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Way to the Blue 34話

(34)

突然の雨。

瞬く間に青空は白雲に多い尽くされ、やがて染み入るような静けさ
が辺りを包み込む。宵に向かうかのように景色は暗く変わり、
濡れたコンクリート色の世界に作り替えられてゆく。

雨は遠く、空から舞い降りて。
雨は遠く、心の底まで降り注ぐ。

木桧みずほと月方万里は、図書館の玄関前に二人揃って立って
いる。雁首を揃えて、殆ど立ち尽くすように。

「あーあ。降ってきちゃった」
「降ってきちゃったね」

天空から舞い落ちる大粒の滴。
鈍色の世界が広がる。

あっという間に水たまりができ、草花は頭をもたげて、ただじっと
立ち尽くすだけになる。そういえば風も、遠慮するように声をひそめ
主役を譲るかのようだ。

二人は、傘を持ってきていなかった。

いい加減腹も空かせたみずほが図書館を出ると言い出し、そもそも
昼食を抜くつもりだった万里万里まで食事に出る事になる。

だが、この雨ではRailwayまで行けるような気がしない。

「天気予報見ておけばよかった」

ざぁざぁと降る雨に向かって、みずほは人差し指を一本立てた。
まるで呪文でも唱えるように、呟く。

「雨よ上がれ、上がるのだ~」
「?」
「お父さんの魔法。使えないんだなぁこれが」

みずほはてへへと笑い、改めて空を見上げる。

「さて、魔法は使えないんだから行くしかないよね」
「え?」

彼女が言った言葉を反芻し、疑問の声を上げる万里。

「え!?」

やがて気づいて、もう一度。今度は大きな声で疑問符を浮かべた。
いや、疑問というより抗議である。

だが、彼女はそれを聞いたのか。
聞いても無視したのか。

もう走り出していた。

「てあーーー特攻ーーーー!!」

雨の中、濡れることも厭わずに水幕の中へと、踊るように。
ばしゃばしゃと水音を立てながら、何故か楽しそうに。

「ちょ、と……」

万里は声を掛ける姿勢のまま、立ち尽くす。

「……雨が止むまで図書館で雨宿りしていけばいいのに……もう」

カバンを頭の上に乗せるようにして。
万里もその後を追いかけるように走り出す。

「雨に濡れるのが楽しいわけないのに」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

青い傘を少し傾けて、バスから降りたばかりの男性は空を見上げる。

他の乗客はみんな、この雨に立ち往生。
だが、彼は傘を差して、雨粒のカーテンの中を歩き出した。

スーツの上着は肩に掛けている。手荷物は何もない。おおよそ
周囲の旅客とは違う。旅人ではない。彼は少なくとも、度をしている
わけではない。家に帰ることを旅と呼ぶことはないから、それは
旅などではない。

ただ、左手に青い傘。

バスに乗る前に買った青い傘を、空に差し向ける。はじけた雨粒が
真新しい傘にはじかれて、流れとなって落ちる。

彼は、そんな水煙に沈む景色の中を歩きながら呟いた。

「雨は20分降り続く。そして止むだろうな。空を見ればわかる」

そう。呟いた。誰も聴く人がいない景色の中で。
まるで空と語らうように。

「さっきまでは層雲がああいう厚みではなかった。海風が海温より
冷えていたんだろうな。まぁどっちにしろ、俺の予報が当たったわけだ。
雨に濡れるのも悪くないが、短い休みを棒に振るのもな」

バスターミナルを後にする。言葉もなく、佇む人々を背に。

ざあざあと降る雨。どこか慌ただしい空気と、しん、と静まり返る常葉
町。彼はゆっくりと歩を進めると、町の外れの方へ向けて歩き出す。

交差点に差し掛かる。

車の姿もまばらな昼下がりの差路。古い赤錆だらけの信号機。
深いグレーに塗りつぶされた電柱。滴を落とす歩行者信号。

雨に濡れた横断歩道。どこか悲しげな。どこか物憂げな。

不意に、彼は父のことを思い出していた。父は交通事故で失われた
のだが、こんな雨の日にはふと、その事を思い出して幻影を重ねて
しまう。

ただ、幻影だ。それは幻影に過ぎないとしても。

「特攻ーーーーーーーきゃーーーーーーーつめたーーーい!!」
「待ってよーーーーーーーー!! みずほちゃーーーーん!!」

ばしゃばしゃ

聞き慣れた、いや、『久しぶりに聞く』聞き慣れた声に小さく振り返れ
ば、赤信号の横断歩道を駆け抜ける少女が二人。

ずぶ濡れになりながら、傘も差さずにこの雨の中を駆けている。
彼は少し面食らいながら、その二人の姿を視線で追いかけた。

「……女の子がスカートをたくしあげながら雨の中を全力疾走とは、
はしたないな。誰に似たのやら」

少女達の姿は水煙の向こうへと消えていった。

「親の顔が見たいもんだな」

苦笑して、横断歩道を渡る。信号を確かめてから。

変わらない景色。雨の日も、晴れの日も。
半年ぶりに帰った常葉町も相変わらず、海の青を映し出したような
風に満ちていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「高浩。遠慮なくくつろいでくれ。父上もいないしな」

まるで心を見透かしたかのように、千歳が言う。
それは確かに気になっていたことだった。千歳の父親……吉野
洸清は苦手な一人である。

雨の世界から、屋内へ。
柔らかなバスタオルを渡されて、高浩はそれで頭を何度か拭く。

家の匂いがする。他人の家の匂い。生活っぽさというか、とても
その匂いが落ち着かない気がする。悪いことをしているような、
そんな違和感。

引き戸の向こうに、石とタイルの土間。すり減った木の廊下。
高めの天井にぶらさがる、こちらは洋風のシャンデリア風ランプ。
玄関から入ってすぐ右手に見える階段は二階へ上がるものだろう。
階段の途中や、その脇には油絵が飾られている。小さなジグソー・
パズルも。蘭だろうか? 観葉植物もあるが、花は咲いていない。

そんなものだろうか。だいたい見た目は、どこの家も変わらない。
北海道に来て驚いたのは、同年代の家のデザインが比較的画一的
であることだった。変わった構造の家などがあまりない。玄関、
土間、廊下、階段、居間に繋がる扉。どれもこれもが似通っている。

「どうした? 高浩」
「いや、なんか。北海道って、どこの家も似ているなって思って」

靴を脱いで玄関に上がる。千歳の後に続くように。

「ああ。そうか? 内地はどんな家なのだ?」
「いや、どんなって言っても難しいんだけど……少なくともこう、
みんな同じような家ってことはないよ。古かったり、新しかったり
色々ある。すごい古い家もあるぜ。100年ぐらいの」

千歳は高浩に背を向けて、先を示す。こちらへ来いと、会釈
しながら。

「そうだな。北海道の中でも、こういう常葉町のような地域は家が
保たないし。廊下を分けたりすると寒いから、作られた年代や
デザインが似るのかもしれないな。機能的なものだろう……あまり、
気にしないでくれ。内地のように洒落てはいないから」

申し訳なさそうな千歳に、高浩は驚いて頭を下げた。

「いや、ごめん。別に家を気にしたわけじゃないんだ。ただ、ちょっと
物珍しくて……いや、その」
「ボロい家だからな」
「違うんだって。だから、緊張して」
「緊張?」
「ああ。そう……」

千歳は、廊下で立ち止まり笑いだした。
声を上げて笑いだしたので、高浩は驚く。

「ふふっ、そうか。家に入ると緊張するのか。高浩はどこにいても、
何をしていても平然としているのかと思ったのに」
「そんなことあるわけないだろ。女の子の家に来るとか、慣れてる
わけがない。女姉妹もいないし」
「それでキョロキョロしているのか。安心しろ。踏み込んだら出られ
ない屋敷というわけじゃない」

千歳は笑いながら、廊下の先のドアをくぐる。リビングになっていて、
暖かい色合いの壁紙で包まれていた。低いテーブルと、同じように
低いソファー。ソファーは深い緑色だが、カラフルなクッションが
いくつか乗っている。ただ、全体的には和風だ。調度品はおおきな
木製の食器入れや、天然木の電話台など。少し古く大きめの
テレビと、それだけはなぜかとても新しいDVDレコーダー。

「今お茶を入れる。高浩は座っていてくれ」

リビングはキッチンと繋がっているようだ。千歳は、長い髪を流れる
ような動作でまとめ上げると、壁のフックにかけてあった赤い紐で
きゅっと、手早く黒髪のポニーテールを作った。

そして、振り返る。ほんの少し照れたように。

「あ……いや。いつもこうしているから。はしたないかな。人前で
髪をいじるのは」
「別に気にしないよ」
「そうか。それならいい。わからないだろうが、長い髪は不便なところ
もあるんだ」

千歳の姿が完全にキッチンへと消える。

居間。暗い色の絨毯を踏みながら、高浩は部屋を見渡していた。
少なくとも、見る限りでは寺の住職の家には見えない。そう、当たり
前のことを考えていた。配管工の部屋がパイプだらけなわけもない
し、解体工の部屋が壊れているわけもない。科学者の部屋は
見ただけでそれと解るのは何故か、少し考えるが。

部屋を見渡しているうちに、壁に掛かる神棚の下。食器棚の上に
一枚の写真立てを見つける。

「……家族の写真?」

どうということはない、平凡な家族が写っている。
カメラマンの腕は悪くないように見えた。カメラが良いのかもしれ
ない。父親の影響で、高浩も少しぐらいは写真の技術を見ることが
できる。それはどこかの観光地で撮ったものだろう。山か。登山の
途中のような格好で。

三人の人が映っていた。

「父親と、母親と、娘……」

吉野千歳と、その両親か。

三人はどこかの山の上だろうが、そういう小さな休憩所のような
場所の前にいた。ただ、彼女は小さい。千歳はまだ乳児だった。
母親の胸の中で、小さな目をかすかに開けているだけの。

何年前だろう。多分、15年か16年前か。

高浩はすこしだけ、その写真を羨んでいた。
残っているという事はいいことだ。高浩自身の写真は7歳から後の
時代の物しか残っていない。

家族が留守中に、火事でマンションが焼けてしまったせいだという。
それを話す度にいつも、母親は残念がっていた。へその緒も、出生時
の写真も、すべて父親が撮っていたのにそれが残っていないのは
残念だと。見せてやりたかったと母親は悔いていた。

「高浩、どうした? 突っ立って」
「……ああ。ちょっと、写真を」
「その写真か。私の両親と、その赤子は私らしい」

漆塗りのお盆に湯呑みを二つ。テーブルに置いて。
千歳は高浩の隣まで歩いた。

「まだ赤子の私を引き回して、山登りした写真だそうだ。大事があった
らどうするつもりなのか神経を疑う。せめて6歳ぐらいになるまで
我慢すればいいのに、子供っぽいから」

高浩の肩越しに写真を見つめながら、千歳はそう言って微笑む。

「そう。せめて6歳やそのぐらいまで、我慢してくれたなら」

今度はハッキリと、寂しさを感じさせる。
表情も、そして声も。

高浩はいたたまれなくなり、口を開いた。

「写真があるだけ羨ましいよ。俺は、こういう写真一枚もないから」
「なぜだ?」
「賃貸マンションで火事があったとかで、燃えたり水浸しになったりして
しまったんだと。話しはしてくれるけどな」
「どんな?」
「赤ん坊の時はよく動く子で、いろんな所に昇ったり降りたりして
放っておけなかったとか。あまり泣かないから楽だったとか。真夜中に
水疱瘡にかかって病院に連れていったとか」
「それが私にはない。写真はあっても、母親の苦労は私は知らない。
高浩は、私にないものを持っているな」
「千歳さんだって、俺にない物を持っている」
「ああ。みんなそうだ。何もかもすべて持っている人生などない。何か
しら、小さな事も大きな事も、欠けたまま生きている。それでこそ
人生らしいと言えるんだろう。だから私も深くは嘆かない」

高浩が完全に振り返ると、千歳は話しながらテーブルの方へ向いた。
ソファーにではなく、じゅうたんの上に正座で座る。

「悲しいことだとは思う。だが、過去はどんなものでも過去として
そこにあり、生きた証にほかならない。
それを必要以上に悔いても、悲しんでも、何もならない。当たり前で
ありながら、それがなかなか解らない。理解したくないものでな」

高浩もつられるようにして、その低いテーブルを挟んだ反対側に
正座で座る。と、千歳が笑った。

「崩して座れば良いのに」
「いや、千歳さんもそうしているし」
「私は慣れているからそれでいい。客人なのだから客人らしくして
いればよいのだ」

言われて、ようやく高浩は足を崩した。

「それでいい。高浩は背が高いのだから、私は正座しないと
向き合うことができないんだ。高浩まで正座したら、背比べに
なってしまうだろう」
「別にそれでもいいよ」
「ダメだ。そんなのは。私は見上げることも見下げることもしたく
ない」

堅くて気難しいものだ、と高浩は率直に思った。

「そう気難しく考えなくていいと思うけどな。神経質だよ」
「そ、そうなのか? 気難しいか……。ああ、お茶をどうぞ。口に
合うかどうか解らないが、お茶うけにかりんとうもどうだ」
「ああ、うん。……美味しいよ」
「そうか。このかりんとうは、前住職から頂いたものだ。なんでも
京都の老舗のたいへん手に入れにくいものだそうだ」
「うん。美味しいなこれ。なんかごめん。貰ってばっかりで」
「いや、そんなもの気にするな。しかし、気難しいか……。私は、
そんなふうに見られていたのか」
「あ、いや、気を悪くしないでほしいんだけど」
「全く問題ない。そうなのか。私は気難しいのか。ふふっ」

気分を害した様子もなく、千歳は笑っている。
その表情に高浩はどきりとした。あまりに無邪気で、吸い込まれそうに
なる。端正な美人なのに、あどけない笑顔を見せる。心高鳴らさな
い男はいないんじゃなかろうかというぐらいに魅力的だ。

「な、なんか。良かったのかな。笑われてるのは」
「何を言っている。高浩はおかしいな。ふふっ」
「いや、その、まぁ。おかしいのかもしれないけどさ」
「私が笑っているのは、高浩が父親も言ったことのないような事を
私に言ったからだ。がさつで男っぽいとはいつも言われていたが、
まさか気難しいとか神経質などと称されるなんて。あまりのことに
少し感動してしまった」
「どこががさつなんだ。こんな美味しくお茶も煎れるし、台所に立つ
姿は様になってるし――」
「尼の格好も様になっているか?」

割り込まれ、そこから先の言葉は霧散してしまった。
千歳はその言葉を、どれほど真面目に言っているのだろう。

「私に、尼が似合うと思うか?」

ざぁぁぁ……

甘げ降り続く。木造の家の屋根を叩く音が、居間にも染み込んで
くるような。

地面を流れる水音が床より伝わってくるような。
そんな想いのままで。

雨はまだ止みそうにない。
誰もがそこに生きているのに。

(34)終

(35)へ続く

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