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Way to the blue 49



「ふぅ」

騒音を立てていた掃除機の電源を切ると、高浩はため息をついて
ソファーに身を投げた。ぼすん、という重たい音と、
わずかなスプリングの軋みがあった。

視界には、窓から入り込んでくる夕暮れの光。時刻は17時を
回ったところだった。それは、インジケーターが青く光っている
携帯電話を開いたからわかったことだ。

メールが来ている。

その内容をざっと読んでから、高浩はもう一度ため息をついた。
別にため息をつくような内容ではなかったし、一ヶ月ぶんの部屋の
掃除といっても、誰もいなかったのだからせいぜい、埃を払う
程度で構わない。何も使っていない。

何も使われていない。

誰もいない。

赤くまばゆい光は、幾すじの道になってガラスを貫き、白い壁に突き
刺さる。高浩はそれを眺める。眺めて、

手のひらを開き、光にかざし、握りしめた。

しかし当然、つかめない。沈みゆく太陽。
その光は、徐々に弱まりつつある。
世界はやがて闇に沈み、深い静寂に包まれ、泥のように溶ける。

手のひらの先にもはや、あの、青い空はない。
北海道の清涼な風の上に広がるあの青い空は、ここにはない。

この手には、ない。
もう、届かない。


ため息をついた理由は、他にある。
もっと他の。

もっと根本的な。

もっと致命的な。

数時間前を、目を閉じて振り返る。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



目覚めた高浩は、それが加なりの早朝であることに
自分自身、驚きを隠せなかった。朝の陽の光を見れば、時刻は
だいたいわかる。

6時ちょうどに目覚めた彼は、昨夜遅くまで続いた送別会の
疲れを引きずっていた。正直言って、引きずっていた。
愛想笑いもなかなか疲れる。第一、心の中には、遊花の事故のことや
みずほとの関係のつまづき――これは些細なことだが――があった。

それだけではない。

千歳はやはり、母親を探したいと思っているようだし、
万里はこの町を出て、自分のやりたいことをやりたいと本気で
考えているようだ。

いずれも、東京で。

だから東京へ帰る高浩に、その気持ちを
聞こうとしている態度が見てとれた。


そんなもの、わかるはずがない。
言えるはずもない。

食事の席には、智恋や、先刻まで会っていたみずほ、そして、
いつも笑顔のふたえがいた。

少し遠くから、光景を眺めているような感じの智恋が言った。

「東京つったって、ここと何も変わらないわよ。地面が繋がってないだけで、
岩盤は繋がってるんだから。数学的に言えば同じ平面上だし」

その例えはいまいちよく解らないが、奇妙な説得力はあった。

「そこが遠いと思う人には遠く見える。そこが近いと思う人には近く見える。
遠くから山を見たことしかない人に、山にずっと住んでいる人の見る景色が
何色か説明すんのは、むずくない? てか、めんどくさくない?」

そう続けた智恋の言葉に、高浩は心の中でささやくものを聞いた。
それは、望郷を感ずるか否か、という単純な問いだった。

だから行くなと言っているわけではない。

だから行けと言っているのではない。

自分の中に生まれる声を聞けばいい。
もしそれもできないのなら、自分に問いかけるしかない。


俺は、東京に望郷の念を感じない。

それは単純な話ではない。おそらく。
そんなに分かりやすい説明など、出来るとは思えない。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



そうして迎えた早い朝に、どこか、聴覚などが覚醒していたのだろうと
結論をつける。

Railwayの2階。彼の部屋の窓の外に、茶色のエゾモモンガがいた。

とーらだ。

彼が東京から連れてきたペットは、ずいぶん久しぶりに顔を出した。
もちろん高浩が居なかった時に戻ってきていたのかもしれないし、
やたらとなついている万里の母親の所にでも行っていたのかもしれない。

もしも帰ってこなかったら、このまま置いていこうかと高浩は
思っていた。

だが、とーらは戻ってきた。高浩が東京へ帰ろうとする、その日の朝に。


かりかり


とーらが古い木の窓枠を、前足でつついていた。その音で目が覚めたのだと
ようやく理解する。高浩は身体を起こし、窓を開けた。

「よう、とーら。久しぶりだな」

とーらはその場で、後ろ足で立つような姿勢のまま鼻をひくひくさせて、
動こうとしない。

「どうした?」

手を差し出す。とーらはいつものように、高浩の手のひらに乗って――

ということはなかった。


その手から逃げるように、走り出す。たたん、と、トタン屋根に小動物の
爪が当たる音がする。

「お、おい。とーら!」

とーらが走っていった、その先には。

とーらより少し大きい、エゾモモンガが一匹いた。

とーらは、そのエゾモモンガの周りを一周するように走ると、そのままトタン
屋根を飛び降りた。そのすぐ後を、見覚えのないエゾモモンガが追いかけて
走ってゆく。

「とーら!!」

全速力で走る二匹は、すぐ近くの林の中へと消えていった。

「……とーら……」

高浩の眼前から消えてしまったモモンガの名前を呼ぶが、誰も応えはしない。
それは、高浩にとって大変な失望感を伴わせた。

とーらは、何年も高浩と共に暮らしてきた。
ペットであり友人だ。
いなくなってしまうことなど考えられない。

……

……それならば、置いていこうなどとは思わないはずなのに。

矛盾。
俺は矛盾している……。

「とーら!!」


なんとなくわかる。
自分の矛盾に。その理由に。

急いで寝巻きがわりのTシャツの上に、ジャケットを羽織った高浩は
階段を駆け降り、ドアベルをけたたましく鳴らして
外に飛び出した。

肌寒い北海道の朝。波の音がさざめき、濡れたような風が強く吹く。

「とーら!!」

林に向かって叫ぶが、茶色い生き物の影もない。

高浩は林に入って探そうと考えたが、急いで飛び出してきたために
サンダルばきだった。雑草が繁る雑木林の中に入るのは、しっかりとした
ズボンと、長靴が必要だ。こんな格好では雑草の枝葉で切り傷を作り、
ヤブ蚊に噛まれ、朝露でずぶ濡れになるだけだろう。

Railwayにまた戻ろうとした。その時、不意に名を呼ばれた。

「高浩くん、おはよう。どうかした?」

藤ノ木ふたえが、ほうきを持って立っている。
いつものようにエプロン姿で。

おそらく、高浩が外に出てきたときにはもう居たのだろう。
高浩は全く気づかなかった。夢中で。

それで彼女に、自分の見たものを説明した。

「もしかしたら、とーらは帰ってこないんじゃないかと思ったんだ」

それは、理由のない危惧だったのだが。
というより、悪く言えば、単なるあてずっぽう。

そうだ。そんなあてずっぽうを言うのは……
単に不安を煽っているだけだ。

どうしたい?

不安を煽って、どうしたい? どうされたい?
高浩は、心臓が震えているような気がした。

そして。
それほど間を置くことなく、ふたえが頷いたので、驚いた。

「そう。とーらちゃんは、戻ってこないかもしれないのね」

「……!」

高浩の言ったことを、単にふたえは繰り返しただけだったが。
てっきり否定されたり、慰められると思っていたから、高浩は
驚いた。きっと慰められるから、ふたえには何も言わない方がいいかと
思ったぐらいだった。

しかし違った。

「きっと戻ってこないわね。好きな相手を見つけて、ここで暮らすと
決めたのなら、それはきっと、仕方のない事ね」
「いや、ふたえさん。俺は、その……とーらは……」

言葉を探す。
ためらいながら、混乱の中で、適当な言葉を探す作業は骨が折れる
ものだった。

「俺の大切な友人だったんだ」

まるで言い訳でもするかのように。

思い起こす。
小学生の頃に、今のとーらと出会った。まだ小さかった頃から、一緒だった
エゾモモンガに、救われた。

「父親がいつも出掛けていて、そんな中で母親は病気で、病院に入ってしまって、
家では一人だった。それでも、一人じゃなかった。とーらがいたから」

長い闘病生活で母親は死んだ。最後は自ら命を断って。
父親も同じように、自分で死を選んだ。

「今、俺に家族は、とーらしかいない。いや、な……、何言ってんのかな、俺」

慌てて、左手で頭をかいた。髪の毛は寝癖で立っていた。
ふたえは笑って、手を伸ばしてくる。

ほうきを持っていないほうの手で、寝癖のついた頭を撫でられる。

「とーらちゃんは、本来いるべき場所へ帰っただけなんだよ。高浩くん」

背伸びをしたふたえに。まるで母親か姉のように。

「本来いるべき場所に帰ること、それは止められないんだよ。
寂しいね。悲しくなるよね。でも、それは、別れだから。
仕方のない事だから。別れは、いつだって悲しいものだから。
そして、人にとって別れは、必ず訪れるものだから」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



そう。本来いるべき場所へ。

高浩は帰った。


自宅がある西荻窪のマンションの7階。708号室。
小ざっぱりしたリビングに。

白い壁紙。青いソファー。太陽と同じ、オレンジ色のカーテン。
毛足の長い白いカーペット。部屋のすみにある小さな仏壇には、
二つの位牌が並んでいる。

8月も終わろうとしているが、部屋の中の熱気はいまだに
夏の暑さを残す。エアコンをつけたが、熱は窓から飛び込んで
きていた。

ここは常葉町ではない。

遥か遠い、何もかもが違う場所。


高浩は、帰ってまず、たまった郵便物を整理した。そして、部屋の
掃除をした。それだけで夕方になってしまった。

いま、ソファーに寝っ転がって天井を見つめている。
シーリングファンがくるくると音もなく回っている天井を。

携帯電話をテーブルに置き、ため息をつく。それは何度目だっただろう。
メールは友人の戸田茜からだった。
画面には、他愛のない事が書かれていた。

明日からは、以前と変わらずに学校へ通い、そして、
以前と変わらずにこの部屋へ帰ってくる。一人きりの部屋に。

もう、家族同然の小さな友人はここにはいない。
激しい喪失感に、思いの外打ちのめされていたのかもしれない。

いや、それだけではない。


帰りのバスに乗る直前のことも、今の気持ちを沈めさせていた。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



町の閑散とした小さなバス乗り場には、滅多に見られないほどの
人が集まっていた。

木桧みずほと、吉野千歳、月方万里。川井智恋。
そして藤ノ木ふたえ。なんと5人。

このバス乗り場にいるのは、普段は雀とカラス、何も入っていない
郵便ボックスを開けに来る郵便局員。それぐらいだ。

朝の8時少し前に、札幌へ行くバスがやってきた。5分後には発車する。
どこかこの風景に似つかわしくない、近代的な、青いラインの入ったバス。

「それじゃ、そろそろ」

そう切り出したのは、他ではない、高浩だ。
同年代の友人と呼べる人たちとのお喋りは、名残惜しさを残す。

あまり、帰ることの話にはならない。不思議と、これから、
帰ってから何をするか、どうするかなどという、むしろ一番
重要そうな話は、全く出てこなかった。

まるで、明日が、またここで続きそうな感覚。

振り返りそうになる。
だから、そう切り出した。

「そうだ、あんたさ」

掘っ立て小屋のような待合室の木の椅子から立ち上がった高浩に、
声をかけたのは、木桧みずほだった。

「貝殻持ってる?」

そう言われ、高浩は一瞬記憶を探した。

「まさか捨てたんじゃないでしょーね」
「いや、持ってるよ。……ほら」

ずいぶん時間がかかって、抱えている肩掛けバッグのポケットから、
浅紫の小さな貝殻を取り出した。丸めたティッシュに包んである
それを開いて見せる。

一ヶ月前に、砂浜で彼女と言い合いをした時に貰ったものだ。

「なんでそんなゴミみたいに扱ってるわけよ」
「いや、適当な箱とかがなかったし」
「でも持ってたんだ。持ってなかったら代わりに、変な色の貝も
拾ってきてたからあげようかと思ってたんだけど、じゃあいいや」

みずほは、手に持っていた学生鞄から、非常に小さい木の箱を取り出して
高浩の手を掴み、手のひらに乗せた。

「その貝、これに入れればいいんじゃない」
「これは?」
「わたしが作った箱」
「作ったのか」
「うん」

それはかなり古い木材を小さく切り、接着剤で箱の形にくっつけたもので、
色味は茶色というか、黒に近いぐらいにくすんでいた。
表面はざらざらしており、どこか、既視感がある。

「これ、どこの木で作ったんだ? どうも見たことがある気がするんだが。
なんというかこの落ち着いた風合い。古い、くすんだ色の木。どこかで
見たような……」
「よく気づいたわねー!」
「?」
「Railwayの高浩の部屋の壁の木を一枚剥がしたの」
「お前何してんだよ!!」
「思い出になっていいじゃない?」
「良いわけあるか!!」

そんなやりとりを見て、くすっ、と、笑ったのは、藤ノ木ふたえだった。

「いいの。みずほちゃんは高浩くんのことを思って作ったんだから」

「え」
「!?」

同時に声を上げて、硬直する高浩とみずほ。珍しく、口許を押さえて
笑いながら、ふたえは言った。

「ふたえちゃんはね……本当はずっと前から、そのプレゼントをね」
「は!? ふたえさん!? 何言い出しちゃってるんですか!?」

大声を上げて、みずほがふたえの言葉を遮る。真っ赤になって。

「私、工作は好きだから! 他になんにもないわよ! さっさと行けば」

そして、ぷいっと後ろを向いてしまう。

「でも」
「いいの。Railwayは、いずれなくなってしまうのだから」

高浩は、そう言って笑った藤ノ木ふたえを、それこそ……
網膜に焼き付けるように、見ていた。

「誰かに何かを遺せるなら、Railwayも私も、きっと」


その時、大きなクラクションが鳴り、

彼女の言葉は聞き取ることができなかった。


「高浩! 私はきっと、もう一度会う。高浩にも、母親にも」
吉野千歳の別れの言葉も。


「卒業したら、連絡します。いつか、きっと」
月方万里の別れの言葉も。


「有沢研究員。また来いよ。手伝いに」
川井智恋の別れの言葉も。


「もう来なくていいからね!!」

木桧みずほの言葉も。
どこか空々しく感じる。

胸が熱くなる。
かきむしられるような想いがある。
返す言葉が出てこなくて、なぜか、涙が溢れた。

人にとって、別れとは。
いずれ訪れるものだから。


違和感。


その時、
バスに乗る瞬間に感じた違和感。

振り返った高浩の目の前で、バスのドアは閉まった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



日常が訪れる。

誰にでもある日常が。


天井を見上げながらそれを感じた。
今。これまでの一ヶ月間を思い返しながら。


両親の死が切っ掛けだった。

なぜ両親が自ら死を選んだのか。
それを探しに常葉町へ。

結局は、何も見つけられなかった。

テーブルに置いてある、貝殻と箱。
常葉町から持ち帰った、唯一のもの。

それ以外に、何も見つけられなかった。


……

…………


………………

……

……本当に?

「本当に、それだけだったのか?」


最後に感じた違和感。

あれは何だったんだ?

高浩はもっと深く思い出そうとする。

夢のように過ぎ去った一ヶ月間を。


Railway。

青い空。

青い海。

あの場所で朽ちていくのを待ち続けた蒸気機関車。

残された想い。

未来へ繋ごうとする想い。

失うことを恐れる想い。

遊花が感じた悲しみ……。

それを守れなかった自分……。

それを忘れてしまった遊花に……訪れる世界。

失うこと。忘れること。

別れ。


…………

……


「!」


高浩は、ソファーから体を跳ね起こした。





~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



オフィスには、わずかな範囲だけ灯りが点っていた。

ごちゃごちゃとしたデスクが4つあるだけの小さなオフィスだが
それにしてもか細い明かりだ。室内は殆ど真っ暗と言っても
いい状況だったが、デスクライトだけは点灯していた。

たった一人が、そこで働いていた。
矢藤功(やとう いさお)という、男だ。

ノートパソコンの光が、無精髭の生えた彼を青白く照らしている。

彼は40過ぎの男で、知っている限りでは、結婚して子供もいる
歴とした家庭人だが、21時を過ぎても平然と会社に残っている。
別にその家庭の中で、どんなことがあるかは知らない。
帰らなくていいのだろうか、と思ったとしても。

そう、高浩にしてみれば、それほど興味のある話ではない。

「矢藤さん」

オフィスのドアの鍵は開いていた。
高浩が呼び掛けるまで、矢藤は気づかなかったようだった。

「ん? なんだ、高浩君じゃないか。久しぶりだな。どうした」
「……」

高浩は、呼吸を整える。
ここまで、気がつけば早足だった。都会の夜の中を、
どこか懐かしむ余裕を持ちながらも。

のんびりと散策する気にはなれなかった。

「散歩していたら、つい」

矢藤は高浩の、トレーナーにジャージという姿を見たようだった。

「君の家からこの高井戸の会社まで、ついという距離じゃないぞ。
40分はかかるだろう。電車かタクシーで来ればよかったのに。
連絡してくれれば、迎えにも行ってやった。すぐ近くだ」
「そうですね」
「……」

矢藤という男は、ノートパソコンの画面から顔を背けた。
高浩に向き直る。

「葬式以来だな。元気してるか。何も連絡しなくて、すまなかった。
何分仕事が忙しくてな。今度新しいコーナーの担当になって、その
記事が明日までなんだ。これは言い訳じゃないぞ」
「わかってますよ」

高浩は苦笑した。

「全く君は子供らしくないな。少しは大人の嘘に腹を立てたらどうだ。
社会に出たらみんな嘘つきばっかりだからな。言いなりになっちゃ、
幸せになれんぞ。俺みたいに。思ってもみない、適当な文章を書いて、
ページを埋めて、とんでもない嘘つきに振り回される。高浩君は
利口だし、カメラを撮るしか脳のない馬鹿や、心にもない記事ばかり
書く三流記者を反面教師にするのがいいな」

矢藤も自分で言いながら笑っている。

「頼みがあって来ました」
「頼み?」

彼は無精髭が目立つ顎を、右手でごりごりと撫でた。

「高浩君が困らないように、何かあれば頼むと、責任感のかけらもない
手紙を寄越して、仕事をほっぽって死んでしまった奴の手前、
大概の事は聞いてやれるぞ。そもそも、今の記事はあいつの写真が
無くなったから新規に立ち上げざるをえなかったという内輪の話も、
奴の息子である君には関係のない話だ。何かな」

「カメラを撮るしか脳のない人の事です」
「お前の父さんがどうした。財産なんて探しても無駄だと思うぞ。
金に縁の無いことに関しては俺と同レベルだ。いや、俺より悪い」

高浩は、首を横に振った。

「父親の写真、矢藤さんが持ってるんですよね」
「まぁ、あいつが他の出版社に売ったものは知らないが、一応長い
付き合いで買い取った写真は膨大だ。それが?」
「何年前の物からありますか?」
「ざっと十数年かな」
「それを見せて戴くことはできませんか」
「写真を……? まさか……全部!?」

矢藤は、身を乗り出して聞き返してきた。だが、高浩は頷く。

「そうです。全部」
「おいおいおいおい……、無茶だろ。何時間かかるかわからんぞ?」
「朝まででも」
「おいおいー俺を帰らせない気かよ。うちのママさん怖いんだぞ?」

高浩は、
心の底から、願う。

「ご迷惑を掛けないようにします」

土下座をしてでも。

「お願いします」

その場に両手をついて、矢藤の足元に頭を下ろす。
両手と額が床に触れる冷たい感触。

生まれて初めて、土下座をした。
それなのに、むしろ慌てた声を上げたのは、矢藤だった。

「お、おいおい!」

すぐに高浩の小脇を抱え、立ち上がらせる。

「何やってるんだ。馬鹿だな! 頭ってのは目上の人間に下げてこそ
意味があるもんだぞ! 俺なんかに下げるな! たかだか写真ぐらいで、
そんな大袈裟な。み、見たいだけ見ていいから!」
「俺は……」

高浩は、ひどく、傷ついていた。
どこかを怪我したわけではない。

ただ、傷ついていた。激しく。心が傷ついていた。
まるで空隙でもできてしまったかのように。

泣いてしまう。情けないと解っていても、涙が出て、止まらない。

「何も知らなかったんです……!! 父親のことも、母親のことも!」

膝をついたまま、ふさぎこむ。
こぼれた涙が、汚れた床に落ちる。

「父親の写真だって見たことがなかった。母親の過去だって知らなかった。
それでも、今からでも、戻りたい……!!」

それが、願い。
大人びている、そう言われてばかりだった高浩が、

初めて願った。
叶わない願い。

夢を。



「過去に時間を、戻せるなら、戻したい……!!」




過去しかない。

この世界に残されたものは、過去しかない。


高浩はそれに気づいた。

死んでいった人たちに未来などない。

過去しかない。


残された人たちは、その過去に触れる権利がある。

『願えば』

「お願いします……!」



心から『過去』を願えば。

その中にはきっと、未来がある。




Way To The Blue 49 END

| 連続小説 Way to the BLUE | 23:04 | comments:1 | trackbacks(-) | TOP↑

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Way to the blue 48



弱々しい陽光に、告げられるような懺悔もない。

空気が激しく窓を叩く、そういう音色にもどこかわざとらしさを
感じてしまう。

要するに、すべてが嘘っぱちに見えてしまう。

夜が終わり、朝が来ることも。
風がやみ、朝顔が花開くことも。
朝露が溶けて消えることも。
たゆとう冷えた地面の匂いが侵されることも。

まるで、それは、出来すぎた夢の話のように。



夢想は踊る。

よく晴れた緑の丘に吹く穏やかな夏の風のように

鉄錆びた色の大地が星空の藍色に溶けるように

二本の決して交わらないレールが果てしなくどこまでも延び

水平線の向こうへ消えて行く様を。

黒く重たい獣が轟音を上げ、心まで揺さぶるような汽笛を鳴らし
彼方へと疾走して消えて行く様を。


目を開き、薄くかすむ景色に焦点を合わせる。

焼けつくような熱。

乾き。

想う。

人はすぐに乾きを覚える。飢え以上に耐えがたい乾きに、
突き動かされるままに動く。

そう、言い換えればそうして生きている。

乾きを潤したいと考えてばかりいる。
渇望が欲望を産み、求め、妬み、媚び、愛して。
どこまでも果てしなく求めて、求めて、求めて、求めて。

結局、求めるがままに生きて、そして乾いたままに死んでいく。
ほぼすべての人間が。

何も得られないままで死んでゆく。

何かを得たと『錯覚して』死んでゆく。

その果てに。

許す。

自らを許す。その気持ちが満ちてくる。乾きの果てに、欲望の果てに、
誰にも許されぬ自分に、自分のために許す。

言葉は項垂れ、夢は崩れ、愛は砕け、心がきしみ、許しを乞い、それを許す。

それが人間だ。


人間。


もしも自分を愛せなくなれば、人間は自らの欲深さに
耐えることができない。破裂するまで蓄える。まるで風船のように。

あなただ。

そうだ、お前のことだ。


乾いて、飢えて、求めて、泣いて。
それでも許されずに、足掻いてきた人間の成の果てがお前だ。

罪悪感なども、後悔も、意味などない。

傷つけて、奪い取ってきたすべてが人間の罪の本質だ。

自らを許さなければ生きていけない、哀れな水槽の鑑賞魚。

誰が餌をくべているのか。
それすらも考えない、あわれな鑑賞魚。


ほら、また。
薄ら笑いを浮かべて。


きっと、この世の何もかもがなくなったって、
狂人のふりをして、薄ら笑いを浮かべるのだろう。

ああ、空は、あの青ささえも甚だしく不愉快に見える。

遥か彼方へと延びていく二本のレールが、憐れにすら思える。

決して交わることがない……。

どこまでいっても……。

決して……。



決して……決して……還らない………!!



ただ、この世界にいきる自分の。いや、『お前の』。
空虚で嘘にまみれた世界の、たったひとりの王として、
たったひとりの国に生きる。


それだけだ。

それだけだ……。


だって


それなら約束は、もうしなくていい。

約束はしなくていい。



それなら、もう、絶望しない――





そうして彼女は壊れた。






Way To The Blue 48






高浩は、息をすることを忘れて立ち尽くしていた。

合間に何が起こったのかは、わからない。ただただ、衝撃を受けて、
真っ白い病室の中で、すべての神経が断ち切られたように呆然と、
そんな声を聞いていた。

声?

そう、声。

彼女の声を聞いていた。


「あい われ の い はな かた むし な いし あや かい」


彼女の口から漏れるそれは、音であった。

音というだけで、意味はなかった。

高浩は、今はもう困惑などしていなかった。絶望していたからだ。

牧野遊花の双眸からはなんの意思も感じられず、蒼白の唇から漏れる
言葉は、快活な彼女の声をしただけの呪詛だった。

「医者がね、たぶん、自分から全てを、閉ざしてしまったんだろうって」

振り替えると、遊花の母親がいた。弟の姿はない。母親だけが立っていて、
高浩を病室に招いた時のままの姿勢で、じっとしていた。

「ゆ ゆ……ゆ……あか のえ あまい あまい のれ」

遊花の口から漏れる、意味のわからない呟き。
生気のない表情からなにも感じられない感情。

「正確なことは精神科医に聞かなければわからないけど、たぶん、自分の
名前とかを思い出そうとしているんだって。でも、想い出したくなくて、
たどり着けないんじゃないかって。遊花が。つまり、遊花が」

母親は、繰り返した。たんたんと。

「ここにある、どこかにいってしまったものを探し続ける。ずっと」



呆気なく雨は上がって、
朝になり。

高浩は、病院から出た。
じりじりと頭に鈍痛を覚え、病院入口の柵に腰かける。

湿っぽい空気は濡れたコンクリートの不快な臭いを伴って
脳裏に浮かんだ残酷な記憶に彩りを添える。

自らの手や足が、どこかに消えてしまったような感覚は、
もしかしたら軽い貧血に陥っているのかもしれない。

ため息すら重く。

気管を通る空気の空虚ささえも騒がしく。

脳を回る血液の熱にさえも痛む。

冷静に振り替えれば、自分がどんな形で、どんな意味で、どんな言葉で、
この時間を塗り潰したのか、よくわかっていないほどだ。

不愉快だったのだ。

一言で言えば、そうだ。不愉快だったんだ。



「俺が遊花を守る」

彼女の弟がそう言って、睨み付けてきたときも。

同じように不愉快だった。

「俺たち、家族は、もう誰にも、誰にも壊させない」



高浩は小さく笑っていた。

「(雨は止んだんだな……)」

胸中で呟くと、再び立ち上がった。




「常葉町には戻らない。遊花を残せないから。たぶん、一生、戻れない」

遊花の母親、楓は、高浩を睨み付けるようなことはしなかったが、
明らかな憔悴を目元ににじませていた。

高浩は声を上げた。どんな意味だったかはわからない。

違う。思い出したくない。

極めて幼稚な、身勝手な事を言ったのかもしれない。
今さらどうすることもできない謝罪だったかもしれない。

どちらにしても、まるで意味がない。
誰にとっても意味などない。

「高浩、まだまだお子さまなあなたにはわからないと思うけどね。
あの世界は、誰に対しても優しすぎたの。傷ついていく人たちに、
安らいだ時間を与えてくれるの。それは痛みを忘れていくきっかけに
なるけどさ、傷は消えないんだよ。だから、忘れないようにしなさいよ。
常葉町に帰って、そして」

楓はそう言って、ほんの少しだけ、うつむいた。

「そして、受け入れなさいよ。どんな結末だってそれが現実だから。
そして今度は、忘れないように……」

楓が不意に顔を歪めて泣き出し、高浩は慌てて背を向けた。

くぐもり、言葉はかすれ、うめきのようにすら聞こえた。その意味を
理解することなどできなかった。

ただ、音として伝わるだけ。
不快な音として。


彼女の息子が母親の肩を抱いて一緒に泣く。
そんな病室から飛び出した。




思い出せば、そんなやり取りの後に、今ここにいる。

泣いて謝罪したいと思っても、もう相手もいない。

今朝、そんなことを悠という女にたしなめられたばかりだった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「決めたことを悔やんだら、決めた過去の自分を否定することに
なるじゃないですか。そんなことは必要ありません」

「必要な気がするけど」

「気がするだけです。必要ないんです。必要だと思ったら、それは負けなんです」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


それは、負け、か。

高浩は倉石悠と言う女の言葉が、悔しいが忘れられなかった。
口は悪いが、あまりにも端的で、一方的で、強引で、前向きだ。

勝ちと負けの二面でのみ、物事をあてはめた。


自分もそう思う。何となく否定したくなるが、それはたぶん、
しっかりとした論理ありきの否定ではない。

否定するのは当然の事だ。
だが、その否定が比較的、次元が低いということでもある。

ずっと低い次元の話。だから幼稚に見えて、否定したくなる。

小さくかぶりを振って、それから頷く。そう。

勝ちと負けしかなかった。そうだったんだ。


中間、引き分けがあるのはスポーツやゲームだけだ。
それだってもっと広い視野では、優劣。つまり勝ち負けが決まっている。
僕たちは、
勝ち負けから目をそらしている。

勝者を貶し、敗者をおだてる。

だが、本質なんだ。いついかなる時だって、ほんとうは、ほんとうは
絶対に忘れてはいけないことがあった。

イエスか、ノーしかない。

勝つか、負けるかしかない。

信じるか、信じないかしかない。

愛するか、裏切るかしかない。

求めるか、拒絶するかしかない。


過去の自分を肯定するか、否定するしかない……。



過去を振り返り自分を否定することは負けでしかない。

不本意な判断があったならなおさらだ。
それは、ただ一時の感情や状況でもって否定されることではない。

「決定したことを悔やむな」


大切なことは、そうだ。
決めたことだ。

決められなかったことではない。決めたんだ。

決めた自分を否定するな。

それは……
負けなんだ。



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常葉町へと帰ってきたとき、すべてが変わってしまった……


……ようには、到底思えなかった。


夕暮れ前に高浩が戻ったとき、大人の誰もが高浩に優しかった。
ふたえは既に事情を聴いていて、晩御飯は高浩の好きな
牡蠣のカレーグラタンにすると張り切っていた。

千歳や智恋も夕食に招待するなんて言っていた。

もちろん万里だって来ると。そして……


遊花の祖父や祖母がやっている銭湯も、変わらずに経営している。
そこに高浩が訪れたときも、ただ、優しく声をかけられた。

ご苦労だったねと。

気に病まないでくれと。



高浩は、閉館時間に近い図書館を訪れた。

いまや深い夕暮れが迫り、浮わついたような夏の暖かい空気を、
オレンジ色の絵の具に溶かしていく。

どこか儚げに。

どこか寂しげに。

そんな美しく、寂しげで、胸を締め付けるように切ない景色のなかで
木桧みずほは窓際の席で、本も広げずに頬杖をついていた。


「……」

制服姿の彼女が、ちらりと高浩のほうを見やる。

長い髪はそのまま制服の肩にかかり、さらさらと背中に落ちている。
白に近い色の頬が、ため息と共に揺れたのがわかる。

そして、一拍置いてから、言葉を投げてきた。

「ここの当番、一応休み中は学生もやってるの。普通は図書委員だけど、
私、成績悪いから罰としてやらされてんのよ。ま、何もしてない帰宅部員は
目に余るのかもしれないけど、夏休みも終わりそうなのに、ひどいわね。
で、あんた、そんな入口に立ってても気味悪いだけでしょ。
座ったら? どうせ、誰もいないし。誰も来ないし。」

木桧みずほは行儀悪く、向かい合わせになっている椅子を足で蹴って
ずらした。そこに座れと言うことらしいが。

「女なんだから足で椅子を蹴ったりするなよ」
「椅子だって私に蹴られて嬉しいかもしれないでしょ」
「嬉しいわけあるか。トイレの床の臭いがする靴で蹴られて」
「そんな臭いしないわよ。女子トイレは花の香り……ってなんでこんな
話してんの」

木桧みずほは、長い髪を右手でかきあげて、また頬杖をついて、
窓の外へと視線を移した。

夕暮れの光が図書館へ差し込み、窓ガラスに反射した像を、彼女は
視線で追っているようだった。

彼女の前には教科書と参考書、ノートなどが閉じた状態で置かれている。

「宿題か」
「ああこれ。そうだけど」
「終わったのか?」
「終わってるわけないでしょ。馬鹿じゃないの」

あんまりな言い様に、一瞬言葉を失う。

彼女は続けて……恐らくは、その宿題が終わっていないことに対する
壮絶な責任転嫁の言葉を脳裏に思い浮かべてから、

それから、すんでのところで発せられそうだった言葉を、飲み込んで、
再び外へと視線を移したのだった。

高浩と、そうして視線がぶつかった。その先にうっすらと、
花壇に咲く青い花が重なる。名前の札には、デルフィニウムと書いてある。

「まったく、ホント、何でこんな……」

ぶつかる視線を気にしたのか、彼女が瞼を伏せた。

「こんな気持ちになって、みんな、あんたのせいなのに」
「……」
「この図書館に来たのは、私を探してきたんだと思ってるんだけど、違う?」

違わない。

高浩が返答のために口を開かずとも、彼女にとっては関係なかった。

「おおかた、遊花のことを誰も責めないし、まるで、仕方がなかった
みたいに言うから、所在なくなってここまで来たんでしょうけど、
それはある意味正解だし、ある意味不正解だと思うのよね」

視線は、外の花壇に向いたまま。

「結局この町は、いつもそう。優しすぎる。気持ち悪いぐらい」

ガラス窓に反射して見える木桧みずほの表情は、これ以上無いぐらい、
そう、高浩自信が一度も見たことがないぐらい、怒りに満ちていた。

「優しさじゃ誰も守れない。古今東西、RPGで、優しさと話し合いだけで
解決したゲームなんてある? 普通は悪いやつを倒して終わりでしょ。
それに対する犠牲が出たら普通は、怒るでしょ。
ここは終わってる。いつも誰かが犠牲になって、なにかが奪われて、
それでも笑ってる。どうして? どうしてそうなの? それで誰が
救われんの? この町は終わってる。みんな腐ってしまってる。
あたしは、こんな町に!!」

高浩は、机越しに木桧みずほの手を握っていた。
熱い皮膚と小さな震えを直接感じる。そして、高浩は言った。

「もういい」

木桧みずほは、はっきりと激昂していた。
そんなことはわかっている。

「責められるものだと思っていた」

そう続けると、燃え上がった怒りの炎が、揺らめいた。

「ああそうね、あんたはその場にいて、なんもできなくて、
遊花が怪我をした時もそこにいて、ほんっとに単なる役立たず
だったわけよね。そりゃホント馬鹿げた話よね。話聞いてたら
ぶっ殺してやりたいぐらい頭に来るんだけど!!」

そうだろうな。

高浩は言葉にすることなく、うなずくのみだった。
だが。

「私にだって足りない頭ぐらいついてるから、すこし先の未来に
ぐらい、考えを広げるだけの事はできる。遊花は、こんな最低の
町から出て、古いものを全部捨てて、新しい人生を送ることに
なる。あんな壊れた蒸気機関車、さっさとなくなってしまうのも
それはそれで仕方がない。納得できなくても、いずれそう納得しなきゃ。
だけどもう、それすら考えなくていい。あの子は。
それってもう、殆ど、いや、絶対に良いことに思える。
だって納得できないことを納得するのには、忘れてしまうことが
一番なんだからね。
あたしは、私は、自分がすっごい頭に来てて、ムカついて、だけど
そんなムチャクチャなことを考えちゃってるあたしが……!!
あたしが……!!」

はっきりとわかるぐらいに、肩を落とす。

「私が嫌い……!」

彼女は高浩が重ねた手を引いて、目尻を人差し指でこすった。

無理矢理に微笑んで、今度は高浩のほうをしっかり見て。

「ダメだ、わたし……」

潤んだ声が、静寂の図書館に吸い込まれてゆく。

高浩は、彼女のその沈痛さが自分の意に沿わないことを確実に認識
していて、なおかつ不要であることが解っていた。

解っていながら、それを正すことができそうになかった。

例えば、例えばだが、今ここで、
自分が遊花を強引に連れ帰れば、今慚愧の念に駆られる必要もなかったと
彼女に告げたところで、意味はない。

そうだ。

高浩は、みずほに責めてほしかったのだ。
お前のせいだと言って欲しかった。

そしてそのまま、この町を去りたかったのだ。

苦い思い出を抱え、敗北の心を抱えながら、
東京に戻り、やがて褪せた写真立ての中にだけ存在するように。

誰も彼もが思い出に変わって。

静かな、記憶のひとつになって。

なんて……

都合のいい考えは、みずほに打ち砕かれた。

彼女は高浩が思うほどに強くない。

彼女は回りの誰かが思うほどに、馬鹿じゃない。

そして、

彼女は彼女が思うほど、彼女自身が好きじゃない……。


それを見誤っていたことを、高浩はいまさら察した。

「すまない。俺は、出来ることが、出来なかった」

なんという、ひどい言い種だろう。
言いながら、高浩自身が情けなくなった。

「それでも、俺も、遊花も、決めたことだった」

誰かを救うためには、犠牲が必要なのかもしれない。
それは木桧みずほが言う、古いゲームのように、
悪辣な魔王から世界を救うのは、単純な事ではない。

みずほの気持ちを救うために、高浩は遊花を犠牲に捧げた。

「遊花が決めたことだ」

木桧みずほは……

「……!」

再び怒気をはらませた視線で、高浩を睨み付けてきた。
だが、何も言わない。

何も言わなかった。


何も言わないはずだ。

自分が決めた道を貫くことを、他人が批判するのを彼女は嫌う。

それが最初から解っていた木桧みずほは、高浩が思うよりも、
そう、高浩よりもずっと大人だった。


高浩は、この期に及んで痛感した。

この、ほんの一ヶ月間の間に、自分はどれほど、自分の幼さを
露呈してきただろう。

喜びに喜び、悲しみに悲しむ。

誰かの悲しみに寄り添い、自分の運命を重ねる。

揺れ惑う船が他人の船に目標を定めて、船を進めるように。

ここに見つけに来たことは、
他人の教示を受けに、ではないはずなのに。

何も決めることができないままで。

何も理解することができないままで。
ただ、時間だけを費やして。
言葉を浪費して。

「俺は明日、東京へ帰る。今度は、本当に」



(Way to the blue 48 終)

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