさんに優しかったかもしれない。俺にだって、
そんなに悪い父親じゃなかったかもしれない。ただ、母親に対しては
違う。父親は、追いつめていた。誰にだってそんな面ぐらいある。
ふたえさんは誰にも、自分にも、完璧であることを求めすぎてる
だけじゃないか! 誰だって怒ることぐらいあるのに、それにクヨクヨ
するなんて!」
「……そうなの……かもしれないわ」
「そうかもじゃない。ふたえさんはそうだよ。人に優しすぎる!」
「……」

くるりと、ふたえは振り返った。
真っ暗なRailwayの中で、彼女の白い姿だけが浮かび上がって
見える。美しい亡霊のように。

「そんな風に思ってくれて、すごく嬉しい」

目を閉じたまま微笑んだ。少し困ったような微苦笑である。
子供を諭すような笑み。それが本当に似合っていた。

「でも、私は昔から、本当にたくさんの間違いをしてきたの。今で
さえ……」
「……(今でさえ……?)」
「今でさえ、間違い続けている。高浩くんはずっと、まっすぐだね。
私なんかより、ずっと……。それは素晴らしいことだわ」

理解できるような出来ないようなことを言う。

ふたえは、ゆっくりと近づいてきた。足音を立てて、闇の中を。
そして高浩の前に立ち止まり、手を伸ばしてくる。

白い手が高浩の手に伸びた。冷えた手で、高浩の両手を包み込む。
本当にぞっとするほど冷たい。
血を失ったように白いふたえの肌の白さに、高浩はこみあがるような
切なさを覚えた。雨に打たれて凍える子犬を見たような切なさを。

「ここに、夢がある。高浩くんの手の中に、大きくて暖かい夢が」
「……」
「間違ってばかりの私には、それは掴みきれなかった。高浩くんには
必ず見つけて欲しい。ここにある夢。ここにある未来」
「わかりませんよ。そんなこと、俺に……」
「大丈夫。いつかきっと、わかるから」

ふたえは手を離した。そしてうつむく。

「励まされるなんて思ってなかった。高浩くんに」

それは非難しているのだろうかと高浩は思ったが、違ったらしい。
ふたえは笑っていた。愉快そうに。

「16歳も年下の子に。私、きっと子供っぽいのね」

高浩から見れば頭一つ分小さいふたえ。
今更気づく。そう、彼女のことを……

高浩は彼女を、心底信用している。
多分、世界中でふたえだけは、いつまでも自分の味方でいてくれるに
違いないだろうという勝手な考えが浮かんでくる。

「ふたえさんは、みずほのお母さんのこと……許してあげるよな?」
「……許すも何も、私が悪かったのよ」
「美砂さんは、帰りに話してくれたよ」
「……」

顔を上げる。
ふたえは、驚いたように。

「なんのことを?」
「美砂さんが、昔、孤児のように人に預けられて、辛く暮らしてきた
こと」
「……その事……」
「家出するように旅をして、行き倒れそうになったときにふたえさんに
助けられたこと」
「ただ、仕事や住むところを紹介してあげただけよ」
「その恩返しを、未だに何もしていない。だから、ふたえさんに幸せに
なってほしかったって」
「そんな事は考えなくていいのに。美砂が幸せに暮らしてくれれば、
それで私、とても幸せなのに。なぜそんな事を」
「俺も同じ意見だよ」
「……」
「ふたえさんが幸せになってくれればいいと思う。昔何があったか、
それは知らないけど。ふたえさんは幸せにならなきゃダメだ」
「……そんな事……ないのよ。本当に」

頑なに、ふたえは首を横に振った。

「私はいいの。今のままでいい。何もいらないの」
「ふたえさん……何が、そこまで……」
「何もないわ。ただ、恩返しとか、そんなものは必要ないし、すべき
じゃないの。深く知りすぎれば、失うこともあるんだから」
「……失うって、何を」
「光を」

顔を上げて、ふたえはじっと高浩を見た。
その目の中に意味はない。なにもない瞳に、闇が沈む。

問い返した。

「光? ……目のこと?」
「関わり合いにならなければ、今ここに私はいなかったかもしれない。
でも、それで何人かが救われたかもしれない……。
結局私は死にもしないで、こうして光だけを失って……」
「ふたえさんがいなかったら、俺は悲しんだよ」
「……あ……」

高浩が不審がって、見上げると。
ふたえは少しだけ驚いたように、目を見開いていた。口元が震えて、
言葉を紡ごうとしているのが解る。だが、うまく出てこないようで……

何かあっただろうか。

「高浩くんが……悲しい?」
「……え?」
高浩はそのふたえの表情に、逆に驚いていた。何か気に障った
だろうか。特別なことは何も言っていないはずなのに。

ふたえは動揺を隠せない様子だった。そのうち……


全く、この場に似つかわしくない音が聞こえる。
唐突に。


  ぐぅ

「……」
「……あ」

呟いたのは高浩だ。高浩の腹から聞こえた音に、ふたえは表情を
突然和らげた。

腹が鳴ってしまった。こんな真剣な話をしていたときに。
悔いてももう遅い。大体、ずっと何も食べていなかったのだから
生理現象としてそれは仕方ないだろう。

「いけない。そうよ、お夕飯を作っている最中だったわ」
「そういや、腹減った……な」
「ごめんなさいね。私と美砂のことに、巻き込んでしまったわ」
「そんなことはいいよ。クッキー食べたから、そんなに腹減って
なかったんだ」

実際には、ひどい空腹を持て余していたわけだったが……。

「すぐに用意するわ。席に座っていて。ああ、ごめんなさい。
Railwayの表の札、まだ裏返してなかったの」
「ああ、いいよ。閉店にしておくから」
「美砂の持ってきた明太子を、パスタにからめてみるわね。
お店の作り置きのパスタを使うからすぐにできるわ」
「美味そうだ。是非お願いするよ」

ええ、と頷いて、ふたえは調理場の方へ戻っていった。

「……」

後ろ姿が厨房に消え、高浩は虚空を見つめることになる。

最期の言葉の意味。
それをじわりと、考えながら。

「(……何のことなんだろうな……俺が悲しくて……って)」

ふたえが見せた驚くような表情は、どういう意味があったのか。
高浩はそれを掴み取れないままでいる。

電気が点く。別にそれで何かが見えるようになるわけでもないが、
ふたえは厨房に入る際には必ず電気をつける。

Railwayの中はようやく明るくなった。

……思案から解き放たれる。首をひねり続けても、どうにもならない。

「開店札ひっくり返すか」

やはり明るいと気持ちも変わる。ふたえもきっとこの明るさを感じ
られたなら、陰鬱な気持ちになったりしないだろうに。

……それは無い物ねだりなのだろうか。

苦笑しながら高浩は、玄関の扉を――

開いた。

「……」

開けたまま、硬直する。じっと見下ろし、そして。
唐突に目が合う。ちょっとずれたようなサイドポニーテール。
その瞳には……戸惑い。

まるでバランスでも取るような、中腰の変な姿勢で、先ほど
別れたはずの木桧みずほがそこにいた。1時間ほど前に別れた
彼女が、なぜそこにいるのか……。

意味が解らない。意味が解らない理由は、もう一つ。

下。

「……何してんだ……? これ……」

地面に、べったりと身体を密着させてまるで潰れているかのように、
木桧美砂がそこにいた。

カエルのようである。まぁ……それは、土下座と言うべきだろうが。
みずほに問いかけ、彼女もためらいながら答える。

「……見れば解るじゃない」
「いや……シチェーションが主に意味不明で……」
「謝ってるのよ」
「……誰に?」
「ふたえさんに」

一言も発さないで、べたーっと地面に突っ伏している姿はどうも
寝ているようにしか見えないのだが。

「ふたえさんは、全く気にしてないようだから。帰って良かったのに」
「だって、お母さん。どうしても……謝るって。突然、今からって……」

まぁ、酔ってるのだろうが。酔っていると突然、プロセスも何もすっ飛ば
して、変なことを始めたり言い出したりするものだ。

「高浩くん。できたわよ。……誰かと話してるの?」

思いのほか早く、料理が出来たようだった。ふたえが厨房から出てきて
高浩の姿を探している。すぐに、気配というか、わずかな高浩の動きを
聞き取って居場所を見つける。玄関にいる高浩を、ふたえは不審がって
いた。

「どうして扉の所にいるの?」

皿に美味しそうなパスタを乗せたまま、ふたえが扉の所までやってくる。

「いや、あの……」
「ふたえさん! えっと、お母さん……」

高浩とみずほが同時に、話そうとする。
声を聞いて、ふたえも驚いた顔を見せた。

「みずほちゃん? どうしてここにいるの?」
「お母さんもここにいるんです」
「美砂? どこに?」
「土下座してるんですよ。寝たまま」

高浩が状況を説明してやると、ふたえは珍しく、眉をひそめた。

「……何をしてるの?」
「いや、酔った人の行動は唐突なもんですし」
「美砂、ほんと……バカなことをして」
「すみません。お母さん、アホで」

みずほが頭を下げた。アホということは無いと思うが、少々、
それは情熱的すぎるかもしれない。

「もういいよな。ふたえさん」
「……そんなの。美砂は……。明日、私の方から謝るわ。今日は
もう遅いから」

目の前に本人がいるときにするような会話でもないが。
それでも、代理として聞いたみずほはホッとしたようだった。

みずほはよほどふたえのことが好きらしい。姉のように言うこともある。
だから母親がふたえと対立してしまったりしたら、辛いのだろう。

「ふたえさんごめんなさい。お母さんのこと」
「いいのよ。美砂がちょっと飲み過ぎただけなんだから。でも、お酒は
やっぱりダメね。美砂は止したほうがいいわ」

それ以上、どうしようもない空気を感じ取ったのか、非常に建設的な
ことを高浩に提案してきた。

「高浩くん。ごめんなさい。美砂をお願いしてもいい?」
「ああ、いいですよ。そもそも完全に寝こけてしまったら、みずほ
一人で運べやしないですから」
「悪いわね」

珍しく、みずほも謝辞を述べた。初めてなんじゃないだろうか。
高浩に感謝を表したのは。

ふたえの手の中の暖かなパスタがとてつもなく魅力的ではあったが、
高浩は後ろ髪引かれる思いのまま、美砂をかつぎ上げる。

「結局、荷物配達ですね。今日さぼった分の」

ふたえは吹き出した。みずほもちょっと笑って、頷く。

「そっか。そうよね。これは仕事なんだからしょうがないよね」

今日やったことの大半は、どうでもいいことばかりだった。
仕事らしいことも何もしていない。

最後には、酔っぱらいを担いで二度運ぶというだけ。
何か、変な事ばかりしてきた気がする。みずほに勉強を教えて、
遊花の母親にも会って……。

「今日が特別な日のような気がしてきたよ」

みずほにそう言った。彼女は、ん? と首を傾げたが、当たり前の
ような表情で応える。

「毎日って、いつでも特別なものよ。だって一生に一日しかないもの」


理屈で解っていても、それをそう感じられるかどうか。
高浩は苦笑した。泣いて笑って怒った後のように、ただ痺れたように
疲労した心を引きずらせて、木桧美砂を彼女の家に配達しに行った。

それが今日、最後にあった出来事だった。


(27)終

(28)へ続く

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