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Way to the BLUE 30話(SP)

(30)


《風はゆく。》

《波間を抜けて、青く輝きながら。》

《風はゆく。》

《赤に焼かれた線路を歩く。》


古い、それは古い歌だった。だいたい15年ほど前に流行った
当時の歌謡曲で、今も人気のあるシンガーソング・ライターが
出したものだった。彼女本人が歌い、当時はよく、何でも流れて
どこでも聴いたという。


《風はゆく。》

《緑の影に集められ。》

《風はゆく……。》

《果てにある誰かの景色……》

曲名は、『Railway』

そう。それはRailwayの、常葉町のイメージをそのまま歌にした
ものだった。それにどんな意味があるのか、ないのかすらわからない
が、そういうものである。

意味はある。意味はあったのだ。その時も今も、明確に。
その由来を誰も知らなくても、そう、全く誰も知らなかったとしても、
意味はあるのだ。

「それが勘違いだったとしてもね……」

それは自分と同じく、その場所を目指しているときに
退屈紛れに歌う曲の一つでもいい。

空腹を誤魔化すために、気分転換に呟くのもいい。

今のように。
15年も昔の想い出を呼び起こすために、線路を歩きながら
口ずさんでもいい。

じゃり……

土と石が混じり会った線路。赤錆びて何もかもが雑草に埋もれて
しまった線路。変わらないのは、何だろう。空か。雲か。海か。
それともそこにいる誰かか。

変わってしまったのは何だろう。
空か。雲か。海か。それともそこにいる誰かか。
それとも……。

「不思議な力とか、そういうものは信じてる?」
「え?」

彼女は問いかけた。……彼女は、首を傾げる。

「いえ……よくわからないですけど……」
「そう」
「でも、なんとなく見えるものとかありますよね」
「……あるの?」
「いえ、まぁ」

どっちなのだろう。

彼女はその表情を眺めてみた。少女の表情を。そこにあるものは、
意外さだった。

「そう」

否定でも肯定でもない。

「それなら別にいいわよ。具体的にどうこうとか、そんなの知らない
んだから。ただ、常葉町ならあり得るなって思っただけなのよ。ここ、
そういうのあるでしょ。なんだかよくわかんないけど」

そう。それは。

「強いて言うなら、奇跡とか」
「……はぁ」
「わけわかんないと思うけど」
「……わけわかんないです」

線路を歩く。一人ではない。孤独ではない。寂しさは、どこにも
ない。それなのに襲い来る、悲しみに似た懐かしさ。

それを忘れようとしているわけではないが……問いかけ続ける。

「そう。で、どーなの?」
「……はい?」

少女は質問の意図を、飲み込めていないようだった。

「いるの? そういうの」
「……みずほちゃんの事ですか?」
「みずほちゃんって言うの。その子、何ができんの? 変な光線
出したり、どこにでも穴が掘れたり、もしくは空でも飛べるとか」
「いえ……その、翼が……」
「翼?」

少女は歩きながら、頷いた。

「『翼が見える』んです」

ざぁっと、風がゆく。木々を揺らして、風がゆく。
彼女は不意に立ち止まった。

ふと微笑みを浮かべて。ああ、と、無意味に頷きたくなる衝動を
堪えて。

「そうなの?」

素っ気なく。
興味ない素振りを装いながら、端的に。

「人に翼なんかないわよ」

と、答えた。
そのついでに気がついたことを、問いかける。それはただの、なん
ともなしに呟いたような言葉だったが。

「君、誰かに似てるわよね。えーっと、誰だっけ? さ……さ……
ナポリタンがどうのこうのって……思い出せないな。まぁいいか」

やっと、進んだ先に終点が見えたからだ。忘れもしない、
あの時のままのRailway。

風はゆく。ほろ苦い想い出と共に。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


チッチッチッチッチッチ……

「……」

耳障りな時計の音。ふたえは、茶系のジャケットと黒っぽい水玉の
長いスカートを着ている。いつもとは少し違うが、一応ちょっとだけ
よそ行きな服である。ジャケットのポケットをこっそりまさぐり、時計を
探した。

そうか。よそ行きだから持ってくるのを忘れてしまった。
取りに行きたい。無いと思うと、ひどく不安になってしまう。

もちろん、時刻はほぼ解っていた。午後の三時半になろうとしている。

あの時計に込められたものは、そんなに軽い物じゃない。時刻を
知るための物ではない。『時刻を思い出すためのもの』だ。

『……なんとかならんもんか』
『メリットもあるんじゃないですかねぇ……例えば……』
『しかし面子ってもんは……』

「……」

ふたえは、ため息をついた。もちろん誰にも解らないように、そっと。

「(もう二時半か……帰っちゃダメなのかなぁ……)」

繰り返し聞こえてくる、意味があるようで殆ど意味がない会話の
輪廻は、町の商工会議所で行われていた。平屋で、とても古い
ところである。なんとなく託児所のようなデザインで、室内も
子供のおもちゃがいくつか、汚れが拭きやすそうなビニール敷きの
床材。壁には子供の描いた絵が飾ってある……ふたえには見えない
が、少なくとも見える頃はそうだった。

『やはり……予定通りということに……』
『不調ということにはならないか』
『反対するぞ』

とても狭い。人は、20人も座ったら手狭に感じるぐらいだ。
多分昔は幼稚園のような使い方をしていたのだろう。
たまに葬式もここで行われる。よく人が入れなくなるが、そういう時は
誰かが退室するので特に問題はない。

その商工会議所。ふたえは、ただ座っていた。座布団の上に星座し、
さすがに時々足は崩して……もう3時間以上。

「(帰りたい……)」

何の議論をしているのか、それはわかっている。

町内の御意見番と見られている人たちが集まり、まぁ、たまに酒など
入りながらも、それは概ねまともな話し合いである。むしろ白熱して
いる。単刀直入に言えば、これまでにないほどに。

それはわかる。だが。
だが、仕方がないとは思わないのか……。

「(仕方がないと思えば、案外……耐えられるものなのに)」

ふたえはそれをよく知っていた。逃げといえば逃げかもしれない。
だが、抗いようがないこともある。

『こいうことは、今までなかったものですから……』
『アピールする物があれば……』
『今のままで良いし、何も変えなくていい』
『行政方針の違いで例えば、上下水道料金は……』

それは、彼らにとっては降って湧いたような災難かもしれない。
だが、ふたえにはわかっていた事だった。
だから今更慌てなかった。冷めてしまった湯呑みに手を触れながら
ぼんやりと認める。


最愛の姉ですら死んでしまうのだ。

この町だって死ぬ。

記憶は永遠かもしれないが、世界は決して永遠ではないのだ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


カチャカチャ……

Railwayの店内は平穏だった。ふたえが耐えがたい退屈に襲われて
いるとも知らず、みずほと高浩は思い思いに昼下がりを過ごして
いる。

みずほはいつも座っている窓側の席に座り、携帯型ゲーム機で
遊んでいた。カタカタとボタンを操作する音と、小さな音楽と時々
打撃音のようなものが聞こえてくる。

高浩は店番である。客も訪れず、ただグラスを磨いていた。暇つぶし
の手段としては適当だったが、やはりテレビぐらいは欲しい気もする。

ゲームの音以外には無音である。潮騒が聞こえるかと思ったが、
Railwayの中までは届かないようだ。それだけに、一層静寂が深い。

とりとめもなく話などをすることもあるが、みずほがゲームに没頭して
いるときは、何を話しかけても上の空で、会話にならないことを高浩
は知っていた。多少、つまらない。

それでも静寂を壊そうという気にはならない。

Railwayの音楽は、この静寂。時折微かに聞こえる風の声。
そして古い建物に染み着いた薪ストーブの匂いと、テーブルに置か
れた青い花瓶の、一輪の花の白。それらが十分に静寂を盛り上げて
くれる。Railwayは稀にみるような、素晴らしい喫茶店だった。
この居心地の良さは、にじみでてくるような温もりは、素晴らしい
自然とそして、ふたえの店に対する愛情から生まれているのだろう。

Railwayが常葉町の顔であることは間違いない。取るに足らない
くたびれた漁村。最盛期を過ぎて滅び行くだけのようなこの町で、
この店は誇りになる。三葉堂と共に。

他に誇れるものを作り出す人は、深い愛を持ってそれを行う。
だから……

  カランカラン……

ドアベルが鳴った。お客だ。

「いらっしゃいませ」

高浩は胸中で呟いていた独り言を中断し、反射的に言った。
入口から入ってきたのは女性だった。中年ぐらいの女性。だが
茶色に染めた長い髪と、やたら若々しい体つき。ジーンズに
Tシャツだけというラフな服装で、健康そうに見える。

「(山登りの人か? 常葉町に有名な山なんてあったか?)」

思いながら、先ほど磨いてピカピカのグラスに水を注いだ。
フリーザーから氷を取り出し一つ入れる。

ところが女は、店の中まで入ってこなかった。かわりに、入口から
数歩のところで声を上げたのだ。

朗々と広がってゆくようで、潮が満ちるように深く、鮮やかな声で。

「あらぁ? Railwayは学習塾になっちゃったわけ? あたしの情報
だと、盲目の美女がやってるそうだったけど」

そんなことを言うから、ゲームで遊んでいたみずほが振り返る。
そしてそれと同時に、女性の後ろからひょっこりと現れたのは……

「あら。万里じゃないの」

月方万里だった。何か肩でぜぇはぁと息をしながら、女性の後ろに
隠れるように店内に入ってきた。

「それと……え? ……うわっ」

みずほが先に入ってきたお客さんへと焦点を合わせて、声を上げる。

「もしかして……えーと、えーと」

言い掛けたところで、みずほは名前を思い出せないのか唸り出した。

「えーと、誰だっけ……えーと……」

みずほが名前を思い出す前に。

その女性は何かに気づいて振り返る。
声が聞こえる。誰でもない、よく知っている声が。

「ただいま。誰か来ているの?」

帰ってきたのは、藤ノ木ふたえ。
先に入ってきたお客さんは、ふたえの姿を見つけていた。そして、
笑顔になる。

「あー!! ふたえちゃん! やっほー!! おっひさしー!」
「え?」
「忘れちゃったの!? このあたしのことを!?」
「……もしかして、智香さん?」
「もしかしなくても智香だって。ホントに見えなくなっちゃったんだ。目」
「ええ……。お久しぶり。どうして……」

そこでふたえは、言葉を止めた。

「……元気そうで良かった。活躍しているのは知ってるの」
「西倉智香!!」

ようやくその名前を思い出し、みずほはテーブルをバンと叩いて立ち
上がった。

「西倉智香だ! 歌手の!」
「歌手じゃないわよ。『歌も一応歌える作曲家』」

彼女は……智香はそう訂正した。壮年となってもエネルギッシュで
引き締まり、日焼けした身体。生き生きとした強い眼差し、表情。

『普通』とは明らかに違う、雰囲気を持った人だった。

そして彼女は言う。思いもかけず、あっさりと。

「そうねぇ。色々あるけど、言いたいことも。でもまずは墓参りでも
行こうかと思うのよ。浩樹とひとえさんの墓、ここにあるんでしょ?」

高浩はそれを聞いて、理解した。

彼女はお客ではない。そして、『Railway』にとっての友人の一人で
あるということを。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


墓参りの最中、智香は何も言わなかった。

手を合わせる智香。しゃがんで墓石と向かい合い、目を閉じて
祈っている。

高永寺。
赤い斜陽をそこかしらにちりばめて、草木も紅を差したような
色彩に変わっていた。しかしもう、それも儚いほどに闇は迫っている。
刻一刻と夕暮れは潰えていた。重い夜が訪れる。

高浩は智香とは少しだけ離れていた。

遠く、手を合わせたままの彼女を見ながら高浩は、傍らにいる
吉野千歳に話しかける。

「こんな遅くにごめん。晩ご飯作ってたのに」
「いや、別に構わない。父上の酒のつまみだ。多少生でも焦げてても
大丈夫だ。死にはしない」
「(相変わらず仲がいいのか悪いのかわからん親子だな……)」

法衣ではなく部屋着というか、スエットとジーンズの上にエプロンを
着けている。千歳のそんな格好はあまり見たことがなかった。

その視線を気にしたのか、すこし頬を赤らめて。

「こちらこそ、こんなみっともない格好で……」
「いや、俺が突然来ただけだから。申し訳なかったよ」
「そんなことはない。少しは気を付けねばと思ってるんだ。人は気が
緩むと、見せたくない姿を見せてしまう。その結果、嫌われてしまう
ようなことは避けたい」
「……まぁ、そうかもね」
「特に、高浩には」
「え?」
「……」

千歳は、高浩から背を向けるようにして墓地へと向き合った。

「い、いや。なんでもない。高浩、あの女性は知り合いなのか」
「俺は初めて会ったが、父親や母親とは知り合いだったみたいだ。
西倉智香さんっていう、作曲家らしい」
「名前は聞いたことがある。有名な方だったのか。10年も前にここを
訪れたときにはよくわからなかったが」
「そう……え?」

頷きかけて、高浩は顔を強ばらせた。

「10年前にここに来た?」
「前に見たような気がする。ああして、墓参りをしていた。今と変わらず
大変な美人だったと覚えている」
「あの人は、ずっと常葉町に来ていないって言ってたぞ?」
「なに? 本当か?」

千歳も驚く。長くさらさらの黒髪を揺らしながら、うつむいた。

「そうか。もしかしたら私の記憶違いかもしれない。前に見たような気が
していたんだ。二人で……」
「二人?」
「ああ。誰かと二人で来ていたと……いや、本当に違うなら、単なる
私の見間違いなのだろう」

誰かと二人で。誰とだろう。
しかも墓参りをするということは、少なからずここに関係があると思える
のだが。

「どんな人か教えてくれないか? 千歳さん」
「見間違いかもしれない。あの墓は毎日、色々な人が来る。私も
子供の頃のことで、あまり記憶が定かじゃない」
「それでもいいんだ。教えてくれ」
「一人は……今墓参りしている人で、もう一人はこれも美人の女性
だった。髪が長く、細身で……ああ、そういえば。不思議な事が。
あの日は確か――」

千歳は言いながら、ぼそぼそと小声になってゆく。記憶が定かでない
事を、説明するのが難しいのだろう。そうしているうちに、お参りを済ま
せた西倉智香が戻ってくる。

高浩と千歳の所へ。

「お待たせ。どうもありがと。こんな時間にお寺開けてもらっちゃって」
「あ、ああ。じゃあ、千歳さん。また」
「ああ。二人とも、夜道に気を付けて」

千歳は手を振ってくれた。高浩だけがそれに手を振り返して、二人は
すっかり暗くなった境内へと戻る。

来るときは高浩が先導して智香を連れてきたが、帰りは智香が先を
歩いていく。なんとなく、誰かの後ろにつくよりは前を歩いている方が
サマになっている人だと高浩は思った。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「突然だったんですよ。山菜取ってたら話しかけられて」
「そうそう。偶然」

Railwayへと戻ってきた智香は、万里と出会った理由を話してくれた。
みずほと高浩は、席で聞いている。
ふたえは厨房にいた。晩の料理を作っている。

4人は輪になって、ファミリーテーブルで歓談を始めていた。誰となく、
自然と。

「可愛い子がいるから話しかけて、聞いたのよ。『Railwayはまだ
潰れてない?』って」
「可愛くないです可愛くないです」
「万里ちゃんけっこう良い線行ってると思うけど。お化粧してない
でしょ? ピッとやったらいきなり化けると思うけどなぁー。スタイル
良いし」
「いえ、私その、背小さいですから本当に。田舎者ですし」
「確かに、スタイルどうこう以前に女子高生が真っ昼間に山菜
取りってのはめちゃくちゃ心配になるわ」

みずほがしんみりと言った。
だが、智香は首を横に振る。真剣な顔で。

「今はそういうのが流行なのよ。自信持っていいんだから」
「智香さん。万里ちゃんは、絵理菜の子供なのよ」

人数分の紅茶をお盆に乗せ、ふたえが4人の輪に入ってくる。

「あー! 絵理菜ってあの。ぽわんぽわんした美味しそうなの!
そっかー誰かに似てると思ったけど、あの子かーいやー言われて
みれば似てるなぁー。胸とか」

最初にそこかよ。

「みんな元気そうで何よりねー。一部死んじゃったけど」

紅茶を飲みながら、そういうことをサラッと言う。
ふたえはお盆を抱えて立ったまま、何か言いたげな顔をしたが、
智香はそれを遮った。

「まぁそんな顔しないでよ。これでもショックなのよ? 浩樹と
ひとえさん、坂井のおばあちゃんまで死んじゃってたなんて。連絡
してくれたらすぐに来たのに」
「忙しそうだし、それに……町の人だけでって言ってたから。おばあ
ちゃんが」
「別に責めてるわけじゃないわよ。悪いのはあたしのほうなんだから。
もうちょっと時間がとれてたら、お別れを言えてたかもしれないし。
15年も戻ってこなかったあたしの責任」
「……」

高浩は聞きながら、やはりさっき聞いた事を思い出していた。
吉野千歳が覚えていたこと。それは、間違いだったようだ。

しかしだとしたら、一体誰が。全く知らない人の事だろうか。

「浩樹とひとえさんが死んじゃったなんてねー……驚いたわ」
「その話は一体誰から聞いたの?」

ふたえが尋ねる。智香は特に言い淀むこともなく、答えた。

「ニュースよ。けっこう記事になったのよ? 本州では」
「そうなの?」

その通りだった。もちろんもう何ヶ月も前の話だが、それなりに
名が売れていたカメラマンが『事故死』し、妻も後追いのように
自殺した話は週刊誌が取り上げ、ささやかな紙面の肥やしと
なっていた。

高浩にとっては不愉快極まりない事で、家族の死を何かの陰謀の
如く好き勝手に書くメディアに、一人で苛立っていた。

「紹介するわ。高浩くん。ひとえさんの子なの」

高浩の肩に手を置くふたえ。
智香は面食らったように、一瞬紅茶を吹きかけた。

「ええっ!? そ、そうなの? でも……」

じぃっと、智香が高浩を見る。そして考えるような仕草をした。

「……あまり似てないわね」
「そう? 声はそっくりなんだけど。浩樹君が若返って帰ってきた
のかと勘違いしちゃったぐらいなの」
「目が見えなくて幸せだったって事もあるのねぇー」

大きなお世話だ。

「そしてみずほちゃんよ。木桧みずほちゃん。万里ちゃんとはとても
仲良しなの」
「みずほ? この子が? 例の?」

最初はふたえの方を向いていたが、聞き返したのは万里に向かって
だった。万里は頷く。みずほ自身も、何のことだか解らない。

「何が? 私のこと、なんか話したの? 万里」
「う、うん。聞かれたから……翼のこと」

翼……?

みずほ自身は、虚を突かれたかのように驚いていた。高浩には
意味がよくわからない。

「なんだ? 翼の事って」
「その子がね、見えないものを見るっていうのよ」

智香の言葉に、みずほが反論する。

「万里、人を変な人みたいに言わないでよ。なんでそんな事言っ
たの。秘密にしてって言ってるでしょ」
「ごめんなさい……でも……」

万里の言葉を智香が遮った。手を振って。

「ああそう、その……万里ちゃん? は悪くないのよ。あたしが、
彼女にしつこく聞いたから教えてくれたの。」

ふたえも不思議に思ったのか、智香に尋ねた。

「なぜそんなことを聞いたの?」
「この町の不思議なところなのよ。いろんな地方に行ったけど……
ああ、相変わらず曲が出来ないときはいろんな所行ってんだけ
どねあたし。でもねぇ、常葉町ってまた、ちょっと特殊なわけよ」
「特殊?」
「妙な人間が集まるじゃない。ほら、奇跡ってやつ? あたしも
よくわかんないけど、ここに来てから変わったと思うのよ。こんな
感覚はここ以外にないのよ。常葉町に来たら、またなんか
起こりそーな気がするのよね。あれよ、シロクニの霊だったりして」
「蒸気機関車の霊?」
「いやまぁ、それは冗談だけど。あれぶっ壊れたのよね確か。浩樹
が無理矢理走らせて。大怪我までして」

ううん、と、智香は腕を組んで唸った。

「常葉町はやっぱ面白いわよ。Railwayもあるし、そういう話も
あるし。面白い子もいるし。こんな町は他にないわよ」
「……まぁ、それもあと少しなんだけど」
「は?」

ふたえが、うつむき気味に言ったこと。

お盆を両手で抱えたまま、暗い表情のふたえが言ったことは、
少なくともみずほや、万里。高浩。そして……訪れたばかりの
西倉智香にも衝撃を与えた。


「常葉町がなくなるのよ。そして、ここも」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


政治の話になる。

当時の首相は民衆の支持を受け、強いリーダーシップで様々な
事を変えていこうとした。

その多くは、地方の権利を増やし、そして地方自治の概念を進める
事だった。経済的にも、政治的にも、地方を中央が管理するような
仕組みを崩していこうとしたのだ。それが、改革と呼ばれた。

改革の名の下に始められたものの一つに、市区町村合併があった。
北海道には212の市町村がある。独立して自治を行うほどに力の
ない地方は、無駄を省くために合併されるところが多くあった。

結果、212市町村はその数を180程に減らすことになったのだ。

これを『平成の大合併』と呼称した。

「常葉町もその中に入ったの。留々辺市と合併して、留々辺市
常葉ってことになるらしいの」
「前々からそんな噂もあったけど……」

万里は残念そうに、瞳を伏せた。
父親は以前、常葉町の町役場にいたらしい。それが縮小になり、
留々辺市まで遠い通勤をするようになった。やがては、こうして
全てが留々辺市になってしまうことも予感していた。

常葉町というものが無くなる。それは、寂しいものだった。

「でも、それがRailwayとは何も関係ないじゃない! ふたえさんは
Railwayもなくなるって言ってるんでしょ!?」

みずほが大きく声を上げる。ふたえは暗い表情で、うつむいた。

「ぜんっぜん関係ない事じゃない! 常葉町が留々辺市常葉に
なっても、Railwayには関係ない事じゃない!!」
「直接的には関係ないかもしれないけど……そうなってしまうの」
「なんで!? 個人のお店をどうするかなんて、ふたえさんが
決めることじゃない!! ふたえさん、Railwayを閉めたいの!?」
「そんなことはないわ……でも……」

ふたえが、そわそわと身体を傾けた。
言いにくそうに……実際に歯切れの悪い口調で。

「それは……そのことは、納得して貰うしかないの」
「納得できないわね」

今まで、話を聞いているだけだった智香が声を発した。

「納得できる説明もしないで、納得して貰おうなんて虫が良すぎるん
じゃない? ふたえちゃん。あんた、なんかひとえさんみたいだよ。
そういうところだけ」
「……」
「Railwayが無くなるなら、その理由ぐらいこの子達に言うべきじゃ
ないの。もちろんあたしにも話して欲しいけどね。こんなボロい
喫茶店なら、売上出なくてやめるって話もあるかもしれないけど。
それならいくらだって出してあげるわよ。お金ぐらいで済むなら。
いくらよ。一億?」
「……お金の話じゃないの」
「じゃあ何なの。ハッキリと言えばいいのに。誰かに遠慮して言え
ないわけ?」

そっと。

高浩の肩に、手が置かれた。
お盆を片手に、今にも泣き出しそうな表情のふたえ。彼女の
白い手が、高浩の肩に置かれた。

その手が震えているのが、高浩にも解った。

「坂井さんの誰も住んでないお家と……Railwayの土地の権利、
……権利は……坂井さんが亡くなってから……Railwayは私……
でも、坂井さんのお家は……高浩くんの……」
「……俺の……?」

突然名前が出てきて、高浩は冷えたナイフでも突き立てられた
かのように、狼狽した。

誰かに話したくないこと。

それは、高浩のことだったのだ。

「一度は町に戻っていた権利が、市に移ることになって……そして
高浩くんのお爺様に戻っていたの……」

  ガタッ!

「俺の!? まさか!? なんで!! なんでそんなことを!」

イスを蹴り飛ばして、高浩は立ち上がった。驚いて引っ込められた
ふたえの手を、高浩が追いかけて掴む。

聞いていたふたえ以外の人たちは唖然としていた。
高浩だけがそれを知っている。一体何が問題なのかを。

「あの人は常葉町に、いい思いなんか持ってない! 親父のこと
だって、いつも迷惑そうにしていたんだ! その……前に、常葉町
から出ていって、ひいじいさんの悪口を言ってたのも聞いていた!
それが今更、母方の故郷になんか!」
「浩樹君の祖父になる坂井さんは、娘と結婚して常葉町を出て
いってしまった浩樹君の両親をあまり良く思ってなかったの。それで
浩樹君も、何度か常葉町に来たけど連れ戻されて……」

高浩は頷いた。有り余るほどに思い知っている。

「その話は知ってる。だから父や母さんは、祖父にはなるべく
会わないようにしていたし、祖母とも仲良くはなかった。祖父も
祖母も、贅沢に暮らしていて。祖母は昔、慰謝料を貰ったとか
いう話でなんだか反目していたし。元々坂井さんっていう人が
町長で、財産も持っていたからじゃないかって親父は言っていた
けど……」
「坂井のおばあちゃんは、なるべくなら実の娘になる浩樹君の
お母さんに色々残したかったんだけど、浪費癖がある人に
大切なものはあげられないって言って……」
「坂井のおばあちゃんはさすがしっかりしてたのねー、でも」

智香が腕組みをして、首を傾げた。

「それなら、全部ふたえちゃんにあげちゃえばよかったんじゃない。
ふたえちゃんのこと、孫娘みたいに可愛がっていたじゃないの。
そうじゃなくても浩樹がいたのに。ひとえさんだって」
「違うの。私が……」

ふたえが、頭を下げた。

「私が、町にあげましょうって言ったの。シロクニを直して、展示
したり、また走らせてくれるって……役場の人がそう約束してくれた
から」

唖然とした。
驚いて、一瞬全員が絶句してしまう。

「……そうしてくれるなら……きっと、みんな……浩樹君が……
喜んでくれるかもしれないって思って……それなのに……いつまで
経ってもシロクニはそのままで、壊れたままで……みんな忘れて
しまったみたいにそのままで……!」

頭を下げたまま、ふたえが震えている。怒っているのか、悲しんで
いるのか……。

高浩には何も解らない。

「それなのにみんな死んでしまって、常葉町もなくなってしまって、
気がついたら坂井さんの家は別な人のものになっていて……」

高浩は気がついた。
状況が解っていなかったのは、万里とみずほだ。まだその事に
気づいていない。

智香は理解したのか、今まさに怒鳴ろうとしているような表情だ。

「まさか……ちょ、待って。まさか」

高浩は、その先の話をあまり聞きたくはなかった。
ふたえは要するに、責任を取るという話をしているのだ。

責任を取って、大切なものを失っても構わないという話をして
いるのだ。

「ふたえさん、それは、ダメだって! それはありえない!」

それはさせない。そんな事はあってはならない。
だが。

だがふたえは、自分の責任を全うしたいと、ずっと思っていた。

「Railwayの権利と、坂井さんの家とシロクニの権利のどちらかを
諦めればいい……交換なら……」
「お金で決着つけてあげるわよ!! 馬鹿!!」

智香がついに怒鳴った。

「何をトチ狂ったこと言い出してんの!! 気は確かなの!?
あんな住む人がいなくなった廃墟と、何十年も、ひとえさんと
ふたえちゃんが守ってきたRailwayとを交換する!? そんな事
許されるわけないでしょうが!! 逆買収してやるわよそんなの!
お金なんかあたし、あってもどうせ使わないんだから!」
「智香さん……これは私が馬鹿だっただけだから……」
「バカよバカバカ大バカ!! だけど本当にバカなのは、今まで
何もやってこなかった人たちじゃない!! その人達の尻拭いまで
Railwayで済ますって言う気なの?! そこまでしたらバカを通り
越して、スーパーバカ野郎よ!!」

智香が怒る。怒って、完全に逆上する姿を見ているうちに、高浩は
逆に冷めてきていた。まるで熱気をそちらに奪われていくように。

話の内容を、頭の中で整理してみる。

曾祖父の家とRailway。このうち曾祖父の家だけが町に寄贈され
蒸気機関車も預けられた。あそこは公有だったということだ。

Railwayはふたえのものになっていた。しかし、合併で町の情勢が
不安定になる際に、高浩の祖父が家の方を受け取った。

そう。それが問題だったのだ。

「俺のじいさんって奴は、建設屋の上の方なんだよ」

高浩が言うと、不毛な言い争いも一瞬止まった。

「取締役から会長になったり、今は確か非常勤顧問だ。そういう
話には敏感だろうと思う。絶好の機会だと思ってるんじゃないか。
復讐の」
「……復讐って」

みずほが、眉をひそめる。

「……復讐するほど、その……坂井さんて人のこと、恨んでたの?」
「いや、そっちじゃなくて、むしろ」

高浩は、ふたえを見た。その視線に気づくはずはないのだが、
ふたえは身を強ばらせる。

「Railwayがあるせいで、俺の両親が死んだとでも……
思ってるんじゃ……ないかってことだよ。ふたえさん」


高浩が静かにそう言ったとき、ふたえは……
ふたえは、何も言わず。

何も言わずに……じっと、虚空を見つめていた。
闇が迫る。

夜が訪れた景色。そこにはもう、海は見えない。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


すっかり遅くなってしまった。
「お母さんにご飯作らないと……」

万里はRailwayを出て、家の方へと足を向ける。
遠く細波。虫の声。星の宝石。藍の雲。
駆け足で万里は、その狭間を駆け抜ける。

夏の夜に目印もなく。記憶通りの海岸線を、家に向かって。

「……」

ポケットの中に、一片の堅い紙。
Railwayから出るときに、智香から手渡された紙切れである。

『気が向いたら連絡して。マジだから。努力次第では、イイトコ
まで行けそうよ』

それが今、手の中にある。
触れている。

みずほも気づいていない。Railwayの外まで智香が追いかけて
きて、渡してきた。そう、あの作曲家の西倉智香の名刺だ。

西倉智香は、業界では自分から名刺を配ったりしない。
知らないなら知らなくて構わないと割り切っているから。

そんな智香の名刺を持っていることの意味など、万里は一切気づか
ない。気づくはずがない。

「帰らなきゃ……」

ポケットの中に手を入れたまま、万里は駆け足で家路を急いだ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


今は、まだ。

「わかりようがないわね。だけど、早まったらダメだから」

釘を差し、智香はスプーンを置いた。
高浩やみずほが食べ終わるより相当早く、智香はシーフード
ドリアの皿を空にしている。

「おばあちゃんの家なんだから、そんな人……いやまぁ、そういう
人に渡すのは勘弁したいし、Railwayも無くなるのは嫌よ」

言い直して、今度は笑顔になる。

「全く、一人で勝手に背負い込んで、なんでも自分一人でやっちゃ
おうだなんて、浩樹かひとえさんみたいねー」
「そんな事無いわ。ただ、嫌だっただけなの」

ふたえは元気がない。食事もあまり進まず、せっかくの料理も冷めて
いくだけだった。美味しいドリアなのだが、高浩もやはり箸が進まない。

みずほもそうだった。なんとなく気後れしているのか、食事が進まな
い。無理もないかもしれないが……。

みずほの様子が少し気になったが、高浩はとりあえず智香とふたえ
に約束した。

「祖父と連絡取ってみますよ。明日にでも」

それを聞いて、首を横に振ったのはふたえである。

「高浩くんに迷惑をかけるわけにはいかない」
「ふたえさん。俺はむしろ、ふたえさんに申し訳ないと思いますよ。
ふたえさんが何かしたわけでもないのに、こうして面倒なことに
なってる」
「違うわ、そんなの」
「あのじいさんは、ふたえさんや曾祖父に逆恨みしてるだけですよ。
まだそんな露骨な嫌がらせをしているわけでもないし、実際に
この店を壊すとか言ってるわけじゃない。もちろんあのシロクニも。
だから」
「だから、気にするなって事でしょ。子供に言われるまでもないわ
よね」
「いちいち感じ悪い人だな」
「あんですとー!?」

いちいち言い方が子供じみている智香。少なくとも、TVで見て
いるときにはよくわからないが、こういう面があるのだろう。

どこか純朴な少女のような、こだわりのないところがある。

「ふふ、ホント変わってないね。智香さんは。浩樹君ともそんな
風によく言い合ってたね」

やっと、ふたえが笑ってくれた。
高浩もホッとする。智香も、内心はそうだろう。

「(笑ってくれたけど、でも本心からは笑えないだろうな)」

ふたえがどれほどRailwayを愛しているか、そんなことは一目瞭然
だろう。あらゆるものが丁寧に用意されて、町人に頼られて、様々な
ものを届けて、ぬいぐるみを縫って……。

ふたえの生き甲斐とはなんだろう。
結婚もせず、目も見えず、好きな人も、姉も……失って。
その上で何を求めているだろう。

「(Railwayを、ふたえさんの手から取り上げるなんて許さない)」

わからないこともある。
きっと、ふたえはまだ、高浩に『あのこと』を隠しているのだ。


両親の死のこと。
智香が訪れなければ久しく忘れていたかもしれない。

だが、それよりもRailwayを守ること。
今はただ、そのことだけを考えることにする。

その時が来たら、ふたえはきっと話してくれるだろう。

きっと、その時まで。


ここに、まだ夢があるように。


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Railwayは、20時を回ったので閉店になる。
店内の電気を全て消して、高浩、ふたえ、みずほ、智香は外へと
出た。

少し冷える海風の中で、ふたえは髪をなびかせる。

「うちに泊まっていくといいわ。ひとえ姉さんの部屋がそのまま
使えるから」
「朝起きたら小ウルサイばばあになってそ」

高浩が睨むと、西倉智香は笑って高浩の肩を叩いた。

「まーまー冗談よ。お母さんは怒ってないって! あたしとは無二の
親友だったんだから!!」
「……そうだっけ?」

普通にふたえが聞き返す。えーっと、と智香は言葉に詰まった。色々
昔のことを思い出し、青くなったり赤くなったりしているが、あまり
良い想い出ばかりではないらしい。

「いやまぁ、無二の親友って言っても、時にはケンカぐらいするさ」

それはともかくとして。

「じゃあ、後で行くわよ。変わってないんでしょ? スーパー藤ノ木」
「ええ、何も。でも、後でって? どこに行くの?」
「ちょっとそこまでよ」
「……そう。あまり遅くならないようにね」
「すぐ行くわよ。すぐにね」

智香はそう言うと、ぷらりと真っ暗闇の方へと足を進めた。
向かう方角は……。

「……高浩」
「ん?」

智香の背中を視線で追いかけていると、みずほが声を掛けてきた。
名前を直接呼んでくるなんて珍しいことだ。

そして言いにくそうな表情もまた、珍しいものだった。

「お願いがあるの。ちょっと、頼まれてくれる?」


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  りん りん ……

何かの虫が音を立てている。鈴虫だろうか? そういう虫の一種
ではあるだろう。詳しいことは解らない。虫博士ではないのだから。

西倉智香は大きく息を吸った。そして、吐き出す。
そうしたことは何年振りだっただろう。

そして、この場所に吐息が触れるのは何年振りだろう。
この場所が網膜に映ったのは、何年振りだろう……。

闇に目が慣れてきた。うっすらと景色が見えてくる。

廃墟。廃墟同然の家。

智香は、15年ほど前にそこに少しだけ住んでいたことがある。
今は見る影もないボロボロの屋根の下に。
剥がれかけた壁の向こうに。

目を閉じると今でも、思い出せる。モモンガを追いかけて、彼と
怒鳴り合っていた日々。母親よりも母親らしく見えた坂井の
お婆ちゃん。暖かい料理が並ぶ食卓。闇夜の、しんと静まり返った
何もない部屋で作曲したこと。

亡き親友を思い、曲を作ったこと。

懐かしい。涙が出そうになるほど懐かしい。

それが、今。今……。
うら寂れた廃墟が、その夢の布石だった。結局、自分は何を守れ
たのか。何をつかめたのか。何を得たのか……。

失ってばかりいるじゃないか。
ずっと……大切なものを失い続けているじゃないか。

想い出も、親友も、常葉町も、そしてRailwayも。

夢が叶う? 奇跡の町? 一体それが何なんだ。
誰一人、何一つ残してくれないじゃないか……。

「……皮肉(アイロニー)だけ、か」

この手の中にある夢……。
それが……。

西倉智香は気がついた。いや、少し前から気がついていた。
草を踏みわける、人間の足音に。

「私が、何かとんでもないことをしでかす、とでも吹き込まれた?
別に早まったりしないわよ。気持ちを整理するのに、一人になり
たかった、それだけなの。高浩くん」

足音が止まる。智香は、ゆっくりと振り返り――
振り返って、思わず微笑みを浮かべてしまう。思わず。

「……話が途中だったもんね。そういえば」

暗闇の中、揺れるポニーテールの長い髪。
まっすぐに、智香を見つめる瞳は……夜露の輝きのように見えた。

「みずほちゃんだったっけ。超能力少女の」
「超能力とかそんなんじゃないです」
「じゃあ霊感? そゆのも超能力ってジャンルに入れていいと思うん
だけどあたしは」
「それでもないです。……と、思います」

言い直して、みずほは一つ、咳払いをした。

「特別な事じゃない。子供の頃は誰でも見えたものが、大人に
なると見えなくなるだけだ、ってお父さんは言ってます。それが私の
見える『翼』です」
「そゆのを霊感とか超能力って言うのよ」
「……」

みずほは、ちょっとムッとした。

「わざわざ言いに来たのは、私は別に特別な人間とかじゃないって
ことです。万里からどんな風に言われたか知りませんけど、正直、
他人にそういうこと触れられるの、嫌なんで」
「そう? あたしは別に良いと思うんだけど。正直な子は好きだな」
「面白がってかも知れませんけど、傷つきますから。そういうの」
「あらまぁ。嫌われちゃったねー」

おどける智香を見ていると、なんだかバカらしくなってくるみずほ
だった。必死に否定することで、余計に意識してしまうような。

「ともかく、その話は一切やめてください」

無駄な論争だと思い、みずほは背を向けた。

高浩に頼んでふたえを家まで送って貰ったが、こんな事なら自分で
ふたえを送っていけば良かった。

そうやって智香を突き放したみずほの背に、言葉が飛ぶ。

「誰かに聞かれたくないから?」
「なっ……」

反射的に振り返って、批判の声を返した。

「何もないです! 何言ってるんだか……!」
「あやしいわねー」
「怪しくないっ!!」

ついつい必死に返答してしまったが、やはり無視すればいいこと
だった。ムキになって返事をするから、智香は増長していく。

「人の詮索をするのはやめてくださいと言ってるんです。万里にも、
智香さんのことは気を付けるように言っておきますから。ふたえさん
も、こんなデリカシーのない友達とは縁を切ればいいのに!」
「そうやって自分の持ってるものを否定し続けて周りに合わせよう
として、何が楽しいのかねぇ」
「あたしはそんなことしてない!!」

反響し、声はあらゆるところから返ってくる。すぐ近くにある蒸気
機関車の倉庫からも。廃墟同然の家からも。

まるで、自分の言葉が自分に取り込まれるような感覚で。

「あたしは……! 別に、おかしくないでしょ!?」
「それを確認するために、あたしに会いに来たくせに」
「ちがうっ!!」

みずほは首を大きく横に振った。何度も。

「違う! 違う! 違う! 違う! あたしが見えるものなんて、
何の意味もないことだもん!!」
「背中に翼が見える、ねぇ。一体誰の? ふたえちゃん? 万里
ちゃん? それとも……」
「……!」

言葉を飲み込む。それでも、見たままで解ってしまった。
顔色でもはっきりと。

「高浩くん、か」
「ちがっ……!」
「そうだと思ったわよ。そんだけ慌てるってとこを見ると、もしかして
彼のことスキなの?」
「……っ!!」

みずほは思い切り、靴で雑草を踏みつぶした。
智香にもう一度背を向ける。

「帰ります!!」
「そう怒らないでよー。別に良いじゃない。男の子をスキになって
何が悪いのよー。女同士でつきあうよりよほど健全でしょ。それとも
……それが原因? 怒るのは」
「……答えたくありません」

背後の智香に答える。それでも、智香の落ち着いた通る声が
澱むことはなく。

「私もね、実は知ってるのよ。翼を持った子のことを」

それは。

その一言は、みずほの足を止めるのに十分な衝撃を持っていた。
振り返り、そして。

智香の穏やかな笑顔を見つめるみずほの表情は、凍り付いたように
緊張していた。

「……その人は?」

声まで震える。
それに気づいたかどうかはわからないが。

「良い子でね。歌手として抜群の才能を持ってたけど、死んじゃっ
たわ」
「……そう……ですか……」
「その子に翼を見いだした子は、まだ生きてるけどね。まるでその子
の代わりに人生を生きるみたいにして」
「……」

面白がるような話し方で。
智香は頭を掻いた。金色に染めた綺麗な髪の毛を撫でるように
しながら。

「翼……まぁ確かに言われてみれば、そんな風に見えなくもない
かもだわねー。多分オーラとか、存在感とかそういう意味のものと
似たような感じだと思うけど。いいじゃない。翼って呼び方」
「……死んじゃったんですか……」
「そう。20年ぐらい前に死んじゃってるわよ。自殺でね」
「……」
「翼を持ってる人は、みんな死んでしまうんじゃないかと思ってる?」

そう。

頷きたかった。即座に、頷いてしまいたかった。

みずほにとって、一番嫌だった。一番知りたかった、その事を認めた
かった。確認したかった。

それは何なのか。
なぜ見えるのか。

「……お父さん……そして……高浩……見えるの。それが」

なぜだかはわからない。
それが見えることがどういう意味なのか、ハッキリして欲しい。

「見えるんですか? 智香さんにも」

その歌手を見出した瞳の持ち主。
それは彼女自身のことだろう。
疑いようもなく。

だからみずほは尋ねた。知りたかったから。
だが、残念ながら智香は首を振った。

「昔の話だからね。子供の頃はなんとなく、よ。今聞いててびっくり
してはいるけどね。そういうもんだったんだ。見えなくなったのにあまり
気にもしてなかったし。これって不思議なことよね」

智香は両手を広げて、馬鹿馬鹿しそうに笑った。


「昨日まで見えていたものが、今日は見えなかったのに……
あたしはそれを……疑問にすら思わなかったのよ」


智香は両手を、身体の脇へと戻した。ほっそりとした腰に左手を
当てて、挑発でもするように胸を張り。

「それを持っている人がいる。それを見ることができる人がいる。
常葉町にはそれが揃っている。15年前にそれをあたしが見られた
としたら、やっぱり見たと思うわよ。多分、有沢浩樹の背中にあった、
『翼』をね」
「……高浩のお父さん……?」
「あの時には誰も見ることが出来なかった。でも、今は見ることが
出来る人がいる。良い事じゃない」

智香は、歩いて。
みずほの肩をぽんと叩いた。

ふたえの家に行くのだろうか。

すれ違いざまに。


「見えるなら……止められるかもしれないんだから」


草を踏みわける足音。
遠ざかってゆく足音。

みずほは振り返り、眼差しを険しくした。ちょうどそこで、智香が
振り返る。20メートルも離れているだろうか。

「そうそう! ねぇ、あたしの背中に、翼、見える?」


みずほは、いつのまにか乾いていた唇を、軽く湿らせた。
そしてかすれそうになりながらも、声を張る。

しっかりと、聞こえるように。


「見えません」


闇でよくはわからない。
ただ、その中でも笑ったような吐息は聞こえる。風の中にあるのに、
それは聞こえる。人の吐息は、風よりも意味がある。
だからなのかもしれない。

そう。確かに、智香は笑っていた。
満足そうに笑っていた。

「正直な子は好きよ。そう、あたしに翼なんかない。だって、
『ありえない』もん」



暗いその景色の中。
つっ……と、視界を横切る点滅があった。白……緑のような、
はっきりとしない色の、かすかな点滅。

蛍だった。

それらは思い思いにあたりを飛び回り、木の葉に止まっては
淡く輝いたり、暗くなったり明滅を繰り返す。


季節は盛夏である。常葉町は、まだここにある。




(30)終

(31)へ続く
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